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「お待たせして申し訳ございません、エリィ様。急なことで呼ばれてしまいして、外しておりました。すぐに髪を乾かしましょうね!」
さぁ!と寝室の鏡台へ案内されて、座ればすぐ、フィリアさんが風の妖精に髪を乾かしてくれるようお願いする。
そして、香りの良いヘアオイルのようなものを、手のひらで丁寧に髪に馴染ませた後、櫛で優しく髪を梳かしてくれる。
「こうしていると、エリィ様のお髪には、妖精の力に満ちているのが、良くわかります。」
「妖精の力?」
「えぇ。妖精は人にも宿りますが、他のものに宿る妖精とは違い、少し特別らしくて…。、自ら魔力を作り出すことはあまり無く、他の妖精から受け入れた魔力を溜めておくのです。人に宿る妖精は、特に髪に宿りますので、魔力が溜まると、髪が輝きを増すのです。」
「あれ…?でも、妖精の声が聞こえたことはない気がするんですけど…。」
「詳しくは、きっとレイナード様が喜んでご説明くださるかと思いますから、明日聞いてみて下さいね。さて…」
そう言って櫛を置いたフィリアさんが、用意してくれていた薄手の白いガウンを、そっと私の肩にかけてくれた。
「エリィ様。よろしければ、サフィーリア家自慢のお庭を、こちらからご覧になりませんか?秘密のお庭までは、見渡せないのですが…。」
「ぜひ見たいです!とても素敵なお庭だったので、もう少しお散歩したかったなって思ってたんです…。」
明日、元の世界に帰ることができたら、その後のことはわからないけど、もうここに来ることはないかもしれないから…。
秘密のお庭は、レオさんとのこともあって、もう充分思い出に残ってる。
「では、こちらへどうぞ。」
フィリアさんに案内され、大きな両開きの、装飾が施されたガラス扉を開けると、テーブルと椅子の置かれたバルコニーがあった。
「ここは、一年を通して暖かな春の国ですので、身体がお冷えになることはないかと思います。お時間を気になさる必要はございませんので、ごゆっくりお楽しみ下さい。わたくしは、お部屋でお茶のご用意をしておりますので、失礼致しますね。」
フィリアさんは、そう言うと、私をバルコニーに残して、扉を閉めて部屋へ戻ってしまった。
「本当だ…。お昼と同じぐらい、あったかい…。」
少し肌寒いんじゃないかと思っていたら、そんなことは全然なかった。空を見上げると、満天の星…。元いた世界では、街中では絶対見られないような、美しい星空だった。
いつまでも見ていられそうな星空だったけれど、首が痛くなりそうだったので、バルコニーの手すりまで歩いていく。
満天の星、その下に広がるのは、昼間見た素敵な庭園…。
暗い緑の中、所々に明かりが灯されて、色とりどりの花の色が浮かび上がっている。
ロータリーのようになっていた噴水が、右の方に見えているので、私が使わせてもらっている部屋は、玄関側だったのか。
それなら秘密のお庭は、家の横辺りだったので見えないよね。
広い庭園の先には、この別宅の3倍ぐらいはありそうな、大きなお屋敷がある。きっとあそこが、本宅と言っていた建物なんだろうな…。
レイのお父様とお母様が住んでるんだっけ。
フィリアさんがレイにキレていた時の話を聞く限り、お母様、なんだか、ものすごく問題児っぽい…。
…両親が揃っていても…当たり前の幸せがあるわけじゃないんだ…。
「…パパに会いたいかも…。」
パパから、抱えきれないような愛情を与えられて育ってきたから…。
親はきっと、どんな形であれ、そういう風に愛情をもって接してくれるんだと思ってたから…。
そんなこと思いながら、少し感傷的になっていると、本宅の方から、何か黒いものが、庭園にある大きめの道を、こちらへ動いて来ていた。
「ん…?…馬…かな、あれ…。」
庭園の小さな明かりでは、ハッキリと見えないけれど、たぶん馬っぽい。近づいて来ると、土を蹴るような音も聞こえてきたので、たぶん馬だと思う。手すりから、動きを見つめていると、そのまま黒い馬が、人を乗せて噴水のところに入ってきた。そして、石畳に誰かが降りたように見える。
「暗くて見えづらいんだけど、お客様なのかな?レイっぽくは無いし…。中に入った方がいいか…も?」
顔をあわせて挨拶しかしたことがないけれど、執事さんがランプを持って出て、石畳の上におくと、ランプの光が突然大きく輝いて、ロータリーの辺りがはっきりと照らし出された。
「…レオ…さん?」
馬から降りたのは、レオさんだった。
フィリアさんの話だと、何日かはここには帰らないって話してたのに…。
もう、会えることは無いのかもと思ってたのに…。
少しずつ、自分の胸が沸き立つのを感じる。レオさんから目が離せない。鼓動がどんどん早くなる。
執事さんに何か荷物を渡して、レオさんはまた黒い馬に乗った。
馬の上から執事さんに何かを話しかけると、執事さんは腰を折って礼をし、家の中に入ってしまった。
そして、レオさんは、馬を歩かせ始める…。
気付いて………欲しい。こっちを、見て欲しい。
でも、ここからレオさんを呼ぶには、かなり大きな声で叫ばないと、彼には届かない。
「また、見られただけでも嬉しいかな…?」
胸がキュッと締め付けられて、目頭が熱い。ロータリーを出ようとするレオさんを見つめて追いかけると、涙が込み上げて来る。
…行ってしまう…
そう思った時、誰かに話しかけられたように、急にレオさんが後ろを振り返った。
そして……そのまま顔を上に向け、また顔を戻すと、馬から降りてこちらの方へ歩いて来た。
「…うそっ…でしょ…」
レオさんは、バルコニーの下まで歩いてくると、私を見上げて、また昼間のように顔をくしゃっとして笑った。
そして、「シーッ」と人差し指を口にあてると、手を広げて空中に向かって何かを話している。
すると、急に風が吹いたかと思うと、レオさんはバルコニーまで、ジャンプして飛んできた。
「えっ!?えっ!っ」
目の前に現れたレオさんが、人差し指で私の口をふさぐ。
顔面が爆発した。
「しーって、言ったよね?」
フフッと笑いながら、小さな声でたしなめられた。
「風の妖精に力を借りて、魔法で足に風をまとわせて、少し飛ぶ手助けをしてもらったんだ。驚かせたかな?」
「びっくり…………しました………」
口から手を離されても、指の温もりが残って離れない。
全身の血が沸騰してる気がする!言いたいことも、ドキドキが酷すぎて、うまく声にならない。
「……俺も………驚いたよ……」
レオさんの右手が、私の左頬をそっと包む。
「また会えると…思っていなかった…。」
右手がそっと離れて…そのまま…耳もとの髪に指を絡ませて…下ろした髪をすいていく…。
その手の優しさが、なんだかむず痒くて、思わず目をギュッと閉じてしまう。
「エリィに会えるなら……直接渡したかったな。」
レオさんが、静かに私の髪から手を離した。
もっと触れていて欲しい…なんて、恥ずかしいことを考えてしまいながら、目を開けて、優しく笑うレオさんの碧い瞳を見つめると、レオさんは私に背を向け、手すりにもたれ、庭園の先を見つめた。
「昼に本宅で色々あったんだが、それが少し問題になってしまってね…。俺と父がいる騎士団にまで報告が上がって、父と事実確認に来たんだ。」
そう言って大きく息を吐いた。…フィリアさんが言っていた、媚薬とか愛の巣とかのことだろうか…。
「本当は、そのまま父と宿舎に戻るつもりだったんだが、エリィが明日には帰ると聞いたから。」
「その……予定です…。」
「何か………その………エリィにプレゼントをと思って。後でフィリアから貰ってくれるかい?」
「え、あ…はい、わかりました。お気遣い…ありがとう…ございます……。」
「………………………………………」
「………………………………………」
レオさんは背中を向けたまま、黙りこんでしまった。
どうしたらいいんだろう?こんな時に、何を話していいか、全然わからなくて、何だか泣きそうになってしまう。
…もう会えないかもしれない…世界も時間の流れも違う人だから…。
『いつも、後悔が無いように生きるんだよ、絵梨衣。』
『気持ちは、言葉にするから相手に伝わるんだよ。』
目立つのが嫌で諦めようとした時、いじめられた時、パパがいつも言っていたことが、心の中で響く。
「私も………レオさんに会いたかったです………。」
顔を上げて、レオさんの背中に声を届ける…。
そして、彼に少し近づき…自分の右手を伸ばして…レオさんの左手の袖口を少しだけ掴んだ。
「会いたかった…です。」
驚いて私を見るレオさんを、私も真っ赤になりながら見上げる。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい…!!!
…でも、それよりも…。今はもう少しだけ、レオさんに近づきたかった。
「だから…嬉しいです…。」
さすがにもう、レオさんを見つめ続けるのは限界で、下を向いてしまったけど…。今の素直な気持ちは、伝えたから…。
………頑張った!私、頑張ったよね!
これでもう、後悔は無い。そう思って、レオさんから手を離した時だった。
離した手を、逆にレオさんに捕まえられて…
そのまま…彼の胸の中に抱き締められた。
「えっ!あのっ!レレレレオさんっ!?」
「ごめんね………少しだけ……」
レオさんの胸にすっぽりと包まれて慌てる私に、彼は私の頭の上で呟いた。少しだけ抱き締める力が強くなる。
止まりそうなぐらい大騒ぎしてる心臓の音が、耳にまで届いて、レオさんに伝わってしまいそうで恥ずかしい。
…あれ?…耳にまで?
―あ…これ…レオさんの胸の音だ…。
そっか…恋愛小説なんかで、抱きしめあってる二人は、静かな時間を過ごしてると思ってたけど、こんなに音がしたんだ…。
私と同じぐらい、鼓動が大騒ぎしているレオさんが可愛く思えてきて、握りしめられていない方の手を、そっと背中に回した。
「レオさん…あったかい… 」
彼のぬくもりに包まれていることが幸せ過ぎて、なんだか何も考えられなくなる。
「あんまりかわいいことを…言わないでくれ…。」
レオさんが、そっと私を胸から離す。
そして、両手で私の頬を包み込んだ…。
「…………止めらなくなる………」
彼の顔が、少しずつ私に近づく………。
私は、どうしていいかわからずに、レオさんを見つめる………。




