悪食さんとのエンゲージ
近頃コロニー内を妙な奴がうろついている、という噂を耳にした。その噂の詳細を探っていくと、金の長髪の男と。それだけなら別に妙でも何でもないはずだと噂の元をさらに辿っていくと、新たな情報が一件。ガスマスクをせずに歩いていた、と。
適応種の残党が、マスクもつけず堂々とコロニー内を歩いて回るだろうか。ついこの前ミュータント狩りを行ったばかりなのに。何かの見間違いじゃないか……と、実際に目にするまでは思っていた。
「や、はじめまして。私の事を探しているのは君かな?」
D3区画のど真ん中。巡回から家に帰る途中。マスクをしていない金髪の男が、スモッグの中堂々と立っていた。
「あー、お兄さんよ。ガスマスクつけてないとおっかない猟犬に狙われるぞ」
見たところ平気そうだが、もしも人違いなら逃してしまおう。もし人違いでないなら、マスクをつけろと忠告して去ろうと。そう思って、予備のマスクをポーチから取り出して差し出す。
「ああ、ありがとう。親切な……名前は?」
マスクを受け取り、両手で持って舐めまわすように観察する金髪の男。表面を撫でたり軽く叩いたり、掲げてみたり。歳は多分そう変わらないはずなのに、新しい玩具を手に入れた子供のようだと思ってしまった。
「クロード」
「クロード、クーちゃんだね。ありがとうクーちゃん」
警戒心のかけらも感じられないし、そもそも会ったばかりの相手にいきなり妙な愛称をつけて呼ぶなんて。控えめに言っても……変な奴だ。いや変な奴は見慣れてるが。カニバル系隣人とか、殺しても生き返る殺し屋とか。
「丁度腹が減ってたところなんだ」
「そりゃどうも……」
こめかみを抑えて迷惑な隣人たちの事を思い出していると、ボリ、ボリ、と異音がした。何事かと音の鳴った方を見ると、その発生源は男であった。ついさっき渡したばかりのマスクを、大口を開けて、ボリ、ボリと食べていた。異常事態発生。変人は見慣れているが、コイツはそのワースト1の座を奪取してくれた。
殺されても生き返るのは、ちゃんとした理由を教えられてそういう物だと納得できる。人の肉を食べるのも、食い物が糞不味い合成食糧しかないこの世の中だと、まあ食べたくなるのもわからないことはない。
だがそもそも食べ物ではないものを食べるなんて、異常だ。そういうものだと納得がいかない、栄養にならないものを食べるなんてどう考えてもおかしいだろう。
「んー、まだ足りないな。君の魂は、あまり美味しそうじゃないけど……腹の足しにはなるかな!」
笑顔でさらなる狂気を見せつけてくれた彼に、今まで見たことのない、何かを感じた。それは恐怖に近いものだが、何か違う物。死ぬよりも恐ろしい、何か。
感情に突き動かされ、一歩飛び下がり、拳銃を抜いて、セイフティを解除。銃口を向けるもこちらに手を伸ばしてきたのでトリガーを2回引く。銃声と空薬莢が落ちる音が、工場の稼働音に混ざって空に溶ける。
「……夢でも見てんのか、俺は」
しかし相手は健在。血を流して倒れるどころか、弾を掴んで、飴玉のように口の中へほうりこんだ。そして咀嚼。弾丸など食えるはずもないのに、咀嚼し、飲み込んだ。
「これも、美味しくはないね。やっぱり食べるなら、食べ物に限る。そう思うよねクーちゃんも」
「いやいやいやいや、これはおかしい。どう考えてもおかしい、これはきっと夢だ。夢に決まってる」
生身の人間を撃てば血を流して死ぬ。これは世界のルールであり、変わることはない。今のはきっと外れただけなんだ、片目のせいで照準がずれたんだ。拳銃だし近くても外すことだってあるさ。そうに決まってる。
構えなおし、眼球と照門、照星、目標が直線でつなげてきちんと狙う。トリガーを引く指の力は最小限に、ブレを抑えて、撃鉄が落ちる。弾丸が発射され、目標の顔面に飛翔。命中、すると思った瞬間に、指で挟んで止められた。
「ははっ、やっぱ夢だこれ」
こんなバカなことがあり得るはずがない。あっていいはずがない。全弾発射も意味はなく、おやつを提供するだけに終わる。
「こんにゃろ!」
とうとう自棄になって銃本体を投げつけても、丸かじり。一体どんな顎してんだ。ナイフを逆手に抜いて、突進。銃で殺せない相手にナイフが効くわけないだろうと、突っ込んでから思った。伸ばされる腕の下を潜りながら、その腕を一度切りつける。ずぱりと切れた手ごたえだけはある。血も流れた。だが、まるで気にする様子がない。脇をすり抜けて背中に回り込んで、肝臓のあたりを狙って突き込む……しかし、同じように。
「くそ、化け物かよ」
そうつぶやいた瞬間に、視界が反転し、喉と背中に強烈な痛みを知覚する。何が起きたのかさっぱりわからないが、状況を整理。喉を掴まれ、地面に押し倒されている。OK、一瞬で捕まってこうなったわけか。
「やっぱり、お腹が減っててね。君の魂をぶっ」
轟く砲声。アースの発砲音と共に、俺の首を掴んでいた何かは、恐ろしい勢いで遠くへ吹っ飛んでいった。痛む喉を抑えて起き上がると赤い競技用アースが。
「エーヴィヒ……助かったぁ、死ぬかと思った」
ローラー移動で静かに寄ってくるエーヴィヒに、感謝の言葉を述べる。また借りが増えた。
『仕留め損ねました……何ですかあれは』
「あれで生きてんのか。まあいい、戻ってくる前に家に帰るぞ。相手するだけ弾の無駄だ」
『……そうですね。最大火力で殺せないなら、どうしようもありません』
とんだ厄日だ。二度とこんな日がないことを祈りたい。