5
「エリィ様、お風呂の準備はできておりますが、入られますか?」
ソファで本を抱えたまま気が抜けていた私に、レイのカップを片付けながら、フィリアさんが声をかけてくれる。
「あ、はい、そうします…。」
レイと部屋に戻って来てから、準備をしていた様子はなかったから、きっとダイニングにいる間に、誰かが準備をしてくれていたのだろう。
本をテーブルにおいて、お風呂への扉を開くと、朝とは少し違った香りがした。フィリアさんも、後ろから大きめのかごを持ってついてきてくれている。
「タオルとお着替えは、こちらのかごにご用意したものをお使い下さい。ドレス等は、朝と同じようにして頂ければ大丈夫ですから。ゆっくりしてくださいね。」
「朝から本当に、ありがとうございます、フィリアさん。」
「お姉さんですから、かわいい妹のお世話をするのは、楽しいですわよ~。」
さっきまで闇のオーラを放っていたとは思えない、優しいオーラのフィリアさん。かわいいお姉さんでしかない。
「今晩のお風呂には、レオナルド様がご案内された、秘密のお庭のハーブを入れましたので………思い出して、のぼせないようにお気をつけて♪」
そう言い終えるとウインクをして、失礼致しますと出ていってしまった。
熱い!お風呂にはいる前なのに、顔が熱い!!!思い出させないで!!ちょっと忘れてたのに!!!!
「あーーーーー…………いい香りぃぃ………………。」
乳白色のお湯は朝と変わらず、お湯に浮くお花が、秘密の庭に植えられていたハーブに変わっていた。色々な種類が糸で束ねられて浮かんでいて、息を吸うたびに癒される………。
「………朝からずっとわけわかんなくて………頭が爆発しそうだったけど………忘れちゃいそう………はぁ…………」
そう忘れたい。もうできることなら、うちのお風呂場から起きたことからすべて全部、忘れてしまいたい。そう思いながら、ハーブの束を手に持って、そっと香りをかぐ。
…秘密の庭の…ハーブ。可愛くて綺麗な庭だったなぁ…。
―――エリィ
秘密の庭のことを思い返した途端、耳元でささやかれた声を思い出した。
一気に顔が真っ赤になる。誰もみてないけれど恥ずかしくなって、口まで湯船につかって、少し顔を隠した。
「レオさんの声は…忘れたくないかな……」
明日元の世界に帰る予定の私は、もう二度と会うことはないかもしれないけど。
のぼせないぐらいの湯温なので、癒しの香りに包まれながら、ぼーっとしていたら、結構長く入ってしまっていた。
かごに入っていたのは、ネグリジェのようなものだった。前開きのワンピースで、白い薄い布を何枚か重ねて作られていて、ふわふわしていた。一番上の生地には、同じ白色のレース生地で、前開きになっている。インナーは別で、キャミソールのワンピースのようなものを着るので、部屋の中で透ける心配はなさそうだった。
…この世界に来なきゃ、一生着ること無さそうな、お姫様なネグリジェだわ…。家にいる時は、スウェットとか、Tシャツに楽なパンツとかだもんね。着慣れてなくて、ちょっと恥ずかしい。
「あのー………お風呂終わりました…。」
タオルだけ持ってお風呂の部屋から出て、フィリアさんの姿を探すけれど、見当たらないので、寝室かなと思ったけれど、そこにもいなかった。
「侍女長さんだし、お仕事たくさんあるよね、きっと。」
何かあれば、各部屋にあるベルで呼んでと言われているけど、特に急ぎでもないし、髪の毛も、いつも丁寧にドライヤーで乾かしてたわけじゃないので、持っていたタオルを肩にかける。
簡易応接セットのソファに座って、フィリアさんが用意してくれていた水差しとグラスで、水分補給。
「そうだ、『双子の世界』…」
横にまとめて置かれている4冊の本の、一番上に置かれているそれを手に取る。
レイの話だと、私の世界の時間の流れの方が早いと言っていた。
でも、それって、こっちにいた時間より、もっと時間が進んでるってことじゃないの…?と、浦島太郎的なことにならないか、不安になってきた…。
「読んでみれば、わかるかな。」
黒い装丁を開いて、ページをめくる。
ページを見つめていれば、内容が頭の中に入ってくるので、どんどん読み進める。
「巫女姫の側にいた人達が、巫女姫や女神様から聞いた話をまとめた感じなのかな…?」
物語のようにはなっておらず、過去巫女姫に仕えていた人や、その関係者の話、女神様から聞いたことなどを、時系列でまとめている感じだった。
巫女姫や候補者が、ふたつの世界を行き来した際の、時間の流れ方の差がまとめられていて、比較して検証されていたみたいだ。
「『こちらの世界で1年を過ごした巫女姫が、ご家族にお会いになるとおっしゃり戻られたところ、ほぼ1日しか経っていなかった。』え、1年過ごして1日!?」
こちらの世界の時間が、1日24時間なのか、1年が365日ぐらいなのかもわからないけれど、1年ってことは、かなり長い時間を過ごしていたはず…。
結婚した巫女姫が、里帰りしたみたいな感じだったのかもしれない。
でも、1日しか経っていなかったら、もう自分の世界の昨日のこととか、私なら絶対覚えてない自信がある。
「『候補者が怯えてしまい、すぐに元の世界へ帰ることを望んだ為、認定を受けた後、1週間魔力の回復を待ち、召喚者が共に帰ったところ、3時間程しか時間が経っていなかったと候補者が驚いていたと、戻った召喚者から報告があった。』…あ、そっか。巫女姫が決まるまでは、候補者も召喚者も、自由に行き来できるんだっけ。」
他の時間経過の記録も、似たような時間経過だった。
レイが言った「私の世界の方が時間の流れが早い」というのは、こちらの世界の1年が、1日という早さで過ぎてしまうということなのかもしれない。
私の世界から見たら、1日で1年経過するんだから、この世界の時間の流れが早いと言うことになる。そう、この世界の人が、私の世界で暮らせば、浦島太郎になるってことだ。
私の世界で1年ほど暮らせば、こちらに戻った時には、歴史の彼方の人になってしまうってことだ。
…そりゃ、ひとりの候補者に、召喚者が複数かぶるのが当たり前なのもわかる…。
世界を安定させる為には、候補者をなるべくこっちに居させないと、私がいた元の世界で、のんびり候補者を探して、こっちの世界に来てもらうのを待ってられない。
数日過ごすだけで、年単位で時間が過ぎるし…。
なるべくたくさんの、扉の魔法を使える、巫女姫と結婚できる可能性が高い男性を、数人しかいないらしい候補者を探させて、誰かに好意を抱いてもらう可能性を高めるのがいいんだろう。
何か、こういうの無かったっけ………。
「あ、婚活だ。」
結婚相手を探すために、婚活サイトに登録した女性に、結ばれる可能性がありそうな男性をたくさん紹介する……。
似ている…婚活に似ている、この制度…。サイト側が得る成功報酬は、世界の安定。絶対にカップル成立させないと、自分達が困るんだ…。
「それなら、男性だけじゃなくて、フィリアさんみたいな女性も来てくれたら、安心感ありそうなのに…。数打って、第一印象で落ちました!を狙ってるのかな。」
不審者状態で出会わなければ、私だって、金髪碧眼王子様スタイルで超美形レイに、ひとめぼれしていた可能性はある。
ファンタジーの世界に憧れる女性だったら、異世界から来た、ただならぬ男前に「あなたのことを探していました!」とか言われたら、ついてきてくれると思う。
「ひとめぼれかぁ…。これまでそんな経験無いし…」
――エリィ
耳たぶに残る甘い声…
――エリィ
触れるか触れないかの、手に残る唇のぬくもり…
「はっ!!!違う違う!!あれは、ひとめぼれというより、お姫様扱いにドキドキしただけでありまして!!!」
「………ィ様?エリィ様?いかがなさいましたか?」
レオさんのことを思い出して、恥ずかしさから、思わずひとりで叫んでしまう。
ちょうど部屋に戻ってきてくれたらしいフィリアさんの声が、扉の外から聞こえた。




