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きらきらと光が降り注ぐ、見渡す限りの花畑。夜なのに昼と同じくらい見える、不思議な夢。
そう、夢だ。だって声が出る。歌える。羽ばたける!
母様と一緒に歌い、父様は見てるだけ。仕方がない。だっておかしなくらい音痴だもの!
満面の笑みを浮かべて、ユナは歌う。
歌う。歌い続ける。
けれど、終わりは唐突で。世界から歌が消える。
ユナは歌う。けれど聞こえない。
歌って、歌って。けれど声が出ない。
頭が混乱する。ごちゃごちゃする。何これ、どうして。嫌だ。
そう思っても声は出ない。
歌いたい。歌わせて。
だけど声が出ない。
音無しの世界。
暗闇に閉ざされた世界。
ああ、どうして。嘆きたいのに嘆けない。
その時、とん、と背を押された。
ユナは谷底に真っ逆さまに落ちていく。
その時に見えたのは──
叫んだ。思いっきり叫んだ。けれども出るのは空気音だけ。
ユナは、はぁはぁと荒い息をつく。ここは現実。音無しなのはユナだけ。
「*****?」
目の前に人がいて、ユナは目をぱちくりさせる。けれどすぐに思い出した。ああそうか、火事になって、助けられたのだ。ユナが笑うと、騎士も笑った。
「****」
挨拶されたのだ、ということはすぐに分かった。ユナも口を動かす。「おはよう」という声は出ないが、これだけでも伝わる。騎士が破顔した。
そして騎士は自らを指して言う。
「ユークリース」
その後、彼はユナを指さして首を傾げた。ユナもこてっと首をひねった。
彼は少しだけ笑うと、昨夜と同じように辞書を開く。ぱらぱらとめくり、『名』という文字を示す。
彼は名前を訊いていたのだ、とすぐに分かった。なら、ユークリースというのも、彼の名だろう。ユナは辞書を借り、文字を調べる。『由』と『奈』を彼に見せる。
「……ユウ、ナ?」
惜しいな、と思いながらユナは首を振る。確かに『由』はユウ、とも読むが、それではない。
「ユナ?」
ユナは頷く。ユークリースはそれを分かって、ユナの頭を撫でた。彼の力が強いため、自然と首が前後に動く。声を出さずに笑うと、彼も笑った。
ユークリースに手を差し出され、ユナは手を重ねた。きゅっと握りこまれるのはとても安心する。
寝具から下ろされ、彼が手を引いて歩き出した。もちろん辞書を小脇に抱えて。
部屋を出ると、他にも騎士であろう人物たちが多くいた。皆互いに挨拶をしながら廊下を歩く。
改めて騎士たちを観察すると、金髪や赤髪、茶色の目や青い目など、様々な特徴があることに驚く。東大陸の人々は基本黒髪黒目で、こんなに色に溢れていなかった。ちなみにユークリースは銀髪で、とてもきらきらしていた。
とある大きな部屋に着くと、そこにはたくさんの匂いに溢れていて、騎士たちが食事をしており、食堂だと分かる。ユナは隅の方の席に座らされ、身振り手振りで待つよう言われた。
それにしても、と思い、ユナは辺りを見回す。この大陸の物は総じて東大陸の物よりも大きい。机然り、椅子も然り。人も大きければ物も大きい、ということだろうか。
しばらく待っていると、ユークリースが戻ってきた。お盆には幾つか小分けにされた食事が乗っており、気遣いを感じる。
食事の内容は西大陸に来てから今まで食べていたものとは違い、色彩に溢れていた。この国の主食らしいものを手で持ち、1口食べる。今まで食べていたのとは違い、とても柔らかく、しっかりと味がついていた。
ふと辞書の存在を思い出し、ユナはユークリースの裾をちょんと引く。彼はすぐにユナの方に顔を向け、ユナとは反対側に置いてあった辞書を取る。それをユナがじっと見つめているのを見て、何やら言って渡した。
ユナは笑顔で頷き、『何』と先程まで食べていた物を指す。彼は大きく頷き、辞書を片手に調べ始める。最初は意気揚々と、そしてすべて見終わると2周目に入る。2周目はじっくりと。しかし彼が示したのは簡潔な文字だった。
『無』という文字を示す彼は大層申し訳なさそうだった。つまり、辞書にない、ということだ。
少し考えれば分かることだった。この辞書は東大陸と西大陸の言葉で同じ意味を持つものを繋げるためのものだ。対して、ユナはこの食べ物を知らない。つまり東大陸には無いものなのだ。辞書に載ってないのは当たり前だ。あるものとないものを繋げるのは、この辞書本来の役割ではない。
それに思い至り、ユナは申し訳なく思った。ユナがもう少し考えて行動すれば、彼は落ち込まなくて良かったのに。
ユナは辞書を机に置き、彼の両頬に手を当て、目を合わせる。空気がざわっとしたが、ユナは気にせずに笑った。昨夜と似たような状況だからか、ユークリースもすぐに慰めてると気づき、笑った。そしてユナの頭をがしがしと撫でた。
音もなく笑うと、彼も笑う。ユナはそれが楽しかった。
「ユークリース」
他の騎士が彼を呼ぶ。ユークリースは何やら食べる動作をしたと思うと、すぐに声のした方へ向かった。
ユナは呆然とお盆を見る。少しだけ寂しいが、気にしてはいられない。彼の去り際の動作からして、きっと食べていろ、ということだろう。ユナは名前の分からないままのそれを掴み、1口食べる。いつの間にか少しだけ冷たくなっており、少しだけ硬かった。
ユークリースは戻って来ると、ユナの頭を撫で、そして食事に取り掛かった。彼はユナよりも多い量を、ユナよりも早く食べ終える。そしてそのまま、ユナが食べ終わるのを待ってくれた。
申し訳ないな、と思いながらもユナはしっかりと食べる。味の濃い料理は、あまり合わない。食欲も進まず、このことをどうにかしてユークリースに伝えたかった。
辞書を取り、どんな文字があるのか確認する。『嫌』ではいけない。新しい味はユナにとってとても面白く、嫌いではないからだ。言うなれば苦手。
ユナは今まで見た字で、文章を頭の中で考える。『不』『得意』や『苦手』と伝えようにも、『得意』や『苦手』という文字がない。いや、あるにはあるが、『得』と『意』、『苦』と『手』に分かれているため、きっと指し示しても伝わらないだろう。
ユナは考え、『不』『嫌』『而』『不』『好』の5文字を示した。嫌いではないけど好きではない。これで伝わるかな、と不安そうにユークリースを見上げる。
ユークリースは案の定と言うべきか、不思議そうな顔をしていた。ユナ自身、そんなことを言われたら意味が分からないだろう。けれどそれ以外にどう伝えればいいのか分からない。
すると、ユークリースが辞書を取った。『由』『奈』『嫌』『食』と示し、それから首を傾げた。ユナは食べることが嫌い、という意味の文章で、首を傾げたということは疑問を持っていること。何故食べたくないのか?いや、それなら文頭に何をつければいいだけだ。昨夜はそうやったのだから、ただの間違いの可能性はない。では、彼はどこに疑問を持っているのか。
それは簡単に分かった。彼は文を指し示した後に首を傾げたのだ。つまり、この文全体が正しいのか、否かを訊いているのではないか。よって、彼は食べることが嫌いなのか、訊いていることになる。
ユナは辞書を借り、『否』と答える。食べることは嫌いではない。ああ、どうしよう、と思って気づいた。私は馬鹿か。味が濃いとそのまま伝えれば良かったのだ。
『味』と『濃』を指し示すと、ユークリースは納得したようで、ユナの頭をぽんぽんと叩いた。これはどちらだろう。食べなくてもいいのか、頑張っても食べろという意味か。けれど、ユークリースがお盆を下げたため、食べなくてもいいことがすぐに分かる。
思わず天井を見上げる。ああ、本当、なんで最初から苦手だと伝えようとしたんだろう。人は一つの事にこだわると周りが見えなくなる、と聞くが、まさにそれだと思った。
こつん、と机から音がして、ユナはそちらを見た。そこには小さな器に乗った、透明な物体があった。その中には苺や見たことない果物(?)が入っていた。
ユナがユークリースを見上げると、彼は辞書を引いて『食』という文字を示した。食べろ、ということだろう。ユナは一緒に付いていた、食べる道具(名前は知らない)を持って、それをつついた。
ぷるぷると揺れるそれは、一度食したことのある、寒天のようだった。確か夏の日、父が持って来てくれて、母と食べた記憶がある。これはまさにそれだ。
ユナがそれを道具で掬い取る。意外と弾力が有り、あまり量を取れなかったし、果物(?)も取れなかった。それを口に入れると、薄味で、本当に寒天だった。どうしてか分からないがとても冷たく、あの日食べた寒天よりも美味しい。
ユナがユークリースを見ると、彼は不安そうな顔をしていた。もしかしたら味が合うのか、気がかりだったのかもしれない。そう思って、ユナはユークリースに対して笑う。そしてもう一度、寒天もどきを口に入れた。
全て食べ終わってから見ると、ユークリースは笑って頭を撫でる。彼も笑っていて、ほっとひと安心した。
「ユナ」
名前を呼ばれて、ユナはユークリースを見る。ユークリースは椅子から立ち上がって、ユナの手を握った。また移動するのか、と思い、ユナは立ち上がる。
「****」
ユークリースが何やら言って歩き始める。ユナもそれについて歩き始めた。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、ユナ目線の話では片仮名を一切使わない方針です。読みづらかったらすみません。




