case.4「BOX the S-undo-M」(05)
■修正
「災いの箱」→「災禍の箱」に表記を変更しました
『お前、弱すぎないか?』
三本足の一つを器用に動かし、騎士の駒を奥へ繰る。
金色に輝く見るからに豪華――言い方を変えれば趣味の悪い盤を斜めに駆けた馬面の騎士が王に触れれば、小手先知らべの戦はあっという間に収束を迎えるのだった。
『ほれ、王手だ』
三又に割れた指先が、銀色の王を舞台の外へ引き摺り落とす。
王を失った――否、すでに王を守る駒すら立っていないのだが、勝敗を決した盤に残るのは金色の軍勢ばかりだった。
その惨状が意味するのは、金烏たる怪異の強大さか、アニに訪れる未来か。
一方的な蹂躙を見やり――
「なるほど。これは難しいね」
『カーカーカー……難しいとは、もしやお前差した事がないのか?』
「おおよそのルールは知ってるよ。実際に挑戦するのは初めてというだけで」
『……それでよくチェスがしたいなどと言い出したな。まあいい。向上心があるのは実に良い事だ。余が特別に!手取り足取り指導してやろう!』
ただでさえ大きく見える鳩胸をふんぞり返らせる怪鳥の前で、オリアはお手上げという風に頭を揺らす。
それはチェスという遊戯への不慣れさからくるものか、それとも傲岸不遜な鴉への呆れからくるものなのか。
大敗を辿った一戦を前に、オリアは紫色の目で三対の赤を見やった。
「特別……というのは、僕が玉兎かもしれないから?」
『それ以外に何がある?』
「単に君の人――いや、それだと表現が悪いね。気が良いだけの可能性もあるだろう?僕の本質がどうあれ、囲った相手はそれなりに大事にしているようだし……」
『勘違いするなよ?お前たち人間は余に仕えるべき存在!余に従う事こそが歓び!所有物を害される理不尽を許さぬだけで……余が施しを与えてやるのは最愛たる玉兎のみよ!』
「……そう。少し前なら君の厚意を受け入れるのもやぶさかじゃなかっただろうけどね。僕にはすべき事がある。そのためにも……もう一勝負いこうか?手取り足取り教えてくれるんだろう?」
二人――正確には一人と一羽か。
オリアと金烏を挟むのは、角テーブルが一つ。
距離にして1mあるかないかの中で視線を絡ませ合った末、オリアは散り散りになった銀色の駒を手に掴んだ。
囚われていた王が玉座に戻り、わけも分らず狼狽えていた女王がその傍に駆け寄り、二人を守る砦が築かれ――無数の兵士が一寸の乱れなく四角いマスの上に並んでいく。
綺麗に整列し直した銀の軍勢を見下ろし、人の3倍程ありそうな怪鳥は笑みを一つ。
『どこまでも喰えぬ奴め。だが……それも今が華。すぐにその皮剥いでお前の本質を暴いてやろう』
「暴くも何も僕の根っこは初めから一つだけだよ。人非ざるものに酷く憧れ、惹かれてしまう……ただの人間さ」
『カーカーカーッ!お前がただの人間?冗談は休み休み言え!』
同じく不敵に笑うオリアに視線を注ぎ、嘴をかち鳴らしながら声を張り上げるのだった。
その高笑いはどこまで響くのか。
太陽を閉じ込めたかのような山の中を飛び越え――荒れ狂うは雪景色。
冷え切った白銀を駆け抜け、一匹の黒狼が雪まみれの森林を掻き分けていく。
『ヴォフッ!バフッ!』
口の中に入り込んでくるのは、もはや雪ではなく氷塊だ。
凍てつく塊を吐き出しながら、漆黒の獣と化したアニは、糸のように続く匂いの道を辿っていった。
嫌でも鼻につく匂いは、色にして言えば赤色だろうか。
乾いた鉄の臭気を追って――しかしてアニは、散り散りになる匂いに四本の足を止めるのだった。
『ウウー……ガルル……ッ』
オリアに頼まれたるは三つの宝。
だがどうにも匂いは散漫だ。
同じような距離、同じような規模、同じような濃さのそれらに、どれから探しに行くかを考えあぐね、アニはぐるぐるとその場をうろつき始めた。
オリアが――せめて電脳箱[K-hack]がいれば迷う必要もないというのに、アニはまた一人きり。
『ヴ……ヴヴッ……』
遣る瀬無い声を溢しては、赤い閃光の奔る顔を、東へ西へ南へと動かした。
もっともの話、獣にも思考というのはあるものだ。
中央から行くよりはどちらかの端から。
天候が酷いなら遮るものがある場所から。
何が効率的かを本能なりに理解し、追い風の吹く西の方へと走り出す。
それでもって獲物を狙うには風下から。
『ガルル……ッ』
雪洞の一つに辿り着いたアニは小さく小さく身を屈め、大きく開いた岩穴から中の様子を覗き込んだ。
寒々とした洞には、恰幅の良い男が数人。
「今日は宴だ。急いで準備するぞ」
「けど一人逃げたって話だろ?」
「外への道は雪が隠してくれるさ。すぐ見つかるか、野垂れ死ぬか……どっちかだろうな」
「まっ、そりゃそうか。こっち運ぶから酒を頼む。落としたりすんなよ?」
どうやらここは蔵らしい。
天然の氷室といった様子の食糧庫には、寝かせた酒樽や、干された肉がぎっしりと詰め込まれている。
影に同化したアニは、食材を抱えた男たちが出払うのをじっと待ち――物音が消えてからようやく、無人の蔵へと身を滑らせる。
『グゥ……』
腹の虫なのか、切ない唸り声なのか。
果てしない飢餓感から干し肉を見つめるが、あんな事があった直後だ。
『……クゥン』
侘しく鼻を鳴らし、半ば凍りついた肉から顔を逸らす。
当然、酒樽からも距離を取り、ぺたぺたと冷たい土を踏みしめた。
やはり食料は信頼出来る相手が用意したものに限る――今のアニがそう思えたかどうかはさておき、怪しい連中のものに手を出しても痛い目を見るだけだろう。
何より、オリアが居れば止めどない飢餓は癒される。
アニがそれを知らずとも、本能はそれを如実に理解し、オリアの存在を求めるのだった。
『ヴォフルアッ』
名前を呼ぶように喉を鳴らし、四足を地に着けたアニは、蟻の巣にも似た洞の奥へと進んでいく。
ふわり――などと生易しい感覚には程遠い悪寒が鼻に触れれば、もう道に迷う事もない。
昏く長い竪穴の奥には、真紅に染まった箱が一つ転がっていた。
これがオリアの言っていたモノだろうか。
鼻先で箱を小突くと――
『スープにされた』
『ワタシのホネでダシをとるの』
『かくしアジはスズメのナミダ』
『スープになるのはヤ』
鳥の囀るような泣き言が、一陣の風と共にピンと尖った耳を駆け抜けた。
それは臭気か、怨念か。
この食糧庫を逃れたいとでも懇願するような声に、アニは短く喉を震わせる。
『……ガウッ』
そうしてから巨大な獣にとっては中にも小さな箱を飲み込み、来た道を戻っていくのだった。
オリアに頼まれた箱はこれで一つ。
勇み足で外を目指し――しかして、いささか勇み過ぎたのだろう。
「バっ!!バケモノ!!」
「どっから出てきたんだ!?クソッ……!金烏様の手を煩わせるな!!」
「応援を呼べ!!俺たちだけで倒すんだ!!」
食材を取りに戻った男たちと鉢合わせる事になるのだった。
棒やら農具やら包丁やら。
男たちはその場にあった道具を構え、漆黒の獣へと相対する。
恐れずに立ち向かうのは、鴉への信仰が成せる業なのだろう。
誰からともなく腕を振りかぶり――……
『――王手だ』
金の女王が真っ直ぐに、銀の軍勢を陥落させる。
途中までは攻勢だったはずなのに、一体どこで戦況が覆ってしまったのだろう。
二度目の敗北を喫したオリアは、顎に手を当て、終戦を迎えた盤を見る。
兵の数だけで言えば有利なのは自軍側。
だが縦横無尽に動ける女王を野放しにしてしまったのが悪かったらしい。
一気に距離を詰めた女王が、王を一刺し。
、頭を失った軍勢に待つのが瓦解のみとなれば、言い訳なしにオリアの負けだ。
「踊らされたって事かな?」
『そいう児戯だからな。現実なら余一人生きていれば如何様にも出来るが……児戯となれば話は別よ。少しは勉強になったのではないか?』
「肉を切らせて骨を断つ――という事だね。たしかに結果しか求めないならそれが一番効率的だ。現実においては、王一人で国は成り立たないものだけどね」
『カーカカッ!それこそお前たち弱者の理屈よ!なればこそ、お前には隣で見届けさせてやろうとも。余が治める世の在り方をな』
「それは僕の望むところじゃないし……次にいこう。一度くらい勝たせて欲しいしね」
笑顔の下で腹を探り合いながらも、素直に負けを認めたオリアは崩れた盤の上を整え直す。
「それじゃあ、やろうか」
一触即発に睨み合うのは僅かなこと。
銀の歩兵が先陣を斬り、それを追うように騎士が走り出した。
赤い閃光が駆け抜けるのは――一瞬。
兵にも程遠い荷運び程度が、その獣を止める事など不可能だったのだろう。
「――――ッ!?」
「ッ……!!」
得物を振りかぶった男たちは声もなく倒れ、漂う煙だけが尾を残す。
僅かな土煙が揺らめいた後に訪れるのは、しんしんと雪が積もる静寂だけだった。
『ワフッ』
もはや、ただの人間など敵ではない。
素早く全員の鳩尾を衝いたアニは、倒れ伏した男たちには目もくれずに雪洞の蔵を後にする。
赤く燃える目に映るのは、血塗られたかのような臭気の道だ。
腹に仕舞った箱が導いてくれているのか。
どこか散漫だった匂いは一等濃くなり、四つ足の獣は寸分の狂いなく次の目的地へと辿り着くのだった。
「急げ、急げーっ!」
「金烏様が召し物をご所望だ!早く仕立てろ!出し惜しみなんかするなよ!」
こちらは櫓といった様子らしい。
背の高い建物の地上部分で、背を丸めた男たちがあくせくと何かを作っている。
正確には背を丸めた――ではなく、腕が長過ぎるだろうか。
小柄な男たちはせっせと布を運んでは、あーでもない、こーでもないと怒号を飛ばし合うのだった。
「絹をもっと持ってこい!!」
「機織りはどうなってる!?こっちにも刺繍が必要だぞ!?」
「それくらい手で入れろ!!」
急ぎの仕事に追われているのだろう。
雪を被った草木の影からひょこりと顔を覗かせる獣に気付く様子もなく、男たちは白銀に煌めく糸や布を一枚の衣服へと仕立てあげていく。
『ヴォフ……ッ』
月光を浴びたかのような着物は美しく、まるで――そうまるで、オリアのために仕付けられたかのようだ。
盗み見るアニも思わず感嘆の吐息を漏らし、もっと近くで見たいと首を伸ばした。
その耳に届いたのは――
「しかし目出度い」
「金烏様の探し人が見つかったとなれば、これ以上ない安泰だ」
「もう一人は逃げたそうだが……」
「逃がしてやっただけかもしれん。花嫁殿を思えばこそ……見逃してやったのだろう」
「ああしかし、本当に目出度いことだ」
花嫁などという不穏な一句。
本来なら彼らの言うように目出度い言葉のはずなのだが、アニの全身に奔り抜けるのはゾワリとした悪寒だった。
『ヴッ……グルルッ』
ふと蘇るのは〝宝食の箱〟の声。
翁の顔を奪った変幻自在の怪異は、オリアの事をこう評していた。
〝お前の心臓を飾らば――そうだ。そこの犬畜生のやうに、餌が群がりよる〟
今思い返しても、旨そうだと舌なめずりする顔が癪に障る。
しかしあの言葉が物語るのは、オリアこそが怪異を引き寄せているという事ではないだろうか。
疑心が確信へと変わる中、アニは怒りに身を震わせた。
(イヤダ……ッ)
もしオリアに原因があるのだとしても、オリアを盗られる事だけは許し難い。
認めたくなかっただけで、避けられるのが怖かっただけで、とっくにもうアニの心はそこにあったのだ。
(ソレダケは……ダメだ……ッ!!)
目の前で奪われるなど、もっての外。
焼けきれそうになる首の痛みを振り払い、アニは隠れる事も忘れて作業場へと突進する。
『グルルッ!!グルルオアアッ!!』
叫び声も、逃げ惑う足音も、機織り機が倒れる轟音も――全てを呑み込んで。
大地を揺らす咆哮が、月への帰郷を促すかのような衣を無に帰すのだった。
「金烏様の衣が……っ!?」
「帯……いや!!冠りだけでも……!!」
泣き叫びながらも花嫁衣装を守ろうとするのは、やはり鴉への信仰が成せる業なのだろう。
その妄信を嘲笑うよう――もうひと暴れ。
『ガルルルア!!』
金糸銀糸が無惨に舞い散るのを足蹴に、漆黒の狼は櫓の天辺まで駆け抜けた。
下からは赤く燃える篝火の熱。
倒れた蠟燭から燃え移った火は止まらず、巨大な篝火と化した櫓が、暗い夜闇を煌々と照らし出す。
その中に、ぼんやりと浮き上がる赤い箱。
血塗られたかのような赤黒い箱が、アニを待つかのように雪深い集落を見下ろし続けていた。
『コロモにされた』
『ワタシのハネでイトをおるの』
『ハリのかわりはカブトのツメ』
『コロモになるのはヤ』
轟々と風が吹き荒ぶ高みでも、アニの耳にはハッキリとした囀りが響き渡る。
一つ目の箱と同じく、彼らはこの機織り場から逃れたかったのかもしれない。
『ガフルッ』
大口を開けた獣はパクリと箱を呑み込み、燃え盛る櫓を跳び立った。
織られるのは婚礼衣装だったのか。
それとも死装束だったのか。
雹の混じった冷たい風を受けながら、天災とも言うべき獣は最後の場所へと転がり込む。
『グルオオオッ!!』
既に怒りを燃やした身だ。
抑えきれない本能のまま、漆黒の獣は鉄の箱へと飛び込んでいった。
弾けた弾丸は一直線に飛び――けれど、真似をするだけでは不毛なこと。
直進するしか出来ない女王は砦の前で足止めを食らい、その手に持つ刃が王の首元に届く事はなかった。
『猿真似をしてどうする?』
「せめて教育が行き届いたと言って欲しいかな」
『フン。真似だけなら、文字通り猿にでも出来る事だ。頭は回るのだから……。もう少し真剣になってはどうだ?正直言って教え甲斐がないぞ?』
「逆に聞くけど……暇つぶしに本気になる奴がいるかい?」
舞台を降りた女王を横目に、オリアは眼鏡の位置を直す。
怪鳥は一瞬呆れを浮かべるが、すぐに喉の奥でクツクツと音を鳴らした。
平然としているようで、目の前の人間は随分と不安を覚えているらしい。
詰まる声に、浮かない顔色。
何度となく判断を誤る駒運び。
忙しなく眼鏡や唇を行き来する指。
強がるかのような実のない言葉。
落ち着かない様子のオリアに笑みを一つ。
『まあいい。もうしばし、お前の瘦せ我慢に付き合ってやろう。存分に今を楽しむと良い』
金色に輝く鴉は、煌々《こうこう》と燃える目を弓なりに細めた。
太陽の如き赤に反射するのは――悲しいまでの白銀か。
弾丸のように弾けた黒が、問答無用で鉄の箱を破壊する。
破戒僧といった風な屈強な男たちが武器を手に迎え撃とうとするが、下手な熊より巨大な塊だ。
煙の如き狼の体に刃は通らず。
かといって単純な力で勝てるわけもなく、男たちは呆気なく四肢を投げ出すに至るのだった。
「今だ!!」
「続け!!金烏様に首を捧げろ!!」
もっとも、男たちも黙って四肢を伸ばすだけではない。
次から次へと箱の中へと雪崩込み、鋭い槍の穂先を巨狼目掛けて突き出した。
窓代わりの鉄格子からも石や矢が注ぎ込み、四方八方から狙われたアニは、漆黒の体を揺らめかせながら、その一つ一つを弾いていく。
『グルオオオッ!!』
鼓膜を破る咆哮がビリビリと空気を震わせるが、男たちに怯む気配はない。
むしろ血気盛んに立ち上がり、津波のように押し寄せるのだった。
『ガルルッ!!グルアアッ!!』
頭だけでは足りず、二足になって応対するも波が引く事はない。
アニはたまらず体を煙に変え、箱の外へと飛び出した。
幸いは彼らに煙を掴めないこと。
不幸なのは彼らが人間であることだ。
金烏に忠誠を誓う彼らには、目の前の怪物を殺す覚悟も気概もあるだろう。
しかしアニには――心まで獣になり切れないアニには、利用されているだけの命を奪う事は出来なかった。
『グウウゥ……』
わらわらと飛び出してくる男たちを前に、アニはただ唸るばかり。
箱を探そうにも、これだけ人が溢れていては匂いを辿る事も難しい。
『ガゥアッ!!』
絶え間なく襲って来る弓矢を尾で打ち払い――アニははたと足を止めた。
「怯んだぞ!!」
「今だ!!掛かれ!!」
それを好機と見たのだろう。
武器を突き出した男たちが今一度アニへと飛び掛かり、肉の山を築き上げた。
束の間――
「ヒッ!?ヒイ……ッ!!」
「金烏様……!?どっ、どうかお許しを……!!」
全身から脂汗を滲ませ、男たちは凍える雪の上で頭を垂れた。
「すぐにっ!すぐ向かいます!」
「どうかお怒りをお沈め下さい……!」
ガクガクと震える視線に映るのは、彼らが最も恐れる光景。
仕える相手に捨てられる――考えたくもない情景だ。
それは〝災禍の箱〟の持つ力。
赤い雷光を纏った黒煙が絶望を魅せ、男たちを遠くへと追いやったらしい。
蜘蛛の子を散らすように走り去った男たちを背に、アニは鈍く唸った。
『グ……ヴヴ……ッ』
無理やり力を引きずり出したからだろう。
烈火の痛みが首を焼く。
龍神を打ち倒した時にも〝宝食の箱〟の擬態能力――広げて言えば変身能力を酷使したわけだが、それは元来アニの持たない特質だ。
襲い来る負荷によろめきながらも、アニは人の子を散らしたコンテナに身を寄せる。
『ググル……ルル』
打ち捨てられた武器の山。
それらが指し示すように、この場所は製鉄所といったところだろう。
武器庫とも言うべき無骨な室内をゆっくりと見回し――ふらついた足取りの獣は、灼熱に燃える炉に鼻先を近づけた。
あの囀りは、どうやらここから聞こえているらしい。
炉にくべられた箱はドロリと溶けだし――
『ナイフにされた』
『ワタシのチシオでイノチをかるの』
『キザムのはウソのセイカ』
『ナイフになるのはヤ』
正方形の塊となって、アニの前に転がり落ちた。
『…………ヴッ』
哀れみか、鈍い痛みからか。
燃え滾る赤を一飲み――前足を地に着いた獣は、緩慢な動きで踵を返す。
しかし、その足が走り出す事はなかった。
半ば引き摺る足を一つ、二つ、三つと旋回させたところで、眼前に突き付けられる銀の刃。
「金烏様のために……!!」
武器を持つにはいささか細身の男が、鬼の形相で槍を突き出すのだった。
狼煙の魅せる絶望を乗り切ったのか。
混乱する男たちの波を掻き分けてきたのか。
見覚えのあるその顔は、アニとオリアを歓待した長のものに他ならない。
『グル……ッ!?』
反応の遅れたアニは攻撃を避け損ね、震えを伴った穂に貫かれるのだった。
真っ赤に染まる視界。
くぐもった叫び。
白雪の上に歪な足跡が刻まれ――獣は無数の目を見開くしか出来なかった。
次回8/11更新
case.4「BOX the S-undo-M」最終話を予定しています




