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沈雨 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 へー、日本で扱われている天気の種類って、15種類あるのか。「砂じんあらし」とか出くわしたことないな。

 聞いたところによると、国際的な天気の区分は96種類あるらしい。雨ひとつとっても、原因、強さ、やみ方なんかで、様々な区分があるのだとか。

 この種類、お前は多いとみるか? 少ないとみるか?

 実際、本来はもっとたくさんの天気があって、それがしぼりこまれていったんだと、俺は思っているぜ。

 あまりにもレアケースなものは、公共の電波に乗せても使うことはめったにない。人口に膾炙かいしゃするというか、多くの人に認めてもらったものじゃないと、世間様の日の目を浴びることは難しいだろうな。

 実は俺の地元には、ごくごくマイナーな天気が存在する。いや、厳密には「した」か。

 戦後になってから、確認されることはめっきり減ったらしいからな。

 その話、興味があったら聞いてみないか?

 


 むかしむかし。とある山のふもとに住む男は、鴨が好物だった。

 家の裏手にある山の中腹には、きれいな泉が湧いていて、水鳥がしばしばそこへ舞い降りてくる。わずかな時間で行き来ができるその場所は、男にとって格好の狩り場でもあった。

 冬に差し掛かり、ぼちぼち鴨たちの肉にも脂肪がついてくる。男は家の周囲に転がる石たちを拾い集めて巾着の中へ。それを懐へねじ込んで、そっと泉へ向かったんだ。

 男は石つぶての名手だった。一羽あてて、他の飛び立つ連中も、射程から外れるまでに二羽は落とせる自信があった。


 男は姿勢を低くし、小さく凹凸のついた山道を歩く。

 速く動きたいのはやまやまだが、枝や木の葉が思わぬ箇所に横たわっていることが多く、思わぬ音を立ててしまうことが多い。それらをうまく避けながら進むには、どうしても限度があった。

 ふと、自分のうなじにポタリとしずくが落ちるのを感じ、男は足を止める。

 見上げる空は、昼下がりの青色。雲の姿はちらほらと見えるも、雨を降らせるほどとは思えない。


 また、ピチョン。今度はつむじで跳ねた。

 見ると、自分の頭と空の間をまたぐ枝が一本。その体へ膜のように水が張り、垂れ落ちているせいだったんだ。

 昨日も天気は悪くなかった。おおかた、夜露が残っているんだろうと、男はこのとき、さほど気にせず、泉へ向かいなおす。


 男が泉に潜む地点は、決まってガマの穂が密集して生えている、ほとりだった。

 腹ばいになり、草のすき間からかろうじて水面をうかがうことができるよう、調整をしていく。すでに両手には3個ずつ石を握り、いつでも投げつけられる準備を整えていた。

 慣れないものなら、一石投げるうちに、手に握りこんだ残りまでこぼしてしまうだろう。だが、男には自信があった。この合計6つの石。それぞれをあやまたず、鴨たちの身へめり込ませてみせると。

 すでに草の先に、鴨たちの姿がある。8羽いたところに、また1羽が着水して合わせて9羽。うまいこと、密集していると来ている。

 やれる。

 男がぐっと、握った両こぶしを後ろへ反ったところで。



 ざぶん、と9羽の鴨すべてが、一斉に泉の中へしずんでしまったんだ。

 

 ――におの真似っことは、おもしれえことをやる。だが、それで隠れたつもりなら、まだまだ甘いぞ。


 鳰は現在のカイツブリにあたる。ほとんど陸にあがることない水鳥として、当時から知られた存在だった。

 しかし、魚と違っていつまでも息を止められるものでもない。生半可に距離をとったとしても、自分が投げる石はかなり飛ぶ。

 作戦は変えないまま、草の間から男は、いつ水面に気配がのぞくかと、見張り続けていた。



 じゃばん。

 どこかで音が立つ。同時に天へ向かって伸びていたはずのガマの穂たちが、一斉におじぎを始めた。

 みるみる頭を下げていく彼らに、そこへ連なる細い茎も後を追う。ぐいぐいと背丈を縮めていくそれを見て、男は気づいた。

 水面から離れ、乾いていたはずの穂や茎の部分が、しとどに濡れてしまっていることに。

 そうこうしている間に、ガマたちは文字通りに腰を折られていく。一本、また一本と、重みに耐えかねた茎から切り離され、ガマの穂たちは水面へ浮かんだ。

 それもつかの間のこと。あの鴨たちと同じように、我先にと水の底へと沈んでいく。



 あっけにとられる男だったが、その顔がたちまちすぐ下の湿った泥の中へ叩きこまれた。

 次々に降り落ちるしずくが、頭をあげるのを許さないほど、激しく注がれる。

 身体も同じだ。首から足元へかけ、それこそ自分が投げるつぶてのような、雨に叩かれるまともに動けないまま、たちまち男は横たわった地面の中へ、自らが沈んでいくのを見る。

 体中が重い。服を着たまま水の中へ叩きこまれたときのようで、しかも浮力の助けは得られないと来ていた。

 

 元から突っ伏していただけに、真っ先に埋まったのはあご。そして口。

 すぐに鼻だけで息をするも、それは湿った泥もまた、空気を一緒に吸い込むこと。ぶはっと逆噴射したときには、もう鼻腔さえ完全に土の下へ沈んでいた。

 もう呼吸は期待できない。息を止め、目を閉じて頭を持ち上げようとする。

 じわり、じわりと顔が上がるような気もするが、それを上からの絶え間ない圧が押さえつけてきた。

 全身全霊をかけて、維持がやっと。抗うのをやめれば、残った目も頭もたちまち沈んでしまうことだろう。

 まずいことに、腰より下は明らかに頭よりも低い場所へ追い込まれている感触。刻一刻と増す重さと湿り気。おそらくはもう土の中へ埋もれているんだ。


 ――あがれ……あがれ……!


 残った腕をぐっと踏ん張って……沈んだ。

 力を入れた分、勢いよく沈んだ腕は、ひじのあたりまですっかり隠れ、男は大きく目を見開く。

 もう踏ん張りがきかせられる部位はない。せめて頭だけは……!



 びりびりびり。


 ひたすらのけぞろうとし続けた男の後ろで、不意に生地を裂かれる音がした。

 とたん、背中から足にかけてが一気に楽になる。ぱっと、しゃちほこのように足を蹴上げてみると、先ほどまでの重さは何もない。

 がっと、自分の頭がつかまれると、そのままぶちぶちという音と一緒に、ひとつまみ髪をちぎり取られた。すると、頭からもまた重さが消え去り、立ち上がることができた。


 信じられないと、立ち上がった男の背後にいたのは、同じ村に住む年寄りの猟師のひとりだった。

 手にした山刀をしまい、ほうっと息をついた猟師はみのの笠と羽織を身に着けていた。


「山の中は、たとえ晴れていようが、雨具はつけといた方がいいぞ。『沈雨ちんう』に襲われることがあるからな」


 沈雨。それはごくごく局所的に降る雨なのだという。

 一粒一粒は、視認さえ難しい小さなもの。しかし重さは鉄以上ともいわれるうえ、天から落ちてくるのに、ぶつかった痛みはほとんどない、厄介な雨だった。

 これに襲われて、まともに身体で受けると、たちまち土の中へ沈められてしまう。山である神隠しの一部は、この沈雨によるものでもあると。


 だが、こいつらは最初に触れたものより、先へしみ込もうとする力はない。いや、力というより、意思に近いものを感じると、老狩人は語る。

 ゆえに、最初に雨が降れる服や髪などを取り去ることで、急激に負荷が弱まり、こうして脱することも可能となるのだとか。

 老狩人が雨具を身に着けているのは、沈雨に備えてのこと。


「お前が狙っていた鴨も、いまや水の中を越え、泉の底の土。その深くへ埋まっているだろう。今回はあきらめることだ」


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