導き
どうして、こんな場所で眠っていたのだろう。
学園の屋上で、多少の違和感を感じつつも、立ち上がる。
屋上の端、フェンス越しに町を見下ろすと、どこまでも静寂でまるで静止画のような町並みが目に映った。
知らない間に、どこか知らない場所へと来てしまったかのような、そんな事さえ考えてしまう。
一人、立ち尽くしていると、一瞬だけほんのりと甘い香りがした。
どこか懐かしいような、けれどつい最近嗅いだことのあるような、そんな香り。
――きっと、大切な何かを忘れている。
頭の中で、忘れてしまった何かを思い出そうと必死になっている。
自分の中に、二人いるような、そんな感覚。
体や、今の自分の思考は、自分自身のはずなのに、頭の中で何かを必死に訴えている声が聞こえてくる。
『思い出せ!』
強く、声が響く。
『思い出すんだ! 全てを!』
その声は必死になって、伝えてくる。
声を聞く度に、頭が痛くなる。
一体、何だというのか。
俺は、おかしくなってしまったのだろうか。
「もうやめてくれ!」
延々と頭の中で響く声に耐え切れず、声をあげて屋上を飛び出した。
階段を降りている間も、ずっと声は聞こえ続けている。
それを振り切ろうと、必死になって走る。
俺は、何処へ向かっているのだろう。
無我夢中で、何も考えられず、途中でまた一瞬だけ、甘い香りがした気がしたけれど、そのまま俺は何処かへと向かっていた。
走って、走って、ただ走り続けて。
途中で、誰かにすれ違うことも、道路を走っている車とすれ違うこともない。
犬や猫が目の前を横切ったりすることも無ければ、鳥が糞を落とすこともない。
そんな事を考えながら走る余裕なんて無いはずなのに、どうしてか理解していた。
分かっていて――誰も、何も居ない道を、ただひた走る。
息が苦しい、足が痛い、喉が乾いた。
途中から頭が真っ白になって、全身の痛みの代わりに、いつの間にか頭痛と、幻聴のようなものは聞こえなくなっていた。
けれどもう、自分の居る場所さえ、分からなくなっていた。
ここは一体何処なのだろう? そんなことさえ、考える余裕は無かった。
ただ道に倒れこんで、まだ荒い呼吸で、必死に息を吸い込んだ。
「ゲホッ」
……気管に唾が入って、咽てしまったけれど、この際関係無い。
出来ればこのまま頭痛が再発しないでくれればいいけれど。
呼吸が落ち着いてきた所で一度目を瞑って、深呼吸をする。
吸って吐いての繰り返しだ。
水は持ってきていないから、まずは落ち着くことにした。
またあの声が聞こえてこないか心配だったけれど、どうやら聞こえてくる事はないようだった。
大分、呼吸も思考も落ち着いてきたので、立ち上がって辺りを見回す。
見覚えが無い場所だった。
けれど、目の前の建物は、知らないはずなのに、何処か懐かしさを感じていた。
――いつから誰も住んでいないのだろう、古ぼけた一軒家。
その家の表札には『佐藤』と書かれていた――。