記憶
――その夜は、ベッドで眠りについた後に夢を見た。
今の自分は知らない内容。けれどきっと、知っているはずの出来事。
目を開くと、女と自分が、学園の廊下を歩いていた。今この場所に一緒にいる、この人こそが黒百合仙華なのだという感覚がある。
きっとこれは、都合の良い夢。失われているはずの記憶が作り上げた夢。
何もない方向に向かって、彼女は話しかけていた。恐らくそこには佐藤さんがいるのだろう。
佐藤さんの言葉を俺に伝えている彼女は笑顔で、とても幸せそうだった。
滅多に使われない教室が並んでいるこの廊下は、普段は誰も通らないような場所だった。
けれど、ここから見える夕日はとても綺麗だった。
そんなどこか幻想的にも思える廊下を進むと、鍵のかかった、いつから使われていないのかも分からないような教室に辿り着く。
彼女はどこから持ちだしたのか、胸元から鍵を取り出し、教室の扉を開け、中に入る。
中に入った彼女から催促され、中に入ると、彼女は元々数個置いてあったであろう椅子と机を教室の真ん中へ持っていく。
置かれた椅子にそれぞれが座ると、彼女が何かを話し始めた。
彼女の言葉はどこか雑音が混ざっていて上手に聞き取る事が出来ない。
会話を続けていると顔を赤く染めたり、笑ったり、少しいじけたり。内容は分からないが、きっとその会話は楽しいのであろうことが伝わってくる。
このまま幸せな時が続いて、平和に日々は過ぎていって。
そんなことは、ありえないのだと、分かっているのに。
それでも、そんな日々を願ってしまった。それが、夢だと分かっていても、願わずにはいられなかった。
――どうかこのまま、ありのままの日々を平和で、楽しく過ごせるように――
想いを形にした途端、足元が崩れていく。
あぁ、夢が終わるのだ。夢の形は変わらない、変えられない。現実と同じように。
夢の全てが消え去ってしまう前に、とても愛おしく、もう叶うことのないその世界に、最後に言葉を伝えよう。
「追い出すくらいなら、最初からこんな夢を見せないでくれよ……どうしてなのかは分からないけど、幸せすぎて、未練ばっかり浮かんでくるんだよ」
どこかでありえたかもしれない世界。
だからこそ、その思い描いた形を現実に少しでも近づける為に、この夢から目を覚ます。
永遠に続くかもしれなかった、幻想から抜けだして。
「でも、もう戻らなきゃいけないんだよな」
「それなら、今の自分に出来る、精一杯の未来を目指すよ」
誓いにも似た言葉を告げる。
その言葉に満足したのか、誰かの笑い声が聞こえた。
けれどその声もすぐに消えていき、夢の世界は形を保ち続けることもなく、あっさりと崩れていく。
夢から目が覚める直前、最後に、呟いて、目を閉じる。
「ありがとう」
『こちらこそ、ありがとう。私も、すごく楽しかったよ……頑張れ!』
誰かの声は届くことはなく、その言葉もどこかへと消えていった。