1-2 さよならファンタジー
「その女から早く離れなさい。さもないと……」
メイドの持つナイフがピクリと動く。男が離れないとそのナイフが放たれるのは容易に想像がつく。氷のように冷たい目をしながら呆れていた。
「待て待て、すぐに離れるから投げないでくれ」
男は私を解放してメイドから離れるように後ずさっていく。私はというと肘を入れられた時の痛みで力が上手く入らず地面に倒れてしまった。
「明らかに暴行の後ね、本当ならば警備隊にでも突き出すつもりだけど運がいいわね。急いでいるからさっさと去りなさい」
「わかった。すぐ去る」
男は背を向けて一目散に逃げていく。樽とか木箱にぶつかり転びそうにもなるがあっという間に奥へと消えていく。あの慌てからしてこのメイドは有名なのだろうか? メイドは戦闘職種じゃないし、主人の護衛をすることはあるかもしれないとは言え男が見た瞬間逃げ出すほどではないはずだ。
メイドの方を見上げる投げようとしていたナイフをスカートの表面に縫い付けられている革製の鞘に入れていく。メイドがスカートにナイフをしまったことで他にも武器を持っていることにようやく気付いた。
スカートには投げたもの以外にも多数ナイフが鞘ごと縫い付けられていて、背中にはメイドの身の丈はある大剣を背負っている。明らかに護身用レベルを超えている。
前言撤回
このメイドは戦闘職種だ。
それに男が『花園殺し』と二つ名を言っていた。花園というから女性たちのグループを壊滅させたのかと予想したが武力で殺したようにしか思えなくなった。メイドが仕えている主人に敵対している貴族の令嬢たちが集うパーティーに正面から乗り込んだ大虐殺でも引き起こしたのだろうか?
痛みが和らいできたから立ち上がろうとすると私の顔の近くの地面にナイフが突き刺さる。
「邪魔だからまだ這いつくばっていて。あの男に罰を与える必要があるから」
メイドは冷たい目で私を制するとポケットの中に手を入れると小石を取り出した。何処からどう見たって何処にでもある普通の小石だ。魔法石とかそういう類にも見えない。この世界では普通の小石にしか見えない魔法石があるかもしれないけど。
そもそも魔法石が存在しない世界かもしれないし魔法が存在しない世界かもしれない。
彼女は踏み込みもせず、無造作に腕を振るった。だがその腕の振るう速度があまりにも早すぎてブォンと音が出たほどだった。無造作に腕を振るってそんな音が出る人なんか初めて見た。
投げられた小石は走っていた男に当たったのか、男が悲鳴を上げながら転びその拍子に近くの木箱が倒れて来て下敷きになってしまう。ただの小石だけであれほどの結果が出るのかと疑問に思う。
「ーー魔法でも使っているの?」
小声で、独り言のようにそう呟いた。
それが聞こえていたのかメイドは追加で投げようとしていた手を止めた。その隙に男は逃げていく。
メイドは一瞬だけ驚いた顔をしたが直ぐに真顔に戻して私の顔を覗き込み。
「あなた、魔法を知っているのですか?」
メイドが今まで感じたことがないほど圧をかけながら聞いてきた。顔をズイッと近づけて逃さないように肩を掴む。
「いえ……その、概念だけしか」
嘘は言っていない。
「概念で知っているんですか?」
メイドが更に顔を近づけてくる。こういうのなんだっけ? ガチ恋距離?
いやいや、そうじゃなくて。
「私は」
ーーちゃんと伝えれば良かった。
「ッ?!」
再び猛烈に後悔する。死にたくなるぐらい後悔している。さっきのように何に対しての後悔なのかはさっぱり分からない。過去に大失敗したことを突発的思い出した時と同じような感じだがその原因がわからない。
罪悪感?
よく分からない。自分の感情を理解できない。
私が一体何をしたと言うんだ?
「どういたしましたか?」
メイドも私の変化に気づいたのか圧をかけるのをやめて心配するように首を傾げる。
分からない。自分の身に何が起きているのか。だったらだったら不安材料を少しずつ片付けていこう。まずはメイドの問いについて。正直に言ったらマズいことがあるかもしれないし嘘をついても、仮に記憶喪失だと嘘をついても私のことだから直ぐにバレるだろう。その嘘だって言ったらまずいことだってあるかもしれない。だったら正直に言おう。
「実は……言っても信じられないかもしれないですけど……私、異世界からやってきたんです。それで、信じられない現象が起きると魔法みたいと表現することがあって」
「あぁ、そうでしたか」
メイドはあっさりと納得してくれて手を差し伸ばしてくれた。
「いやいや、もう少し疑いませんか?」
差し出された手を借りて立ち上がるとメイドは説明してくれた。
「実はいくつか予兆があったので。まず初めに、私がこの場に現れたのは不思議な魔力を感じたからです。言語にするのは難しいのですが世界を裂くような魔力だったので主人の命で確認をしに参りました。他には、昨日彗星が突如出現したので。彗星がなんの予兆もなく現れる時は決まって異世界人なので」
この世界って結構な数の異世界人が転移してきているんだ。彗星と異世界人との関係が明かになっているということは異世界人の転移について研究する必要があったから。
「それに、貴方が非常識な格好をしているので納得しました」
「非常識?」
私の格好はブレザータイプの制服だ。日本では全くおかしくない
「女性がスカートで膝を出すということは襲ってくださいと言っているようなものです。そんなに足を出すのは娼婦ぐらいです。足を出したければズボンにしてください」
メイドはそう言うとポケットの中から何処かで見たことある物体を取り出して耳に当てて
『もしもし』
ガラケー?!
『シャロンです。例のことについてですが異世界人を発見いたしました。屋敷で保護してもよろしいでしょうか?……はい。外見年齢は10代半ば、性別は女性、服装からして彼らの言う2000年頃の大和人だと考えられます。少々お待ちを』
シャロンさんか。
……大和人?!
しかも服装で判別できるっていうことはJKが転移した前歴あり? しかもいつの時代なのか知っている。シャロンさんが博識なのか、それともよく知られた知識なのか? 後者だった場合嘘をついていたら直ぐにバレていた? というかシャロンさん最初から私が異世界人だと分かっていた?
「お名前は?」
小声で尋ねられる。
「沖田ユイです。えっと」
「ユイが名前で家名がオキタですね。ありがとうございます」
名前についても理解されている。
『ユイ・オキタと名乗りました。はい、会話は成立しています。はい、その通りでございます。はい、かしこまりました。お忙しい中申し訳ございません。失礼いたします』
電話越しでも頭を大きく下げてしばらく固まる。まるでビジネスマンを見ているようだった。
プー、プーと聞こえてからメイドはガラケーをしまうと呆然としている私に少し驚いた。
「どうかいたしました?」
「ファンタジー世界が何処か行きました」
「貴女と入れ替わりで異世界転移でもしたのでは?」




