Q-T[File of Foxy](01)
「君は――……」
揺らぐ意識の狭間、銀の星を見る。
それは見失ってしまった彗星か。
それとも手元に落ちてきた流れ星か。
忘れられぬ残照が、静かに夜の帳を下し始めた。
出会いは近く――それでいて遠く。
ある春の昼下がり。
「僕は十八番珀」
「コハク……さん」
「コハクじゃなくて珀なんだけど……まあ好きに呼んでくれて構わないよ」
「じゃあコハクさん。オレは――……」
白月と銀星は巡り合った。
桜はもう散り始めていただろう。
はらはらと舞う花弁とは裏腹にか。
その日、その場所は気合と活気に満ちた人々で盛り上がっていた。
それもそのはず、大学の大見得だ。
ある者はいささか肌寒そうにも見えるユニフォームを纏い、ある者は重そうな楽器を持ち運び、またある者は手書きのプラカードを高く掲げ――新たに学校の門を跨ぐ事となった新入生たちを出迎えるのである。
正しくは待ち伏せか。
サークル勧誘のために準備を重ねてきた生徒たちは、競うようにまだ初々《ういうい》しい新入生を囲っていくのだった。
そんな中、小さなテーブルが点、点、点。
いわゆる文化部――とりわけ華のないサークルに所属する面々は、賑やかな人だかりを、どこか遠巻きに見つめていた。
「……話し掛けるか?いや無理だよな。それが出来たらこうなってない……って別にオカ研を否定するとか、そういうわけじゃないけど…………」
見栄えのする美術サークルや被服サークルはまだマシ。
オカルト雑誌を並べる青年――当然のように端っこのテーブルに追いやられた眼鏡の男は、どうにも居心地悪そうに小言を溢す。
「こんな事ならイキらなきゃ良かった。ヒモ先輩なら余裕だっただろうけどさ~……俺には無理だって。あー……なんで三人くらい連れてくるわ!なんて宣言しちまったんだろ……」
見事なまでの中肉中背。
三白眼を誤魔化し切れない黒ぶち眼鏡に、かろうじて寝癖だけは直している生来の黒髪。
ナードやらギークやら。
容姿だけでそのレッテルが貼られてしまいそうな彼に意図して近付く者は少なく、空回りの時間ばかりが過ぎていく。
もちろん、まだ小一時間も立っていないわけだが、成果のない数分は地獄にも等しく。
当たっては砕け続ける青年は、やはり落ち着きなく行き交う新入生たちを、恨みがましく見送り続けるのだった。
時を同じくして――。
星を宿した青年はふと立ち止まった。
幼い頃に暮らした日本。
故郷とも言うべき場所に戻って来たのは仕事のためだったが、社会経験を積むのもまた修練の一つ。
陰陽省の総本山とも言うべき京都――その地に根ざす大学に進学した青年は、微かな違和に意識を向けるのだった。
(……何だ?)
帰路に着く新入生を待ち構えるサークル勧誘の群れ。
不特定多数の彼らとは逆に、まるで興味のないそれらを躱そうとしたところで、青年はがらんどうのその場所で足を止めるのだった。
安い張り紙には〝オカルト研究会〟の汚い文字。
達筆ゆえの読みにくさとは違う、ただ単純に下手くそな文字が、落ち着きない青年と共に来客を出迎えていた。
「お、え、あ!きょ、興味ある?オカ研――あいや、オカルト研究会って言ってさ!幽霊とかUMAとか……あと神社!神様とかさ!とりあえず資料見てみる!?」
なかなか足を止めてくれる人はいないらしい。
いやに緊張した様子の男が、半ば声を裏返して語り掛けてくる。
その声を聞いているのか、いないのか。
立ち止まった男は、青々とした目をじっ……と細くした。
(……やっぱり綺麗すぎる)
ふと感じた違和。
それは目の前の男の気が、あまりに小奇麗が故に感じたものだった。
生気、霊気、魂気――表現は様々。
それら人間の気というものは元来、少なからず乱れているものだ。
本人の持つ不安や欲からくる邪気であったり、他人からの嫉妬や羨望。
祓うまでもない幽霊たちの瘴気。
空気がまるっきり清浄でないのと同じく、完全に浄化されている人間は普通には存在しえない――というのが常である。
だが目の前の男はあまりに清廉で。
(オカルト……っても、同業ってわけじゃないか。多少霊感はあるみたいだけど、コイツじゃない。祓い屋か何か……別に居るな)
重箱の隅を突くようなその違和に、青年は即座に思考を巡らせる。
(邪魔になるなら対処しないといけないし、聞き出しておくか?婆さんは無暗に催眠使うなって言うけど、遠回りする方が面倒なんだよな。他に誰もいないし、ここはさくっと……)
不吉に揺らめく星の輝き。
そこに新たな人影が現れる。
「あれ?新入生?」
柔らかな声と甘さのある顔つき。
悪びれもなく戻って来た男に、星を陰らせた青年は動きを止めた。
(……コイツもか)
やはり不自然に綺麗すぎる霊魂。
一人目と違い、まったく素質の感じられない二人目ですらこの状況というのは、普通にはありえない事だ。
星を宿す青年はどうしたものかと目を瞬く。
その機微を知る事なく――
「遅ーぞミノ!」
「ごめんごめん。トイレ混んでてさぁ。えーと……興味あるなら部室見て……みます?ここより資料もたくさんあるし、一応お菓子とも用意してるんで」
「そうそう!休むだけでも良いし……って、これ俺が案内する感じ?」
「感じも何もムジが受け付けたんでしょ?ここは先輩らしくお願いしまーす」
「こういう時だけ後輩面すんなよ。で……どう、します?気になるなら案内しますけど?」
客人と思っての対応なのか。
それとも青年の容姿に圧倒されての事か。
年上にも関わらず、ところどころ敬語で語り掛けてくる二人。
顔色を窺う二人を見下ろし、青年は社交辞令に微笑んだ。
「ええ、気になります」
何が――とは言わないが、興味があるのは紛れもない事実。
二人から漂う柔らかな気配を追うように、目線を大学構内へと向け、青年は人好きのしそうな笑みを作る。
(二人から同じ残滓が見える――って事は、オカ研とやらに居る感じか。害がないなら良いけど、確認だけはしとかないとな)
残滓を辿った先には何が待つのか。
ぎこちない案内の元、青年は大学の中へと戻っていく。
騒音と邪気に満ちた構内は騒々《そうぞう》しく、癇に障ることこの上ないが、疑念をそのままにしておく方が気持ち悪いというもの。
だんだんと人の減っていく廊下。
やはり奥の奥に追いやられた部屋に足を踏み入れ――青年は無意識に息を呑む。
「入部希望かな?」
僅かに色付いた紫苑の双眸。
物珍しい色が示唆するかのように、その体は日本人にしては逞しいようだった。
穏やかな声はしんしんと降り積もる雪の如。
静かな眠気を誘う音に、つい目線が奪われそうになる。
それでいて纏う気は零れんばかり。
こんこんと湧き出る泉が、彷徨える霊魂たちの縁となっている。
(――……凄い)
思わず浮かんだ感想はただそれだけ。
溢れる気は寄る辺なきオアシスに等しく。
その紫苑に魅入られた霊物は、まるで成仏するかのように紫苑の中に溶けていく。
だからこそ、先に出会った二人は異質なまでに綺麗だったのだろう。
歩く龍脈、人の形を成した霊山。
類稀な宝物を前に、他の者に憑りつこうなどとは水子霊でも思わぬものだ。
疑問が溶けると同時に、星を宿した青年もまた無尽蔵の箱に魅入られた。
(欲しい――な)
これ《・・》があれば何をせずとも強くなれる。
怪異をおびき寄せる餌にも。
恩寵を得る神具にも。
自身の力を増幅させる装置にも。
どんな方面にも活用する事が出来る。
可能性の塊ともいえる箱を熱心に見つめ、星を宿す青年はその手をとった。
「はい、入部します」
傍目には違う意味に見えただろうか。
案内を務めた三白眼の男。
部室に控えていた恰幅の良い男。
良くも悪くも日本人らしい二人が見守る中、白月と銀星は巡り会う。
「僕は十八番珀。皆にはハコやんって呼ばれてるよ。それで……あっちがモッチーで、案内してくれたのがムジ。もう一人がミノだね」
「コハク……さん」
「コハクじゃなくて珀なんだけど……まあ好きに呼んでくれて構わないよ」
「じゃあコハクさん」
きっとではなく眼中にないらしい。
紫苑の男――珀以外の紹介は聞き流し、青年はゆるりと笑む。
「オレはカイネ。カイネ・アルベノ……ペンタゴン……です」
僅かな間は何を示すのか。
黒縁眼鏡のムジが笑いそうになったのを塗り替えるように珀――コハクがカイネの目元に指を伸ばす。
「ああ……それで。名は体を表すって言うけど、ペンタゴン《ほし》が浮かんでるみたいで綺麗だね」
青空に浮かぶ銀星。
五つ《ペンタゴン》の光を灯す五芒星を見上げ、コハクはふわりと微笑んだ。
「……嘲笑わないんですね」
「うん?どこか笑うところあったかな?」
「いえ……ないですけど」
その一言がきっかけだったのか。
それとも愛着が湧いてしまっただけなのか。
それからの二人の距離は近く。
正確にはカイネの距離感がおかしく。
いつも一緒にいると言っても過言ではないほど、同じ時間を共有するのだった。




