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「広っ!!!!!」
レイに案内された部屋は、レイの私室と廊下を挟んで向かいの部屋だった。
扉の外に出ると、その部屋の扉の前で、侍女さんだと思われる人が微笑んで待っていた。
レイが「準備は問題ないかい?」と聞くと、「もちろんでございます。」と答え、静かに扉を開けてくれた。部屋に入ると、とにかく広い。レイの部屋よりは少し狭いのかもしれないけれど、普通の家のリビングと言われてもおかしくない広さだ。
「ここがエリィさんの部屋だ。こちらの部屋は、応接室や書斎として使ってくれればいい。右奥の扉が寝室、左手前の扉がバスルームだ。そして、彼女は、こちらの家で侍女長をしている、フィリアだ。わからないことや、困ったことがあれば、彼女に言ってくれればいいよ。」
「フィリアです。レイナード様からご事情は全てお伺いしております。何なりとお申し付けください。」
フィリアさんは、優しく微笑みながらそう言うと、足を軽く折り、胸に両手を重ねて頭を下げた。これがこの世界の挨拶の仕方なのかな?
「フィリアは、まだ25歳で若いけれど、幼い時から兄の母に仕えていたんだ。兄にとって姉のような存在でね。僕も兄も、彼女には敵わないんだ。」
レイは気兼ねない笑顔を、フィリアさんに向けている。二人の関係がとても良いものであるのは、見ているだけでわかった。
「レオナルド様とは、本当に姉弟のように育てて頂きましたの。レイナード様のおしめを替えて差し上げたこともございますわ。」
「…本当にやめてくれ、フィリア。」
フフフフフフと、レイを見ながら微笑む姿を見ると、フィリアさん、相当良い性格をしているとみた!
「とにかく、こちらの部屋も、あとはこの別宅内なら、好きに自由に出歩いてくれて構わない。ただ、外家の外に出る時には、彼女と一緒に行動するようにしてくれると助かるよ。」
「わかったわ。フィリアさん、分からないことばかりで、ご迷惑をおかけしてしまうかと思いますが、よろしくお願い致します。」
私は、日本バージョンではあるが、頭を下げ、丁寧にお辞儀をした。
「じゃあ、僕はこの後用事があるので、失礼するよ。夜の食事の時間までには戻る予定だけれど、昼食は、お腹が空いたタイミングでフィリアに言えば、部屋に持ってきてくれるよ。朝食は…。」
「…大丈夫デス。お腹いっぱいです。」
少し恥ずかしそうに答えた私に、レイはカップケーキの件を思い出したのか、ニヤニヤしている。
絶対何かで、あのお返しはしてやろうと思う。
「では、エリィさん、また夜に。それまで、ゆっくり休むといいよ。」
「ありがとう、レイ。」
「気にしないで。レディをおもてなしするのは、当たり前のことだよ。じゃあね!」
優しい微笑みに、ついでにウインクひとつを置き土産に、レイは部屋を出ていった。
…うーん、あのウインクも、きっと出会いが不審者じゃなければ、キュンとしたんだろうなぁ…。
何せ出会いが、水に濡れた不審者なもので、優しい気遣いや仕草も、かっこいいんだけどねぇ。
「さて、エリィ様。朝食はもうご充分におとりになられたということですので、まずは、お風呂に入られてはいかがでしょう?気持ちがお疲れの時は、ゆっくりお湯に入るだけでも、気持ちが安らぎますわ。」
フィリアさんが「のぞいてみてください。」と、バスルームへの扉を開ける。扉から中をのぞくと、扉の前にはまた、扉があって、小さな部屋になっているようだ。右奥には、半分閉められた薄いレースのカーテンがあり、開いている場所からは、石のようなもので出来た床の中に、円形のお風呂が湯気をたてている。プールなんかにある、ジャグジーのような感じだ。
ものすごくいい香りがするー…♪これだけで癒されそう…!
「とっても良い香りですね。ぜひ、入りたいです。」
「では、すぐ着替えなどのご用意を致しますので、エリィ様は、このまま自由にお使い下さい。お召し物はカーテンを閉めてお脱ぎいただければ、湯船にお入りになった後で、わたくしがお預かりいたしますわ。」
「あ、はい、わかりました。ありがとうございます。」
「お着替えをお持ちして、カーテンの外でお待ちしておりますが、もしかしたら、エリィ様の世界とは勝手が違うところもあるかもしれません。お困りのことがあれば、声をかけて頂ければお答えいたしますので、いつでもおっしゃってください。わたくしが扉の外いいる際には、湯船の棚にベルをご用意しておりますので、そちらを鳴らして頂ければ参りますわ。」
そういうと、フィリアさんは奥の扉へと向かった。
…さて、ちょっと緊張するけど、朝シャワーを浴びようと思ったら、こうなっちゃったわけなので、遠慮なくお風呂を使わせて頂こうかと思う。
カーテンの中に入ると、湯船には、乳白色のお湯に小さなピンクのお花がたくさん浮かべられている。
なんか、お姫様のお風呂みたいでドキドキしてしまう。
「えっと、服はカーテンの外でいいって言ってたから、畳んで外に置いておけばいいのかな…。なんか、ちょっと恥ずかしいな…。」
フィリアさんに回収されてしまうなら、隠しても仕方ないんだけど、なんとなく畳んだ部屋着の間に下着を挟んで、カーテンの下から外に押し出す。
「これって、このまま入っていいのかな?」
「入って頂いて結構でございますよ。」
「!?」
ひとり言のように呟いた言葉に、フィリアさんの即答が返ってきた。
びっくりしたー…!全然、扉の開閉音しなかったけど、これが侍女長の技か何かなのかな?
「驚かせてしまいましたか?申し訳ありません。主人のくつろぎを邪魔することが無いように、なるべく音を立てないように行動をするのが、身についておりまして…。」
「あっ、いえ、大丈夫です!ありがとうございます!」
申し訳なさそうに答えるフィリアさんに、私の方が申し訳なくなって、焦ってお礼を伝える。たぶん、フィリアさんにとっては、普通のことなんだもんね。
それにしても、本当に優しいというか、気遣いが素敵すぎる。
「しつれいしまーす…」
誰も入ってないけれど、何となくそう言って、そっと湯船に入る。
―――――ふぁぁぁぁー!気持ちいいー!適温すぎるでしょ、これー!!
熱すぎず温すぎず、いつまでも入っていたくなるような絶妙な湯温!
しかも、この乳白色の入浴剤?なのだろうか、それのおかげか、お湯がやわらかい…。肌に優しい~!
「いい香りがしてたのは、このお花なんだ…。」
浮かぶピンクの小さな花を両手ですくって、鼻に近づけると、爽やかなフローラル系のような、甘い香りがする。
甘ったるくなくて、ハーブみたいなんだけど、お花って感じで…とにかくなんか、ものすごいホッとできる香りー!
「湯船に浮かべております花は、こちらでは一般的な、庭や草原んに生えているものでございます。気軽に香りを楽しめるのですが、生花でないと香りがしないので、お部屋にかざったり、お風呂に入れることが多いのです。」
「そうなんですね。生花だけの香りなんだ…。」
「湯の中には、わたくし達お世話の者がお手伝いに入りました際、ご主人様のお身体がなるべく見えることのないよう、白く濁る薬草の汁を入れております。薬草に何か効果があるわけではないですが、肌当たりがやわらかくなるようです。」
考えてたことに全部回答がきた。フィリアさんには、心を読むスキルがあるのかもしれない…。
「勝手ながら、お考えになっていらっしゃいそうなことを、なんとなくお話し致しましたが、ごゆっくりお過ごし下さいませ。」
――ヤバい。本当に心読まれてたかもしれない…。
まぁいっか。読まれてたとしても、特に何か危ないことを考えていたわけではないし。
それにしても、朝から色々あったなぁ…。
パパが旅に出て、少し気持ちが不安になってるところに、お風呂場に不審者レイが現れて、異世界に転移して…。
なぜか今、サイコーに気持ちのいいお風呂に入ってる。
あたし、こんなに落ち着いてていいのかな。異世界だよ?今すぐ帰れないんだよ?
しかも、他人のおうちのお風呂に入ってるんだよ?元の世界でさて、友達の家に遊びに行ったことがない私が、異世界とはいえ他人のお家にお邪魔してるなんて。本当はこれ、お風呂場で滑ったかなんかして、気絶してる夢なんじゃない?と疑ってしまう。
ただ少し………ホッとしているような自分もいる。
誰かの目を気にして、目立たないように、迷惑をかけないように、でも、投げやりにはならずに、なんとか前を向いて生きていた。
誰かに「普通とは違う」と、視線で、そして言葉で言われ続けた毎日で、そこから逃げ出せたことに、少し解放されたような気がする。
「異世界で心の洗濯かぁー。」
湯船につかりながら、私はそっと目をつぶった…。