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匣ノ中ノ獸  作者: yura.
匣ノ中ノ獸
52/65

Recall the BOX(03)

「――これより会合を執り行う」

寝殿造しんでんづくりの御所ごしょ

その正殿せいでんで、上座かみざに腰を下ろした老女ろうじょが朗々《ろうろう》と口を開いた。


彼女の呼び名は壬辰ジンシン

平安よりみかどに抱えられ、1000年を過ぎてなお重用ちょうようされる政府の暗部『陰陽省おんみょうしょう』の頭目とうもくである。


政権下にある事を思えば、陰陽大臣おんみょうだいじんなどと呼ぶ方が適切だろうが――何はともあれ、国中に散る陰陽師を統べる老女は、とても一世紀の人生を間近にしたとは思えないピンと伸びた背筋で、740じょうにものぼろうかという和室につどった面々《めんめん》を見渡すのだった。

一段上がった上座は壇上だんじょうごと

壬辰ジンシンを和室の中央奥に、まるで花道はなみちを作るかのように二つの列が並んでいる。

片や東の陰陽師。

片や西の陰陽師。

それぞれ〝名〟を貰うに至った猛者つわものたちが、あたまだけを壬辰ジンシンに送る形で向かい合っていた。

その数、部屋の広さを裏切り十人ほど。

中には付き人や弟子でしの姿もあるが、この会合かいごうに立ち入る事を許された精鋭せいえいには違いない。

東と西――東京というみやこさかいしのぎを削る彼らは、どこか剣呑けんのんな雰囲気で壬辰ジンシンの声に耳を傾けるのだった。

その空気を感じ取ったのだろう。

「まずは招集に馳せ参じてくれたこと感謝する。定期会合とはいえ、礼に欠けるのは陰陽師あるまじき――だからね。神さんや精霊しょうりょうに気持ちよくあってもらうためにも、一に礼、二に礼、三に礼ってね」

高さのある座布団に座った壬辰ジンシンは、近所のお婆ちゃんといったふう破顔はがんする。

もちろん、それにドッと笑いが起きるわけではないが、少しなりとは空気もほこんだらしい。

壬辰ジンシンから見て右側――方角にして〝東〟に位置する列から手が伸びた。

壬辰ジンシン様の性分しょうぶんには敵いませんな。ついつい西――ああいや南を見下ろしてしまいがちですが、いや上と下だけに。たまには目線を合わせるのもきょうというもの。このような場をもうけて頂き、いやはや頭が上がりません」

挙手というよりは祈りだろうか。

額に右手を添える形で、東の列の先頭に座る男がにこりと笑う。

彼は癸酉キユウ

最も参拝客が多いとうたわれる神社の宮司ぐうじであり、陰陽師としても経歴が長いのだろう。

壬辰ジンシンまでいかずとも、和服に身を包んだその顔には無数のしわが刻まれ、笑いながらにして並々ならぬ威圧いあつを放っていた。

無論、小言に屈する西陣ではない。

「おやまぁ……癸酉キユウのおじいさん。下ばかり見てると首を痛めますよ?それとも下を見ないと安心できないのですかねぇ?後進が育つのはまこと良い事でしょうに……いやはや反面教師でタメになりますなぁ。勉強の機会をくださる壬辰ジンシン様には本当に感謝感謝ですわ」

応えるは打って変わってスーツ姿の己巳キシ

西の列の最前列に座る彼は、にんまりと笑ってその目を糸のように細くする。

癸酉キユウに比べれば幾分若くも見えるが、化粧水けしょうすい美顔びがんマッサージに整骨せいこつにスポーツジムにと、並々ならぬ努力をしているだけで実年齢は癸酉キユウとさして変わらぬ50程。

美魔女ならぬ美陰陽師として、化粧品会社の開発部長を務める己巳キシが、関西人らしい微笑みと共に悪口あっこうけるのだった。

もはや互いに隠す気のない応酬おうしゅうなわけだが――ある意味では、それも仲が良い(・・・・)からこそ出来得できうる事か。

笑顔の下に侮辱ぶじょくと怒りを隠す二人にため息を一つ。

手に持つおうぎたたみを叩いた壬辰ジンシンが、いやに若々しい声を響かせる。

挨拶あいさつはそれくらいにして……今日伝えたいのは例の龍脈りゅうみゃくについてだよ」

言霊ことだまを乗せた――というのが分かりやすいかもしれない。

魂にまで響く声に、いつもの小競こぜりり合いは押し潰され、代わりにざらついた声が零れ落ちる。

「龍脈……というときょうの?」

思わず漏れたのだろう。

彼にとっての正装――寺社じしゃを守る僧侶そうりょ然とした、袈裟けさに身を包んだ男が小さな声をこぼしすのだった。

彼の名は丁未テイビ

麦藁色むぎわらいろを思わせる、少しくすんだ落ち着きある黄色の法衣ほうえ僧正そうじょうあかしである。

スキンヘッドの頭が眩しい、齢四十よわいしじゅうほどの男のその声に、扇を手元に戻した壬辰ジンシンは深く頷いてみせた。

「うむ。およそ三月前みつきまえに起きた〝怪異の氾濫はんらん〟。その元凶げんきょうともなった金色岳こんじきだけに動きがあった。伴い発生した怪現象かいげんしょう……その事を皆に共有しておきたい」

小柄な体には不釣り合いの研ぎ澄まされた声が部屋の中を通り抜けていく。

荒波あらなみに呑まれ育った彼女の放つ畏怖いふが、粛々《しゅくしゅく》たる声音に違和いわを持たせる事はなく、老いを感じさせない凛然りんぜんとした声が響けば、後はもう口を開く者はいなかった。


――――怪異の氾濫。


この場にその出来事を知らぬ者はいないわけだが、さてはて、発端ほったんは数か月前。

もっと言えば数年前――京都と奈良の県境けんきょうに位置する金色岳こんじきだけの気が高まり始めたのが事の始まりだった。

ここで言う〝気〟とは、生きとし生ける者の持つ生気や、神や精霊が持つ神気しんき霊気れいきといった自然のみなもとのこと。

その気が集まる場所が霊脈れいみゃく――または龍脈りゅうみゃくと呼ばれ、特に霊的な素質そしつを持つ者に恩寵おんちょうを与えるとされている。

もっとも劇的な変化をうながすものではなく、集中力を高めるやら、修行しゅぎょうの効率が良いやら、浄化の力が強いやら――元より持つ力を補助してくれるという側面が強いだろう。

その霊山れいざん――あるいは霊場れいばか。

気の吹き溜まりとも言える気脈きみゃくは、余程の何かがない限り、別の地にうつろう事も、まして増える事も起きはしないはずなのだが、どうしてだろう。

いつの間にか金色岳こんじきだけからは、霊山れいざんと呼ぶに相応ふさわしい気が漂うようになっていたのだった。

何者かが怪しい儀式を行ったのか。

はたまた急激に自殺者が増加したのか。

棲家すみかを追われた神様が移り住んだのか。

通常ではありえない何か(・・)が起きたと考えるのが当然の話。

変化に気付いた壬辰ジンシンたち『陰陽省おんみょうしょう』は、すぐさま金色岳こんじきだけの調査に乗り出したのである。

しかし――

「過去の通達の通り、西陣を中心に監視を強めるのと同時、調査を開始。けど政府の協力が得られず、上手くは進まなかった」

肝心の金色岳こんじきだけは、ある財団が保有する私有地で。

いかに『陰陽省おんみょうしょう』が公務員の端くれとはいえ、おかみを説得しきれない以上、強制的に視察や調査に入る事は難しい。

何の因果いんが偶然ぐうぜんか。

諜報員ちょうほういんを送ろうにも、粉をかけた者は一様いちように不採用となり、その上で採用基準も判断のつかぬチグハグ具合。

献金けんきんやら何やらまで絡んで来るのか、政府の首は一向に固いまま、思うように調査が出来ずにいたのだった。


一度は強行突破を考えるも――それは諸刃もろはつるぎに他ならない。


というのも、陰陽師の全てが『陰陽省おんみょうしょう』にぞくしているわけではないからである。

フリーのはらい屋やおがみ屋なら問題はないのだが、中には力を持つ自分たちこそが特別だと信じ込む思想家や、力をもって悪行あくぎょうを働く犯罪者も出る始末。

政府には従えないと謀反むほんを起こした者の数も少なくはなく――いつしか、同じ思想の者たちで集まるようになったらしい。

起源は数百年ほど前だったか。

1000年も昔、陰陽師の到達点ともささやかれる安倍晴明あべのせいめい怨敵おんてき――蘆屋道満あしやどうまん

朝廷ちょうていに牙をいたその陰陽師の背中を追うかのように、彼らは自らを『蛭子導士ひるこどうし』と呼び、何かにつけ『陰陽省おんみょうしょう』に敵対するようになったのである。

もし『蛭子導士ひるこどうし』が裏で糸を引いているのだとしたら、下手にやぶつついて警戒されるわけにはいかない。

先んじて逃げられるだけならまだしも、刺激しげきをした結果、道連みちづれを狙った自爆じばくをされる可能性もあるわけで――腹立たしくも、表立って動けないのが現実なのだった。

しかし時の流れは待ってはくれず。

手をこまねく間にも霊脈は大きくなり――ついには弾け飛んだ。

結果、霊脈に集まっていた幽霊や妖怪の力が増し、更には巨大な力が爆発したのが原因だろう。

あの世へと繋がる鬼門きもんが開いてしまったらしく、本来なら日本ひのもとという国には現れないはずの怪物や魔物まで国中に散っていったのだった。

本来、普通の人間にそれら怪異が見える事はないのだが、これも爆発的に増幅した霊脈の影響か。

金色岳こんじきだけの近隣ではさわりを受ける者も多く、怪異の存在は一つのトレンドとして、一時世の中を賑わせるに至ったのである。

だがそれも盛者必衰じょうしゃひっすいの如。

結局のところ見えるようになった者の数は少なく、財団施設の不運な倒壊のほうと、危険なガスの蔓延まんえんによる注意勧告に塗り替えられるように、不可思議な声明は電子の波に消えたのだった。

とはいえ、事態は変わらない。

力をたくわえたあやかしたちは、これまで以上に日常に干渉し、見えようが見えまいが関係なしに着実に被害を広げ――まさに陰陽師にとっては前代未聞、阿鼻叫喚あびきょうかんの失態。

東も西もなく、総動員で事態の回収に努める羽目はめになったわけだった。


その未曾有みぞうの事件を――〝怪異の氾濫はんらん〟――彼らはそう呼ぶこととする。


そして事件はまだ終わらず仕舞い。

現実には財団施設の研究中に起きた爆発事故とされるわけだが――実際には霊脈の暴発によって崩壊を迎えたのが、金色岳こんじきだけに施設を抱えていた財団だ。

生々しい傷を残す施設には怪異がもたらしただろう毒霧が立ち込め、怪異の氾濫がある程度の収束を迎えてなお『陰陽省おんみょうしょう』はくだんの山に入れずにいたのだった。


――というところで此度こたびの報告。


金色岳に(こんじきだけ)動きがあった――そう語った壬辰ジンシンが、事の次第を切り結ぶ。

「今日まで収拾に努めて貰ったわけだが――……ここにきて、施設が完全に倒壊したとのほうが入った。政府は土砂崩れによって施設が潰れた報道する予定のようだが、現場にいた乙丑イッチュウからは爆発が見えたと報告が届いている。十月末の夜、突如として毒霧が晴れたため本部に連絡。突入準備が整うのを待つ間に、十一月一日じゅういちがついっぴも未明――施設が爆発するように土砂に呑まれたそうだ。相違そういないね、乙丑イッチュウ?」

「はぁーい――壬辰ジンシン様がお話されたとーりでーす。めいを受け〝怪異の氾濫はんらん〟後も現場の監視・祓魔ふつまを続けていたら霧が晴れたので、安全確保と突入準備を遂行すいこう。本部の合図を待って調査開始ーというところで施設が崩落しました。調査を続けるのは厳しーかなーと判断して、一度本部へと戻ってきた感じです。その際いくつかの気の動きを感知しましたがー……その気の持ち主が原因かは現状不明。怪異のたぐい常日頃散見つねひごろさんけんされましたので、怪しーとは言い切れない感じですねー」

壬辰ジンシンに続くのは、いささか間の抜けた声――乙丑イッチュウと呼ばれる女性のものだ。

ふくよかな彼女の周りには花が散っていてもおかしくないくらいで。

どこか場にそぐわない、若いお母さんといった風な、のほほんとした空気を溢れさせる乙丑イッチュウが、丁未テイビの左隣から身を乗り出すのだった。

しかし乙丑イッチュウの説明に納得がいかないらしい。

和服に袖を通した癸酉キユウが、渋い顔をする。

「いくつかの気と言っていたが……確認しなかったのか?どう考えても怪しいではないか!」

「そー言われましてもー……。わたしの部隊、護術が専門なので追いかけるのとか、戦うのって向いてないんですよー。安全確認出来てたわけでもないですし、部隊を預かる身としても、無理な特攻は出来ませんよー?」

「言い訳を。結界術が得意なら殊更無理をしてでも、確認すべきではなかったのか?」

苦労人なのか単に老け顔なのか。

険しくしわを寄せた癸酉キユウ乙丑イッチュウを睨み――

「ちょっと、うちの乙丑イッチュウいじめるの止めてもらえます?それパワハラ言うんですよ?」

「また貴殿きでんか……己巳キシ

「またもなんも、乙丑イッチュウの判断はなーんも間違まちごうてません。施設内にはまだ毒霧が残ってたかもしれませんし、すぐ爆発があったんでしょ?目先の事だけ考えてたら、貴重な人材を何人(うしの)おた事やら……癸酉キユウのおじいさんは怖いこと仰りますなぁ」

仰々《ぎょうぎょう》しく割って入ったのは、当然の如く西側のまとめ役である己巳キシだった。

相も変わらず火花を散らそうとする二人に、これまたやはり吐息といきを一つ。

子供の喧嘩けんかいさめるかのように、壬辰ジンシンが口を開いた。

「場を任せたのは私だ。乙丑イッチュウの判断に誤りはなかったと思うが……癸酉キユウ懸念けねんする事も間違いではない。問題が生じたなら私が責任を取る――それで良いかい?」

「……壬辰ジンシン様を責めようというわけでは」

「ええ、ええ。ワタクシも少々口が過ぎました。乙丑イッチュウの判断は西陣総括であるワタクシの責任。どうぞ………お話をお続けください」

年齢から言っても子供同然。

壬辰ジンシンに睨まれた二人はかえるさながら、すごすごと身を引いていく。

無論、どちらが良い悪いでない事は、壬辰ジンシンも承知の上のこと。

何かにつけてしのぎを削ろうとする東部とうぶ西部せいぶ、そのどちらかに肩入れするでもなく、すべき事を示すのだった。

「適材適所じゃないけどね。乙丑イッチュウが察知したという気配――これについては乙丑イッチュウに調査・追跡を続けさせる。世に害を為す魍魎もうりょうであれば即刻祓そっこくはらい、交渉こうしょうの余地があれば施設で起きた事象じしょうを聞き出すこと」

「はーい、引き受けました」

「現場の調査並びに祓魔ふつま――これは東から癸酉キユウ、西からは己巳キシ。お前たちに任せたいと思う。仲良く(・・・)……やれるね?」

「……お任せください」

癸酉キユウ殿に同じく。心配せずとも仲良うやりますよ?」

責任を取らせる――その意味でも乙丑イッチュウに倒壊時に観測出来た何者かの追跡を求め、同じく刑罰けいばつの意味を込め、二人に現場の本格的な調査を任命する。

壬辰ジンシンの指示ともなれば口を挟む者はいないが、どこか悩ましい様子の青年が一人。

「…………」

さきに渡された財団の資料。

その中に名前を連ねる相手を思い出し、まだ若い男は視線を落とす。

(……反動はなかった。今日までもずっと。けどお守りを身に着けてなかったとしたら…………)

財団職員――その中でも重要な立ち位置にいたのだろう。

研究員として登録されていた男。


――――Haku Obako。


全文が英語で記された資料の中にあった名前に、青年は嫌でも眉間みけんしわを生む。

(あの人の事だ。お守りがなければ……っ……きっと)

認められない言葉はあえて思い浮かべず、けれど頭ではいやに冷静に最悪の結果を呑み込む自分がいる事にも気付く。

それもそのはず、Haku Obako――十八番珀おおばこはくという人間は、怪異というものを惹き付ける男だったからである。

普通の人間には分からずとも、陰陽師である青年には、はく特異性とくいせい魅力みりょく一目ひとめで理解出来てしまったのだった。

だからこそ、分かる。

我先にと手を出したくなるような極上ごくじょうの食事にむらがらない怪物けものはいないと。

(どうしてあの時あなたを見送ってしまったんだろう)

たまのピアスや数珠の首輪。

趣味センスが悪い――そう思ったのはともかく、相手の好みを把握し許容する事もまた出来る男のたしなみというものだろう。

何もいらないと言う彼に、誕生日だ何だとかこつけて贈った装飾品アクセサリーには、身を守るためのじゅつほどこしていた。

ある程度は自分が呪いを肩代わりするはずだったのに、離れる内に効力が弱まったのか、そもそも捨てられてしまったのか。

事態に対し、訪れぬ痛み。

人生最大とも言うべき失態に、青年は話もそぞろに拳を握りしめる。

(こんな事になるなら、無理やりにでも手を離すべきじゃなかった。せめて年に一度……年越しの挨拶だけでも良いから、あなたに連絡すれば良かった)

最初はただ体質が魅力的なだけだった。

霊脈に等しき存在が自分の手の内にある――それだけで気は研ぎ澄まされ、わざわざ修験しゅげんを積まずとも、力が増していくのを便利に思っていた。

だがいつからか――

『――たしかに、星が浮かんでる』

『笑わないんですか?』

『どうして?とても綺麗なのに。名はたいを表すって、こういう事なんだね。僕は……君の名前、好きだよ?』

十八番珀おおばこはくという人間そのものに惹かれるようになっていった。

穏やかな気質。

柔らかな笑顔。

自分で嫌いだった自分の一部を躊躇ためらいなく肯定こうていしてくれる歓び。

下賤げせんな心を認め、許す事への気付き。

そこには十八番珀おおばこはくの特異性がもたらす執着もあったが、それもまた十八番珀おおばこはくという人間の要素に過ぎないものだ。

いつしか彼の世界は十八番珀おおばこはくを中心に回るようになっていた。

『一緒にご飯行きましょ♪』

一昨日おとといにも聞いた台詞セリフだね』

『もう二人分で予約しちゃったんで。オレを助けると思って行きましょうよ』

『それも聞いた台詞だね。怒るわけでもないんだから、先に相談してくれれば良いのに』

『え?じゃあ明日も行きましょう?今日は寿司なんで中華あたりどうです?』

『……怒らないとは言ったけど、呆れてもは良いかな?』

傍目には甘やかしているようで、ただ自分が甘えるばかりの優しい日々。

一つ可愛いと思ってしまえば全部が可愛く思え、ほっぺいっぱいに寿司を頬張る姿も、存外逞ぞんがいたくましい体つきも、左目の下で行儀よく並んだ黒子ほくろも全部が愛おしかった。

溢れ出る気も甘く、拒絶していないどころか、温かく包んでくれている事を感じ取ればひどく嬉しくなった。

二席しかない車の座席も、彼のためだけの特等席だった。

それでも、いつか終わりはくるものだ。


普通を望んだ彼。

普通ではない自分。


人生の岐路きろともなれば、強引に食事に誘うのとはわけが違う。

共に居るべきではないと察してしまえば、後はもう別れに向かって進むだけの事だった。

想いを告げる事も、仕事のパートナーになってくれと頼む事もなく、二人の道は別れ――だがそれは正しい選択だったのか。

(結局あなたは普通には生きられなかった。こっち側に来てしまった)

普通を望んだからこそ手放した。

ありふれた平穏の中で生きられるよう、恐ろしい悪夢に連れ去られぬよう、陰陽師としての務めに明け暮れた。

そのはずだったのに――結局それは、独りよがりの恋慕れんぼでしかなかったのだろう。

言霊おとにしなかった言葉が届くわけなく、悪戯いたずらに過ぎた時間ばかりがし掛かる。

(あなたを責める気はないけど……だったら。だったら最初から、あなたを一人にしなかったのに。相談くらいしてくれたって……良かったじゃないですか)

あの日々の中、陰陽師だと打ち明けていれば、何かが変わっていたのだろうか。

わるびれもせず食事に誘っていれば、変わらずそばに居られたのか。

(……あなたがいない。それだけでなんて退屈なんだろう。あなたが幸せに生きていてくれると思ったから、ずっと頑張れていたのに)

これは献身けんしんか。

それとも十八番珀おおばこはく――『箱』という特異が引き起こす精神への働きかけか。

何にせよ、の者がいた財団施設は怪異の手に落ち、今やその形すら失ってしまったのだ。

振り払えないの気配は気味が悪いほどに濃く、青年は黙したまま目を伏せる。

星は落ちるのか、なお輝くのか。


青年の呼び名は――庚戌コウジュツ

青き瞳に五芒星ごぼうせいを宿した男は、飛びう声をどこかうつろに聞いていた。


よもや財団施設の調査も、鬼門きもんから散っていった怪異の追跡も、『陰陽省おんみょうしょう』や国のメンツを保つための多端たたんな日々もどうでも良い。

(これからどうすっかな)

命懸けの公務員だけに給料は良いが、そうまでして退魔たいまに身をやつす意味はあるのかどうか。

目的を失った庚戌コウジュツは、やはり話を右から左に聞き流し、先の事を考える。

(婆さんには世話なったけど、帰るのもありだよな。ここいても思い出すだけだし……いっそ世界一周でもするか?)

生まれ故郷であるアメリカ合衆国に戻るのも悪くはない。

品種改良(ハイブリッド)――そう言うと聞こえは悪いが、アメリカにフランスにフィンランドに

メキシコにエチオピアに中国に日本にと、多様な人種の血と才能を掛け合わせた末に生まれた陰陽師が庚戌コウジュツだ。

幼い頃こそ、扱い切れない強大な能力と高慢こうまんな性格から、壬辰ジンシンに預けられていたが、それだってもう昔の話。

実の祖母といっても過言かごんではない壬辰ジンシンへの恩こそあれど、やる気もなく日本に残る意味はないだろう。

癸酉キユウ己巳キシがやかましくさえずるのを横目に、庚戌コウジュツはどこでもない遠くを見る。

(良い出会いとか……あるわけないか)

良くも悪くも、自然そのものを内包するような相手に恋をしてしまったのだ。

それこそ神や精霊に出会う事に等しく、二度は訪れまい奇跡に、ため息をつきそうになる。

(……――っと、まずいまずい)

だが下手に吐息はこぼせない。

癸酉キユウの睨みが自分に向くのも、話を聞いているのかと壬辰ジンシンに怒られるのも、隣にいる丁未テイビにグチグチと小言を貰うのも正直勘弁(かんべん)だ。

欠伸あくびを噛み殺すように重い息を飲み下し、報告を続ける壬辰ジンシンへと視線を戻した。

幸い、新しい役目を割り振られはしなかったらしい。

爆発しただか、土砂どしゃに呑まれただか。

崩壊を遂げた財団施設に感慨かんがいを覚える事もなしに時が過ぎるのを待つが――会合はまだ終わらない。

足を崩さぬままの壬辰ジンシンが、皆の前で腕を振った。

「――さて、次で最後だよ」

庚戌コウジュツを筆頭に幾人かが飽き始めているのを揶揄やゆしてか。

壬辰ジンシンの動きに合わせて紙が舞い、並び立つ陰陽師たちの元へと舞い降りた。

ふわり……と飛んできた用紙には、PCで作られたらしい文書と似顔絵が一つ。

手配書めいたスケッチに、庚戌コウジュツは思わず銀の星を揺らがせた。


「怪異――――……虚白コハク


不確かながら、その輪郭りんかくは見知ったもの。

手渡された〝怪異の報告書〟に、庚戌コウジュツはごくりとつばを呑み込んだ。

僅かな機微きびに気付く――否、見逃さないのは丁未テイビだけか。

ピクリと口角を歪めた丁未テイビの姿を誰が知る間もなく、皆と同じく用紙を持った壬辰ジンシンが声を張った。

「報告書は渡ったね。その怪異は財団施設の崩壊――その後から存在が確認されるようになったものだ。乙丑イッチュウが気取った存在かは現在確認中だが……何にしても〝怪異の氾濫〟によって顕現けんげんしたとみるのが妥当だとうだろう」

これまでに前例のない異形いぎょう

民話や伝承、都市伝説――そのどれにもるいさない新たな怪異の存在が、壬辰ジンシンの口から語られる。

「特筆すべき点は人を襲わないこと。それどころか情報だけ見るなら、私ら陰陽師に近いとさえ言えるね。〝怪異の氾濫〟で現れた魑魅魍魎ちみもうりょうと戦っている姿が確認されているそうだ」

「それは……縄張り争いをしているだけでは?」

「いや、一所ひとところに定住している痕跡こんせきはない。それどころか、霊現象に苦しむ人を助けているのではないか……というのが現場の見解だ。報告を受けて向かった時にはもう、その怪異が事を終えた後だった――なんて話も上がってる程だ。その絵も現場の陰陽師や、助けられた人たちから聞いて作ったものだよ」

報告書に描かれる男性の姿。

それは所謂いわゆるモンタージュというものだ。

白かっただの、20歳から30歳ほどの男性に見えただの、優しそうな顔立ちだっただの、煙のように姿を消しただの――口を同じくして伝えられる姿を描きめたものである。

それが庚戌コウジュツのよく知る姿であった事を、果たして誰が知るというのか。

誰からともなく、紙に記された名前が溢された。


「煙のように消え、どこにでも姿を現す――ゆえ虚白コハク


煙の如く不確かな存在。

白くうつろな怪異に与えられた名前すら胸を震わせ、庚戌コウジュツは手に持った用紙を握りしめる。

(あの人なら……あり得なくはない)

希望か、絶望か。

眷属けんぞくという形であったり、感染という方法であったり、婚姻こんいんという手段であったり――すべは実に多様だが、人非ひとあらざる者たちは時に、気に入った人間を同胞はらかたへと抱き上げる事がある。

事実、十八番珀おおばこはくは特異な人間だ。

甘く心地よい気を持った彼ならば、神にさえ召し抱えられたとしても不思議な話ではないだろう。

蜘蛛の糸にも等しき――けれどたしかな想望を見た庚戌コウジュツは、星を宿した視線を上げた。

その最中さなかにも話はいくらか進み――

「今のところ害がないというだけで、本当に害がない保障もないのでは?」

「目的もなしに人助けか……。そういった妖怪がいないとは言わないが、不可解である事はたしかだな」

不安の声も漏れる中、壬辰ジンシンが扇を叩く。

「知らねば何も分からぬこと――まずは交渉の余地があるとして、この怪異の動向を調査したい」

凛と張った声は室内に響き――

「その調査――自分に任せて貰えませんか?」

誰が言うより早く、青眼せいがん五芒星ごぼうせいを宿す庚戌コウジュツが唇を開いた。

金色岳こんじきだけはオレの活動エリアです。真に責任を取るならばオレでしょう。まあ……だますのはオレの本分ほんぶんみたいなものですし、たとえ相手が人の姿をしていても、うまーく化かし合ってみせますよ」

笑みの裏には本音を隠し。

あくまで普段通りフランクに、そして気だるげに身を乗り出す。

狐めいた顔が語るその胡散臭うさんくささ――否、信憑性しんぴょうせいか。

若くして才覚を見せる事も手伝って、庚戌コウジュツのいち早い自薦じせんに、西陣のまとめ役とも言える己巳キシも大いに頷くのだった。

庚戌コウジュツクンの実力はたしかなもの!彼に任せておけば心配はないでしょう。そのぉ……虚白コハクでしたっけねぇ?今のところ被害も出てないようですし、ここはまあ、西うち庚戌コウジュツがちゃちゃっと片付けてみせましょ!ねえ!」

「ええ、任せてください」

「本人も珍しくやる気みたいですし……わざわざ止める人もおらんでしょう?東の皆さんはなーんも心配しないで、さっさと村――おっと、街にお帰りくださいな」

煽り文句は忘れずに。

だがそれが癸酉キユウに火を点けるのか。

「実力があるのは認めるが……くだんあやかし狡猾こうかつな可能性もあるのだろう?かのくず葉狐はぎつねのように。なれば庚戌コウジュツ殿一人に任せるわけにはいかぬというもの。〝怪異の氾濫〟はここ数百年でもるいを見ない大事おおごとで、我ら陰陽師全てに関わる問題なのだから……ここはこちらからも一人出すのが礼儀であり責務というもの。商売人あきんど己巳キシ殿なら……その必要性と効率、重々分かってくださりますな?」

「おやぁー……?たしかに表の顔は商人あきんどですけれどねぇ。今のワタクシは陰陽師の己巳キシに過ぎませんが?やはり癸酉キユウのおじいさんはボケていらっしゃるので?」

「誰がお爺さんだ。貴殿とは十も離れてないわ」

「えぇ~?それは初知り!随分と老け込んでいらっしゃるのですねぇ!」

「貴殿こそボケているのではないか?その問答も聞き飽きたものだぞ?」

「ああ、これは失礼!癸酉キユウ殿が老けているのではなく、ワタクシが若々しいだけでしたね!癸酉キユウ殿もぜひぜひ我が社の製品、使ってみてくださいな!」

癸酉キユウ己巳キシがまたもりずに火花を散らし――咳払せきばらいが一つ。

庚戌コウジュツひとりに任せるほど落ちぶれてはおりません。私も参りましょう」

袈裟けさに袖を通す丁未テイビが、すっ……と、どこか控えめに手を上げた。

陰陽省おんみょうしょう』においては、ツーマンセルが基本の基本。

日常から庚戌コウジュツと行動を共にする丁未テイビの名乗りに、己巳キシを始めに誰もが首を縦に振る。

当の本人である庚戌コウジュツが〝げえっ〟と顔をしかめるのは、出世願望の強い丁未テイビくせの悪さを如実にょじつに理解しているからか。

一人で十分と、これまた丁未テイビが怒りそうな声を出し掛けたところで、小柄な女がおずおずと足を踏み出した。

「あ、あのー……。ボク……ボクがご一緒で大丈夫でしょうか……?」

彼女は丙子ヘイシ

隣の誰かにせっつかれたのか、それとも埒が明かないとでも思ったのか。

癸酉キユウ率いる東側から名乗りを挙げたのは、随分とおどおどした女性だった。

彼女もまた若いのだろう。

白いシャツにジーンズ、黒い羽織といったラフな格好の庚戌コウジュツに負けず劣らず、丙メンズライクの黒いパーカーに柄物がらもののスキニーパンツという、陰陽師らしからぬ出で立ちで会合の場に並んでいる。

「ボ、ボクでしたら、探索とか……あの皆さんに連絡送るの得意でちゅ……あっ噛んだ、すみません……。えっと、そう……得意ですし……その、お二人のサポートできると思いますです」

地に足が着かない風にも見えるが、曲がりなりにも〝名〟を与えられるだけの実力者だ。

バックアップが得意という丙子ヘイシの言葉をさえぎる者はなく、口煩い癸酉キユウもうんうんと頷いていた。

やはり庚戌コウジュツだけは〝余計だ〟という顔をしているが、相手はどこに現れるか分からないような怪異である。

東日本に足を踏み入れる可能性もある以上、丙子ヘイシの協力を断る意味はないだろう。

庚戌コウジュツの納得は二の次、三の次。

東側を立てる意味も含め、未知なる怪異の調査はこの三人に任される事となる。

丁未テイビだ。噂はかねがね。よろしく頼む」

「チチッ……よろしくお願いします」

「……よろしく」

ニヤリと笑う丁未テイビに、愛想笑いといった様子の丙子ヘイシに、不愛想な庚戌コウジュツ

見るからに不格好な並びだが、実力は申し分ない面々とも言えるだろう。

「――では今日の会合はここまで。皆それぞれの任に励むように。事があれば至急連絡を!」

その後、二三にさん確認を終えた末、彼ら陰陽師の集まりは一先ひとまずの解散となるのだった。


帰るべき場所に人は散り――……


「珍しいね。調査がしたいだなんて」

「別に。気分が乗っただけ」

人が去ったそこで、壬辰ジンシンはようやく足を崩した。

傍に立つのは庚戌コウジュツで。

ある種の家族水入らずだろうか。

育ての親と、手の掛かる子供は、肩肘を張らずに声をわす。

「普段は祓魔ふつましかやりたがらないくせに。少しは大人になったって事かねぇ」

「婆さんからしたら、いつまで経っても子供だろ?もう100年生きるって言うなら、オレの方が爺さんになってるかもしれないけど」

「どうだかね。自分がもう100年生きる姿は思い描けても、お前の老いた姿は想像出来ないよ」

「そっちは想像出来るんだ?」

ささやかな笑いと、それとは逆に冷たい冬の空気。

暖房を消したのか、隙間から押し寄せる冷気が二人を包み――壬辰ジンシンは息を吐いた。

「大丈夫なのかい?」

「何が?」

丁未テイビとは折が悪いだろう?そこに初めて組む丙子ヘイシだ。丙子ヘイシは悪い子じゃないが……いかんせんお前とは違う人嫌いだからね。それに丁未テイビは……いや、心配しすぎても駄目か。上手くやるんだよ?」

「……老婆心ろうばしんってやつ?いざとなったら力でねじ伏せるだけだし、そう心配しなくて良いんだけど」

「それが問題だって――」

「はいはい。あとオレ行くから。婆さんこそ風邪には気を付けなよ」

もっとも長閑のどかな時間に浸る時間はない。

否、惜しい。

会いたい人の影を見つけた庚戌コウジュツは、挨拶もそこそこに壬辰ジンシンの元を去っていく。

その背を見送って、ため息をまた一つ。

壬辰ジンシンは視線を落とす。

「……何もなきゃ良いんだけどね」

類稀たぐいまれな才能を持ったがゆえか。

幼い頃よりは随分と丸くなったとはいえ、自信家で生意気で高慢こうまんなのが庚戌コウジュツの悪いところだった。

根っからの悪人ではないにせよ、高圧的な性格のせいで衝突することも数知れず、それで何度、育ての親である壬辰ジンシンの手を焼いた事か。

その庚戌コウジュツが珍しくやる気を出したのだから、素直に喜びたいところ――なのだが、不安がよぎるのは何故だろう。

(間違ったかねぇ……?)

時の首相しゅしょうにも、歴戦の陰陽師にも、異形の怪物にも――それこそ〝怪異の氾濫はんらん〟にだって、頭を抱える素振りを見せなかった鉄壁の老女。

その壬辰ジンシンが今まさに人生最大のうなりをあげていようとは、誰が思おうか。

変わらずふける闇の中を――

「今度こそ思い知らせてやる」

誰かが画策かくさくすれば。

「もうあの姿にはならないのかい?」

「あの姿って……あの?」

「僕は好きだったけどね。あっちの君に抱かれるのも悪くないと思っているよ」

「――ッ!!ぐぬ、うぐぐぐっ!!そこまで言うなら、しかたねーなあ!!」

誰かが笑い合い。

「今迎えに行きます――■■■さん」

そしてまた誰かが歩き出す。


それぞれの思惑おもわくを胸に、季節は神楽月かぐらつき

神座かむくらへの道を辿るべく、星日月ほしひづき交錯こうさくし始めるのである。

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