第一話 【戸惑いと牢屋】
「――ん」
ぼんやりと目を覚ます。
「な、んだ……?」
目を開けて初めに飛び込んできた光景は、薄暗い石の天井だった。ゆっくりと体を起こし周囲を見渡す。
天井だけでなく壁も床も石だ。そのどこもかしこも薄汚く汚れ、埃臭い、その上狭苦しく錆びついた鉄格子まである。そこはこれでもかと精神的な窮屈さを感じさせる空間だった。
「まるで牢屋、だな……」
まぁ、まるでというより見る限り完全に朽ち果てた牢屋なのだが。
「いや、そんなことよりもここはどこだ? なぜ俺はここにいる? どれくらいの間気を失っていた? 他の皆はどうなった?」
疑問が次々に口をついて出る。傍からみればおかしなやつにしか見えないだろうが、周囲に人の気配など微塵もない以上まったく気にすることではないし、そもそも気にする余裕もなかった。
「……そもそも俺は、生きているのか?」
彼の名はマカロニ、ただのマカロニ。神をも退けると言われる戦闘種族『ウィクシス』の一部族戦士であり、前世では普通の日本人学生だったことを思い出してもいた。
戦闘種族としての年齢は十八、だが見た目はぱっと見二十代前半くらいには見え、少しだけ長めでボサボサの黒髪と、ギリシャの彫刻のような引き締まった肉体を持ち、服はボロ布のようだが腕には白銀色の美しいガントレットを装備していた。顔つきは精悍で力強い印象をあたえるものだが、今は困惑し切った表情を浮かべている。
(ダメだな、少し落ち着かなければ……いま一度状況を整理して考えてみるとしよう)
そしてマカロニは深く思考を始める。
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光に飲まれる前日、マカロニはいつものように数人の仲間とともに戦場を駆けていた。
敵勢力は多数の大型種を従えていたが彼らには物の数ではなく、日も落ちぬ内に殲滅は完了。大量に手に入った食料という名の戦利品を担いで集落に戻った。
集落に帰ってくると他部族が合流しており、勝利と再会を祝っての宴が始まった。マカロニも大いに楽しんだ記憶がある。
そうして朝まで騒ぎ続けた彼らの前に"あの光"は突如降り注いだ。
普段の彼らなら、多少不可思議な現象に見舞われたとしてもまったく物怖じはしないだろうが、彼らはその光の恐ろしさを本能で感じ取ってしまった。それは酔って赤らんでいたものもその顔を真っ青に変えるほどの絶望感を心に生んだ。
そしてすべてが光に飲まれ……抗いようがない己の最後だと思ったあの瞬間、我が身はあの光に飲まれ確かに死んだはずだ。
あのとき確かな死を感じ、肉体の感覚も消失していた。その上前世の記憶を思い出したことも死ぬ前の走馬燈のようなものとしか思えない。ならば己が生きているはずがない。
それなのに、なぜ、己は今ここに在るのか?
ここが死後の世界なのだろうか? 確かに生前の行いから考えれば、冥界の牢屋で目覚めるのもうなずける。が、それにしてはしっかりとした肉体の感覚がある、そして胸に手を当てれば確かな心臓の鼓動を感じる。これではまったくもって己が死人とは思えない。むしろ絶対に違うとすら思える。
それならばこれは二度目の転生か? いや、そもそも記憶がある。肉体もそのままではないか。これも違うはずだ。
あと考えられることと言えば、あの光が対象をこの場所に転移させるといったものだった場合だが、その場合目的がわからない。そも前世を思い出したことなど色々と不可解なことが多すぎる。そもそもあの光がそんな生易しいものであるはずがないことは本能で感じた。それだけは確かなことだろう。
だがならなんだ? あの光以外が原因の可能性もあるのか? と色々な考えを巡らせてはみるが、そのどれもが殆ど要領を得ない。それにあの日以前の記憶がなぜだか薄ぼんやりとしている上、思い出した方の記憶が混ざりごちゃごちゃとしているせいもあって、思考がまとまらない。なんだか寝ぼけているような感覚だ。
とにかく結果としてマカロニがわかったことは、己が常識では考えつかないようなことが起こったのだということだけであり、とりあえずはそれで納得しておくことにするのであった。
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もはや無意味な思考を中断し、改めて周囲を見渡す。
しかし何度見渡そうが、自分がいるのは何もないただの朽ちた牢屋である。
「ふぅぅむ……」
さてどうするべきか? 顎に手を当て、少し唸る。そういえばこの牢屋薄暗いというか、だいぶ暗い。どうやら灯りの位置が遠いようだ。
「……とりあえず、ここから出るか」
ここで考えていたところで事態の好転は望めない。ならとりあえずはここから出て行動するとしよう。
そう考え、まず廊下に出た。
錆びついた鉄格子は捻じ曲げて開けようとしたら、その時点で粉々になってしまった。見た目通りかなり古いものだったようだ。
牢屋から出て左の道の奥が光っているので、その灯りを目指して廊下を道なりに進むことにする。
途中、他の牢屋もあったので覗いて見たが、誰も居なければなにもなかった。ほぼ確実にここは長く使われてない施設なのだろう。使ったとしても牢屋として機能しないだろうというぐらいにはボロボロだのだから。だがそれにしては灯りが生きているのはなぜだ?
別段急いでもいないので、ゆったりのそのそと歩いていたが、ほどなくして廊下の突き当たりに階段が見えた。そこに着く頃には灯りは少し眩しいほど強くなっており、どうやら階段を上がった先が光っているようだ。
とりあえず登ろうとして一歩階段に踏み出し、光を手で遮りつつ上を見上げると――そこは、行き止まりだった。
「馬鹿な、階段の先が天井だと……しかも光っている……」
階段の先は行き止まり、というか天井にそのまま繋がっており、なぜかその天井はすごく光っている。普通に眩しい。
「何故天井だ? これでは階段がある意味がない。そして何故光っている? 眩しくて鬱陶しいぞ」
困った。こうなれば反対の道を進むべきなのだろうが、わざわざ引き返すのは面倒だ。そもこの埃臭くて息苦しい空間にはあまり長居したくない……というか果たして反対の道に出口はあるのか? やがてマカロニは焦ったくなった。
「……押し通るか」
階段があるのだから、この先はどこかしらに繋がっているんだろう。そのはずだ。たとえ違うとしても構うものかと、彼は思考を放棄して一旦身を屈め、次の瞬間、立ち上がるようにして天井に向かい軽く飛び上がるのだった。