レイナードくんのお家事情
たくさん泣いて落ち着いた様子の彼女に「もう大丈夫かい?」と聞いて、うなずいたのを確認して、そっと身体を離した。
「それじゃあ、エリィさんの部屋に行こうか。うちの侍女達は優秀だから、もう全て調っていると思うよ。」
ここは、サフィーリア侯爵家別宅の僕の部屋だ。ここには、僕と兄が住んでいる。
庭を挟んで10分も歩けば着く本宅には、父と僕の母が住んでいる。
サフィーリア家といえば、王立騎士団統括隊長という、トップの役職を必ず実力で代々引き継いできた、騎士の中でもエリート中のエリートだ。
歴代当主のほぼすべてが、王の親衛隊長として働いたことがあり、王家からの信頼も厚い。
しかし、常により強い男の跡継ぎを求める為、家庭内のトラブルが多いことでも有名だ。
俺と兄も母親が違う。兄の母君は、僕の母の双子の姉であり、兄が5歳の時に亡くなったと聞く。優しく聡明な母君だったそうだ。
兄が7歳の時に後妻に入ったのが、僕の母だ。
それまで別の貴族を夢中で追いかけていたらしいが、義理の兄であるサフィーリア侯爵に、姉の婚約者として出会った際に、一目惚れしたらしい。
確かに父は、騎士団統括隊長とは思えないような、スラッとした体つきに、金髪碧眼、そして完璧なまでに美しい顔立ちで、結婚どころか婚約が知れ渡った時には、ショックで失神するご令嬢もいたとか…。
双子の姉の葬儀が終わった直後には、私なら双子だから、顔が同じで、きっと姉を失ったあなたの心も癒せるはずだと、しつこくせまっていたそうだ。
心から亡くなった妻君を愛していた父は、顔で愛したわけではないと断り続けたが、あまりのしつこさに、1年喪に服すから、それでも待てるなら…と、約束をしてしまったらしい。
要は、義理の妹だからと無下にはできなかったが、さすがにしつこすぎて、相手にするのが面倒になったのだろう。
そして、1年の間は静かにしていたらしい。しかし、1年経ちました!と、いきなり押しかけて、勝手に本宅に住み始め、約束だと無理矢理再婚させ、そうして生まれたのが…僕だ…。
そんな身勝手な母のことも、父は愛したいと思っているように見えたと、兄が言っていた。しかし、愛した人と顔は同じなのに、性格が全く違うことに、耐えられなくなったのだろう。
生まれたのが男の子だったこともあり、兄と弟がいれば、跡継ぎについては問題ないと考えたのか、父は騎士団の仕事にかかりっきりになり、ほぼ家には戻らなくなっていた。
なので、僕も家で父の姿を見たことは、ほとんど無かった。
そして、父から全く相手にされなくなった母は、前妻…亡くなった双子の姉の子どもを、目の敵にするようになっていった。
すべてに優秀な兄に、何でもいいから勝って見返してやりなさいと、兄を越えて跡継ぎの座を手に入れろと、幼い頃から言われ続け、かなわなければ酷く罵られた。
兄は母親似で、薄い茶色の髪に父親似の碧眼を持ち、仕事においては冷静で賢く、プライベートは、とにかく穏和ですべてに優しい人だ。幼い頃から、僕ともよく遊んで世話を焼いてくれた。父と僕と同じ瞳の色のはずなのに、僕には、兄の瞳は雲ひとつない空の色に思えた。
しかし、母は、僕と兄が仲良くしているのが、心底気にくわなかったのだろう。いつしか、兄を害してまで、僕をサフィーリア家の跡継ぎにしようと考え始めた。
実際に、新しく入ったばかりの侍女に、疲れがとれる薬草のエキスだとかなんとか言って、兄のお茶に毒をいれようとしたこともあった。…そんな子どもだましに、兄が気づかないわけがないのに…。
兄は、そのことを大事にせず「大丈夫だよ、レイ。何も問題ない。」と、泣きながら謝る僕に笑ってくれた。
だが、ここまで奥様の気持ちが追い詰められているようなら、同じ邸内で暮らしていくのは難しいだろうと、この件を内密にしてくれた執事と侍女長達とも相談し、兄と僕は別宅に移ることになった。父は、事の経緯の報告は受けてはいたらしいが、兄に任せると言っただけだったそうだ。それが、昨年のことだ。
…父は僕にも母にも興味が無い。
すべてにおいて優秀な兄。先日、王立騎士団の騎馬隊の隊長と、親衛隊への所属が決まった。このまま順調に功績をあげれば、兄がサフィーリア家の跡継ぎとなるだろう。
僕は特に必要のない存在なのだ。それを、母も心を病むほど理解しているからこそ、先代の巫女姫が逝去され、新たな巫女姫の候補者を連れてくるよう通達が来た際に、僕に言ったのだ。
「まさか、私達が生きる時代に、巫女姫の代替りがあるとは、なんと幸運でしょう!サフィーリアの跡継ぎになど、ならなくてもよいわ!巫女姫を連れ帰り、世界の王となりなさい。わかったわね、レイナード。」
母は、巫女姫が亡くなって運が良いと、大喜びしていた。
巫女姫は、この世界の妖精すべてに愛され、世界の魔力を安定させる役割を担っている。巫女姫がいることで、大きな魔力の偏りがなく、安心して魔法を使い、平和に過ごすことができるのだ。
それを、我が子が世界の王になるチャンスが来たと、幸運だと笑う母を、僕は凍った心で見ていた。悲しくても辛くても、泣かなくなったのは、いつだっただろう。泣いても誰もかまってくれはしなかった。ただ、兄と…もう一人、大切な人だけが僕を慰めてくれた。母に何かを望み、心を動かすことは、いつの間にかやめてしまった。
「レイナード!聞いているの!?無駄に父親に似た、美しいその顔と身体は、きっとこのときの為にあったのだわ!巫女姫の愛を、必ず手にいれなさい。その顔で優しく愛を語り、その身体で力強く抱き締めてやれば良いのよ。そうすれば、異世界の女であれ、あなたに恋に落ちるでしょうからね。」
「母上…しかし僕には…父が決めた、幼い頃からの婚約者がおります。彼女の家へ婿に入る約束もしております。それを裏切ることはできませんが…。」
「何を言っているの!?レイナード!そんな婚約者や約束等、破棄してしまいなさい!世界の王となるのですよ!それより大切なことなど、ないではありませんか!!!捨て置けないのであれば…母が気にかけることがないよう、消してあげましょう。」
何を言っているんだ、この人は…。そんなことは絶対に許さない…。
婚約者は…彼女は…、僕にとって兄と同じく大切な人だ。必ず幸せにすると決めている。しかし、母の頭の中には、巫女姫と愛を交わして世界の王となるように、いかなる手段もとるつもりでいるだろう。命まで取ることはないとしても、何をしでかすかわからない。
「………母上、わかりました。では僕は、巫女姫の候補者を、必ず連れ帰りましょう。巫女姫は何人もの候補者がおり、巫女姫と真実の愛を交わせた者が、夫婦となり世界の王となると聞いております。婚約の破棄についても、僕の方で相手に伝えます。」
「それなら良いのよ、レイナード。母は、世界の王となるあなたの姿をみられることを、楽しみにしていますよ。さぁ、下がって良いわ。早く巫女姫を連れ帰りなさい。」
これが、彼女を守れる一番良い方法だろう…。
それに、巫女姫と愛を交わす気などないのだから、候補者さえ連れてきて、双宝珠の儀式に参加さえすれば、選ばれなかったとしても何とかなるだろう。
新たな巫女姫が決まれば、母は怒り狂うかもしれないが、興味を失い、またなにか新たな思案をはじめるだろう。
それでいい……それがいい…。
万が一にも巫女姫と愛を交わせたとして、王になることができれば、そのあと彼女を遠くから守ることもできるだろう。
「レイ!レーイ!突っ立ったままどうしたの?」
懐かしい苦い記憶を思い返していると、寝室から出た先の、僕の私室の机にある手紙を手に持って見つめたまま、立っていたようだ。
「あ、あぁすまないね。今日やらなければならないことは無かったかなと、仕事のことを考えていたんだ。さぁ、行こう。」
手紙を机の引き出しに入れ、私室からエリィと共に出る。
手紙は、美しい筆使いに、裏には薔薇の紋章。
…………エリザベス………僕の婚約者。最愛の人からの手紙。
扉の魔法で、何日も連絡がとれなかったから、心配しているのだろう。
エリィを部屋で落ち着かせたら、すぐに返事を書かなければ。
母にはああ伝えたが、婚約破棄をする気など、さらさらないのだ。母が納得さえすれば、あとは好きにさせてもらう。
…………エリィには、悪いけどね。