暇してる勇者の元へ
暇してる勇者がいる宿に行く前に、私にはやらなければいけない事があった。
ユータス様が受注するクエストのチェックだ。私の日課である。
ステータス鑑定をした部屋から、冒険者ギルドの大広間に出た。
お母さんから貰った認識阻害ローブを纏い、物陰に潜む。
あっ、ユータス様達がやってきたッ! やん、今日も素敵ッ! どれどれ、えっと本日のクエストは……。
うん、採取クエスト。よしっ、大丈夫。助けはいらない。
「じゃあ、トンさん。暇してる勇者の元へ、れっつごー!」
「まりりん殿……。あの、ちょっと吾輩……」
何かを言いたそうに、巨体をもじもじさせているトンさん。
「どうしたの?」
私が問いかけた瞬間――
「グウウウゥ……」と、地響きのような音が聴こえた。
震源地はトンさんのお腹だ。
「ああ、そういうことね」
「吾輩、今日は緊張で食事が喉を通らず、朝食を抜いてきてしまったゆえに……」
「いいよいいよ、私だけで行ってくるから。トンさんは酒場で食事でもしてきなよ。そんじゃまた後で」
「かたじけないであります」
トンさんは平気で常人の五倍はたいらげる。
トンさんと旅をするには、彼の食費のことも考えなくてはいけない。
うん。やっぱパーティー結成は必須だ。お金を稼がなくてはいけない。トンさんは戦闘は素人だから、ある程度の装備も必要だしね。
と、道すがら、旅にかかる諸経費の事を考えつつしばらく歩いていると、目的の宿が見えてきた。
「わぁ……。なんてゆうか……、うん。ボロ宿ね」
木造二階建てで支柱は黒ずみ、壁の漆喰にはひび割れが目立つ。
二階の居住スペースは精々、二、三部屋程度といった具合だ。
私は、立て付けの悪い木製のドアを開け、中に入っていった。
「こんにはぁ。あの、ちょっとお尋ねしたいんですけど……」
「ん、なんだい? 客か?」
宿の奥にある受付カウンターから、白髪混じりの初老のおじさんが、ぬっと顔を出した。
宿の一階は食事処も兼ねているようだが、客はいない。納得。私だったら、こんなにボロくてほこりっぽい所で食事したくない。ご飯が不味くなる。
まあ、この際それはどうでもいいんだけど。
「レイジィって人、ここに泊っています?」
「ああッ! あんた、勇者様のお仲間かい!?」
やる気のなさそうだったおじさんが、急に眼の色を変えて詰め寄ってきた。圧がすごい。
「や、仲間じゃないですけど……。これから仲間になる、みたいな?」
「そうかいそうかいッ! レイジィ様は二階の一番奥の部屋にいらっしゃいますよ。ええ、すぐにでも、連れ出してやってくださいませ。一分でも、一秒でも早く。あっ、私、この宿の店主をしております。ささ、こちらへ。ご案内します」
どんなだよ、レイジィ!
ミルフィから大まかに人となりは聞いていた。
怠惰の勇者の二つ名を持つ勇者、レイジィ。さすがだ。やっかい者扱いじゃんッ!
勇者にはそれぞれ、二つ名がある。ちなみにユータス様は巷で閃光の勇者なんて呼ばれている。超かっこいいね。レイジィとは大違いだ。同じ勇者とは全く思えない。
私は店主のおじさんに、半ば強引に案内されて、居住エリアのある二階へと上がっていった。
「いやあ、助かりましたよ。レイジィ様は一年以上もこの部屋にずっと滞在なさっておりましてね、ここ三か月程は宿代も滞納なさっておったんですよ。勇者様を無下に追い出すわけにもいきませんし、ほとほと困っておった次第です。ささ、この部屋です。どうぞ」
と言って、店主のおじさんは私を案内するさっさと一階に降りて行った。
後は任せたぞ、といった具合に。
いやいやいや、ちょっと待って。
怠惰にも程があるでしょッ! 勇者が宿代滞納てッ!
私知ってるよ。それってニートってやつでしょ?
はあ、萎えるわぁ。気分、だだ下がりよ。正直、扉開けたくない。扉のすき間から負のオーラが出ている気がするし。
だけど――
そんなこと言ってても始まらない、か。
それもこれもユータス様のため。
私は、意を決して扉に手をかけた。
「臭っさッ!」
扉を開けた瞬間――
部屋の中から溢れ出る、悪臭。ゴミ箱かな? 腐ったような、酸っぱいような生臭いにおいが、部屋に充満している。
息が、息ができない。息したら死ぬッ!
私は光の速さで窓に向かった。散乱するゴミを華麗に避け、ベッドに飛び乗り窓を全開。
「うげッ!」
ベッドの上にいた何かを踏んだ気がしたけど、かまってられない。
私は窓の外の新鮮な空気を肺いっぱいに取り込んだ。
「すうううぅー……、はあああぁー……」
ああ、空気がおいしい。
「なんだてめえぇ!」
いい天気だ。
今頃、ユータス様は採取クエストに精を出しているんだろうな。
「勝手に人の部屋に上がり込んどいて、何なんだよッ!」
もうすぐお昼。
採取クエスト、ついて行けば良かったなあ。
ユータス様達、お昼は何食べてるんだろう。
「おいコラッ! 無視すんなやッ!」
このままずっと想像の世界に浸っていたい――けど。
後ろがうるさすぎる。
「何とか言えよッ! クソ女がッ!」
クソ女。
生まれて初めて言われたわ。
殺っちゃおうかな?
――いや、ダメ。絶対。
自制心、自制心っと。
私は外の景色を見ながら、笑顔を貼り付け振り返った。
「初めまして。私、まりりんって言います。ニート……、じゃなくてえっと、勇者のレイジィ様ですよね。私、パーティーを組みたいんです。レイジィ様に私達のパーティーに入っていただけないかと思って、お願いに参りました」
よくできました私。
今はこんなでも一応、貴族令嬢を十五年間もやってたんだ。
内面を隠して笑顔とおべんちゃらで取り繕うことなんて、朝飯前よ。
目の前にいる男、レイジィはベッドから半身を起こして、私を睨みつけている。
目つき悪い。隈が酷い。伸び放題の黒髪は寝ぐせが目立ち、あらぬ方向に跳ね散らかしている。
勇者というよりは、ニートだ。
あっ、合ってるか。
「ああん? パーティー組みたいだあ? なんで俺がお前とパーティー組まなきゃいけねぇんだよ。ふざけんな。ってかまずベッドから降りろ。そんで謝罪が先だろ。クソ女」
クソ女。
また言った。
やっぱ殺っちゃおうか。
――いやいや、ダメ。絶対。
自制心、自制心っと。
うん。
いきなり部屋に入って、わき目もふらずに土足でベッドに上がって、たぶん踏みつけて、窓を全開にしたのは悪かった。
部屋が臭すぎて、息ができなかったとしてもそれは悪いことだ。
私はベッドから降りて、頭を下げた。
「すいませんでした。私、どうしてもパーティーを組んで王都から旅立ちたくて、その、レイジィ様にお会いできた喜びで舞い上がり、我を忘れて大変失礼な行動をとってしまいました。どうかお許しください」
さーせんでした。
私は人ができているから、反省すべき時は素直にするのだ。
「ちっ、変なのに目、つけられちまったぜ。どうせミルフィの紹介だろ。他にもパーティー組んでない勇者なんているだろうによ。まあいい。どの道、俺はパーティーなんて組むつもりも、王都から出るつもりもないからな。わかったらとっとと帰れや。クソ女が」
クソ女。
三回目。
殺っちゃおう。
「圧縮空気砲ッ!」
――ドッゴオオオォンッ!
私が放った風魔法が、ベッドを粉砕し、窓を粉々に吹き飛ばし、壁に大穴を開けた。
空が良く見える。やっぱり今日はいい天気だ。
「ななな、何してくれてんだよてめえッ!」
どうやらレイジィは無事のようだ。寸前で避けたのだろう。
良かった。中々の反応速度だ。
私は、今更ながら自分のやらかした事に戦慄した。
「あの、私、何かやっちゃいました?」
なんてとぼけてみる。
「ふ、ふざけんなッ! まじで何なんだよてめえはッ!」
だよね。まじですいません。
「き、今日のところは帰るわ。ごめんね。また明日来るよッ!」
「二度と来んなッ!」
私は、大穴の開いた壁からささっと飛び降りて一目散に立ち去った。