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匣ノ中ノ獸  作者: yura.
匣ノ中ノ獸
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case.2「BOX the T-rz」(04)

目が覚める。

あるいは夜が明ける。

もっとも、その場所に日差しが差し込む事はない。

白熱灯なのか、蛍光灯なのか。

もっと真新しい何かなのか。

真っ白に光る電光が眩しいくらいに施設を照らすその中を、眠気眼の若者はどこか覚束ない足取りで歩いて行った。

『ふあぁ……ねっむ』

『お前はいつもだろ■■■■■』

『■■■には言われたくないわよ。アンタだってどーせ寝てないんでしょ?』

『まあ……そりゃな?』

『かっこつけたとこで、アンタの徹夜理由なんて一つしかないじゃない。ほんと……|motherfuckerサイテー

『朝からカリカリしないでくださいよ。せっかくの可愛い顔が台無しですよ?』

『おはよ、■■。言っておくけど、それもセクハラだからね?』

『えっ!?そうなるんです!?』

聞こえてくるのは朝から騒がしい職員たちの話し声だ。

複数の男に対し、女が一人ともなれば、会話の種もどうしても下に下に向かってしまうのか。

まだ若い彼はその輪には入らず、壁際を辿る様に先を目指す。

正直、紅一点の彼女に見つかるのは得策ではない。

やたらと構ってくる女を視界に入れないよう、青年はそそくさと休憩所となっている広間を抜けて行った。

『…………』

白い廊下、白い壁、白い天上――白い光源。

思わず無言になってしまうそこは、まるで自分たちを閉じ込める檻のようだ。


否――檻なのだろう。


ここに入ったが最後、出る事は叶わない――らしい。

らしい――と言うのは、退職した職員たちがどうなったか、それを知る手立てがないからだ。

誰かが〝報せがないのは良い便り〟などと言ってはいたが、果たしてそれは本当か。

『…………』

どのみち確認の術もない事だ。

青年はやはり無言のまま、人気のない方へと進んでいった。

足早に廊下を曲がり、また一つ曲がり、スロープを下り、白い階段を一段ずつゆっくりとゆっくりと降り――その先にようやく煙の匂いを感じ取れば、目的の場所はすぐそこだ。

換気扇がゴゥンゴゥンと回る音だけが響く中、青年は気だるげに煙草をふかす男の横へと腰を下ろした。

『…………』

『…………』

言葉はないが、彼が避ける事はない。

それを許諾の意と受け取って、何かにつけ煙草を嗜む男に身を寄せる。

『……君も飽きないね』

時折――本当に時折溢される声は、淡白ながらも心地よい。

吐き出される煙に混ざりかねない濃灰の髪は柔らかく、ここにだけは温かな日差しが入り込んでくれているかのようだった。

いくつもの換気扇が並ぶそこは薄暗く、味気も華もない廊下の片隅でしかなかったが、それでも二人きりの時は陽だまりのようにさえ感じられた。

その心地よさが語らせるのかもしれない。

『これは……愚痴かな。でも思うんだ。どこに行っても変わらないなって』

『…………』

『彼らを悪く言いたいわけじゃないけどね。本気なのは極一部だけ。これじゃ学生のお遊戯と何ら変わらない――いや、発想も頭脳も技術も段違いではあるんだ。ただ少し……彼らとは波長が合わないというかね。部外者(アウェー)に感じる事が多いのさ』

コーヒーを思い出させるほろ苦い煙に乗せて、男はままならない現実をぼそりと溢す。

『■■■に至っては僕を女だと思ってるらしいね。ここで言う(メス)は生物学上の話ではなくて――そう。行為(プレイ)の話にはなるんだけど……勘弁して欲しいものだよ。たしかに彼らに比べれば華奢かもしれないが、それは人種の差異であって僕の個性ではない。仮に個性だとしても、嫌なものは嫌なわけで――……』

何も問わず、何も否定せず――ただ話を聞いてくれるのが楽なのだろう。

冗談めかしてなのか、真面目ぶってなのか、やはり朝から話すべきではない種を撒く彼に、青年はどんどんシワを寄せていく。

『…………』

無論、怒りの矛先はくだんの色好きであって、目の前の男にではない。

不躾ぶしつけ――否、いやらしい目で彼を見る低俗なやからの事を思い出し、青年は無言の中にも苛立ちを募らせていった。

その間にも紙巻き煙草(シガレット)は身を減らし――

『……そろそろ行かないとね』

短くなった煙草を携帯灰皿に押し付け、男は伸びをしながら立ち上がる。

煙草の代わりに飴玉を口に放り込み、首に下げていた眼鏡をかければ、それはもう彼の仕事姿だ。

『いい加減、進展があれば良いんだけど』

とはいえ、ままならないのは仕事も同じ。

どうにもシャキッとしきらない背中を追って、青年も狭いそこを後にする。

『おっ!また■■■■■のとこにいたのね!挨拶くらいしてくれても良いのに~!』

『…………』

『何だよ■■■■■、今日もだるそうだな?溜まってんじゃねーのか?』

『……そうだね。君のおかげでストレスが溜まってるよ』

めげないのは(She)(He)も等しく。

仕事の始まりを前に、各々の感情が乗った声が白い箱の中を飛び交っていく。

(………)

その光景を横目に――正確には女の手をするりと躱し、青年もまた自らのすべき事に精を出す。


たとえこれが箱の中の幸福でも。

たとえこれが仮初の楽園でも。

彼にとってはそれが全てだった――……



だから――アレで良かったんだ



……――深淵の底に残照とも呼べぬ光が灯り、チリチリと肌を焼く。

あるいは視線が突き刺さるのか。

『……――ニ』

「…………」

ハッキリとしない思考と視界。

朧気な記憶を掴むように手を伸ばし――

「あだっ!!??」

アニは全てが吹き飛ぶ痛みに、思わず声を漏らした。

ゴツン――ならまだ良かっただろう。

額に刺さった箱の角は鋭く、ブスリと突き刺す激しい痛みに、アニは微睡んでいた意識を引き摺り起こす。

それより寸分早く――

『おはようございます――Sir.アニ』

聞き馴染んだ声が降って来た。

男とも女ともつかない電子音を鳴らす箱は頑丈そのもの。

痛みを感じた素振りもなく、電脳箱[K-hack]はアニの真ん前に浮かび続けるのだった。

視界を覆う黒鉄くろがねの箱をわずらわしく思うのは、起きがけの不機嫌さ故か。

ズキズキと痛むひたいを擦りながら、夢心地に過ぎていった記憶をぼんやりと巡らせる。


――ここはどこで、あれは誰だったのか。


夢と現実のさかいは酷く曖昧で、どこからが夢で、どこからが本当だったのかさえあやふやだ。

アニはこれまたズキリと痛む首を抑え、まだ呆けたままの目を、呑気に浮かぶ電脳箱[K-hack]の奥へと向けた。

(……痛ぇ)

首を守るチョーカーは今一つ心許こころもとなく。

チャリチャリと銀のタグをもてあそんでは、かすみの掛かった記憶をほどいていく。

(たしかオリアに会って……)

事の発端はオリアという男に出会ってしまった事だ。

予期せぬ――実際には巧くハメられただろう再会と、それにしては和やかに過ごしてしまった車内。

心地よさに比例するように苛立ちを掻き立てるその相手と道を共にした先で、ワギリと名乗る地主に出会い――現れたのは気味の悪い沈没船だった。

(……カイイって事だよな)

一度沈んだ船が浮上するわけがない。

子供でも分かる事実に、アニは改めてあれが怪異だったのだと結論付ける。

そして――

(んで……あのオッサン。オッサンがカイイだったって事か?)

姿を消したオリアを探して乗り込んだ不気味な幽霊船。

その中でアニの前に立ちはだかったのは、依頼を持ち掛けてきた張本人――ワギリだった。

(わ……っかんねぇ)

そもそもアレはワギリだったのか。

先の事がどうにも曖昧な記憶を掘り起こしながら、一人では処理しきれない情報を捏ね繰り回す。

(何かよく分かんねー事ばっか言ってたし……結局何だったんだ?つーかアイツ、オリアにベタベタ触――いや、何考えてんだ。たしかに気持ち悪かったけどよ。別に俺のってわけでもねーのに……)

しかし、アニの思考はすぐにオリアの事へと切り替わってしまう。

人質に取られたオリアの頬に、赤黒い舌が伸びるさまを思い出し――

「…………クソが」

アニは意図せず暴言を吐き出した。

突如零れた悪態は人気ひとけのないコンテナを揺らし、悶々《もんもん》と唸るアニに声を掛けるか掛けまいか迷っていた電脳箱[K-hack]も委縮いしゅくする様に光を薄くする。

その様子のまま遠慮がちな声が灯され――

『それは――』

「僕の事かな?」

小さな電子音を掻き消して、眼鏡の男が窓からひょいと顔を覗かせた。

六畳一間ほどのコンテナには、向かい合ったドアが二つと窓が四つ。

海が見える側、朝日の差し込む窓の一つから現れた相手に、アニは勢い余って声を裏返した。

「ばっ……!!違ぇよ!!」

「そうかい?嫌われていても何ら不思議ではないからね。てっきり僕に言ったのかと思ったよ。電脳箱[K-hack]――君もそう思ったんだろう?」

『……僭越せんえつながら』

いつの間に買ってきたのか。

もしくは、あの人形のような使用人が用意してくれたのか。

プラスチックの容器に入ったモカをストローで啜りながら、オリアは電脳箱[K-hack]を相手に悪びれなく笑ってみせる。

そして、答える電脳箱[K-hack]の言葉も言葉だ。

それがまたアニを苛立たせるわけだが、よもや反応する元気はない。

眉間にシワを寄せるに留め、へらへらと笑うオリアを睨みつけた。

「……否定はしねーよ。しねーけど、今のはあのオッサンに言ったんだよ」

「ああ――Sir.ワギリの事だね」

「おう。つーか……あのオッサンどうなったんだ?どうにも記憶が曖昧っつーか、なぁ?アレやると頭がハッキリしねーんだよ」

「それは経験不足みたいなものだけど――そうだね。Sir.ワギリはお亡くなりになられたよ」

転がされていたソファから起き上がり――アニは告げられた言葉に口を閉ざす。

ワギリの訃報を嘆けば良いのか。

あまりに当然のように流すオリアに憤れば良いのか。

判断が付かずに顔を上げれば、穏やかな紫苑しおんの光と視線が絡み合った。

「――と言ってもだ。君のせいじゃない。まして僕のせいでも。彼はもう、とっくの昔に死んでいたんだよ――そうだろう?」

その眼差しが意味する事は何か。

視線は交わったまま、オリアの声は電脳箱[K-hack]へと投げ掛けられる。

たとえ質問をしたのが持ち主でなくとも、答えを授けるのが電脳箱[K-hack]というモノの本質なのだろう。

アニに道を示すように、電脳箱[K-hack]は迷いなく、オリアの問いにかいを述べた。


『はい――Sir.ワギリの推定死亡時刻――半年前――お二人が出会ったのは氏の遺体を利用した犯罪者と推測できます』


自然と強張ったアニの耳に、合成された電子音が響き渡る。

内容を噛み砕くには、いくらか時間を要し――要してなお、アニは理解出来ないという風に真紅の目を瞬いてみせた。

「……は?」

もっともの話、理解出来ていても、今と同じ声が飛び出た事だろう。

素っ頓狂な声を溢すアニに、オリアはどこか他人事に顛末てんまつを語り出した。

「だから――電脳箱[K-hack]が答えたままだよ。Sir.ワギリは僕たちが会った時点で既に死んでいたんだ。そして僕たちは、彼の財や権威を食い物にしていた相手と邂逅かいこう――犯人は海の藻屑もくずとなって消えた――というわけだね。ああ――海の藻屑というのは比喩表現だよ?」

「……は?」

「ふふっ、君には少し難しかったかな?何にせよ、電脳箱[K-hack]の鑑識に間違いはない――今はそれで良いじゃないか」

「…………なるほど、なぁ?」

どこから突っ込めば良いのやら。

だがデータに存在しない怪奇現象を掘り下げようとすれば、ショートしかねないのが電脳箱[K-hack]である。

それはアニ自身も同じ事で。

アニは自分が人殺しにならなかった事に胸を撫で下ろすと共に、あの夢のような光景に当たり障りのない結末がついた事に酷く安堵した。

事実、理屈が通っているかは、正直アニには分からない。

だがどうやらのところ、依頼人であり地主であるワギリは既に死亡済み。

そしてワギリを殺害した犯人が、更なる犯行のためにワギリに成りすましていたという事になったらしい。

遺体を用いれば電脳箱[K-hack]の生体認証を切り抜ける事も不可能ではなく――本物かどうかはともかく、浜に上がっていた体の一部を、ワギリと遺体として返還するに至ったというわけだった。

いささか無理がある気もするが、電脳箱[K-hack]たちが納得したのなら、それで問題ないのだろう。


そう――全てはそれで決着がつく。

そうすれば、全てが気のせいだったで済む。


アニは内心胸を撫で下ろし――しかし、アニの胸中など歯牙にもかけず、オリアはにこりと微笑んでみせる。

満面の笑みが意味するのはただ一つ。

「ッ……!」

嫌な予感にアニは血相を変え、顔の周りでうろつく電脳箱[K-hack]を引っ掴んだ。

「三――いや、五秒待て!」

『Sir.アニ――急に何を――……ッ』

そして、問答無用で電脳箱[K-hack]の電源を落とした。

プツンと青い光が消え、その余韻から一拍、二拍、三拍。

アニの嘆願通りに五秒が過ぎるのを数え、オリアは奇々怪々な現実へとアニを連れ戻すのである。

「退屈な帳尻は一旦置いて――君が見た幽霊船。正確には宝箱(・・)の方だね。名を付けるなら宝を喰らう〝宝食(ほうしょく)の箱〟といったところかな」

「〝宝食(ほうしょく)の……箱〟?」

「その本質は擬態(ミミック)――もっと言えば〝付喪神(つくもがみ)〟かな。あの船も元は現存するものだったんだろうね。宝を求める人の怨念が〝付喪神〟と化し、新たな宝ないし血肉を求める餌として、擬態(ぎたい)という能力を身に着けた――といったところだろうか」

それはまるで忘れる事を許さない――と言わんばかりの眼差しだ。

朧げに眠ってくれそうだった記憶を揺り覚ますオリアの声に、アニは少しずつ霞がかった景色を鮮明に思い出していく。

鼻を曲げるドブとカビの醜悪な匂い。

気を抜けば滑りそうな濡れた床板。

自分を誘う悍ましい声。

我が物顔でオリアに触れる下卑げびおきなの顔。


そして――それを意にも介さず跳ね除ける高揚感と湧き上がる熱。


抱きしめた肉の柔らかさが。

肌に張り付く髪の細さが。

菩薩を背負った物々しさごと組み敷く興奮が背筋を駆け巡り――アニは気付けばブルリと身を震わせていた。

(……ッ……!)

いらんしい――ある意味では一番重要な交わりの記憶。

異装[I-sow]がもたらす変化さえ些細な事にすり替えてしまう記憶を思い起こし、アニは話もそぞろに身を固くするほかなかった。

硬直した頭に後悔がせめぎ合えば、胸中に響くのは絶叫か。

汗をダラダラと垂らし、アニはオリアの顔を見るのもままならないまま項垂れる。

(やっちまった……!!)

二度目とはいえ――むしろ二度目だからこそ余計にか。

ろくに意識がないまま、しかも無理やり行為に至るなど、あまりにもあまり過ぎるのではなかろうか。

当の本人がケロリとしているとはいえ、何だかんだロマンやムードを大事にしたいアニにとって、自らのしでかした失態は簡単に認めたくない事実だった。


それ以上に恐ろしい事が一つ。

オリアという沼にはまってしまいそう――という甘い甘い誘惑だ。


ワギリ――否、怪異か。

いくら共感したくなくても、怪異の言う事はもっともな話で。

憎らしい程に眩いという意味が分かってしまうくらい、オリアという男にはアニを惹き付ける何かがあった。

暴いても暴いても核心に近付く事が出来ない深淵でありながら、その奥にはたしかに太陽のごとき光を内包しているその箱に、アニはどうしても意識を向けてしまうのである。

(ヨかったのが猶更……)

いっそ痛いだけならば。

腹立たしいだけならば楽なのに。

(ほんと……何でイイなんて思っちまうんだよ)

けして――けしてオリアに懸想けそうしているわけではないが、あまりにも恰好がつかない状況と自身の心境に、アニはただグルグルと頭を回す。

膝に抱えた電脳箱[K-hack]は黙したまま。

答えの見つからない問答ばかりがアニの胸を埋め尽くした。

そうでなくとも意味の分からない怪異の話は耳に入らず――

「聞いているかい?」

「っ……!」

上の空になったアニを咎めるかのように、オリアの声がパサついた髪を撫でる。

悶絶している内に、すぐ傍にまで来ていたらしい。

オリアは何の気なしにアニの横に腰かけ――質の良い革ソファがいくらか沈めば、二人の肩と肩とを刹那、触れ合わせるのだった。

(……近ぇ)

緊張するのは自分一人なのか。

アニはそわそわと落ち着きなく体を揺らしながら、ぐんと近付いたオリアの顔をじっと見る。

(なんつーか……)

菫のような紫苑のような薄紫の瞳は花筏(はないかだ)のようで、アニから見て右側。

左目の下には二つの黒子ほくろが行儀よく縦に並んでいる。

どこか愛嬌を感じさせるその星の下には細い顎。

もっとも、いかついやからに比べれば細く見えるというだけの話。

柔和な顔つきのせいで勘違いしがちだが、男性らしい線を描いた骨のラインが手先足先にまで伸びている。

その中でもとりわけ目を引くのは、見るからに甘そうな髪の毛で。

黒というよりは灰色か。

ところどころ暗い色の混じった髪は淡い桜色を帯びたピンクブロンドで、あめのように広がるその髪に鼻先を押し付けそうになるのを、アニはぐっと我慢する。

(――――ッ……)

我慢して、我慢して――その果てにアニは、気を紛らわすべく自ら聞きたくもない話に乗り出した。

「ツクモ……何だって?」

低く唸る声は獸のそれで。

とはいえ、オリアがそれを気にするわけもなし。

待ってましたと言わんばかりに、怪異の話がつらつらと語られ出すのだった。

「〝付喪神〟――だよ。大切に扱った物には魂が宿る――なんて言ったりもするだろう?九十九(つくも)――すなわち長い時間を生きた器物(きぶつ)狐狸(こり)霊魂(れいこん)が宿り、霊物(れいぶつ)と化したモノを〝付喪神〟と呼ぶんだ。人を(たぶら)かすなんて()われもあるくらいだし、これまでの失踪事件もSir.ワギリの皮を被った怪異が引き起こしていたんだろうね」

オリアの話は失踪事件にまで根を伸ばし――

「あー……そうなるのか?」

「本質は宝箱が〝付喪神〟になったモノなんだろうけど、あの怪異の表層は〝擬態(ミミック)〟だからね。僕たちにそうしたように、餌を呼び寄せてたんじゃないかな?」

「餌……ね。な響きだな。けど呼び寄せるっても、どうやってだよ?」

「沈没船の噂があっただろう?一獲千金を狙う人には、またとない刺激のはずだ。失踪事件もそう。英雄になりたい人や、怖いもの知らずが集まるには十分な理由になるんじゃないかな」

「んで……パク――ってか?」

「そういうこと!擬態にもいくつか種類があってね。身を守るもの、相手を誤認させるもの、そして獲物を油断させるものがあるんだ。今回のはその最後――攻撃(ペッカム)擬態と呼ばれるものだろうね。ハナカマキリなんかがその筆頭かな。花そっくりの姿で花畑に身を隠し――蜜を吸いに来た虫を狩ってしまうんだ。それを思えば、あの怪異を〝擬態(ミミック)〟と呼んでも問題はないんじゃないかな?」

「…………たぶんな」

アニはどうにも腑に落ちない気持ちのまま、失踪事件に対するオリアの見解に首肯する。

正確には理解出来ない――なのだが、オリアが言うのだから概ね間違ってはいないのだろう。

何となしに電脳箱[K-hack]も同じ事を言いだそうだと思いながら、アニはどこか投げやりに事の結末を聞き届けた。

それも束の間――

「おはようございます……!」

使用人の娘が二人の休むコンテナへと駆け付ける。

突然の事に目を丸くするアニを気にする余裕もないのか、まだ若い彼女は肩で息をしながら頭を下げた。

「あの……っ!ワギリ様を……!本物のワギリ様を見つけてくださりありがとうございます……!」

本物のワギリ――とは、浜で見つけた体の一部の事なのだろう。

それが本物か、怪異か、はたまた他人のものかは知れないが、話の擦り合わせは上手くいっているようだ。

しかして、アニには分からない事だらけ。

わけも分らず隣を見れば、オリアの方は状況どころか誤魔化し方を熟知しているらしい。

ゆるりと首を縦に振り、電脳箱[K-hack]を胸に抱く娘へと語り掛ける。

「いや……もっと早くに気付ければ良かったんだけどね。犯人も逃がしてしまって不甲斐ないよ」

「そんな事ありません。電脳箱[K-hack]にも気付けなかった事です。あまりに突然の事で私もコハクも驚いていますが……これでワギリ様も報われると思います」

いくつか事実がねじ曲がっているが、怪異を語らない以上、存在しない何者かが罪を背負う事になるのもしかたなし。

アニは口にチャックをし、二人と一体のやり取りを見守る事にする。

昨晩には人形のように思えた彼女だったが、その実そうでもないのかもしれない。

アニの視線に気付いた相手は、我に返るようにペコペコと頭を下げては上げてを繰り返した。

「申し遅れました。私はカケイ――ワギリ様の遠縁にあたります。そのツテでここで働かせて貰っていたのですが……思えばですよね。ここの働き手は長く続かないと言われていました。ワギリ様が気難しい方でしたので、そのせいかと思ってましたが……きっと……。お二人は私の恩人にもなります。コハクたちとも話し、ここの相続は私がする事になりましたので、またいつでもいらしてください」

『Sir.カケイノ仰ル通リデス――規則ニ従イSir.ワギリ保有ノ電脳箱でんのうばこハ処分――恙ナク相続ノ処理ヲ実行――報酬ハ相続ガ済ミ次第振リ込ミマスノデゴ安心クダサイ』

「海岸の方も、調査が落ち着いてから……また来て頂ければと思います。本当にありがとうございました」

さすがに事件が起きた後の滞在は難しいという事か。

カケイと名乗った娘の腕の中でピカピカと光る電脳箱[K-hack]がこれからの事を事務的に告げ――二人は半ば追い出させる形でコンテナ屋敷を後にする事になる。


ちなみにだが、処分――それは役目を果たせなかった電脳箱[K-hack]に訪れる最期の事だ。

本来は持ち主の死後も貴重な資料として大切に保管される――あるいは生まれ来る子らのパートナーになるのだが、自らの持ち主を見誤るような出来損ないに次はない。

それは持ち主の不義にも繋がり、その持ち主のデータは一切合切、未来へと残されない事になるのである。

とどのつまり、ワギリの記録は彼を知る者の死と共に完全に葬られるという事になる。

もっとも、それ自体はアニたち箱に生きる者には些末さまつな事。

ただ一重に、電脳箱[K-hack]というモノに屈辱を与えるというのが、この処分というものの本質だった。


そのやはりアニにはどうでも良い話はあっという間に頭の外へと飛び、二人と一体はオンボロの車の前。

揺れる波の音だけが耳を撫で――

「は……?」

シャワーを浴びる暇すら貰えなかったアニは思わず顔を引き攣らせた。

「はあ……???」

オリアを運んだのも自分で、人質にされたオリアを助けたのも自分で、何ならあの怪物を倒したのも自分で――それなのに棚から牡丹餅(ぼたもち)で屋敷と土地と財産を相続するのは何も知らないカケイ一人だけ。

分け前を寄越せと言いたいわけではないが、自立しつつあるアニの心には不平等への不満が芽生え始めていた。

「……帰るぞ。乗らないなら置いてくからな」

不条理な怒りが沸々と湧き上がったアニは、電脳箱[K-hack]の電源を入れ直すのも忘れたまま、乱暴な物言いと動きで長年連れ添った愛車に入る。

そして終始無言で、塩水によって窓の汚れたオンボロ車を走らせた。

「――アニ」

「……」

道中、何度かオリアに話し掛けられたが、アニの怒りはもはや叫び散らすのを越え、無視の域へと達している。

結果としてオリアの声を全て聞き流し――早数時間。

アニは見事なまでに苛立ちの乗った荒々しい運転で、スタート地点となった広場へと、これまた乱暴に車を停めるのだった。

「ありがとうア――」

「二度と連絡すんなよ」

沸点にまで達した怒りは当然オリアにも向き――食い気味に吐き捨て、一人身綺麗になっていたオリアを蹴り出すように車の外へと放り出す。

傍目にはDVか何かのようだが、当初の仕事はキッチリとこなしたのだ。

呑気に手を振るオリアには目もくれず、アニはオンボロ車に負けず劣らずのオンボロアパートを目指して去っていった。

あっという間に小さくなる車を見つめ――

「そこは異装[I-sow(イソウ)]を投げつけるくらいしないと」

オリアはクスリと笑みを溢す。

しかし、すぐに自分の口に手を当てた。

「…………まだ笑えるものだね」

自然と零れ出た笑みに困惑するように、あるいは嘲るようにぽそりと溢し――オリアは一人(きびす)を返す。

「また会おう――アニ」

耳に響くのは地響きか、扉を叩く音か。

呼びかけるかのような音を聞きながら、オリアもまた帰るべき場所へと戻っていく。


次に会うのはいつの事か。

彼岸へと繋がる黄昏――奈落の入り口が開くその時に、二人はまた邂逅する。

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