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匣ノ中ノ獸  作者: yura.
匣ノ中ノ獸
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Recall the BOX(04)

その白は夢か現か。

煙のように現れた白は、湖を彷徨さまよ黒影こくえいの上にふわりと降り立った。

湖面の下には、魚の揺らめきが一つ。

獲物を捉えた巨大な影は上へ上へと上昇し、ついには湖上こじょうへと飛び出した。

ガパリと開いた口が飲み込むのは、大量の水か、それとも人影か。

長い首が一直線に駆け上がり――

「頼んだよ」

「任せとけ」

ろくろ首のごとき首が見るのは、どこまでも広がる暗闇だけ。

白亜はくあの揺らめきは一瞬の内に漆黒しっこくへと移り変わり、突き出た頭を呑み込んでいく。

『ニュアアア――ッ!?』

深い闇は、いななきさえも飲み下し。

ザバザバと派手な波を生み出す抵抗もむなしく、湖畔こはん怪竜かいりゅうを闇の中へと閉ざすのだった。

間もなく、波は静けさを取り戻し――ぼわりと揺らめく煙が、音無き波紋はもんを広げる湖面へと降り立った。

「ご苦労様――アニ」

「おう。たいした事なかったけどな」

それは精霊か、魍魎もうりょうか。

白いかげりは人間ひとの姿を形取り、その傍には黒い犬を従えている。

蜃気楼しんきろうの佇まいは紛う事なき現実なのだろう。

一人と一匹は湖底こていに沈む事もなく、静寂せいじゃくを取り戻した水面みなもを見つめていた。

そこはもう平素へいそと同じく。

消え去った怪獣をとむらうが如く、煙に包まれた男が音をこぼす。

「今のは湖の怪獣――広くはネッシーの名で知られるものだね。ここの場合、ネッシーではないだろうけど」

「ふーん?なんかマヌケな感じだな?」

「たしかに可愛らしい響きではあるかな。起源きげんはここ日本から遥か彼方かなた、イギリスにあるネスで、未確認生命体――所謂UMAいわゆるユーマの代表例みたいなものだね。まあネッシーに関してはトリック――つまりは最初に確認された写真は偽物だと証言されているんだ」

漆黒の獣の腹に消えた怪獣。

それは広く〝ネッシー〟の名で知られる未確認生命体である。

首長竜くびながりゅう――とりわけアパトサウルスやディプロドクスの子孫ではないかと噂された怪獣は、しくもなのか、案の定なのか、存在を確認できるものではなかったのだった。

しかしてそれは過去の話。

「ネスだからネッシーなあ……っつーか、偽物だったのかよ」

「偽物が出回るくらいUMAユーマUFOユーフォーが流行していた――という証左しょうさというところだね。実際問題、最初の発見例が嘘だからと、本当に存在しないとは言い切れない。だからこそ人々は未知の存在に思いを馳せ……」

「それが形になっちまった――って言いたいんだろ?」

「……そうだね」

怪異の氾濫はんらん――二人がその名を知るかはさておき、財団施設で行われた実験によって、空想が現実へと形を変えてしまったのがおよそ二月前ふたつきまえ寝覚月ねざめづき


――そして神のいかり治めし鎮祭月ちんさいづき


あるいは神が一所ひとところつど神無月かみなしづきにして神有月かみありづきである十月に、ただ一匹の獣のために祈りを捧げ続けたのが一月前ひとつきまえのこと。

自らをオリアと名乗るようになった白い男はどこか苦々しく、しゃべる犬の頭を撫でた。

胸に巣食う罪悪感と責任はともかく、頭を悩ませるのは全ての発端ほったん


財団B・O・Xビー・オー・エックス

オリアを魑魅魍魎ちみもうりょうの世界へと招いた相手そのものである。


不可視の怪物は境界を超えうるか――財団の名に込められた願いをかんがみるに、彼ら初めからオリアの本質を知っていたのだろう。

エルファスの残した自身の記録をなぞるように、オリアは表情を険しくする。

(少なくともアゾートとクレイン。あの二人は怪異の何たるかをよく知っている。きっと……僕以上に)

創設者であり理事でもあるLエル.アゾート。

オリアをスカウトした張本人でもある彼は、何とも不思議な空気を纏う男だった。

西洋人の血が入っているのだろう。

特別大柄ではないが、日本人らしい小柄さもなく、物腰は極めて柔らか。

染めているのか、光加減でそう見えるのか、紫を帯びた黒髪は短く整えられ、見た目には紳士しんしという言葉がよく似合う壮年そうねんだった。

添えるような胡散臭うさんくささは、財団を運営する人間故の雰囲気と言うべきか。

穏やかな微笑みに感じるのは、幾許いくばくかの懐かしさで――当時でみても長らく会っていない祖父に再会したかのような心持ちになった事を覚えている。

だが今にして思えば、あの郷愁きょうしゅうは人非ざるものに感じる気配だったのだろう。

かつてオリアがそうであったように、Lエル.アゾートにも霊的な素質があり、つぶさにオリアの気質を感じ取っていたに違いない。

その上でクレイン――本来ならオリアの在籍する極東施設の責任者である彼を、護衛もとい監視・・につけていたというわけだ。

オリアがいつか〝空想の怪物(バンダースナッチ)が境界を超える〟ための鍵となると勘付いて。

だが――

(一体何のために?)

明確な意図いとが掴めない。

空想を現実に変えるとしても、表立った財団の方針からすれば、こんな暴走するような形は望んでいなかったはずだ。

何より野放しにする理由も分からない。

保護-と言う名の監禁-するなり、始末するなり、やり様はあるはずだ。

そして恐らく、それを遂行すいこうするだけの力はあるはずなのである。

(……資料を信じるなら、ダインにも霊感はあった。だからこそ彼も怪物になりかけて……でも何かが駄目だったんだろう。完全な怪異になる事はできなかった。でもそれは副次的ふくじてきなもので……人を怪異に変えること自体が目的だったとは思えない。もっと別の何か……妥当だとうなのは不老不死や万能薬だけど……何だろう。それじゃない気が…………)

うーん……とうなり声をひとつ。

アニの背に座ったオリアは、いつもの癖で考え込んでしまう。

ブツブツと漏れ出す独り言に気遣ってか、アニは押し黙り――けれど、目を奪われるものがあったらしい。

「雪!」

「うーん……うん……雪。雪……?」

「おう!雪だぞ、オリア!」

「本当だ。早い気もするけど……山だとこんなものか。今の僕たちには冷えるとかそういうのはないけどね。あまりらしさ(・・・)を見失うのも良くはない。そろそろ帰ろうか」

「だな。のんびりしてると、またあの変な奴ら来そうだし……飯喰いに行こうぜ」

つられて顔を上げた先には、ひらり、ひらりと白い結晶の粒が舞い踊る。

出発したのは京都と奈良のさかいだったが、今はもう北海道の山間やまあいだ。

十一月とはいえ、標高が高い場所ともなれば、ちらつく雪の姿も見られるらしい。

出会った日を思い出す光景に笑みを溢し合い――二人は冬の到来を待たんとする湖を去っていく。

もっとも二人に帰る家はない。

住む家もなければ、職もなく。

財団から運び出したものを売った金で、日々を暮らしているのである。

とはいえ――

「今日はハンバーガーにしようぜ。ポスター出てただろ?」

「そういえば新作が出てたね」

「何と言ってもポテトが旨いしな!ナゲットも!バーガーはちょっと物足りねーけど……一個で我慢するから、ハンバーガー喰いに行こうぜ?な?」

「そんな顔しなくてもハンバーガーで良いし、二個三個頼んで良いよ?お金は何とか工面くめんする――というか、これ以外に使う必要ないしね。そういう意味じゃ、この体には感謝しないと……かな」

二人は人ではなく怪異の身。

家がなくとも寒さはしのげるし、怪異を喰らっていれば極端にえる事もない。

山を越える旅もアニの足があればなんて事はなく、二人が金を使うのは、人間らしさを見失わないための衣服や食事に宛てる時だけだった。

その上でオリア――十八番珀おおばこはくは実在した人間なのである。

もしかしたら死亡届しぼうとどけが出されているかもしれないが、調べられない限りは問題ないだろう。

そもそも戸籍こせきがなくとも出来る仕事がない事もなく、二人は何一つ嘆く必要なく、怪異としての生を過ごしているのだった。

時に電化製品が恋しくなる事もあるが、自然の中に生きるのも悪くはない。

怪異を探して太平洋側を北上すること早一月近く。

この後は日本海側を南下していく事になるだろう。

とても怪物を倒した直後とは思えない和やかな声は、やがて積もる事なく終わった雪と共に解け――

「――残滓ざんしを確認」

痕跡こんせきはほとんどありませんが、ここで争ったようです」

二人が去って後、防寒着に身を包んだ集団が山間の湖に足を踏み入れた。

もっとも纏うコートは様々。

黒の者もいればカーキの者、ダウンジャケットの者もいれば、トレンチコートの者と、統一感のない様子である。

年齢や雰囲気もまばらな彼らは、しかして連携はしっかりと取り、何事かを手元の書類にまとめていくのだった。

「財団跡で掴んだ気配と同様のものとみて間違いなさそうですが……」

「なーんか変な感じするのよねー」

「ですね。混ざり合ってるというか特定できないというか……。あとヘイの気配がまるで感じられないのも気になります」

指揮をとっているのは、ジャンパーコートの女性らしい。

真面目そうな――もっと言えば気の弱そうなトレンチコートの男が、堂々たる佇まいの女性に細かく所見を述べていく。

その声にこもった唸り声をあげ、恰幅かっぷくの良い彼女は静まり返った湖畔を見た。

それも束の間、寒そうにする面々へと満面の笑みを向ける。

「……倒されたのか、逃げたのか。そこは判明しないけど、コウオツが一緒に行動するか、どっちかが取り込まれたかってのが分かっただけ成果よ、成果!一足遅かったみたいだし、戻って温まりましょ~!」

山間やまあいに響く声は明朗そのもの。

ねぎらうかのような指揮官の声に従うまま、急な山登りに苦心した面々は、荷が下りた様子で来た道を引き返しだす。

その最後尾にトレンチコートの男がつき、足を踏み出す前に一呼吸。

「……乙丑イッチュウさん?」

続いてこない女性をいぶかしげに振り返り、その名を呼んだ。

「寒いし皆にコーヒーでも買ってあげて。私はもうひと確認してから行くから」

「分かりました。お気をつけください」

「コーヒー代はつけといてね~」

一人考えたい事があるのかもしれない。

気まぐれと言うべきか。

責任感が強いと言うべきか。

肝っ玉のすわった乙丑イッチュウを置いて、彼らは一足先に山を下りていく。

残された乙丑イッチュウふところから和紙を取り出し――

『……――あ――あ、あの、こちら丙子ヘイシ

突如、頭に響いた声に手を止めた。

聞こえてきたのは丙子ヘイシの名を与えられた同僚のもの。

陰陽省おんみょうしょう』に属する陰陽師の一人である。

担当する地区も内容も違うが、今はそうも言ってられない事態の最中。

実際には乙丑イッチュウが分け隔てないというだけだが、東くんだりにまでお邪魔する形になっている乙丑いっちゅうは、嫌な顔せずに呼び声に応えた。

「あら丁度良かったわー。こちら乙丑イッチュウ、伝達お願い出来るかしら?」

『え、あ……ハイ!ダダダ大丈夫ですっ!ドゾゾ!』

「ごめんごめん、急に馴れ馴れしかったわねー。緊張しなくて良いから……まあ報告するわね」

崩壊した財団施設で感知した存在。

それらを追う乙丑イッチュウ遠路遥々(えんろはるばる)北海道を訪れているわけだが、その何かこそがくだんの怪異『虚白コハク』である可能性も高いからだろう。

調査対象たる『虚白コハク』の足取りを掴むためにも、支援サポートを得意とする丙子ヘイシが、乙丑イッチュウに連絡を取った次第だった。

『……――ハイ。ハヒハヒ。本部にも共有しておきま……す!えと、その……お疲れ様でした』

「お安い御用よ~。こっちこそありがとね。普段からこうやって協力できるのが一番なんだけど……」

『あー……チチッ。で、ですネ。それじゃあ……あのまた何かあれば。ハヒ』

伝令用の式神しきがみより早く正確な念話ではあるが、使い手があまりにあまり人見知りなのは如何いかなものなのか。

一抹いちまつの不安を抱えつつも声は途切れ、乙丑イッチュウは今一度湖に目を向けた。

「東と西――人と怪異――陰陽省と蛭子童子。どーして何でもかんでも白黒つけたがるのかしらねー……」

誰に聞かれるでも、聞かせるでもないぼやきは響く事もなく。

足早にさった一人と一匹を追う者たちもまた、今か今かと冬を待つ山を去っていく。

残る足跡も風に消え、いずれは降り積もる雪が全てを隠してしまうのだろう。

束の間の湖の主がもたらしたものもなく、往年と変わらぬ秋が、まるで何事もなかったように過ぎていくのだった。


一方――三重某所みえぼうしょ


念話ねんわを終えた丙子ヘイシは震える息を吐いた。

「うぅー……ムリ。ああいう人苦手ー……」

話好きの世話焼きおばちゃん。

近所にもいたありがた迷惑な相手を重ね、丙子ヘイシはガックリと項垂うなだれる。

だがへこたれている場合ではない。

「サクッと情報集めて褒めてもらうんだ。ボクのこと本当の意味で認めてくれるのは――……」

何事かを呟き、丙子ヘイシは自前のPCパソコンに向き直った。

「えーとえーとえとオオバコハク……っと。神戸こうべ出身で――……へー。庚戌コウジュツ氏と同じ大学……チチチッ」

薄暗い個室で光るモニターには、とある人物の情報が映し出されていく。


それはくだんの財団の研究員。

財団の崩壊と共に姿を消した男の事だった。

気付けば3/1で1周年を迎えておりました。

ここまで読んでくださってる皆様ありがとうございます!

1年で完結出来たら良いなと思ってましたが、前作「ねこまま」に続き予定通りにはいかず…もう少しオリアとアニの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです!

(2024.03.11)

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