悲しい記憶にならないように
ふと、佐藤さんは軽く息を飲んで、こちらを見て言った。
「ねぇ、キス――しようか」
そう言った佐藤さんの頬はほんのり赤く染まっていて、なのにどこか、遠くを見ているようだった。
本当は嬉しいはずの言葉が、気持ちが、伝わらない。
どうしてだろう、表情も、視線も、言葉も、まるで噛み合っていない佐藤さんが自分の目の前にいる。
そんな佐藤さんを見ているのはどうにも、とても辛くて――。
「んっ……」
軽くキスをして、重なった唇を離す。
けれど、視線を外すこと無く、佐藤さんはすぐに触れられる距離に。
初めてのキスは、どこか切なくて、とても短いものになった。
こんな方法しか思いつかなかった自分が、とても嫌になる。
「この後の不安なんて、今この瞬間は考えないで、俺の方を見ていてくれよ。
これじゃあ、折角結ばれたっていうのに、どこまでも辛い」
「ごめん……ね、私から告白までしておいて、今更、仙華のことを考えちゃうんだ」
黒百合仙華という存在は、佐藤さんにとってとても大切で、きっと、川口昴という男にとっても大切な存在だったのだろう。
きっと、今自分の中で引っかかっている違和感も、その記憶によるものなのだろう。
それでも――。
「――例え、過去の俺と黒百合仙華がどんな関係で、黒百合仙華が俺に対してどんな感情を抱いていたとしても。
記憶をなくしてしまった事に申し訳ない気持ちは抱いてはいるけれど。
今の俺は、今、この瞬間の俺にとっては、佐藤さんが大切で、大好きになってしまったんだよ。
その頃の記憶が残っている佐藤さんにこんな事を言うのは酷かもしれないけど、これが、今の俺の気持ちなんだよ」
ただ、自分の気持ちを正直にもう一度、今度はこちらからの告白のように、真正面から伝える。
俺のこの違和感は消えることは無いのかもしれないけれど。
佐藤さんには少しでも気に病むことなく、好きでいて欲しかった。
「そんなの、分かってる、すごく、伝わってる。
でもね、私はもっと、ずっと貴方の事が好きで、大好きで――。
今だって、この色々な感情が入り混じった気持ちをどうすればいいのか分からないよ。
変だよね、ふたりとも、好き同士のはずなのに、こんなことになってるなんて」
抑えこんでいた気持ちを吐き出すように。
感情をぶつけるかのように、佐藤さんは思いが入り混じった言葉を口にする。
やっぱり、分かってるじゃないか。
折角、この眩しいくらいに綺麗な星空の下で、気持ちが結ばれたのだから――。
「なら、キスをしよう。
今度は、もっとお互いの気持ちを目一杯込めて。
折角結ばれたんだから、唯二人残されたこの世界で、とても綺麗な、眩しいくらいに輝く星空の下で」
「……うん」
その時、本当の意味で、二人にとっての初めてのキスをした。
短い時間であっても、一生懸命に、互いに気持ちを込めて、相手に伝わるように。
二人にとっての、悲しいキスになってしまわないように。