5.舌戦
一定の緊張感がありつつも、和やかな雰囲気が漂っていた先程から一転。
にわかに、信長方、こちら方のどちらにも、ピリリとした空気が流れた。
「ハイ、オダサマ。お聞き及びかとは思イマスガ、ワタシたちの信徒である日本人の少女4人をローマに派遣させてイタダキ、鬼の退治をしたいと考えてイマス」
「なぜお前たち南蛮人ども自身の手で鬼を滅しないのだ」
「日本から来た鬼ハ、日本固有の武器である日本刀でしか倒せないノデス」
「刀などいくらでもくれてやる。貴様らで退治せよ」
「ワタシたちも、芸術品として輸入した日本刀ヲ我ガ国の戦士に装備させマシタ。デモ、やはり、ソウ……日本でイウ、『勝手がチガウ』というやつデス。ある程度はシノゲても、トドメをさすことはできまセン」
信長は少し思案し、再び口を開いた。
「ならば、儂の家来の中から剣の手練れを数名貸してやる。わざわざ未熟な子供を連れて行き、おめおめと負けてみよ。くたばるのは勝手だが、日本はその程度の国かと異国に侮られるわけにはいかぬ」
「オダサマ……ただ強いだけの武士でいいわけではゴザイマセン。西洋に渡った鬼たちの一部は、デーモン、日本の言葉で言う『悪魔』と混じり合ってその力を身にまとってイマス。この悪魔と鬼の両方の力を宿した怪物を討ち取るには、日本刀の使い手であると同時ニ、キリストへの信仰心も必要にナリマス」
ヴァリニヤーノ先生の言わんとする事はこうだ。
当然私もまだ見た事はないが、西方に渡った鬼の何匹かは、簡単に言えば西洋と日本の悪いところを併せ持った異形の化け物に変化したらしい。
それに対抗するためには、こちらもキリストの愛を理解した剣士でなくてはならないというのがイエズス会の見解であった。
「九州には、いくらでもキリシタン大名やら武士がおるであろう」
「キリストの教える愛は、トテモ深淵なものなのデス。セミナリオは、将来キリスト教の伝道者になれる人物の育成を一番の目的とシテイマス。若く、まだ純粋なウチからの教育を通じて、初めて真の理解を得ることがデキ、デーモンの力にも対抗デキマス。ソレにここにいる者たちは、元は武家の出身でアリ、剣の腕でも大人に引けを取りまセン」
信長は目を閉じ、一瞬の間を置いた後に改めて目を大きく見開いて問うた。
「なぜ女子か」
(まあ、当然の疑問よね……)
この場にいる信長方の家来たちも、異国のヴァリニャーノ先生よりも、私たち四人に対して奇異な者を見るような目線を送っていた。
なぜここに女子がいるのか、と。
再び信長が口を開いたが、その声には、これまでにない怒気が含まれていた。
「昨今、多くの日本人が南蛮船に連れ去られ、マカオや遠くインドの地で奴隷として売られておるが、それには宣教師が関わっている場合もあると聞く。おおかた今回も討伐だの使節だのと余を騙し、その者らを異国に売り飛ばして慰め者にしようという魂胆であろう! 答えろ、ヴァリニャーノ!!」
烈火のごとく顔を紅潮させた信長は、横に控えた先程の美少年が持つ刀を奪うように掴み取ると、その切先をヴァリニャーノ先生の顔面に突きつけた。
(まずっ……!!)
先生を守るべく、瞬発的に体が動こうとしたその刹那。
着物の裾がギュッと掴まれ、咄嗟のところで動作が制された。
隣に座しているマンショであった。
その手は強く私の着物を握りしめ、その目は私に『落ち着け』と訴えかけている。
よく見るとマンショのもう一方の手は、反対側のジュリアンも抑えこんでいた。
ジュリアンは、表情こそ例によって感情を読み取れなかったが、その目は信長を氷の炎で凍てつくさんばかりであった。
広間に、異様な静寂が流れた。
その沈黙を破る形で、ヴァリニャーノ先生が静かに口を開く。
「確かに、一部の宣教師が日本人をドレイとして取引していると、ワタシも聞いてイマス……」
一呼吸置いて、先生は続けた。
「シカシ、我々はそんな事はいたしませんし、彼女たちが選ばれた理由は他にアリマス」
「申してみよ……」
刀を突きつけたまま、信長が先を促した。
「ローマ教皇は、コノ派遣をただの外国からの援軍や表敬訪問に終わらせるつもりはアリマセン。聖書には、キリストがこの世にお産まれになった際、東の国から三人の賢者が訪れたという記載がアリマス。マタ、フランスというカトリックの国には、かつてジャンヌ・ダルクと呼ばれた無敵の少女剣士が国を救いマシタ。今では聖女と崇められてイマス。教皇は、今回の彼女たちの派遣を、コノ三賢者とジャンヌ・ダルクの再来に模して、大々的にキリスト教の威信を高めるおつもりナノデス」
一瞬の沈黙の後、信長は刀を鞘に収めて座り込み、再び目を閉じて黙り込んだ。
凍りついていたこの場の空気にも、一時の弛緩が生じる。
しかし、私の緊張はまだ一向に取れることがない。
(信長は、この話をどう捉えるかしら……?)
私は初めてその理由を聞いた時、ローマの考えに違和感を覚えた。
本当に討伐隊だけが必要であれば、使節などという形を取らずに目立たぬ形で入国させる方が、道中の危険は遥かに少なくなるはずである。
それを、キリスト教の威信を高める目的のために利用しようとするところに無理があると感じられたのだった。
再び信長が目を開いた時、その目には何かを心に決めた光が宿っていた。
「お主の言い分、あい分かった」
(通った……)
教皇側の理屈を、信長が呑んだのだ。
東と西の双方で頂点に立つ者同士、物事を進めるには色々な計算がある事を理解しての了解だろうか。
それとも、使節団の派遣が日本の威信をも高める事を見越しての承諾なのか。
天下人の考えなど知る由もないが、いずれにしろ、私たちの命など一瞥もくれていないのは確かであった。
「アリガトウございます、オダサマ。それデハ……」
「まだ派遣を許すと言ったわけでは……ない」
(んんっ? また雲行きが怪しくなってきたわね……)
「先程も申した通り、もしその者たちが西方に逃げた鬼に負けたとあれば、我が国の威光に大いに傷が付くことになる。お主は手練れとのたまったが、儂は自分の目で確かめぬ内は信用せん。そこでじゃ……蘭丸!」
「はっ」
蘭丸と呼ばれたあの美少年小姓が、信長に応じた。
「お主、あの者たちの誰か一人と決闘を試みよ」
「承知いたしました」
「ヴァリニャーノ……もしお主の自慢の姫たちがこの蘭丸に勝てば、派遣を許そう。しかし、負けたその暁には、その者たちには全員詰腹を切らせる! 貴様の方は、余を謀った罪で即刻この日本から追放とするゆえ覚悟せよ!」
私たちは皆、目を見張ることしか出来なかった。