推しの勇者様
私、まりりん。
訳あって今はそう、名乗っている。
十五歳で王都の貴族学院を卒業した後、私は故郷に戻り、父が決めた相手との結婚に向けて花嫁修業を行うことになっていた。
貴族令嬢的には規定事項なのかもしれないけど、私的にはありえない。
絶対に、ありえない!
だから私は、家出することにしたんだ。
ええ。婚約破棄よ。今、流行りのね。
決行は夜中。
何度もシュミレーションしたかいあって屋敷を出ることにはすんなりと成功したけど、ほっとしたのもつかの間。敷地の外には見慣れたシルエットが佇んでいた。
お母さんだった。
さすが我が母。百戦錬磨の魔法使いの目は欺けない。私の企みなんて全てお見通しよ、とでも言った具合にお母さんは静かに口を開いた。
「出ていくのね?」
私の決意は固い。咎められても決して引くもんかと、キッとお母さんを睨みつけた。
「止めても無駄だからッ! 私は、自分の結婚相手は自分で見つけるのッ! お父さんやお母さんが決めたよく知らない人となんか、絶対、結婚なんてしないッ!」
「いいわよ」
「だいたい、何でせっかく魔法とかいっぱい特訓したのに、結婚だなんて意味ないじゃん…………、って……えっ?」
「行きなさい」
「いい、の?」
呆気にとられている私に、お母さんは小さく笑みを浮かべて言ったんだ。
「あなただけの大切な人を見つけなさい。お母さんはね、失敗しちゃったから。あなたにお母さんのような思いはしてほしくないの」
頭の中に?マークが盛大に張り付いていたけど、とりあえずお母さんは認めてくれているみたいだった。
「う、うん。わかった! 見つけるよ、私だけの大切な人をッ!」
「ただし――」
一転、お母さんは真剣な表情で私を見据えて言った。
「大切な人を見つけることができたなら、全身全霊をかけて守るのよッ! 後悔のないように――」
「はあ……?」
そう言って、お母さんは逃亡に有用な暗い色のローブを選別に、送り出してくれた。
全身全霊をかけて守るってお母さん何言ってんのよ、ってこの時は思っていた。
でも、今なら分かる。
私の大切な人、もとい「推しの勇者様」はとても危うい人なのだ。
守りたい。
貴方に巻き起こる全ての危機から、私は守ってみせる。
だってあなたは、生きているだけで尊いのだから。
※ ※ ※
屈強な冒険者達が、クエスト終わりの一杯を求めひっきりなしにやってくる。
テーブルを囲み、エールを豪快に飲み干す男達。嬌声を上げ、それをあおる女達――。
私は家出してきた後、学院のあった王都へと戻ってきていた。知らない場所じゃないし、とりあえず王都に行けばなんとかなるだろうってゆう安易な理由からだ。
サニタリア王国、王都サニタリア。南部大陸で一番、栄えている都だ。
王都に来て早二年。私は酒場の給仕になっていた。
ここは、王都の冒険者ギルドに併設されている大きな酒場であり、夕暮れ時にもなると、クエストを終えた冒険者達であふれかえっているのだ。
しかし、そんな酒場の喧騒も今の私には届かない。
「そろそろ、かな……」
それなりに忙しいから、身体は休みなく動いてて疲労も多少は感じているけど、私の思考はそんなの比にならないぐらい、もっと忙しかった。
今、あの人は何してるんだろ? クエストは無事、達成できたかな? 怪我してないかな? 大丈夫、だよね? うん、きっと大丈夫。今日のはそんなに難しいクエストじゃなかったし、助けもいらないよね……。
てな事を、ヘビロテで考えていたわけで、私は精神的にとても忙しかったのだ。でもって忙しさは今がピーク。
思考回路はショート寸前だ、今すぐ会いたいよッ!
そう。つまり、クエストを終えた、私の「推しの勇者様」が順調にいけばそろそろ帰ってくる頃合いなのだ。
「――まりりん殿……、まりりん殿ッ!」
「――ん? はっ! な、なにッ!?」
厨房から巨体をのぞかせ、私を呼びかける声。酒場の調理師、イートンだ。その声で、脳内トリップしていた私は急速に現実に引き戻された。
「むふふ、まりりん殿。そろそろ、ですな」
「言われなくてもわかってるってトンさん。私は今日、朝からずっと待ちわびてたの」
「ええ、気づいていましたとも。心ここにあらずで、まるで精巧な自動人形のようでしたぞ」
「ふっ、まあね。ってかトンさんこそ、忙しいのに厨房から出てきちゃってて、いいの?」
「仕方ないでありましょう」
「ああ、まあ確かに。こればっかりは仕方ない。失言だったわ、マイブラザー」
「いえいえ、問題ありません。我が同士よ」
トンさんとカウンター越しに、こぶしを突き合わせる。トンさんと私の「推し」は同じパーティメンバーだ。
私達は朝から、首を長くして彼らの帰りを待っていた。今か、今かとその時を。
やがて――
酒場の扉がゆっくりと開け放たれた。
「こんばんはぁ」
まず、扉に手をかけそろりと入ってきたのは、パーティー名、白夜の団の僧侶、ココロだ。
グレイのショートボブが、歩く度にふわふわ揺れている。あいかわらず、ちっこい。
「ああッ、ココロたんッ! 今日のココロたんも可憐さが止めどなくあふれ出ていまずぞッ!」
料理カウンターから身を乗り出すイートン。ココロはイートンの推しメンだ。
「ちょっとうっさい、トンさん。聞こえちゃうよ?」
「むほおぉ!」
まるで聞いちゃいない。
「こうしちゃいられませんッ! 吾輩、ココロたんのために特製スイーツを作ってまいります。あ、他の方々の分も」
鼻息荒く、トンさんは厨房の奥へと消えていった。
酒場の扉から次のメンバーが入ってくる。
「疲れたあ、しんど。採取クエストは腰にくるからたまんないわ」
赤色のウェーブヘア―をなびかせて、愚痴をこぼしながら入ってきたのは魔法使いのセツナだ。ウエスト細い。乳、でかい。
その腕には、酒場に似つかわしくない珍妙な物体が抱きかかえられている。
「あうあう、だあぁ!」
もうすぐ一歳だったか。セツナの息子だ。名前はトワだった気がする。あまり興味がないからあいまいだ。
推定一歳の子持ち冒険者がパーティーにいるなんて、あの人はとても寛大だ。
セツナに続き、三人目のメンバーが音もなく入ってきた。白のミディアムヘア―に全身を包み、四足歩行でセツナの傍らにぴったりと寄り添っている。
「ワンッ!」
白い、大きな犬だ。白夜の団で飼っているペットではない。正式なメンバーであり名前はマシロ。戦士だ。
あの人がそう、ギルドに登録したからそうなのだ。なにもおかしなことはない。微塵もない。
そして、ついに――
「来たッ……!」
薄暗く、淀んだ空気の酒場に、一筋の光が差した。