「BOX the M-lg」
蓋を――
箱――そう言われて想像するものはなんだろうか。
荷を詰め込む収納箱。不要品を投げ込むゴミ箱。犯罪者を閉じ込めるブタ箱。
宝物を収める、それ自体が宝物のような調度品。
あるいは――中身を取り出した空白。
箱と言われたなら、実に多様な概念が列挙される事だろう。
だがこの街においては話が違う。
いくつもの箱が積み重なって出来た街の住人たちは、口を揃えて言うはずだ。
箱とはこの街の事だ――と。
事実、その街の外観は箱と言って遜色ない。
正方形の要塞が連なった姿は、あらゆるものを詰め込んだ箱庭のようでもあった。
そこは先述の通りの有象無象が流れ着くゴミ箱か。
治安も法も何もない無法地帯が広がるブタ箱か。
それとも大切な何かを仕舞い込むための宝箱か。
とかく、その箱はもう一つの箱によって支配されていた。
箱の名は――電脳箱[K-hack]。
もっとも支配というのは好ましい表現ではないのだろう。
箱に暮らす彼らにとって、その箱は相棒であり、道を決めるための人生そのもの。
〝困った事があったなら、たった一言尋ねれば良い
二つに一つを選びあぐねたならば、たった一言問えば良い
往くべき道に迷ったならば、たった一言聞けば良い
さすれば箱は、欲しい答えを与えてくれる
今日の天気は序の口で、着るべき服から食べるものまで何でもござれ
進路に冠婚、果ては葬祭、人生の岐路に立つ大事も
全てを全て電脳箱[K-hack]が導き示してあげましょう〟
親が子に聞かせる子守歌の如く、電脳箱[K-hack]は人々に寄り添った。
愛を育めと囃すのも、人を殺せと囁くのも、隣人を助けろと告げるのも、悪事に手を染めろと唆すのも、他人を許せと諭すのも、報復を推奨するのも、全ては電脳箱[K-hack]の望むまま。
ぷかぷかと宙に浮かんでは異色の光彩を放つその箱に、人々もまた寄り添い続けるのだった。
運び屋を営む青年――アニ。
彼もまた例に漏れず電脳箱[K-hack]によってその道を選んだ者だ。
薄いハガキ1枚から、中身の分からない大荷物まで、運べるものは何でもござれ。
廃棄物だろうが、死体だろうが、どんなものでも賃金一つで運ぶのが運び屋アニの仕事だった。
『Sir.アニ――仕事の依頼です』
アニの一日は七割七分、電脳箱[K-hack]の声から始まりを告げる。
今日の依頼は手紙の詰まった封筒か。
それとも非合法な――しかして合法として扱われるブラックボックスか。
男とも女ともつかない電子音に起こされたアニはまだ重い瞼をこじ開けた。
「……内容は?」
『箱――全角八十八cmの正方形――重量八十八㎏――備考:けして中身を見ないように――の配達依頼を受理しました。依頼者はオリア――受取人です。電脳回路を介しての取引。本日未明――発送者が事務所に荷物を持ち込み――過不足なく届けて欲しいとの事です』
手のひらサイズの箱はピカピカと淡い光を放ちながら、依頼内容をつらつらと音に変えていく。
その声を耳に、アニは今日も今日とて何かを運ぶ。
たとえ人殺しの道具が入っていようと、たとえ死体が詰まっていようと、それはアニの知り及ぶところではない。
(……開けるなって言われると見たくなるけどな)
事務所に届いた物々しい正方形。
いやに興味の惹かれるその箱を助手席に座らせ、アニはオンボロの車を走らせた。
ここは箱と呼ばれるゴミ箱でブタ箱でお払い箱。
倫理も節理も道徳も――全ては電脳箱[K-hack]の手の平の上。
しかしてアニはまだ知らない。
電脳箱[K-hack]という秩序の崩壊がすぐ間近に迫っている事を――――
――開ける
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