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7.決闘

 決闘は、謁見から一刻(いっとき)も立たぬ内に行われる事になった。


 境内は畳にして六十畳程度はあろうかという広さで、信長と家臣団は寺の広間に座して高みの見物を決め込んでいた。

 一方で、ヴァリニャーノ先生やマンショたちは、私と同じ境内の地面に敷かれたゴザに座ることになった。


 明智光秀と思わしき例の人物が、信長に近づき何かを話す。

 信長がコクリと頷くのを確認すると、彼は目線で地面にいる別の家臣へと指示を送った。


「それでは……始めてください」


 家臣の静かな合図により、勝負は開始された。


 私は信長から借り受けた刀を抜いて、正眼(せいがん)の構えを取る。

 一方の蘭丸は刀身を(さや)に収めたまま、こちらに対峙した。


(抜刀術……?)


 抜刀術、別名居合術(いあいじゅつ)は、刀を鞘から高速で払い、相手を一撃で仕留める剣術だ。

 私も剣術の修行中に、抜刀術について一応はその特性や操法(そうほう)を学びはしたものの、習得には至っていない技法の一つである。


(やっぱ、かなりの使い手のようね……)


 微動だにせぬその様子から、蘭丸の体幹が強靭で高い体能力を持つことが伺えるし、何より、構えに一分の隙も見えなかった。


「どこからでもどうぞ……」


(大した自信ねぇ……でも、迂闊(うかつ)に近づけば、剣の餌食になる事は目に見えてるわ……)


 抜刀術が恐ろしいのは、剣の速度もさることながら、相手の剣が鞘に収められていることで、こちらとしてもどこまで踏み込んでよいのか間合が分からないことにあった。

 その距離感を間違えれば、一瞬で薙ぎ払われてしまうだろう。


「となれば……ヤァッ!!」


 私は蘭丸のななめ手前付近、やや遠目の箇所を目がけて飛び出し、距離を縮めた。

 蘭丸の親指が刀の(つば)をグッと押し込み、抜刀の準備体制が取られる。


(今だ!)


土蛇(つちへび)!」


 私の刀が地面の砂利や小石を掻き上げると、石つぶてとなって蘭丸に襲いかかった。


「なっ!?」


 凄まじい速さで迫り来る石つぶてを防ぐため、蘭丸は両腕で防御体制を取る。

 ドドドッ! と鈍い音を立て、いくつもの石が蘭丸の手の甲や肘にめり込んだ。

 抜刀術の構えが乱れ、蘭丸の顔に苦痛の表情が浮かんだのが見える。


(いけるっ……!)


 一気に間合を詰めるべく、蘭丸の懐を目がけて先程とは逆の角度に飛ぶ。


 その刹那、蘭丸の目がカッ! と見開いた。

 蘭丸の鞘からチンッ!という音を立てて斬り払われた剣は、時が一瞬飛んだかの如く、突如として私の眼前すれすれに出現する。


「くうっ!!」


 まさに紙一重である。

 蘭丸の切先は、私の鼻先をほんの半紙一枚分の間をかすめていった。


「あ、あぶなーっ!」


 私の鼻があと少し高かったら、二度と見られない顔になっているところであった。


(でも、これで何とか……!)


 蘭丸は静かに刀を鞘に戻し、少し思案した後で口を開いた。


「ミゲル様……でしたか。先程のあなたの攻撃、初めから私を斬るおつもりはなかったとお見受けましたが……」

「あらっ!? えへへへ……一瞬で、バレましたねぇ……」


 さすが、信長の最側近(さいそっきん)の剣士なだけの事はある。


 蘭丸の言う通り、土蛇から続く一連の動きは、蘭丸に刀を抜かせて間合を見極めるために行ったものであった。

 蘭丸ほどの抜刀術の使い手であれば、完全な状態から繰り出されるその一撃は確実に相手を捉える。


 こちらが相手の間合を分かっていない以上、どんなにそれを避けようと構えていても無駄なのだ。

 斬れると蘭丸が判断して刀を抜いたからには、必ず斬られる。


 しかし……


 石つぶてが腕に食い込み、崩れた体勢から繰り出される抜刀であれば話は変わってくる。

 相手方の不十分な抜刀に加え、間合を詰めつつも刀の回避に全神経を注いだこちらの姿勢……

 一か八かの賭けであったが、蘭丸の刀から(から)くも逃れることができた。


「申し訳ないですけど、蘭丸さまの刀の間合……しっかりと把握させてもらいましたよっ!!」


 啖呵を切った通り、たった一度の斬撃であったが、どこまでその切先が飛んでくるのかが分かった。

 次は鯉口(こいくち)が切られた瞬間に、こちらもその射程範囲が予想できる。

 私の方は瞬時に蘭丸の刀が届かない角度に(たい)をかわし、刀が鞘から弾かれたのを見るや、今度は一気に相手の懐に踏み込むことで一撃を喰らわせることができるだろう。


「なる程……さすがは遠く南蛮まで鬼退治に行こうとされるだけのことはありますね。お見それいたしました」

「おぉ!? じゃ、じゃあ、これで私たちの実力が分かってくれたってことでしょ? もう勝負はいいでしょ!?」


 私は蘭丸に向かって言葉を発したが、実際には、信長の耳に届くことを狙っていた。

 横目でチラリと信長を見るが、その顔は、勝負開始時の人を()()けるそれから少しも変わっていない。


「ふふっ……残念ながら、殿はまだ納得されていない御様子のようで……」


 その顔に微笑を浮かべながら、蘭丸が言った。


(くっ……やっぱ、やるしかないの……?)


 私は再び力を込めて刀を握り、構えを取った。


「今度は……こちらから参りますよっ!!」

「いぃっ!?」


 抜刀術の姿勢を取ったまま、蘭丸が一気にこちら側に飛び込んできた。


(まずっ!)


 慌てて後方へと退き、蘭丸とギリギリの距離を取った。


(これなら刀は届かないはず……)


 しかし、その考えとは裏腹に、蘭丸の刀が電光石火の如く振り払われた。


(まさかっ!?)


 下段から疾風のような速さで切り上げられた蘭丸の切先は、私の左の首筋を捉えた。

 境内に鮮血が飛び散る。


「ミゲルーーーー!!」


 マンショたちの叫ぶ声が境内にこだまする。


「ぐあっっ、ぐ、ぐぐぐぐ……」


 何とか右手に刀を構えたまま、左手で血だらけの首筋を押さえた。


(や、やられた……というか……い、痛いぃぃぃぃぃ!!)


「こ、これが斬られるってことなの……ね……」


 当然ながら、今まで斬られた経験は一度もなかった。

 こうして斬撃を我が身に受けてみると、これまで想像していたものとは全く次元が異なる激痛が体を駆け巡っていた。


 それともう一つ、考えていたのとは違っていたことがある。


 さっき、二度目の抜刀時に見た蘭丸の親指の動き……

 そのわずかな所作から、半ば無意識の内に体が()()を取ったおかげで、間一髪のところで頸動脈への一撃を免れることができた。


(でも、おかしい……)


 たとえ蘭丸の強襲が予想外であったとしても、私も瞬時に反応してきちんと間合を取っていた。

 あの距離であれば、一度目の振りから推測した刀の範囲外に逃れていたはずであった。


「気をつけてください! 腕がっ……蘭丸の腕が、伸びてましたよっ!」


 私の背中越しに、マルチノの叫ぶ声が聞こえた。


(腕が……伸びた……?)


「ミゲ姉っ! たぶん、奴は肩の関節を外すか何かしています! でなければ急に腕が伸びたり……あんな鞭みたいな動き、するわけがありません!」


 マルチノの悲痛な声が私の背中に突き刺さった。

 蘭丸はマルチノの方に一瞥(いちべつ)をくれた後、その顔に微笑をたたえながら口を開いた。


「あなたといい、お仲間といい、一度私の動きを見ただけで剣技を見抜かれるとは……皆さん、本当に素晴らしい才覚をお持ちでいらっしゃいますね。そちらのお嬢さんのおっしゃる通り、先程は右肩の関節を外して居合を行いました。通常の私の間合がバレてしまったのでね……」


(な、なんてこと……)


 つまりこうだ。


 蘭丸は肩の関節を外して自らの右腕の可動範囲を広げ、刀をより遠くに放つようにしたのだった。

 しかも、今になって思い返してみると、刀が飛んでくる速度も上がっていたような気がする。

 関節を外すことで右腕の動きが柔軟になり、マルチノが言うように、鞭のようなしなりをつけて、より早い抜刀を実現しているのであろう。


「ちなみに、私は肩だけでなく、肘や手の付け根、指の関節も外すことが出来るんですよ……こんな風にっ!!」


 そう言い放ったかと思うと、蘭丸が再び前方に飛び出し、私の方へ真一文字に切り込んでくる。


「くっ……!」


 こちらも再び後方へと退く。

 奴の間合に入ったらお終いであり、ここは逃げるしかない。


「遅いっ!」


 蘭丸が抜刀したかと思うと、限界まで引き絞られた弓の(つる)が解き放たれたかのように、刀が高速で繰り出された。


「ああぁぁーーーーっ!!!」


 異様に伸びた蘭丸の腕が握る刀は、今度は私の太腿を切り裂いた。


「次!」


 脚を庇う間も無く、三たび、蛇のようにしなる鞭と化した蘭丸の刀が()ぜた。

 ザシュッ! という音とともに、私の脇腹が切り開かれる。


 もはや呻き声も出すことが出来なかった。

 切り刻まれた私の体から、血がドクドクと流れ出している。


「あなたは、ここまでよく耐えてこられました……」


 刀身を鞘に戻しながら、蘭丸が呟いた。


「我が織田軍の中にも、あなた程の使い手はそう簡単に見つけることは出来ないでしょう。本当に惜しゅうございます……」


 蘭丸は一瞬目を閉じたが、何かを心に決めた様子で、すぐに目を開いた。


「しかし、勝負は勝負にございます。これも戦国の世の習わしゆえ、ご容赦(つかまつ)りたい……!」


 蘭丸は刀の柄に手をかけ、再度腰をかがめて抜刀術の構えを取った。


(ああっ……や、やられるのね……)


 私の頭には『死』の一文字だけが浮かび上がっていた。

 次に蘭丸が踏み込んで来たら、その時が私の最期になる。


 まだ、自分が辿り着きたかった剣の道を全然極められていない。


(こんなことなら、もっともっと剣術の腕を磨いておけば良かったなぁ……)


 セミナリオに入る前、父の領内にある道場で剣術を習っていた時のことが思い出された。

 刀の握り方から始まって、剣の打ち込み方や足捌(あしさば)き、呼吸法……

 技術が上がるにつれて、そのうち砂陣(さじん)や土蛇などの闘い方も教わるようになってきた。


(これが、走馬燈ってやつかしら……? そう言えば、抜刀術も練習の中で習ったことがあったっけ……近接されると、下手な飛び道具なんかよりも余程危険だから、ちゃんと勉強しておけって……あの時、確か他にも、何か、教わっ、た気が、する、け、ど……)






「ミゲル! しっかりしてっ!」


 マンショの声で、ハッと我に帰った。

 ほんの一瞬だと思うが、気を失って足から崩れ落ちていたようだ。

 気づいた時には、左手で地面を押さえ、体を支えていた。


「オダサマ、もう勝負はツキマシタ! コレ以上、ミゲルは闘えまセン! 終わりにしてクダサイ!」


 ヴァリニャーノ先生が信長に向かって懇願するように叫んだ。

 しかし、信長はじっと私と蘭丸の2人を見据えたまま、それに応えることはなかった。


「ミゲル様……御覚悟召(おかくごめ)されよ……!」


 蘭丸がさらに腰を屈め、こちらへと跳躍する姿勢を取った。

 私は、(てのひら)についた砂利を見つめて、グッと強く握り締める。


(賭けるしかない……)


 私は愛おしげに自分の刀をひと()でした後、意を決して鞘に納め、蘭丸と同じように抜刀術の構えを取った。


「ん……!?」


 蘭丸をはじめ、誰もが私の行動に驚きを示した。


「ミゲル様……それは、どういうお考えですか?」

「わ、私も、むかぁーし、抜刀術習ってたのよねぇ……どうせ死ぬなら、最期に、や、やってみようか、なって……」

「……」


 蘭丸は沈黙した。

 探るような目でこちらを(うかが)っている。


(ま、まずかったかしら……昔習ってたとか余計なこと言わないで、気が触れたフリでもしてた方が、変に疑われなかったかも……でも、もうこっちだってそこまで頭が回らないわ……早く、罠に掛かれっ!!)


「この期に及んで、あなたほどの方が付け焼き刃で挑んでくるとは到底思えません……」

「くっ……!」


(最期の賭けも、通じない……?)


「しかし……」


 蘭丸はそこで言葉を止め、意を決したように目を見開いて続けた。


「その一方で、あなたが何を仕掛けてくるのか、私は大変興味があります。儚い乙女が、どうやって最期の華を散らしてくるのか……この博打、乗らせて頂きます!!」


 蘭丸はこれまでで最も深く腰を屈め、体を引き絞った。


 来た……

 こちらに一計があるのも承知しながら、それでも敢えて勝負の場に乗ったのだ。


(やっぱり、蘭丸は私と同じね……)


 強者と闘えると思えるのなら、違うと分かっている道でも好奇心を抑えられない側の人間だ。

 私も蘭丸同様、一撃必殺の体勢を取った。


「分かりませんね……仮にあなたが私と同じ速度で刀を抜けたとしても、射程距離が圧倒的に長い私の方が有利なはずです」

「ふふふ……ま、まだ迷ってるの? 女の誘いに乗らないなんて、野暮の極みよん」


 蘭丸が、わずかではあったが、口元に笑みを浮かべた。


 その刹那。

 蘭丸と私は、ほぼ同時に真正面へと跳躍した。


 勝負は、一瞬であった。


 蘭丸の射程範囲に入る直前、私は刀を鞘の中に強く押し付けて、強引に引き抜いた。


焔星(ほむらぼし)!」


 先ほど刀を撫でた際になすり付けていた無数の砂利が、鞘の中で刀と擦れ合い、強力な摩擦力によって火花を散らした。

 それらは小さな燃え盛る彗星群の如くとなって、蘭丸に襲いかかっていく。


(できたっ……!)


 以前、当時の剣の師匠が一度だけお手本として見せてくれた剣技。

 師匠のそれとは雲泥の差であるが、バチバチッ! と(ほむら)を放つことが出来たのだ。


「チンッ!」


 こちらの攻撃とほぼ同時に蘭丸の刀が鞘から払われ、伸びた右腕が私の胴を割らんとして向かってくる。

 しかし、その手の甲に焔星が当たると、刀の軌道に僅かな乱れが生じた。

 その一瞬の隙を、私は見逃さなかった。


 蘭丸の刀を薄絹一枚の差でかわすと、そのまま蘭丸の懐に飛び込んでいく。


(決まった……!)


 焔星を放って抜き身となった私の刀が、その勢いをかって、蘭丸の首を薙ぎ払わんとした。


 だが、その時だった。

 蘭丸の左手が、着物の懐から鶴丸紋の入った短刀を取り出し、懐深くに入り込んだ私の喉元目がけて突き上げられた。


「止めっ!!」


 信長の怒号が境内に飛んだ。


 私の刀と蘭丸の短刀のそれぞれが、相手の急所を確実にその切先に捉えながら、ピタリと止まる。

 私たち2人は、武芸書に描かれた刀を打ち合う二体の人物絵のように、しばらくの間その場に張り付いて動かなかった。


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