第8話 ついに始まる? 異世界での新生活
とりあえず、農地と住む場所の確保は何とかできた。村長のブルーノが言うには、しばらく様子を見て大丈夫そうであれば改めてこのクレト村の住民として登録されるらしい。やっぱり、あんまり素性のよくない農地だからだろうか? 結構気を使わせてしまっているようで申し訳ない。
茜は茜で一頻り農地の確認をした後、何かを考え込んでいたが、それも落ち着いたらしくて今は俺の隣にいる。
「では、お二人に住んでもらう家のほうにもご案内しましょう。」
そう言ってブルーノは俺たちを案内する。かつてこの畑を管理していた家族の住んでいた家を、今度は俺たちで使うことになるらしい。畑からしばらく歩いたところにその家はあった。家というよりはほぼ小屋だが、贅沢は言っていられない。今の俺たちの状況から言えば雨風凌げるのなら上等だろう。
「着きました。ここです。こちらの家をお使いください。」
ブルーノは扉を開いて小屋の中も見せてくれた。しかし窓も閉じられたままなので、中は真っ暗なままでよく見えない。それを察してか、ブルーノは小屋の中にある木窓を開けて光を入れる。もちろん窓にはガラスなどは待っているはずもなく、戸板のあげられた窓はそのまま開け放たれることになる。
日光に照らされた室内は、外見に違わず簡素なもので、テーブルと椅子が三脚、傍らには竈と調理台が見える。所謂土間とでも言うのだろうか、床板はこの部屋には半分くらいしか敷かれていない。あとは奥の部屋にベッドが見えるくらいか。間取り的には1DKになるのか? 奥の部屋はまだマシで床板はあるが、基本的に靴を脱ぐのは寝る時だけの生活になりそうだ。
「多少埃は溜まっていますが、定期的に私や家族が手入れをしてきたので、傷みなんかは大丈夫でしょう。」
つまり、この状態がこの村ではデフォルトってことなのか……やばい。少し不安になってきた……しかし、新たな新居に軽く引いていた俺とは裏腹に、茜のほうは何故か凄くワクワクとしてそうな顔をしている。何でそんなに楽しそうなんですかね、茜さん。
「すごい! 映画でみた西部劇の小屋とか、お母さんの実家のほうにある山小屋みたいでなんか懐かしい!」
……それは一体どんな田舎なんですか……というか、風呂もないような生活で大丈夫なんですか? 俺は少し自身がなくなって来ました……
「気に入ってもらえて何よりですな。では、つぎに納屋のほうへ案内しましょう。」
茜が喜んでいたことにブルーノも気を良くしたのか、機嫌よさげに小屋を出て、納屋のほうへと俺たちを導いていく。この家の納屋は、正面から回り込んだ場所にある庭を挟んだ向かい側にあった。納屋というだけあって、よくある物置の倍ははあるか。それなりに大きく、中も広そうである。
「小さい納屋ですが、道具を仕舞っておくには十分かと。こちらにかつてこの家の家族が使っていた農具があります。農作業の際にはこちらを使ってください。」
そういって納屋を開け放つ。中には様々な形をした金属製の道具が幾つか置いてある。というか、これでも小さいのね……いろいろと認識が改めさせられるなぁ……
茜は農具に興味があるらしく、幾つか手に持ってその感触を確かめていた。巨大な鎌に、持ち手がまっすぐなスコップ、少し錆びた斧と……
「これは予想外……ちょっと困るな、これ……」
その中でも一際巨大な農具を手に、困った顔でこちらを見る茜。木製のフレームにとがった金属製の板が取り付けられている謎の農具。というか、それはなんなんだ。
「さすがに、それをすぐに使うことは出来ないでしょうな。何とか人手を出しますので、しばらくは手作業で耕していただくことになるかと……」
「それくらいは構いませんよ。わたしにはこれがあるので、多分大丈夫です。」
巨大な何かを手放した茜は、代わりに別の農具を手にして答えていた。新たに手にした農具は、長めの持ち手に平たい金属を組み合わせた、日本でも良く見かけるありふれたものだった。
「……それは……あまり使う人はいないようなものなのだが……そのようなものでいいのか?」
しかし、そのありふれた農具はこの世界ではあまりメジャーではないらしく、ブルーノは茜の反応に難色を示している。しかし、そんなブルーノの様子を気にすることなく、自信を持って茜は答えた。
「使い慣れた道具が一番なんですよ。」
その手に持った、"鍬"を掲げながら。
◇◆◇
鍬。日本ではありきたりなその道具だが、この国ではそれほどメジャーではなかったらしい。ブルーノが納得いかないというような顔をしている傍らで、俺は茜にその理由を聞いてみた。
「あんな広い土地、しかも硬くなった土を人の手だけで耕すなんて非効率でしょ? だから、普通ならトラクターを使うのが今の当たり前なんだけどね。じゃあ、それらの機械がなかった時代はどうしてたと思う?」
そういって、あの巨大な農具を持ち上げてみせる茜。一見軽々と持ち上げているように見えるが、ためしに俺も持ち上げてみたところ、軽々どころではなかった。もてなくはないが、余りの重さに腰を痛めるかと思うほどの重量だったのだ。
「そこでこの大っきなプラウの出番なの。」
茜は言いいながら農具、プラウを前に突き出して、片足をかけながら使い方を教えてくれる。
「コレを牛とか馬に括り付けて、その力で硬い地面を耕す。それがこのあたりのスタンダードなんじゃないかな?」
そういえば、村を歩いていた時に見かけたような……牧畜でもないのに何で牛馬がいるんだとは思ったが……
「牛や馬は立派な労働力であり、農村地域では家族のようなものなの。多分、この家にもいたはずなんだよ……小屋とかは見当たらないけどね。」
茜が言うには、かつては日本でもそういう風景が多くみられたらしい。母方の祖父母の家にも農耕用の牛がいたことがあったと聞いたことがあるらしい。
「だから、こういう鍬や鋤があるってことにも結構驚いてるんだよね。」
プラウを足元に置いて、今度は鍬と持ち手のまっすぐなシャベルを手にする茜。ああ、あれは鋤の一種なのね。厳密に言えばプラウも鋤の一種らしいけど。
「とにもかくにも、この道具ならわたしは使い慣れているし、今の体力なら何とでも出来る気がする。」
鍬を握り締め、ふんす と鼻息荒く気合を入れる茜。なんというか頼もし過ぎて涙が出て来ますよ、ホント。
「と、言うわけで。明日から畑の手入れを始めて行こうと思います! そのために、秋也さんには集めてきてほしいものがあるので、あとでお願いするね!」
どうやら、農家に転職する日は割りと早く訪れるようだ。というか、明日からかよ。茜一人に任せるワケにも行かないし、出来ることはどんどん手伝っていこう。知識も技術もない俺でも出来ることをやっていかないとな。
☆★☆
あれから、わたしたちは村長のブルーノさんから井戸の場所を聞いたり、村内の商店を幾つか案内してもらった。広さと人口はそこそこあるけど、現金収入はまだまだ少ないらしく、雑貨屋さんと酒場兼食堂が一軒ずつあるだけで、あとは作物や狩りの成果を分け合ったり、という相互支援的な成り立ちらしい。ちなみに、粉挽きとパン屋さんもあるにはあるのだけれど、支払いは現金のみらしかった。なんでだろう? 麦を粉挽きに持ち込んで有料で粉にしてもらった後、今度はパン職人に預けてパンにしてもらうらしい。もちろんコレも有料。面倒だかし、余計な出費だから、そのうち自宅で出来るようにしてみよう。
ロイドさんはわたし達にいくらかの現金を預けて、他の村へと向っていった。
「当初の予定では、市街まで一緒に行くつもりでしたが、お二人にも住まいが決まってしまいましたからね。なので、今払える貨幣をお渡しいたします。これを前金としてお納めください。」
そういって、銀貨5枚、つまり5ルダをわたし達に寄越してくれた。
「これだけあれば、当面は暮らしていけるかと思います。なるべく早めに戻りますので、それまで残りの商品の保管をお願いしたいと思います。」
真剣な顔でロイドさんはわたし達にそう告げ、厚手の紙を取り出して羽ペンで何かしらを書き込んでいった。
「これは私と貴方達との契約になります。先ほどの銀貨は、私からの商品保管の契約料と思っていただいても構いません。正式な契約となりますので、万が一にもたがえることがあれば、それ相応の代償を支払うことにおなりかねません。ですが、契約が成立した暁には、最初に交わした約束どおり、お二人の商品を相応の値段で買い取るということをお約束します。」
そういって、書き込みのなされた紙を見せられる。とはいっても、わたし達はこの世界の文字が読めないので、村長のブルーノさんに代読してもらって、内容に間違いがないことを確認してもらう。
「では、よろしければこちらにサインを。」
そういわれて、秋也さんがサインを書き込んでいた。契約用紙には「三郷秋也」としっかりと漢字で書いてあったため、ロイドさんもブルーノさんも驚いていたが、簡単に真似は出来ないと判断して納得していた。
こうして、ロイドさんは村を出立し、わたし達は雑貨屋さんで寝具や食器、調理道具などをそろえておく。また、食事の為の食料品も必要なので、そういったものも工面してもらった。コレで今日は一日を終えることが出来そう。
あちこち回って必要なものをそろえたところで、わたし達は一息ついた。それほど広くはない小屋の中、ベッドには分けてもらった麦わらを詰めて、リネンのシーツを敷く。毛布は村長さんから分けてもらえたので、今夜の寝床も完璧だ。
まるで、昔見たアルプスの少女みたいな生活に、不謹慎ながらもワクワクしている自分がいる。21世紀の現代日本とはかけ離れた生活で、自分の体も普通じゃなくなっているのに。秋也さんは分けて貰った薪に覚えたての魔法で火を燈しているし、何もかもが今までとは違う状況になってしまったのに。
秋也さんが竈の火を見ている間に、わたしは自分の身体を改めて調べることにした。ベッドルームのほうで服を脱ぎ、自分の身体を眺める。
手足は普通。少し爪が厚くなったかな? 位の差しかなかった。背中に手を伸ばしてみると、背骨の辺りを中心にして左右に毛皮のような感触があった。毛皮は尾てい骨に向って細くなり、肩甲骨の辺りと肩口の辺りまで広がっている。尾てい骨はそのまま尻尾につながっているみたい。毛皮は首筋の後ろ側にも拡がっていて、鬣のように髪と一体化していた。
改めて、すっかり変わってしまった自分の身体に、なんともいえない気分になる。こんな身体でも秋也さんは今までどおりでいてくれるんだろうか? 今は突然変わった環境にあたふたしているから、すぐにどうこうってのはないかもしれない。でも、冷静になった時にどうなるか……
ともかく、わたし達の農家生活が訪れることになったのだった。




