第16話 もうすぐ種植え。冒険者と農業計画
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少し時間は遡ってクレト村で盗賊騒ぎが終息しその後対処に追われていた頃、一つの町にクレト村からの使者が早馬でたどり着いた。村に盗賊が現れたという知らせを届けるために。
実際は既に終息してしまっているのだが村の使者はそれを知る由はなく、この町にあるギルド支部へ助けを求めて全速力で馬を飛ばしてきたのである。
大きな市街地であれば、居住区を覆う外壁が築かれ、国から派遣された兵士達が常駐するなどの防衛能力を有していることが多いが、発展途上の開拓村ではそこまでの防衛能力は有していないことが殆どで、クレト村も例に漏れず、常駐の兵士も外壁もない、精々が柵で周囲を囲った程度の防衛設備である。有事の際には一箇所にまとまって猟師や元兵士、元冒険者の農夫たちで守りを固めることになってはいるため、よほどの手練がいるか数で圧倒しない限り陥落することもないが、万が一盗賊を逃せば他の村や町、街道を行く旅人にも被害が及びかねない。
更にいうと村が陥落されるようなことになれば、それこそ並みの開拓民では手に負えないほどの輩が我が物顔で闊歩していることになる。そんなならず者を討伐することを生業としているん者達、賞金稼ぎの冒険者へと助力を求めて使者はこの町へと駆け込んだのだった。
しばらくして使者より持ち寄られた報せを持ったギルドの職員の一人が、真新しい依頼書を手にとある男の下へと訪れた。依頼内容は開拓地の防衛と盗賊の討伐或いは捕縛である。
「……というわけでどうか引き受けてはもらえませんでしょうか……」
とある冒険者の自宅でギルド職員の男は汗を拭いつつ、申し訳なさそうに目の前に座る冒険者に伺いを立てていた。冒険者の男もまた、困惑した様子でギルド職員に対峙いている。その冒険者の顔には年齢を重ねた証である深い皺が刻まれ、頭髪は見事に白く染まっている。その白い髪を後頭部で束ねてから更に織り込んだような奇妙な髪型がその冒険者のトレードマークであった。その髪の脇に生える、エルフ族特有の耳がその冒険者が見た目以上に永きを生きてきたことも物語っていた。
「しかし……某は既に引退した身であるのだが……」
「それは百も承知なのですが……その、他に手の空いている者がいなかったもので……」
使者の知らせが届いた直後にギルド内では緊急依頼として、近隣の開拓村の防衛依頼が発布されたのだが、それに応える冒険者がいなかったのだ。開拓村からの緊急依頼となると、その依頼料や報酬はどうしても低くなる。更に、万が一にも村が壊滅していたりすれば報酬をと立派ぐれるばかりか、逃げた盗賊のために余計な残業まで発生しかねない。不確定な要素も多くなるので、好き好んでこういった依頼を受ける冒険者はどうしても少なくなってしまうのである。
「……大方、実入りが少ないからと、いらぬ言い訳をつけて辞退したものが殆どなのだろう。……全く、嘆かわしいものだ。」
冒険者の男はため息混じりに職員の男にこぼす。ギルド職員の男は言葉こそ返さないが、若手の嫌がるような依頼を前線を退いた老兵に頼み込まなければならなくなったことに申し訳なさそうに首肯する。そんなギルド職員の様子にもう一度大きくため息をつくと、冒険者の男は腰掛けていたソファより腰を上げ
「……ふぅむ。まぁ、放っておくわけにもいかんだろうし、他に人手もないのであれば、某が行くしかないのであろうな。」
そういって職員の目の前に置かれた依頼書を手に取る。
「で、ではこの依頼をお受けして……ありがとうございます。しかし、貴方様のランクに見合った報酬は……」
「礼には及ばん。依頼料もこのままで結構。ただ、その代わり幾つか『頼み事』を聞いてくれればそれでよい。」
依頼を受けてもらえると判り、一瞬表情に明るさの戻りかけた職員は、この冒険者からの『頼み事』という言葉に再びその表情を曇らせる。この年老いた冒険者は、今でこそ現役を退いて隠居生活をしているが、かつては冒険者ギルドという組織において最高位ともいえるほどの功績を残してきた冒険者の一人だ。そんな男から一体どんな無理難題を吹っかけられるのかを考え、徐々に顔色が悪くなる。
そんな職員の様子を見て、冒険者の男は顔を緩ませながら言葉を続ける。
「なに、そんなに深刻そうな顔をするでない。某の求めるのは、一つは盆暗共が避けた緊急依頼を『黒夜叉ショーザ』が引き受けたということを、ギルド内の連中にわかるようにすること。」
大した難易度でもないのに何かと理由をつけて依頼を断った者達、自分の利益と村の人たちの命や財産を天秤に掛け、己の利を取った愚か者達への重圧と、その尻拭いに所謂大御所の冒険者が動いたということの喧伝すること。しかも、決して高くはない依頼料で、だ。
「それくらいは何とか……というか、やらせていただきます。あのような対応を繰り返されては冒険者ギルドとしても沽券にかかわりますので、弛んだ者達にも良い薬でしょう。」
「それは重畳。して、もう一つは……」
冒険者の男、ショーザの『頼み事』の一つは聞き入れられそうだということに、職員はホッとして受入れることを決め、それにショーザもまた安堵する。ショーザもまた体の良い便利屋扱いを甘んじて受けるつもりはないからだ。縦割り業務を強いるつもりはないが、本来ならショーザの受けるような依頼ではないからである。
そしてもう一つ、という言葉に再び緊張した面持ちで職員は二の句を待つ。
「この家の留守番と、息子夫婦と孫夫婦に対する事情の説明、そしてリィンの子守だ。……む、これでは3つになってしまうか。まぁ、そうであるな。これらを冒険者ギルドには責任を持って果たしていただきたい。」
「……は?」
どんな要求が来るかと待ち構えていた職員は、その内容の軽さに思わず間抜けな声がでてしまった。その声に若干の不満を感じながらもショーザは言葉を続ける。
「……日中は息子夫婦は道場にいるし、孫夫婦は行商に出ておる最中でな。某が家を空けてしまうとリィンが一人になってしまう。年端も行かぬ幼子を一人にしておくわけにはいかないし、かといって仕事に連れて行くなどの以ての外。なのであの子のことを頼まれてはくれぬか?」
言いながらショーザは視線を職員から外し、自身が座っているソファーの後ろを肩越しに見やる。つられて職員もショーザの後方に視線をずらすと、そこには部屋の入り口から不安そうに顔をのぞかせる少女の姿があった。柔らかそうな金色の髪に青い瞳の、まだ幼い少女。ショーザとは似ても似つかなという感想も抱いたが、男はその言葉は飲み込むことにした。
「それくらいでしたら構いませんが……あの、本当にそのようなことで引き受けてもらえると?」
職員には自身の留守番と子守を替わってくれるだけで引き受けるといったショーザの言動がいまひとつ信じられなかった。そんな事、とも思えるような条件で引退したとはいえ、かつては伝説の傭兵とまで言われたこの冒険者が動いてくれるなど、ありえないと思ってしまったからだ。
「某は名誉や財産を求めてこの仕事を始めたわけでは御座らん。元々は無下に虐げられ、踏みにじられている市井の人々を守ろうと剣を振るってきたのだ。かつての名声はその結果でしかない。今回仕事を断ってきた若人たちの、報酬で仕事を選ぶような態度は嘆かわしくはあるが……なら、せめて手の空いた隠居爺くらいは手を差し伸べても良いと思うのだよ。」
ショーザはソファから立ち上がると、部屋に飾られていた自身の得物を手に取り、部屋の様子を窺っていた少女の前でかがんだ。
「……と、言うわけで、すまぬが少し出て来る事になる。そこのおじさんの言うことを聞いて、大人しくしているのだぞ。」
「……はい。曾お爺様……」
ショーザは少女の頭を軽く撫でながら言い聞かせる。少女は少々不満げながらも頷いてショーザの言葉を受入れる。
「そんな顔をするでない。儂とてそれほど無理の聞く齢ではないからの。不覚を負うような事はない。大丈夫だとも。」
泣きそうになりながら、それでもショーザの事情を理解し受入れようと努力をする少女リィン。
「違うんです! ……曾お爺様はお父様やお母様が不在の時はリィンの傍に居てくれると仰っていました。それなのに、今になってまたお仕事なんて……」
「あぁ、そっちであったか……すまぬなぁ。なるべく早くに戻れるように努力はする。そして必ず帰ってくる。約束だ。それまでしっかりと待っていてくれ。」
そういって今にも泣きそうになったリィンの前にショーザは自身の小指を出す。その動作に合わせる様にリィンも自身の小指をショーぞの指に絡める。
「「指きりげんまん、うそついたら針千本飲~ます、指切った~」」
約束事のおまじないを交わす二人を他所に、その奇妙な動作にギルド職員の男は怪訝そうに二人を見つめるが、二人はそんな外野の反応を気にすることなくやり取りを続ける。
「では、儂はしばらく家を空ける。その間の留守をしっかりと頼んだぞ。」
「わかりました。では、気をつけて行ってらっしゃいませ、曾お爺様。」
ようやく笑顔を見せたリィンの様子に安堵したショーザは、照れ隠しなのか小走りで部屋から出るリィンの後ろ姿を見ながら呟く。
「……出来ることであれば、某はもうこんな形で家族に不自由をさせたくはないと思って、現役を退いたのであったがなぁ……」
「申し訳ありません……こちらの不手際です……今後はこのようなことは無いように致しますので……」
ショーザの呟きに、依然申し訳なさそうに詫びるギルド職員。職員のみたショーザの目つきは、先ほどの少女へ向けられたものと異なり鋭いものに変り、発言もとげの帯びたものになっている。心なしか、殺気も出ている様ですぐ横にいる職員の男は寒いわけでもないのに冷や汗と鳥肌を浮かべ、顔を青くしている。
「……一度、ひよっこな若造どもとはじっくりと話をする必要がありそうであるな。戻ってきたら講談会をしたいので、訓練場を抑えておくように頼む。」
そう言うショーザの語気は重く、先ほどの好々爺然とした口調とははっきりと違う。これがかつてのショーザの迫力なのかと、職員の男は抱いていた感想を改めた。
『黒夜叉ショーザ』。いくつもの紛争地を渡り歩き、戦場では常に民衆の側に付いて、単身で何度もその戦況をひっくり返してきた少し変った伝説の剣士。各地の紛争が収まった後に冒険者として活動を始め、多くのモンスターや犯罪者を討ち取ってきた。その功績を讃えられ、ギルド内での殿堂入りも果たす。特異な形状の黒衣の服を纏い、エルフという種族でありながらも携えた刀剣のみを武器に戦場を舞う姿から、黒き風、黒夜叉という二つ名が誰とも無くささやかれるようになった。
現在では一線を退き、王都より離れた商業都市にて家族とともに穏やかな隠居生活の日々を過ごしている。
これが訪れたギルド職員の知る、ショーザという冒険者の経歴だった。先ほど見せたプレッシャーはかつての片鱗なのだろう。
「かしこまりました……断った冒険者達には話を付けておきます……」
男はそんなショーザの提案を受入れることにする。その講談会が本当に話し合いなのか、はたまた肉体言語を伴ったものになるのか、そんな不安を抱きながら。
とはいえ、近年の冒険者達の態度と粗暴さは目に余る面もあるので、これは良い機会なのだという打算もある。今や物語のモデルにもなっている人物に目をつけられる者達には御愁傷様としか言えないが。
「では、某は支度を整えた後にそのクレト村に向うとしよう。先ほどの頼み事の件、しかと頼んだぞ。」
ショーザは棚にかけてあった大小二振りの刀剣をそれぞれ手に取ると、奥の部屋へと向っていく。そんなショーザの背に向けて職員は一礼すると、屋敷を後にした。留守番、家族への連絡、子守に講談会と訓練場の手配。気づけば4つもの頼み事をされているが、男はそれらをないがしろにするつもりは無く、むしろ全力を持って事態に当たるつもりである。もともとギルドの不手際のようなものなので。その尻拭いをさせている以上、ギルドとしてもそのバックアップくらいはしておきたいのである。引退したとはいえ、彼を師と仰ぐ冒険者は今でもたくさん居る。粗雑に扱ってギルドに不信感を持たれることは避けたいというのも本であるからだ。
やがて、伝説と呼ばれた一人の男は、街から離れた開拓村へと赴くのだった。
◇◆◇
畑を耕して、腐葉土を撒いて、そしてもう一度耕して……そうして畑のコンディションは大分整ってきた。
日本から持ってきた芋は日に当てて芽を出させた後、適当なサイズに切り分けて等間隔に畑に埋めていた。茜が言うには、これでこの世界で夏を向える前には一度収穫できるらしい。まぁ、それはまだまだ当分先のことになりそうだが。
もうじき麦の種植えも始まるらしいので、その収穫が始まる前に芋掘りになるだろう。
しかし、農業って言うのはすぐに結果が出ないのがもどかしいな……あたり前のことだが。その当たり前だって、こうして茜と一緒に農業をやるようになるまではあんまり考えたことも無かったけどな。
「秋也さん、秋也さん! 大発見! 備蓄の種苗にこんなのもあったよ!」
今日も今日で茜は元気です。土作りを始めてから何が育つか、何を育てるか、育った作物で何を作るか、そんな話を繰り返してまだ見ぬ収穫に思いを馳せている。
ちなみに、この村では各農家で作られた作物の一部はそれぞれの家庭で消費されることになるのだが、その大半は村の共有物扱いである。そこから税の分を収めたり、次のシーズンで育てるための種籾であったり、或いは不作時における非常食だったりと、しっかり保管がされている。俺たちの日々の食事も一部は現金と引き換えにここから分けてもらっている。
そして、今日もその備蓄リストから掘り出し物を見つけたらしく、尻尾を振りながらその報せを伝えに駆け寄ってくる茜。
「これ! このお豆! これも植えて育てて良いって!」
その備蓄目録の中から豆を見つけたらしい。……しかし豆って……またなんというか、地味だな。それにどうしてそれが発見なんだ?
「あぁ、豆ね。うん。良いんじゃない?」
新たな発見にテンションが高い茜。耳を動かしたり尻尾を振ったりと全身で喜びを表しているのだが……ごめん、農業とかあんまり詳しくない俺にはそれしか言えない。
「はは~ん、さては印象が余りに地味すぎてこの凄さがわかってないみたいだねぇ~?」
その通りです、ごめんなさい。豆自体は世界史なんかを見ていれば割りと良く見る作物でもあるんだけど、あいにく俺はあんまり馴染みが無いせいか、あんまり魅力を感じないのよ……
「いやぁ、わたしもまさかこれがこの世界でも手に入るとは思ってもいなかったからねぇ。嬉しい誤算だよ~。」
茜はドヤ顔をしながら、握っていた手を開くと、そこには幾つかの小さな丸い豆があった。ん? この豆、どこかで見た様な……
「さすがに気づいたかな~? そうです。これはまさかの大豆なのです。」
ふんす、と胸を張り、その豆の正体を明かす茜。その豆の予想外すぎる正体に、俺は思わず絶句した。……こんなファンタジー溢れる異世界に何で大豆なんてありきたりなものが出てくるんだよ……世界史見てたってほとんど出てこない単語だろうに……
「……なんで大豆があるんだ? 世界観にあわなすぎるだろうに……」
「え? 驚いてるの、そこなの?」
「え?」
どうやら茜も驚いてはいるようだが、俺とは違うポイントで驚いていたようだ。……なんだか最近こんなのばっかりで、俺が馬鹿に見えてくる……
そんな俺を見かねてか、茜は茜で驚いたポイントを俺に話し始めた。
「大豆って元々はアジア圏でしか育っていなかったようなマイナーな固有種なの。日本は大陸から伝播してきて以来、歴史の中で様々な加工品が生まれてきたけど、それが海外に評価されるようになったのは実は割りと近年で……」
大豆自体はアジア圏を原産とし、長らく食材として愛されてきた作物で、加工品の数も多岐に渡っているのだが、ヨーロッパやアメリカでの歴史は意外と浅く、本格的に伝播したのは20世紀に入ってから。しかも当初は食用ではなく、植物油精製のために栽培されていたという。さらにその精製した搾りかすも飼料として使われるなど、その利用価値は大きかったため栽培面積はどんどん増えていったが、大豆が純粋に食用として消費されるようになるのにはもう少し時間が掛かったという。
……やっぱり、元の世界基準で考えたら十分マイナーな食材じゃないか。しかも、この村におけるその用途はやっぱり飼料用。備蓄も十分あるので今はそれほど大量に作る必要も無い、と村長は言っていたらしいが……それを育てるのか?
「そんな大豆がなんでこの村に普通にあるんだ?」
「異世界だし、そこは気にしても仕方ないんじゃない? そんなことより、これがあれば色々作れるかもしれないよ~。お豆腐に枝豆に豆乳に……その気になればお茶もコーヒーも。」
確かに。日本における大豆由来の食品は枚挙に暇が無い。大豆の発見で今後作れるであろう食品の一例を挙げて再びドヤ顔で胸を張る茜。が、茜さんや。その中でも大事なものが抜けちゃいませんかね?
「……醤油と味噌はどうしたよ? 後は納豆とか……」
「米と稲が無いので出来るかどうかわかりせん。というか、発酵はあんまり専門にやったこと無いんで出来るかどうかは怪しいです。」
一縷の望みをかけて茜に聞いてみたが、ドヤ顔のままばっさりと言い切った。
「……やっぱり異世界ものって、こういう発酵食品が結構ネックになってくるよね……必要な菌がどこに居て、どうやったらうまいこと熟成されるかそ知っていても、その菌が手に入るかどうかもわからないわけで……」
目を逸らしつつ、ボソッとその出来ない理由らしきものを言葉にする茜。どうやら理屈はわかっているらしい。が、今のところ材料が足りないので保留ということなのだろう。『出来ない』とは一言も言っていないし。
発酵食って言うものは殆ど偶発的な発見をされているし、あんまり気負わず気長にやって行く位が良いのかもしれないな。……やっぱり、少し早いリタイヤと思ってこの世界に腰を据えて生きていく覚悟を決めにゃならんかね。戻れるかどうかもわからんのだが。