30.ジュリアンの日記 ⑨・母親
(ジュリアンの日記 ⚪︎月◎日 続き)
私は剣を上段に構えて、2体と対峙した。
このフィエルボアの剣があれば戦える……
私にはこの時、新手の2体であっても倒せる自信があった。
しかし……
「やめろ、お前たちっ! そいつは、お前らでかなう相手じゃない! さっさと逃げるんだっ!!」
それは鬼子母神が、自らの子どもである十二羅刹女に放った声であった。
私はその時まで、鬼という生き物は自分勝手で、たとえ我が子であろうとも平気で死地に追いやれる存在であると思っていた。
だが、先ほど鬼子母神が発した一言は、明らかに我が子を思う親が発するそれであると感じられた。
「ジュリアン! その2体は私がっ!!」
十二羅刹女との乱戦から抜け出したミゲルが、私のもとに飛び降りてきて言った。
「待ってミゲル!」
その時だった。
「うおおおおおおおォォォォォーーーーッ!!!!!」
鬼子母神が、残る全体力をかけて、右腕だけで私に特攻を仕掛けて来たのだ。
私は、剣の十字鍔の部分で鬼子母神の爪を受けとめると、そのまま右腕ごとグルンと回転させて彼女を地面へと叩き伏せた。
すかさず、私は剣の切先を鬼子母神の喉首に突きつけた。
「よっしゃ! 行け、ジュリアン!!」
ミゲルの言葉に、鬼子母神は諦めたように目を閉じた。
だが……私は剣を動かさなかった。
「んんっ!? ジュ、ジュリアン、どうしたの?」
「もう……もう勝負はついたわ! これ以上争うのは無意味よ!!」
この言葉に、鬼子母神、そして近くにいたミゲルも驚愕の表情を見せた。
「何をバカなことを……!!」
「そ、そうよ、ジュリアン! こいつは鬼なのよ。退治しなきゃ、また悪さするに決まってるわ!」
「確かにほとんどの鬼はそうかも知れないわ……でも、鬼子母神はさっき自らを犠牲にしてまで、自分の子どもたちを殺させまいとした。人間の子どもを食べたのは、どんなに償っても償いきれない罪だけど、ここで彼女を斬ればまた一つ家族が失われるだけじゃないかなって……」
知らず知らずの内に、私の目からは滝のように涙が溢れ出していた。
これまで、あまりにも目の前でたくさんの悲劇が繰り返されていた。
もはや何が正しい事なのか、私には判断を付けることが出来なくなっていた。
ただ、これ以上新たな悲しみを生み出すことだけは避けたかったのだ。
「ちょちょ……ちょっとぉ……えーーっと、鬼子母神、だっけ? あんたはどうするのよ!? これからも酒呑童子の言うことを聞いたりだとか、また子どもを食べたりするって言うなら、ジュリアンが何と言おうと私はあんたを斬るわよっ!!」
私の思いを汲んでくれたミゲルが、この場を引き取って言った。
しばらくの間鬼子母神は口を閉ざしていたが、スゥと息を吸うと、大きく口を開いて叫んだ。
「戦いは終わりだ……お前たち! 引き上げるぞっ!!」
その言葉を受けて、十二羅刹女たちは動きを止めた。
「えっ、えっ、えっ!? な、なにっ? 一体、何が起きたんですかぁ!?」
羅刹女との激しい戦いを繰り広げていて、こちらの状況を全く知らなかったマルチノが慌てて言った。
「我々はゴアを立ち去る。もうお前たちに、二度と会う事もあるまい……」
「さっきの事で、子を失う人の親の気持ちが分かったはずよ……もう二度と、子どもを喰らうなんて真似はやめると約束して」
「そ、それと、酒呑童子の言うことにも耳を貸さないこと! あ、そうだ! あと、誰かに化けて人を騙すのも駄目よ!!」
鬼子母神は目を伏せたまま何も答えなかった。
それでも私は、もう二度と鬼子母神が悪さをしたり、酒呑童子の命令には従わないのだろうと、心のどこかで確信していた。
鬼子母神は、2体の羅刹女に支えられて去ろうとしていた。
「待って! これ……」
私は、持っていたフィエルボアの剣を返そうとした。
「その剣は、お前にくれてやる……私が砕いた刀の代わりだ」
「でも……」
「それはな、正真正銘、お前の大好きなジャンヌとかいう西洋の娘が使っていた剣だ。私が以前襲った盗賊が持っていた財宝の中に転がってたものだ。そいつらも、どこかから盗んで来たんだろう。今回お前を騙すのに引っ張り出してきたが、私にはもう必要のないものさ……」
そう言うと、鬼子母神と十二羅刹女は静かに私たちから離れていき、フッと、その姿を消してしまった。
◆
鬼子母神たちとの激闘の後、一通り自分やマンショたちの傷の手当てを終えた私は、これまでの経緯をドミニコ教会長にお話し、深く陳謝した。
「本当に、本当に申し訳ございませんでした……!」
「もうよい。全てはあのハーリティ、お前たちの国でいう鬼子母神とやらのせいだったのだ。あんな悪魔……いや、鬼がこのゴアの街を徘徊していた事に気づけなかった儂にも罪がある」
教会長は私が気に病まないよう、優しくそう言ってくれた。
今になって思えば、教会長が常に厳しい態度で接していた事も、全て当然のことのように理解できた。
マスカレーニャス副王が手助けを求めた際に、何かあれば自分の責任になると言ったのも、教会長という重い責任を背負っている者の言葉としては至極当然である。
私たちが事件を調べているのを嫌ったのも、そもそも教皇をお助けするという使命を抱えているのだから、そっちに専念すべきと言われても何も文句は言えない。
孤児院での叱責も、捨て子や孤児といった心に深い傷を負った子どもたちを扱うのは、慎重の上にも慎重を期するものだ。
そんな所に、土足で乗り込んだ私は怒られて当然である。
ただ私には、それでもまだ分からない事があった。
「……教会長。色々と疑ってしまった事は、本当に申し訳ないと思うのですが、私にはまだ引っかかっている事があるのです。あの両替商の家、遠いご親戚とか言われた家の子どもが攫われた時、教会長はひどく犯人の事を気にされているように思いました。私はあの一件で教会長を疑うようになってしまったのですが、あの時、何か気にかかる事でもあったのですか?」
教会長は目をぱちくりさせて、一瞬私が何を言っているのか分からない風であったが、アッ! と小声で叫ぶと、納得顔で言った。
「あぁ、あの家のせがれの事か。いやなに、実はあそこの両親は子どもにとても厳しくてな。時に手をあげたり、行き過ぎたしつけを行う事がしばしばあったのだ。それで親戚の儂のところにせがれが泣きついてきて、しばらく匿ってやっているのだ。両親にも、少し反省の期間を与えんといかんのでな」
「なるほど……だからあんなに気にしてたんですね。んじゃ、私も聞いていいですか? 犯行現場に必ずあった食べかけのザクロ。教会長のお庭にも植えられていましたが、何でいつもザクロが落ちていたんですかね?」
マルチノが興味津々で聞いた。
「あのザクロか……今回の犯人がハーリティであったというのなら、さもありなんという感じだな。ザクロは、一説には人肉の味がすると言われておってな。もちろん儂は人の肉など食べたことは無いから本当のところは分からんが……いずれにしろ、人を喰らうハーリティがよくザクロを食しているというのは、このインドでは有名な話じゃ」
「あぁ、私も日本の絵巻物で見たことがあります! 右手にザクロ、左手に赤子を抱いている女鬼神の絵……あれって、鬼子母神さんが日本で暴れていた時に描かれたものだったんですねぇ」
話がつながったマルチノは、やや興奮気味にそう語った。
「なるほど……色んな誤解が重なった所を、ジャンヌ・ダルクに化けた鬼子母神にしてやられたってわけね。でもまあ、一応事件は解決したんだし、船ももうすぐ出せそうなんでしょ? 終わりよければすべてよし、ってね。気を取り直して、一路ローマに出発しましょう!!」
ミゲルが陽気にそう言ったが、この時私は、ドミニコ教会長とヴァリニャーノ先生が顔を見合わせたのに気づいた。
「先生、どうかしたのですか……?」
「ジュリアン、皆サン……大変言いにくいのデスガ、私は、一緒にローマに行くコトが出来なくなってしまいマシタ」
「ええぇーーーーっ!?」
ミゲルとマルチノが同時に声を上げた。
マンショは言葉こそ発しなかったが、その顔は蒼白になっていた。
「実はな、ローマから儂を通じて先ほど手紙が来たのだ。ヴァリニャーノは、このインドの管区長を命じられたのじゃ」
その言葉を聞いて、私たち4人はみな気が動転してしまった。
「そ、その人事には納得がいきません! 先生は、鈴鹿……日本の鬼の事情によく通じていたからこそ、この討伐隊の責任者を命じられたのではなかったのですか!? それが今になってインドの管区長だなんて……酒呑童子の退治はどうなるんですかっ!!」
マンショは、猛然とドミニコ教会長に喰ってかかった。
「ローマの本心は儂にも分からん……だが、お前たち一行の話はローマでもかなりの評判となっておる。表向きは、極東の地から表敬のために派遣された使節団という扱いになっているからな。聖書にある、東方から来たりし三賢人の再来という大事業を実現させれば、イエズス会の中でのヴァリニャーノの出世は間違いない」
「つまり、先生に手柄を立てさせたくない誰かが、意図的に先生を左遷させたと……?」
「全ては推測でしかない。政治というのは、複雑なものなのだ……」
◆
今、私は寝室でこの日記を書いている。
今回のことは全て私の未熟さが招いたものだと、改めて日記を読み返しながら反省している。
これからはいっそう神への信仰を深め、邪悪な心を持った者などにつけ入れられないよう、心がけたいと思う。
それと……先生の後任は、ゴアにいたロドリゲス神父が引き継ぐことになった。
メスキータ先生と2人でこの使節団を率いていくということだ。
私たち一行は今後どうなっていくのだろうか?
これからの旅の無事を、神様、そしてジャンヌ様に祈りつつ、この日記を閉じることとしよう……
今回で、第5部 ゴア編は終了です。
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