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匣ノ中ノ獸  作者: yura.
匣ノ中ノ獸
50/65

Recall the BOX(01)

どこかから聞こえる水の音。

ピチョン……チョン……とリズミカルに、あるいは不規則に響く音は、水漏れの音だろうか。

ジジ……と不安を駆り立てるノイズをこぼす電灯の下、アニは隣に横たわる青白い肌をそっと撫でた。

「――……オリア」

吐息すら聞こえないかすかな寝息。

それでも心臓はゆっくりと熱を刻み、柔らかさの残る肌が、オリアが息づいている事を示している。

ともすれば亡骸なきがらのようだが――とうげは越えたのだろう。

ほほにはいくらかの生気せいきが戻り、たしかな熱を感じたアニは、ほっと胸を撫で下ろした。

「そういや初めてだな。こうして寝顔見るの……お前ずっと起きてんだもん。少しは……休めそうか?」

目覚めたのか。

それとも生まれ直したのか。

再会を果たしたのはオリアの――研究員ヴォクシーの部屋だったらしい。

記憶とはまるで変ってしまった部屋を後にし、三つほど隣。

空室くうしつになっていたその場所の比較的綺麗なベッドの上、静かに眠るオリアを見つめるアニは、ふっと微笑んだ。


――やっと一つになれた。


その事実に、アニはつい小躍りしそうになる。

それもこれも――

「アイツには感謝しねーとな」

蟲毒こどくの王――神虫しんちゅうを名乗る怪異が残した絹糸きぬいとのおかげというものだ。

眠るオリアを愛おしげに見つめ、アニは折り重なった奇跡を思い返した。


きっと託されたのはのろいではなく、祈り(・・)だったのだろう。


アニが覚えていようがいまいが。

神虫しんちゅう疫鬼えっきはらサンだと伝えられている。

そしてアニが知ろうが知るまいが。

オリアもまたかいこの特質をもって生まれた存在だった。

病魔びょうま退しりぞける羽衣はごろもは、不滅ふめつの如くオリアを蝕み続けるのろいはらうに留まらず――死のふち彷徨さまよう肉体を癒したのだった。

もっとも、した時間は大きく。

刻まれたけがれは酷く。

神虫しんちゅうった繭糸まゆいとをもってしても、全てのとがはらう事は叶わなかった。

不滅の毒に触れた指先と、ただれた右足の機能はうしなわれ――その心臓も虫の息。

〝苦痛に満ちた死〟が〝安らかな死〟に変わっただけと言うべきか。

幾許いくばくかの猶予ゆうよしょうじただけで、オリアの魂はなお、深くくらい闇の底に沈んだままだった。

悲しいかな、地獄の底まで届く蜘蛛くもの糸には足りなかったらしい。

重なった唇を伝い、オリアへと流れていった糸では、救いを得る事は出来なかった。

それでも、奇跡を信じるには十二分過ぎる力があっただろう。

(……――なあ、オリア)

いつだって希望はあったのだ。

その希望が細い細い糸だとしても、希望オリアが居たから、アニは迷わずに前に進む事が出来た。

今、その奇跡を信じずに何を信じるべきなのか。

(人を勝手に怪物にしたんだ。お前も……なってくれるよな?)

人間ひとの身に耐えられないのなら。

道理が違うというのなら。

同じモノになってしまえば良い。

なお足りない生命力を自らの生気せいき――呪力じゅりょくとでも言うべきか。

細く長い糸に自らの脈動を乗せ、アニはただ優しくオリアへと口づけを落とす。

溶け合うのは呪力じゅりょくか、熱か。

箱はあるべき姿を思い出し、正しくうつわの中にアニを受け入れる。


それが『ハコ』の神髄しんずい

うつわだけでは成り立たず、中身だけでも成り立たない――満ちては欠ける陰陽師おんみょうじすら知り得なかったハコのあるべき形。


知られざる過去はさておき――……アニはオリアに与えられた力を元に戻す。

つまりはアニ自身がオリアという箱にすっぽり収まる形で、二人の魂は一つへと重なり合っていった。

熱が通じ合う程に、想像を絶する激動が伝わって。

血が通い合う度に、痛いほどの想いが重なって。

満たされる歓びと、狂おしい程の苦悩と切なさの果て――アニはオリアの中に根付いたのだった。

(これで……ずっと一緒だ)

一つに重なりあったからだろう。

喪われたはずのオリアの足は形を得、黒曜こくようの夜空に赤い閃光せんこうはしらせている。

金継きんつぎを思わせる足からは、自身の匂いと感覚を如実にょじつに感じ、アニは酷く興奮した気持ちになった。

駄目だと分かっていても――輝きを取り戻した紫苑しおんと視線が絡まってしまえば、もう止める事は出来ない。

魂から一つに繋がったオリアを抱きしめ――……その後は〝喰った〟とだけ表現しておこう。


望み通り――なのか、否か。

オリアを喰らい――小一時間ばかり。


隣で眠るオリアを見つめ、穴がくほど見つめ、アニはにへらっと頬を緩ませる。

犬みたいと言われても、元々が犬だったのだから仕方のない事だ。

オリアが度々《たびたび》犬を相手にするような言動を見せたのも、アニがまがう事なき犬だったからに他ならないわけで。

「そこは許してやるよ」

全ての答えに行き着いたアニは、ハッと苦笑を溢した。

オリアがしようとしたこと――嘘を重ねたまま死のうとした事は一生許す気にはなれないが、それ以外は可愛いものだ。

宣言通り、思いきり泣かせたのもあるかもしれないが、晴れ晴れとした様子のアニは、犬同然にオリアに頬を寄せ――

「ん……んぅ…………アニ?」

「眠れたか?」

ぎこちなく花開いた紫苑に目を細める。

えがく真紅は薔薇ばら椿つばきか。

豊穣ほうじょうの女神を引き留める柘榴ざくろの如き眼差しに重ね見るものもあったのだろう。

気だるげにまぶたをこじ開けたオリアは、微笑わらうより先に唇をすぼめてみせた。

「まさか……君にしてやられる日がくるなんてね」

人をのろわば穴二つ――か。

命を懸けた実験を一晩で返された挙句、誓約せいやくまで塗り替えられたわけだ。

「たしかに〝全部あげる〟とも〝喰ってくれ〟とも言ったけど……とんだ意趣返いしゅがえしだ。アニ――君がそういう意味での〝食べる〟を知っていたのは誤算ごさんだよ。本当に……僕の負け(・・)だ」

ただしく――しかして予定とはまったく別の意味で結ばれた契約に、オリアは弱々しく微笑んだ。

ぼやきながらも穏やかなのは、この結果を厭う意味がないからだろう。

考えもしなかった――けれど願いたかった結末に、花開いた紫苑は優しい光を灯すのだった。

それも束の間、オリアはせきを切るようにアニの胸に身を寄せる。

「……ごめん」

こぼすのは当然、懺悔ざんげの言葉。

脂肪の少ない筋肉質な胸の中、オリアは掠れた声で囁いた。

だがそれは、既に聞いたものだ。

やっとの事で交わした肌と熱――その壊れてしまいそうな交わりの中で、くほどに重ねられた往事おうじである。

アニは口を曲げるか苦笑するかを悩み――後者を選んでオリアの体に手を回した。

「謝るくらいなら、最初っから頼っておけっての」

「うん……でも、ごめん。ちゃんと謝らないと。僕の我儘わがままでたくさん君を苦しめてしまった。危うく君に……えない傷を残すところだった。それがどんなにつらく悲しい事かを……知っていたのに」

信じる恐ろしさをこうなど。

裏切られる苦痛を教えようなど。

そんなものは、ただの方便ほうべんだ。

相手のためと言いながら結局は自分のためでしかなく、自分勝手にアニを傷つけた己を恥じるように、オリアはチュンと鼻を鳴らした。

これが元来のオリアなのだろう。

腕の中で縮こまる姿は庇護欲ひごよくを駆り立てるわけで。

(――コイツ……ッ!いちいち可愛い顔しやがって……!)

記憶の中にひそむ、頼りない研究員の姿。

久しく見ていなかった、しゅんと項垂れる相手に劣情れつじょうあおられつつ、アニは化けの皮が剥がれきったオリアをぎゅっと自分の方に抱き寄せた。

「……いいって。俺だって、きっとそうした。忘れられたくねーし、新しい相手だって出来て欲しくねーし……許しはしねえけどよ。まあ……その、なんだ。嬉しいっつーか、なあ?俺の事めちゃくちゃ好きって事だろ?」

「んっ……うー……ううーん?」

「んだよ、その反応」

「ふ――ふふっ。……うん、そうだね。もう認めるしかないね。アニ――好きだよ。寝ても覚めても君の事ばかり考えていた」

「ろくに寝てもねー奴がよく言うよ」

「おや?それじゃ足りなかった?」

「まさか。ただ……これからはちゃんと寝て、ちゃんと食って……さっさと元気になれよな」

「……うん」

腕の中に息づくたしかな温もり。

記憶の中の姿にはまだ遠いが、消え入りそうな儚さはおろか、腹の底に巣食う恐ろしさはどこにもない。

自分と共に生き、共に死んでくれる。

その確証めいた熱に誘われるように、アニは白い髪に口づけを落とした。

かつては黒かった髪も、今ではうっすらとセピアの色が残る東雲しののめの空にも似た淡い風合いだ。

それすらオリアが生きる事を諦めなかった証であり、自分のために命を費やした果てなのだとすれば――それ以上に愛おしい事はないだろう。

あちこちに生来せいらいつるばみ色が残る髪を優しく撫でてから、うるおいの足りない唇に噛みついた。

もちろん噛み付いたというのは表現に過ぎないが、餌をねだるかのような仕草しぐさに、オリアは思わず笑みを溢すのだった。

「ふふっ――アニ。くすぐったいよ」

「……笑うなよ」

「だって……ねえ?何もかもがこそばゆくて。夢だったらどうしようかと。ああでも……最期に見る夢がこれなら、僕は幸せ者だね」

「お前はまたそうやって……。あれだけの事しといて、楽に死ねるなんて思うなよ?」

それが箱のさがだとしても、もう少し己を大事にして欲しいと思うのは欲張りなのだろうか。

横たわる体をごろりと転がして、アニはオリアの上へと覆い被さった。

怒ったような、うれいるような――複雑な赤。

別れを惜しむ黄昏たそがれの眼差しに一心に見下ろされ、オリアは重い腕を持ち上げた。

「…………」

「…………」

交わす視線と呼吸は音を持たず。

血の気のない指先はアニの頬をなぞり、赤を散らす黒髪に触れ――太陽の如き赤へと距離を詰めていく。

それは身を焦がす灼熱しゃくねつか。

それともいっとう美しい光のすじか。

蚕生貝さんしょうがいの煌めきを抱きしめるように、オリアは消えない傷痕にそっと手を触れた。

「生きていても……良いんだね?」

「当然のこと聞くなよ」

「当然――当然か。ふふっ。君はいささか優し過ぎるよ」

慈しむように首を撫で――今度はオリアの方からアニを抱き寄せる。

同じ鼓動、同じ熱、同じ想い。

今はただ深い愛を抱きしめていたかった。




無論、考える事は無数ある。




「……――それにしても神虫しんちゅうか」

ひとしきり熱を交わし合って後、オリアは自らの体を確認しながら呟いた。

最盛期とまではいかないが、肌にはハリとつやあふれ、落ち切った体力も随分と戻っているようである。

右足を中心にうずいていた痛みも消え、つい先刻まで死にかけていた事さえ、まるで嘘のようだった。

「んー……相性が良かったのが大きいのかな?えきはらうと伝えられているけど……まさかここまでとは」

「見た目も似てたぞ?もっと虫っぽい……いやニンギョっぽかったのか?お前には色々(おと)るけどな。俺が出会ったカイイの中だと、一番良い奴で一番(うま)そうだったぞ」

「その感想もどうなのか……。まあでも、君がそう言うって事は、やっぱり近しい性質を持ってるんだろうね」

エルファスの残した記録によれば、オリアには怪異を惹き付け恩寵おんちょうを与える、ある意味ではかいこに似た特質を持っているらしい。

かの神虫しんちゅうもまたかいこであると謂われるだけに、上手いこと体に馴染なじんだようだった。

否――恐らくはアニの生気だけ、あるいは神虫の糸だけの、どちらか一方だけでは助からなかっただろう。

器が壊れたままでは、いくら水を注げど中身は零れるばかり。

神虫が器を治し、アニが中を満たす。

その両方が成されて初めて、箱は正しく機能するのだった。

鼻の利くアニが似ているという以上、他人の空似そらにではないのだろうが――古くから信仰される神虫しんちゅう起源ルーツを同じくするというのも、にわかには信じ難い話だ。

思わずうなるオリアに、アニは首をかしげた。

「知ってて入れたんじゃねーのか?」

「ん?いや……何が入っていたかまでは知らなくてね。あれが『蟲毒こどく』である事は分かっていたけど、その中身まで把握していたわけではないんだ」

「そういうもんか」

「そういうものだよ。特性を考えれば利には適ってるけど、『蟲毒こどく』に神虫を入れること自体が考え付かないというか……神虫が存在すること自体が予想外というか……。いやでもかいこにまつわる怪異に後天的に神虫しんちゅうの特性が付随ふずいしただけなら……――ともかく、あの頃にはもう観測する余力もなかったからね。巡り巡ってこんな事になるとは思ってもいなかったよ」

怪異としての成長をうながすための餌。

財団が秘密裏に抱えていた異形に気付いたオリアは、怪異が収められたブラックボックスをアニへと喰わせていった。

蟲毒もその一つだったが、底の見えない箱の全貌ぜんぼうを知る事は難しい。

だからこそアニと共に怪異の解析を進めていたわけだが――それも基盤があってこその話だ。

「ああ、でも!M・O・W(モウ)――あの仮想空間の事だね。データは残してあるから確認してみようか!」

M・O・W(モウ)――正式にはManagement the Object World。

大切な仲間からとった名を呟き、白衣はくいをバスローブのように引っかけたオリアは、薄汚れた自身の部屋へと移動する。

そして同じく衣服を身に纏ったアニにはわけの分からない機械の前に腰かけた。

後を追いかけたアニは、キョロキョロと辺りを見渡し、聞こえた音を口にする。

「モウってたしか……」

「これは後に知った事だけどね――本名はサイフォン・キタミ・ドミトリー。君が会ったと言っていた〝レツェ〟も彼だよ」

「それは分かったけど……なんでレツェなんて名乗ってんだよ」

「モウなりの遊び心――かな。君の名前を一音上げたのと同じで、正しくはロトなんだけどね。背徳によって滅びたソドムから生き延びる事が出来たのは、ロトとその家族だけだった。なぞらえるわけじゃないけど……僕たちを家族だと思ってくれていたのかもしれないね」

犬だった頃にも見た顔。

変な姿の――けれど嫌いなわけではなかった気の弱そうな青年。

優しく声を掛けてくれたこと。

時折おやつをくれたこと。

厄介事に巻き込まれそうな時に逃がしてくれたこと。

モウとの少ないようで多い記憶を思い出し、アニはしんみりとした思いになる。

だがオリアはもっとつらいだろう。

PCパソコンの起動を待つ傍ら、汚れの増えたSSDを指で撫でた。

「あの仮想空間――あれもモウがいたから作れたものなんだ。彼はゲームを作るのが得意でね。色々変えてしまったけど……君の思念を移し、怪異として成長を促すにはこれ以上ない場所だった。君にとっては良い思い出ではないかもしれないけどね。あの街並みも、戦いの舞台も、君が着ていた服も……全部モウが残してくれたものだった」

「……そっか。アイツにセンスがあって良かったよ」

「何だい、それ?まるで人にセンスがないみたいに……」

「実際ないだろ?ジャラジャラ変なの着けてばっかだし……正直言わせて貰うけどな!女の趣味が悪いんだよ!嘘だったから良いけどよ!よくもまあ、あんな雑で微妙なの揃えられるよな!?」

「……そうは言っても、こだわる場所じゃなかったし」

綺麗だった場所。

質の良かったもの。

そういった部分はモウが作ったもので、箱を積み上げただけの簡素な場所はオリアが後付けしたものなのだろう。

服の種類が少ない理由や、街と街を繋ぐ道路が平坦な原因を垣間見かいまみる事になったアニは内心ため息をつく。

きっとオリアがこんなだから、モウも助けに来てくれたのだ。

(いや……モウだけじゃないな。イースターもジェフもエルファスも皆。皆……コイツの事が好きだったんだ。俺たちを助けようとしてくれたんだ)

最後に見た光景も――今なら分かる。

残留思念だったのか、行き場のない魂がモウの造ったゲームの中に宿ってしまったのか。

彼らは何度となく道を示してくれた。

(そのままの俺で良い――か)

白兎――イースターが叫んだ言葉の意味も、今になれば理解出来る。

人でなくとも、たとえ犬だろうと怪物だろうと、オリアは受け入れてくれた。

オリアと同じ目線に立つ事ばかり考えていたアニ一人では、その事実に気付く事は容易ではなかっただろう。

(……今だったら撫でさせてやんのに――って、もう嬉しくねーか)

犬だった時分じぶんから気に掛けてくれた彼らの存在の大きさと優しさ。

もっと早くに知りたかったその感情は切なく、アニは思わずオリアを抱きしめた。

「……皆、良い奴だったよな」

「うん。そうだね」

「俺も何度も助けられた。最後も……皆がいたからお前のとこに来れたんだ。お礼……届くかなあ?」

「届くよ。届くとも。今頃みんな笑っているだろうね」

椅子に座るオリアを後ろから抱きしめれば、優しい手が頭を撫でてくれる。

だが、ふいにその手が止まった。

「おん?」

物寂しさに不満を溢すが、どうやら何かあったらしい。

光を放つ画面に照らされる中、罅割ひびわれた眼鏡ごしにオリアが目をしばたいた。

「…………壊れてるみたいだ」

「……は?」

首周りに張り付くアニをそのままに、オリアはキーボードをカタカタと鳴らしては画面に目を向ける。

しかし、エラーのメッセージが出るばかり――どころか、黒いノイズが散っては、まるで威嚇いかくをするかのように画面の中を暴れ回るのだった。

とはいえ、怪奇現象には慣れたもの。

ホラー映画も真っ青の画面に怖気おじけづく素振りなく、しかしてオリアは顔をしぶくする。

「ダインのせい……かな」

無論、その言葉に焦るのはアニの方だ。

「またアイツかよ!?」

「ダインの毒――もはや一つの呪い《・・》だね。最後の辺りは見ていたけど……電子情報に感染する形でM・O・W(モウ)侵食しんしょくし、君に襲い掛かったんじゃないかな」

腕に力を込めるアニをなだめているのか、そうでもないのか。

オリアは冷静に事態を分析ぶんせきする。

「イースターたちの思念か魂か……まあレムナントとでも呼ぼうか。それが入り込んでいる以上、半ば怪異と化していたダインがひそんでいてもおかしくはない。傷を癒していたのか。ただうかがっていたのか。誰にも気づかれずにM・O・W(モウ)の中に毒を広げていたようだね」

「どんだけしぶといんだよ……」

仮にも不滅の怪物。

そして中身はあの執念深く狡猾こうかつなダインだ。

倒れたかのように見え、ずっと復讐の機会を待っていたのだろう。

(物凄く焦った……というのは言わないでおこうか)

アニの脱出劇――緊急事態を告げるアラートに呼ばれ、その一部始終を観測していたオリアがどれだけ不安に駆られ、ダインをうとんだことか。

寿命じゅみょうが縮まる程の焦燥しょうそうを如実に思い出すだけで手が震えそうになるが――それも過ぎたこと。

(大丈夫。今は君が居てくれる)

平静さを保ったオリアはアニの手に自らの手を重ね合わせた。

「二度ある事は三度あるというしね。同族嫌悪というか何と言うか……恨みもあるだろうけど、ダインの目的はそれだけではなかったんじゃないかな」

「恨み以外にあるかよ?」

「僕が思うに……君の体。君の概念。不滅の怪物とはいえ、彼は不完全な存在だったわけだ。僕の生み出した怪異・・に成り代わろうとしたって不思議じゃない。それに……」

聞こえてきた、あの恐ろしい声。

(あれはきっと……僕にだけ聞こえていた。ダインの……おぞましいまでの執念。アニを狙ったのだって、僕が一番(いと)うものを選んだに過ぎないのかもしれない)

モウにさえ聞き取れなかったあの声は、ただ乱暴に、ただ執拗しつように、アニをさげすみ――オリアを捉えていた。

あの闇に呑まれるのが酷く恐ろしく、オリアは僅かに言葉を濁す。

しかし、いつまでも深淵に引きずられるわけにもいかない。

「……君になるということ。それは力を得るだけの話じゃない」

「まさか……お前を?」

「……可能性は高いね。今となっては分からない事だけど」

オリアはあくまで気丈に、真相は闇の中だと笑うのだった。


『……――――マ――タ――……ッ』


その笑みが崩れるのは早く。

「!?」

「!!」

突如響いた電子音に、アニは素早くオリアの前に躍り出た。

ジジッと揺れる画面に映るのは何者か。

牙を剥くアニの前に、『レイ』の文字が現れる。

『……マス――ター……』

「ッ……お前」

『サ――アニ――……ご無事――で』

それは聞き馴染んだ音。

男とも女ともつかない――否、記憶の中に眠るモウとイースターの優しい声。

忙しいオリアの代わりに付き添ってくれていた電脳箱[K-hack(コハク)]の声に、アニは思いがけず目を丸くする。

「コハク……ッ」

『……ゴメンなさい……ワタクシは――もう――駄目ナヨウ……です――貴方ニ代わり――蕎麦そばにイルと約束シタ……のに……先に終わることなり――申し和気ワケ……ありま――セン』

文句を言おうにも、途切れ途切れの電脳箱[K-hack(コハク)]の言葉がそれを許さない。

否、電脳箱[K-hack(コハク)]の生まれた理由に、アニは苦情を呑み込んだ。

本来ならばオリアは、電脳箱[K-hack(コハク)]に全てを託すつもりだったのだ。

アニが一人にならないよう、この小五月蠅こうるさい箱を残そうとしていたのである。

だが、その目論見もくろみは失敗したらしい。

『細菌――汚染――毒――蔓延――呪――感染――……管理不能――不能――維持――……出来マセン』

「ダイン……だね」

「……これもだっていうのかよ?」

「ああ……もっと早くに気付くべきだった。電脳箱[K-hack(コハク)]――僕の声は届いているかい?」

『ガー……ピピ――認識――人死期にんしき――……創造主マスター……命令ヲ……ワタクシたちを――破壊――シテください』

往生際おうじょうぎわが悪いと褒めるべきか。

電脳箱[K-hack(コハク)]が管理する箱の中では、いまだダインが暴れているらしい。

視線を落とすオリアの声に応え、電脳箱[K-hack(コハク)]が最後の音を振り絞る。

『|電脳箱[K-hack]ワタクシたちは補助装置――デシタが……貴方と共にイルうち――ワタクシたち自身――怪異ト呼べるモノに……なってシマいまシた――……貴方の――貴方のカイイの――データ――記録――事実――残すベキでは……ありまセン……ワタクシと共ニ――全て――全テヲ――消し去って……ください――全て……思念モ――不滅に等シキ怪物も――……この檻も……――全て』

オリアが個性奪う箱を生んだのか。

アニとの触れ合いが個をくする箱を生んだのか。

いずれにせよ、空を舞う小鳥も地に落ちる時を迎えたらしい。

終わりを願う箱を前に、オリアは静かに頷いた。

「…………思えば君たちの願いを聞き入れるのは初めてだね。長かったのか短かったのか……今までありがとう」

「俺も……っ……あんがとな。お前のこと忘れねーよ――コハク」

その声にアニも頷き――


『……――最後の命令を実行――財団施設を爆破――記録を抹消します』


電脳箱[K-hack(コハク)]は終末を告げた。

たちまち警報が鳴り響き、アニは得も言えぬ表情でオリアを見る。

「……俺に言うことねーか?」

「うん?状況説明かな?いざという時のために施設を壊す手段は講じておいたってだけだよ。多少の猶予ゆうよはあるから荷物を整理して外に出ようか。僕一人じゃ無理だったけど、君がいるなら脱出の問題もなさそうだしね」

「出ようか――じゃねーんだよ!!何でお前は!!大事な事に限って言わねーんだよ!!」

涙を惜しんだ別れくらいさせてくれても良いのではないだろうか。

空気を読まないアラートを耳に、アニはオリアを抱き上げる。

「早く出るぞ!!」

「あっ!そこの箱だけでも……!」

「どれだよ!?これか!?他には!?後になって文句言うなよ!?」

オリアの言う箱と、くたびれた服と。

それだけを持って二人は檻の如き箱を飛び出していく。

山か森か――自然に隠された施設は程なく崩れ去り、土砂崩れの跡だけが虚しく残されるのだった。

「なんつーか……呆気あっけねーな」

「終わりなんて、そういうものだよ」

本当に色々な事があった。

アニにとっては、この財団が過ごした日々が全てといっても過言かごんではないが、何分なにぶん建物自体に思い入れはないものだ。

大切なのは研究員たちとの日々。

そして腕に抱くオリアの存在。

甘い香りを広げる宝物に、アニはやれやれと思いながらも頬をすり寄せた。

「そういや背中変わったよな?」

「背中って……刺青いれずみのこと?」

「おう。なんか持ってる……もの?箱とかリュウとかになってたぞ」

「……うーん?君と繋がった事で変化が起きたのかな?興味深いけど……くしゅん!まずは休める場所を探さないとね」

菩薩ぼさつが掴むのは仏具ぶつぐなのか怪異なのか。

電脳箱[K-hack(コハク)]――またの名をコトリバコに別れを告げた二人は、変わらず怪異を追い求めて道を行く。




――人を守る怪異。

その存在が知れ渡るのは間もなくのこと。

後編ないし最終章突入です

箱の外に広がる二人の物語をお楽しみください

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