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匣ノ中ノ獸  作者: yura.
匣ノ中ノ獸
59/65

Recall the BOX(05)

月も陰るほど暗い夜道。

深いその闇の中を、白いトレンチコートの女が早足に通り抜けていく。

「はぁ……はぁ」

雪はなくとも外気は冷たく。

肺を凍らせる冷たさを緩和させるように、女は熱の籠った息を吐き出した。

否――漏れ出す息は焦りの証か。

コッコッコッ……と迫る踵の音。

付かず離れず、随分と前から足並みを揃えてくるその音に、女は自然息を乱していく。

(つけられてる……?)

残業を押し付けた上司を憎めば良いのか。

家賃ばかりを見て、人通りのないアパートを選んだ己が悪いのか。

少なくなっていく街灯に一層の恐怖を覚えながら、女は振り向くか振り撒かないかを悩むのだった。

(でも本当につけられてたら……)

だが決心は定まらない。

誰かが居ても恐ろしいし、誰も居なくても幻聴を聞いてしまったようで恐ろしい。

嫌な想像を掻き立てる闇に呑まれるまま、女はただ動悸を早くする。

(どうしよう……。このままじゃ)

アパートまではあと僅か。

何者かに後を付けられているかもしれない状態で帰って良いものか。

スピードを緩めたくないのに、足並みは遅くなり――というところで、前から男性が歩いて来た。

(あ……ひと

見かけない顔だ――そう思ったが、別段地域に詳しいわけではない。

知らない顔の方が多いくらいだろう。

それでも誰もいないよりは良い。

女はひとまず安心した気持ちになって、柔らかそうな白のコートを着た男とすれ違うと同時、盗み見るように後ろを振り返った。

「……っ!」

祈るように細めた目を凝らし――だが、そこには誰もいない。

すれ違ったばかりの男の背中が見えるだけで、冷たい空気が吹きすさむだけだった。

(気にし過ぎ……だったのかな)

しかし、もう恐ろしさは感じない。

きっと恐怖心が嫌な想像を駆り立てただけ――人に会えた安堵がそうさせるのか、女はほっとした心持ちでアパートへの道を進んでいった。

その背を見送って、白い男は物陰に隠れる相手に笑いかけた。

「こんばんは」

「!?」

深い闇の中のさらに暗い影。

注視しても気付かないだろう隙間に潜むそれは、突然の事に驚いたらしい。

ビクリと丸めた体を震わせる。

「な、なんで……っ」

「知り合い――という感じでもないし、ストーカーってやつかな?それとも通り魔?どのみち感心できないね」

「っ……う!!うるせぇ!!邪魔しやがって!!」

そして図星を突かれたからか。

素早く物陰から飛び出すと、にこやかに語り掛ける男に拳を振り上げた。

力任せの拳は見事に顔面に吸い込まれた――かに見えたが、きしむのは殴りかかった男の手の方だ。

バチンッと派手な音を鳴らす衝撃が、そのまま男の指に返ってくる。

「い゛っ!?」

「急に殴りかかりやがって。ガキでもんな事しねーぞ?」

どこから現れたのだろう。

白い男の右側――ぬっと乗り出した浅黒い男が、繰り出された拳を受け止めたらしい。

それに気付く間もなく広がる痺れはにぶく。

じーん……と響く痛みは、まるで鉄を殴りつけた時のようだった。

思いもよらぬダメージに、男は一歩二歩と後退あとずさる。

(な、なんだよコイツら……!?あの女のあと追いかけてただけだってのに……っ)

深夜に出歩く無防備な女。

その後を付けておびえる顔を見たり、家を突き止めて気味悪い手紙を送ったり、ゴミを漁ったり、それを楽しみにする男は、自分の行いが悪いとも思わず、心の中で悪態をつく。

所謂いわゆる、魔が差した――というものだが、ある意味、かれているのかもしれない。

仕事に疲れ果ててばかりの人生。

その苦行くぎょうの中で見出した唯一のいこいなのだから、邪魔をする方こそがに他ならないとでもいう風だった。

とはいえ、心のどこかでは自分が犯罪者である自覚もあるのだろう。

フード付きの厚手あつでのパーカーに帽子にマスクにと、素顔をさらす気のない男は、引けた腰のまま誰もいない夜道へと走り出した。

(クソッ……男に用はねーんだよ!)

あくまでこれは癒しで遊び。

警察に突き出されるなんて事があっては、たまったものではない。

男は一目散にきびすを返し、薄暗い路地裏へと消えていった。

「アイツ逃げたぞ!」

「うーん……怪異ではないようだけど、放っておくのも目覚めが良くないか。アニ――少し遊んでおいで」

「遊びって……まあ良いけどよ。離れた隙に引き連れてくんなよ!絶対だからな!」

「分かってるよ」

さりとて、闇に呑まれた背中を見つめるのは、どんな暗闇の中でも煌々《こうこう》と光る赤色だ。

より深い闇が己を狙うとも知らず――逃げた男はひた走る。

どこに人一人がやっと入れる脇道があって、通り抜けられる空き地があって、踏み台に出来る塀や岩があるかは熟知済み。

恐らくは引っ越してきたばかりだろう。

物色する中で一度だって見た事のない二人組を嘲笑うように、男は自分だけが知る近道を駆けていった。

(はあ!はあ……っ!次会ったら覚えておかないからな!)

運動不足か、ただの焦燥しょうそうか。

想像の五倍は走るのが辛かったが、追って来る足音も、人の声も聞こえない。

民家と民家の間――猫が好みそうな路地裏で、男は熱をもった息を吐く。

冬にも関わらずひたいには汗が浮かび、咳き込みそうなくらい肺が痛かったが、ここで大声を出しては逃げた甲斐がない。

男はぐっと息を呑み、塗装の剥げかかった壁にもたれかかった。

その耳に――

「逃がすかよ」

「――ヒュッ!!」

荒々しい男の唸りが響き渡る。

思いがけず甲高い音が漏れるが、一体どこから声が聞こえるのか。

男は急いで狭い隙間の左と右を見つめ、すぐに目を見開いた。

足元で光る無数の赤色。

己を見つめる眼差しは巨大な顎へと形を変え――


「ひっ……うわああああっ!!??」


翌日、その男は警察署で発見された。

何を見たのか、会ったのか。

酷く怯えた様子の男は、警察署にいる事にすら安堵あんどしたのだろう。

自ら警察に罪を告白し、その日のお茶の間を騒がせる事になるのだった。

どこをとは言わないが掘られかけた――

なんて噂は誰から言い出したのか。

街に潜む悪意の芽は摘まれ、また一つの平穏が戻ったのである。

もっとも、その話が当事者に届く事はない。

木を隠すには森の中。

しれっと人間社会に入り込む影は、結末を気にせず二人の道をくのだった。

その旅も一つ目の折り返し。

北海道をぐるりと一周回った二人は函館はおだてからフェリーに乗り――今は青森は大間おおま、まさかりの部分を目指している最中さいちゅうである。

冷たい海風に吹かれる白髪は、何度見ても大好きな雪のようで。

かつても好んで袖を通したレザージャケット。

黒く分厚い革の感触に包まれたアニは、風で飛んでいってしまいそうなオリアの腰を抱き寄せる。

傍目には駆け落ちする恋人だろうか。

受難の恋を選んだかのような二人にあえて声を掛ける者はなく、二人は小さくなっていく街並みを眺めるのだった。

金烏キンウと戦った場所――あのあたりのイメージだったんだけど、気が付いた?」

「キンウ……キンウ……ってあれか。あの五月蠅ぇカラス。雪降ってるし、言われてみりゃって感じだな」

「逸話自体はアラスカの方なんだけどね。からすと言うと北欧ほくおうのイメージがあって……ただ行った事がない場所はイメージ出来ないだろう?まあ、どのみち行った事のない場所ばかりだけどね。あの『街』は日本に当てはめて構築していたんだ」

「へー……っても、俺には全然分かんねーけど」

アニにとっては第二の故郷か。

仮想世界の事を語らいながら、二人の穏やかで、それでいて珍妙な旅は進んでいく。

その資金は財団施設から持ち出した貴金属に始まり――宝くじを買ってみたいと目を輝かせたアニの功績だろう。

正確にはオリアの恩寵おんちょうか。

スクラッチに好奇心をくすぐられたアニが見事十数万円を嗅ぎ当て、怪異二人の人間世界漫遊旅行はいくらか華やかなものになったのだった。

おかげでフェリーに乗る体験も出来、間もなくの青森。

オリアはまた怪異の事を口にする。

「ここを下っていけばりゅうの領域。龍姫りゅうひめの伝説が残る場所に着くよ」

「げっ!」

「ふふっ。随分と龍が嫌いになってしまったようだね?」

「嫌にならねー方が難しいっての。あんだけ追いかけ回されて……あー、いや。お前も大概そうか。あのクソワニ、本当に死んだんだよな?」

話は二柱ふたはしら龍神りゅうじん――そして悍ましい爬虫類へと移り変わった。

そこに愛があろうが、なかろうが。

オリアを悩ませた毒霧のわには、果たしてどんな最期を迎えたのか。

苦虫を噛み潰すアニに、オリアはそっと肩を寄せる。

「恐らくね。モウが……皆が連れていってくれたんだと思う。だからこそ解毒げどくも成功したんだろうし……彼との因縁いんねんは終わったんだよ」

「なら良いんだ。お前が取られなくて……本当に良かった」

アニもまた身を寄せ、自身の匂いに満ちたオリアの指先を鼻でなぞる。

かつてダインだった怪物。

その毒におかされた指先と右足――形は残れど機能を失った体を満たし、埋めるのは他でもないアニの力だ。

(嬉しいって思っちゃ良くねーんだろうけど……んー……へへっ。オリアから俺の匂いがするって幸せだなぁ)

呪力を固めたその部分は金継ぎの如く。

獣へと姿を変えたアニと寸分変わらぬ漆黒の流動に、アニはつい頬を緩くする。

まるでオリアが自分の物だという証のようでもあり、アニはそれこそ犬のように表情を崩すのだった。

無論、オリアが好きなのは犬ではなく怪異なわけだが、あまりに可愛らしい仕草しぐさに、胸に矢を受けたらしい。

オリアもまた花を飛ばすように頬を緩め、長くも短い海の旅を過ごすのだった。



そうして二人が海峡を越える頃――京都。



「えーとぉ……えっとですね。乙丑いっちゅうさんの調査と、怪異の発見事例を照らし合わせるに――……じき、例の怪異はこちらにやってきまちゅ……ううっ。やって、やってくる……くるです、はい」

情報管理やら伝達やら。

皆のサポートを頼まれた丙子へいしは、口下手なりに頑張って状況を紡ぎ出す。

「時期は分かるのか?」

「時期……?時期は……ですね。えとえとっ、はひ!発見された怪異の消滅時期から考えるにー……年度末くらいですね。ただ結構なペースで進んでる時と、そうじゃない時があるので……その、えっと」

「前後する可能性があるんだな?」

「そそそそそーです!」

上ずった声を聞くのは一人の男。

和服の壮年――否、中年か。

男のどこか高圧的にも思える物言いに、丙子へいしはへこへこと頷くのだった。

だがその目は、感極まっているようですらある。

自分の仕事を認められた事が嬉しいのか。

役に立てていると実感できているのか。

ハリのある頬を紅潮こうちょうさせた。

緊張しているようにも見える姿に、男は何かを思ったのだろう。

そわそわと落ち着かない丙子ヘイシの肩をぽんと叩いた。

「……ご苦労。この後も頼む」

「はははひ!はい!はい!頑張ります……!」

「あれにも伝えておけ。もちろん……」

「分かってます!余計な事は言いません!言いませんから……っ!!」

もっとも、その一手がより丙子ヘイシの緊張と興奮をあおるのだが、男にとってはどう転んでも関係ないのだろう。

丙子ヘイシ――お前だけが頼りだ」

「ぼぼぼボクだけぇ……チチッんふふへへ……ボ、ボクもおんなじ……――ナル君」

丙子ヘイシはだらしなく笑い。

男はその様子をただ満足気に見つめて去っていくのだった。

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