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匣ノ中ノ獸  作者: yura.
匣ノ中ノ獸
44/65

「BOX in the past」(04)

停滞――後退――頓挫とんざ

蹉跌さてつの日々は〝失敗〟という名の箱を高く積み重ねるばかり。

空想を現実に変える――財団の掲げる絵空事の実現に、まるで近づけた気がしないまま、暗礁あんしょうの時間だけが過ぎていくのだった。

一体、何が足りないというのだろう。

もしくは、異形いけいというものが、やはり人の夢見る空想でしかないという事か。

進展のない研究に人生を費やして早幾許。

全身真っ白のイースターが、共用語アルファベットの綴られた資料をデスクの上に投げ出した。

「目撃情報だけあってもねー」

白衣はくいに着られている――などと言えばこぶしが飛んできそうなものだが、紅一点こういってんである事を抜きにしても小柄な彼女が、ボリボリと白い頭を掻き毟る。

デスクに乗るのは、お気に入りのタンブラー。

いかつくもポップな絵柄のゴリラのシールが貼られた密閉容器には、体作りに余念のないイースターらしく、プロテインが注がれているらしい。

ほんのりバナナの香りが漂うその横で、ソーダをすするジェフが、ならうように書類を投げ出した。

「実際、裏取りできた事ないもんなぁ。大抵が勘違いか、酔っぱらいか。もっともらしいのに当たっても、証明できなきゃ意味ないってのがまた……」

「ソレばかりは仕方ナイことだ。再現性がナイ以上、科学的に肯定(こうてい)する事ができないのダカラね。いかに観測するか――ソレがきもになってくるだろう」

ジェフが飲むのは、いわゆるミント・ジュレップというものだ。

暑い地域の出身だけに、ミントを使ったリフレッシュ・ドリンクが好きなのだろう。

仕事中だけに当然ノンアルコールだが、ペパーミントとガムシロップをソーダで割ったものが、施設備え付けのグラスの中を揺らしている。

対するエルファスの手元にあるのは、湯気ゆげを漂わせるアッサムティーだ。

コーヒーをたしなむ事もあるが、インド出身のエルファスの好みはやはり、ダージリンやニルギリといった紅茶にあるらしい。

十人十色じゅうにんといろの飲み物の如く、議題は様々《さまざま》。

研究の方法も様々。

幽霊や怪物の目撃情報をもとに、体験者に話を聞いたり、現地を訪れたり――彼らなりに怪異を追い求めるのである。

もっとも、怪異の存在は掴めぬもの。

透明なミネラルウォーターのペットボトルごしに、モウもまた短い髪を掻き毟った。

「実際プラズマってどうなんです?」

「エクトプラズムか?まあ……人間の機能ってのも大抵電気信号だしな。幽霊が電気プラズマだっていうのも、あながち間違ってはないんじゃないか?もちろん、幽霊を否定する意味じゃなくてな」

幽霊は電気プラズマに過ぎない――というのは、界隈かいわいでは有名な話だが、そこで話を終えては意味がない。

モウの問いかけに答えたジェフの横、コカフェモカを味わうヴォクシーが、一つにくくった黒髪を静かに撫でた。

「んー……肉眼で確認出来ないのも、不可視光線ふかしこうせんだとすれば納得はいくのかな?でもプラズマに物質を通り抜ける性質はないはず。幽霊がそういう性質を持っている可能性、あるいは実際には壁を通り抜けられないかもしれないけど……結局だね。それをどう証明するか――話はそこに戻ってくるんじゃないかな」

「ですよねぇ……」

「まあ……微粒子びりゅうしよりは電気プラズマの方が信憑性しんぴょうせいが高いとは思うけど。スピリットボックスに反応する――その定説も電気プラズマである方が説明がつくしね。ヴィジャボードあるいはコックリさん。あれも筋肉性自動作用(オートマティスム)だとは言われてるけど、電気信号に何かしらの影響を与えられるなら、人の指を動かすくらい造作ぞうさもないだろうし……その最終系が憑依ひょういといったところかな」

スピリットボックスとは、心霊調査しんれいちょうさもちいられる装置の一つだ。

形態としては通信機と言ったところか。

心霊スポットでこの装置を使うと、通常では説明のつかない音声――つまりは幽霊の発する声を捉える事が出来るとされている。

ラジオの音を拾っているだけとも揶揄やゆされるが、もし幽霊がプラズマに似た性質を持つのなら、通信機に介入する事自体は容易だろう。

重ねてヴィジャボードやコックリさん。

こちらは降霊こうれいないし交霊こうれいの意味が強くなるが、ジェフが語る通り、人間の動作や反応は電気信号によって行われるものだ。

幽霊と電気が密接に関係するのなら、帯電のような形での降霊こうれい憑依ひょういというものにも説明がつく――のかもしれなかった。

ただし――

「コックリさんに近しいものだと……チャーリーゲーム。あれは人じゃなく鉛筆が動くものだね。風や息が鉛筆を動かしたと言われてるけど、チャーリーゲームを霊的に肯定こうていするなら、幽霊や怪異は物質にも影響を与える――要するに自分の意思で物質に影響をもたらすか否かを変容できると考えるべきだろうね」

全ては現代科学で説明のつかない事だ。

だからこその未知とも言えるが、あまねく謎を解明しない限り、異相いそうに潜む存在の稜線りょうせんすら見つける事は出来ないのだろう。

もはや藁にも縋る心持ちで。

手を変え品を変え、多角的に怪異にアプローチを続ける彼らは、悪魔チャーリーとの交信――回る鉛筆頼りの占いに目を留めるのだった。

「とりあえずチャーリーゲームやってみる?朝昼晩……じゃダメか。毎日数回不規則に、チャーリーゲームとヴィジャボードとコックリさん。警備も巻き込んで1000回なり10000回なりやれば、何かしら結果は出るでしょ?」

「そうだね。どうせならスピリットボックスも置いておけば良いんじゃないかな?」

「……って事は、スピリットボックスを作れば良いんだな。最初から一体型にした方が楽そうだし……モウ、プログラムは頼むぞ?組み立ては俺がやるからさ」

「えー……簡単に言わないで欲しいんですけど」

「ははは。苦労をカケルが頼むよ、モウ」

「まあ、やるだけやってみますけどね。ジェフも手伝ってくださいよ?」

テーブルの上、十字に置かれたペンはどこを指し示すのか。

途方もないイースターの提案を馬鹿にする者は一人もなく、至って真面目に交霊こうれいすべを模索する。

理由はやはり様々。

常世には居場所がなかったからか。

受け入れられる事が心地よかったからか。

かつて地上を支配した王者の復活を待ち望んでか。

幻想を夢見る子供心を忘れずにいるからか。

失くしたものを取り戻したいからか。

星の数ほどの議論を重ね。

数え切れない失敗を重ね。

無意味に等しい時を重ね。

「……――アォン」

「すっかり人のベッドで寝る癖が着いたね。まあ……君のサイズじゃ、こっちで寝るしかないんだろうけど」

「バフフッ」

大きく大きく育ってしまった犬と過ごす時間も気付けば数カ月あまり。

ヴォクシーに割り当てられた個室に、その犬は今なお身を置いていた。

イースターにさえ気難しいのはさておき、もう処分を心配する必要はないだろう。

成長を遂げたのを良い事に毎夜ベッドに上がり込むんでくる毛皮を撫で、ヴォクシーはふにゃりと表情を緩めるのだった。

「今日もお疲れ。名前は……なしじゃ駄目かな。イースターは怒るけど、全然思い浮かばなくて。名前がないからって困った事もないし……ね?」

「ワフ?」

「君だってポチやハチは嫌だろう?かといってクロもありきたりだし……うーん。ペンタ……ゴン――ゴンとか?」

「ンギャフッ!」

「ゴンは嫌かぁ。でもカイ――……いや、この名前は駄目だね。君は彼の代わりでも、彼らの代わりでもないんだから」

ふと思い出すのはまばゆ五芒星ごぼうせい

どうしても忘れられずにいる蒼天そうてんの星を振り払って、ヴォクシーは目の前にいる獣の胸にうずまっていく。

「さあ、寝ようか。今日も良い夢を」

「あふ……」

気の抜ける声と、穏やかなの香り。

星を散りばめる夜とは真逆の爽やかな温もりがヴォクシーを包み込むが――それでもなお夜半やわの音は鳴りやまない。

りんすずやかな声が頭の中で蘇れば、十八番珀おおばこはくだった男は湿った息を吐き出した。

(……思い返せば、今まで出会った人間の中で君が一番魅力的だった)

気付くのはいつも遅く。

容姿が整っていたからでも、財にんでいたからでも、優しくしてくれたからでもなく――ただ空白を満たしてくれる充足感が心地よかったのだと、今更にしての存在の大きさを知る。

(君と一緒なら、ここに来る事もなかったのかな?)

無理に普通を望まなければ。

腹の足しにもならない意地など張らず、素直に連絡をとっていれば。

たった一言、会いたいと伝えれば。

あるいは――箱の如き財団に足を踏み入れる事はなかったのかもしれない。

(でも……駄目だね。僕はやっぱり捨てられない。未知への興味を。彼らへの好奇心を。どこまでいっても僕は……人非ざるもの(かれら)しか愛せないんだ)

だがそれはあり得なかった未来だ。

過ぎた時間を後悔するでもなく、ヴォクシーになった男は目の前の獣を抱きしめる。

「……もしもの話だよ。いつか君が怪物になる日が来るとしたら……君はどうしたい?」

問いかけは独り言に等しく。

規則正しい寝息を耳に、ヴォクシーは静かに微笑んだ。

「……僕はね。そんな日が来るのなら、君の傍にいたいな。意思疎通いしそつうが出来なくても構わない。怪物でも、怪異でも、それこそ神でも……この穴を埋めてくれるなら何だって良いんだ。きっと……きっとだよ?その時には僕を満たしてくれるかい?」

うそぶくように――さりとて願わずにいられないのは、どこかで期待をしているからなのか。

子守歌でも奏でるように囁いて、気持ち良さそうに眠る獣の頭を優しく撫で回す。

巨大な体とは裏腹に、まだまだ何も知らない子供なのだろう。

きゅぷきゅぷと寝言を漏らす犬の寝姿はだらしないも良いところ。

野生の〝や〟の字も見えない犬に苦笑を一つ。

「ふ――あははっ。本当に飽きないね。君が一緒で良かった」

笑った拍子、ほどいた髪が肩を撫でる。

財団に来た時には短かった髪も、今では肩甲骨けんこうこつに触れる程だ。

無精ぶしょうに伸ばした糸は、果たしてどこまで伸びるのやら。


箱を積み重ね。

失敗を指折り数え。

牙城が出来る程に繰り返し続け。

しかして糸が地に届くのを待つ事もなく、また幾許いくばく


――その日、箱は開かれた。


神を真実たらしめるのは、祈り重なった信仰に他ならず――それは怪異も同じ。

信じる想いが、願う祈りが、恐れなす心が、彼らを形あるモノへと繋ぎ止めるのである。

そこにほんのひとつまみ。

ひとつまみで良い。

蜘蛛くもの糸が、弥勒みろくの求心が、に魅入られたサンが下ろされたなら。


現実と虚構は――程なく交差する。


人知れずえさを与えられたサンは箱の中。

美しく、肥沃ひよくに、それでいて無垢むくに育ち、虚構すらも魅了する奇跡・・ってしまったのだろう。

「――……あ」

溢した声はほんの短く。

紙片がはしった指先から、赤い色がゆっくりとにじみ出る。

存外、派手な傷より、こういった傷の方が長く引きるものだ。

じわりと溢れる赤は鉄臭い香りを放ち――遅れてやってくる痛みに、ヴォクシーは眉をひそめた。

(……久々に切ったな)

いつもは手袋に守られた手も、こういう時に限って素手すでというもの。

ぷくりと浮かんだ血を舐め取り、ヴォクシーは目の前で繰り広げられる実験に意識を戻した。

季節は秋――暑すぎず、寒すぎず、実験を行うのに丁度良い塩梅あんばいだろう。

もっともヴォクシーたちが居るのは、地下に造られた施設の最下層。

暗く深い穴底には紅葉の景色どころか木枯らしも届かず、風情ふぜいに浸る要素も余裕もない。

年中変わらぬ白い壁と、重々しく空間を埋める機材だけが、職員たちの目をに賑わせるのだった。

それは実験を目前に控えた今も同じ。

一般人には操作も覚束おぼつかないだろう装置が、体育館や大広間といった規模の広間に並んでいる。

分野はオカルト――とはいえ、科学的に解明・アプローチをかけるのが財団の在り方だ。

どこに繋がっているか把握するのも難しいケーブルやチューブの波に、改良を重ね続けた機械の山。

止めどない電力を供給するバッテリーに、絶え間なく演算を続けるスーパーコンピュータの列。

光と熱気を放つそれらがギュウギュウに押し込まれる様は、かつて栄えたマンモス団地のようでもあった。

今やそのマンモス団地も、都市伝説の舞台と化して久しいわけだが――感慨にふけっている暇はないらしい。

「隈が酷いのはいつもだけど――大丈夫?」

「イースターこそ。随分と緊張してるんじゃないかい?」

「それはみんな同じでしょ?ようやく手応えがあったんだもの!今日こそ……!今日がダメでも明日あさって!きっと上手くいくわ!」

「そうですよ、ヴォクシー!ここを乗り越えればドラゴンとか、スライムとか!魔法の再現だって出来るはずだし!ああ、どうしよう、楽しみ過ぎて吐いちゃいそう……!」

「うん、吐くのはやめてね」

赤い線を引いたヴォクシーを気遣う傍ら、イースターとモウが鼻息も荒く、起動を待つ機械の周りを行き来する。

期待をにじませるイースターの手に握られた資料はぐしゃりと歪み、押し寄せる緊張とそれ以上の興奮を伝えていた。

モウはモウで気が昂り過ぎているようだ。

忙しなくうろついては胸を抑え、丁寧な口調も崩れかかっている。

かくいうヴォクシーも手に汗を握らせるわけだが――準備が整ったらしい。

若者たち-ヴォクシーとイースターは若者という年齢でもない-がはしゃぐ中、最終確認を行っていたエルファスとジェフが実験の開始を告げるのだった。

「動作確認よーし!」

「コチラも動作問題ナシだ。電圧にも以上ナシ。外気温18.4――室温14.1――湿度72――気圧1016――……今のトコロ目立った異常や変化ナシ」

「全員配置着いたな?起動するからデータ見とけよ。エルファスとヴォクシーはそのまま。イースターはスピリットボックス、モウは制御装置を頼む!」

バチ、バチ、バチッといくつものレバーが跳ね上げられ、にぶく重い唸り声が鉄壁の室内に響き出す。

それは馬のいななきか。

おおかみの遠吠えか。

獣の如き起動音が湧き立つのと同時、激しい熱が地下室を埋め尽くした。

冷却装置があるとは思えない程の熱気だ。

白衣姿の研究員たちはまだしも、防護服に身を包んだ警備たちにはたまったものではないだろう。

だが文句をこぼす者はいない。

じわりとにじむ汗をぬぐいこそすれ、持ち場を放棄するような事はなく、始まったばかりの実験に目を凝らすのだった。

それはヴォクシーたち研究員も同じこと。

熱を増していく実験装置の前に立ち、振り切れそうになるメーターや数値の制御と観測に全神経を集中させる。

「エネルギー出力クリア――熱感知なし――プラズマおよび磁場じばの乱れを観測」

「電波を傍受ぼうじゅ――A反応なし――B反応あり――C反応あり」

「映像クリア――オーブの発生確認――明確な姿の検知はなし」

「電力供給問題なし――出力安定――実験を続行する」

実験を支えるのは、温度計や湿度計といった一般的なものを始め、赤外線――つまりは熱源を感知するサーモグラフィに、電気やプラズマといったエネルギー波を確認する測定器。

ラジオを改造した本来存在しない電波チャンネルにも反応可能な受信機に、それらを多重構造でリアルタイムに可視化し、映像の歪みからオーブや幽霊を認識するカメラにと――実に様々な観測装置だ。

それらは全て失敗から産まれた前進。

長い停滞と、苦悩に満ちた頓挫とんざの底にも道は拓かれ――彼らは念願叶って異次元の存在との交信に成功したのである。

初めは気のせいだったのかもしれない。

偶然ラジオの音を拾っただけだったのかもしれない。

だが空想を否定する科学を、さらに否定するのが彼ら研究員の仕事というもの。

くなき信仰が、くじけぬ執念が実を結び、未知の存在を観測するまでに至ったのだった。


そして今日――実験は次の段階へと移行する。


観測だけでも大きな一歩である事に違いないが、財団の願いは空想を現実へと変える事だ。

写真に輪郭りんかくを映しただけでは、ラジオを介し声を聴いただけでは、あらゆるセンサーで存在を確認しただけでは、その悲願ひがんに到達出来たとは言えないだろう。


肉眼で姿を捉える。

もしくは肉体を与える。


その第一段階として、異相いそうの存在を感知し、プラズマを介して半実体化させるのが此度こたびの実験だ。

火のないところに煙は立たず――ではないが、噂されるという事は少なからず親和性があるということ。

怪異や幽霊が現実に作用する際、電気プラズマに類する形態をとっているという仮定のもと、実験が進められるのだった。

これが成功すれば、財団の研究は飛躍的な成長を遂げるだろう。

今はまだ現存しうる事象が研究の対象だが、ゆくゆくは完全なる空想が、干渉しるものとして生み出されるようになるのである。

もっとも、この実験も一度目ではない。

機械の不調、対象の真贋しんがん、観測の失敗、予定外のエラー。

望む結果に行き着けた試しはなく、誰も彼もが〝今度こそは〟と強い期待をかけるのである。

上手くいく――そう笑うのも、強がっての事か、そうでもしなければくじけてしまいそうだからなのか。

熱気と共に緊張と不安が最高潮にまで達する中、青白い電光が空気を震わせた。

光をはしらせるのは半透明の箱。

地下深くに作られた実験用シェルターの中央に置かれた、およそ2mの四辺を持つ正方形のボックスだ。

見た目には簡易防音室かんいぼうおんしつといったふうか。

中には台座が置かれ、その上には可愛らしいと呼べない事もない、古びた人形が寝そべっている。

いわゆる呪いの人形(・・・・・)というものだ。

夜な夜な食材を漁るだとか、捨てても気付けば家に戻って来ているだとか、髪が伸びたりドレスに血痕けっこんが付いていたり――何とも奇妙で不可解な曰く(・・)が絶えないビスクドールと言えるだろう。

もともとそういう色だったかはさて知らず、色褪いろあせたようにも見えるセピア調のドレスを纏った少女は何を思うのか。

電気を奔らせる箱の中で、100年変わる事のないしとやかな笑みを浮かべている。

その笑みがゆがんで見えるのは光の加減か。

それとも本当に悪霊あくりょうが乗り移っているからか。

バチリ――と一際眩ひときわまばゆい閃光が駆け抜けた刹那、硝子がらすの目が闇に紛れる紫苑しおんを射抜いた。

「気温――並びに湿度の低下」

「熱感知いまだなし――磁場の乱れ上昇――……上昇中」

「電波にも乱れ発生――各種数値の上昇と減少を確認――振り切れてはませんが……ちょっと様子が」

「電力――……待て。メーターがバグってやがる。一度実験を中止――……」

同時に、装置のメーターが嫌な振れ方を見せ始める。

全てが急上昇するのも問題だが、およそ半分が緩やかな上昇を続け、一方もう半分が減少を続けるのも普通ではありえない状態だ。

装置の細やかな制御のためにパネルやシャフトを調整していたジェフが顔を上げ――世界が光に呑み込まれた。

「ッ……!?」

「何だっ!?」

目がくらむのも束の間、冷気を纏った風が頬へとはじけ飛ぶ。

冬の木枯こがらしなど優しいもの。

爆発――そうとしか形容出来ない衝撃が呼吸を奪い、時間が止まってしまったかのようだった。

その間にもバツン、バツン……と電灯が消え、不気味なほどの静けさが世界を染め上げる。

「ッ……ゲホ!ミナ無事か……!?」

闇の中に灯るエルファスの声。

地下室によく響く太く低い声が、どこか気丈にヴォクシーたちへと語り掛けた。

幸いか、それともおののくべきか。

不思議と熱気はない。

凍てついた空気が明かりを奪ったそこは、氷河期ひょうがきが訪れた後のようだった。

「失敗……?」

誰からともなく囁かれる声を染めるのは当然、暗く濃い落胆の色だ。

オーバーヒートしたらしい装置はうんともすんとも言わず、非常用の赤い電気が、どうにも気味悪げに部屋を照らし出す。

しかし、その赤は心許こころもとなく。

ぼんやりと照らし出された人形が、ケタケタと笑い声をあげた――らしかった。

「今の声……聞こえました?」

「冗談やめろって。イースター……そういうさ晴らしは良くないぞ?」

「言っとくけど……私じゃないわよ?」

聞こえた声にモウが声を震わせる。

ジェフはありえないと笑い飛ばすが――肝心のイースターは引き攣った顔で首を左右に振った。

血管の色がそのまま浮き出た赤い目が捉えるのは、陶器の人形だ。

防弾ガラスの向こう側、半透明の箱に収められた人形が、陶器の口をゆっくりと上下させた。


『い――れ――て』


〝|let turn on《レット ターン オン》 〟と囁いたのか〝let me in(レット ミー イン)〟と呟いたのか。

動くはずのない人形の口が、三つの音を形作る。

だがヴォクシーの耳には、聞き馴染んだ母国の言葉で〝入れて〟と言ったように聞こえたのだった。

(今のは……)

それは何度となく聞いた言葉。

遠い遠い幼い記憶の中で、彼ら(・・)が口にした願い。

耳に張り付くその音に気を盗られたのも一瞬――落ちたはずの装置の電源がき、怪物(けもの)のいななきをとどろかせた。

「何だ!?クソッ!!駄目だ!!止まらない!!」

「こっちも駄目です……っ!!」

「全員狼狽えるナ!念のタメ逃げ道の確保を――……!」

笑う少女の声が。

ひとりでに暴走を始めた機械が。

点いたり消えたり、忙しなくフラッシュをく電灯が。

不可思議に慣れたつもりでいる彼らの焦燥しょうそうを駆り立てるのだろう。

オペラ歌手よろしく、腹から響くエルファスの声が場を収めんとするが、一度広がった波は止まらず。

落ち着きを取り戻そうと躍起やっきになる職員たちを嘲笑あざわらうように、寝そべっていたはずの人形がゆらりと立ち上がった。


『い――れ――て』


どろり……と溶けだす黒を涙と表現して良いものか。

紫苑を見つめる硝子玉がらすだまから汚泥おでいが溢れ出せば、たちまちの内に箱の中を満たしていくのだった。

漆黒の箱は暗く、重く――おぞましく。

名実ともにブラックボックスの名にふさわしい黒は、まるで彼岸ひがん此岸しがんの境界かのようだ。

否――深淵しんえんに繋がる入り口に他ならず。

にえを待ち続けた奈落は、泥濘ぬかるみの口を大きく大きく開こうとする。


それは蝶蛾ちょうがばたきのごと。


甘く切ない残り香に群がるように。

染みすら作らぬしずく渇望かつぼうするように。

はねを広げようと揺り動く胎動たいどうに導かれるように。

偶然か必然か――空想の中にくすぶり続けた未知の怪物(バンダースナッチ)が、闇の底より這い出した。

「え……?」

かぼそい声は誰のものだったのか。

舞い踊る紙はつづられた文字を血潮のようにそらへと溶かし、ノイズを溢すラジオがおのずと不協和音を奏で、熱を放つ機械はメーターを振り切り――止めようのない火花が駆け巡る。

目に痛い閃光の間隔も短くなるばかり。

白と黒が極端に入れ替わる視界の中、何かが焼き千切れるような、聞くだけでも心臓に悪い音が耳を撫でていった。

もはや灼熱しゃくねつか極寒かも分からない密室に波打つのは、箱の内に湧き上がる胎動だいどうだけだ。

渦巻く波は硝子張がらすばりの箱の中でなお溢れ、こいねがった現実へと手を伸ばす。


――しるべはただ一つ。


固く閉じたまゆを求めて。

いまだ閉じたままの箱を願って。

虚構に生きる存在は、あと一歩のところで形を得るに至らなかった恐れは、空想を重ねられた芸術は、かつて忘れ去られた畏敬いけいは、形を得てしまった怪異は、ブラックボックスの扉を内側からこじ開けようとする。

呼応する様に装置は金切り声を上げ――訪れるのは一瞬の静寂。

ブツンッと途切れた光は闇の彼方かなた

起動音も、明かりも、何もかもが消え去り、一寸先いっすんさきも見えない黒が恐怖に満ちた部屋を包み込む。


永久えいきゅうにも感じられる闇は深く。

しかして瞬きの時間も与えず、漆黒の箱は破裂するように形を失った。


鍵など異形いぎょうの前には意味を成さず。

かせなど怪物の前には紙屑かみくずに等しく。

深淵しんえんを這い出した怪異が、今や同じ場所にある現実へと襲い掛かるのだった。

わけも分らぬまま汚泥おでいに呑み込まれる者。

天上へと連れ去られ叩きつけられる者。

叫ぶ暇もなく捕らえられる者。

蠢き始めた闇に戦慄せんりつするのも僅か、弾かれたように銃声が響き渡った。

「う――……てぇ!!てえーっ!!」

「良いから撃て!!」

「逃げろ!!逃げっ……ひいいっ!?」

響くのは銃声か、はたまた絶叫か。

何も知らぬ職員たちの叫びが、がむしゃらに引き金をひく警備員たちの泣き言が、人とも獣ともつかぬ咆哮ほうこうが、嫌味な程に白かったはずの箱の中でこだまする。

きっとこれが地獄の様相なのだろう。

目が慣れずとも分かるおぞましい事態に、ヴォクシーは紫苑の目を見開いた。

(違う。僕が願っていたのは……こんなものじゃ。こんな……恐ろしいものじゃなかったのに)

望んでいた再会とはまるで異なる状況に、愕然がくぜんとヴォクシーは立ち尽くす。

ただもう一度会いたかった。

昔のように語り合いたかった。

共に在る事を許して欲しかった。

たったそれだけだったのに、何故こんな事になってしまったのか。

良心を持っていると、分かり合えると、相容れると思っていた存在との乖離かいりに、ヴォクシーは逃げ出す事はおろか〝ただいま〟と囁く事も出来なかった。

もっとも自由を得た異形に、人間の心情も事情も関係はない。

毒気どくけに当てられたヴォクシーへと、黒い影が差し迫る。


その日、箱は開けられた。

空想へと繋がる箱が、絶望の詰まった箱が、その口を開けてしまった。





――怪異の氾濫。

その日の出来事は、後にそう語られる事となる。

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