終わりゆく世界をキミと
もう、目の前という場所まで白い霧は近づいてきていた。
とうとう、最後の時がやってきたという事だろう。
けれど、このまま消えてしまうわけにはいかない。
まだ、やり残したことがあるのだから。
「なぁ、聞いてもいいか?」
「なに、かな?」
彼女の方に目を向け、俺は彼女が教えてくれなかったことに触れる事にした。
せめて、納得出来るように、最後を迎える為に。
「俺と約束したことって、なんだ?」
「……そっか、やっぱり最後まで思い出すことは出来なかったんだね」
「そうだな、俺は結局、思い出すことは出来なかった。
でも、俺は約束を果たしてやりたいと思ったんだ。
この世界でやり残したことを、少しでも減らせるように」
「そう、なんだ……」
彼女は、俺の言葉に顔を逸らした。
そして、少しの間考えこむ素振りを見せ、やがて何かを決意したように、こちらを向いた。
「やっぱり、私は昴に答えを教えることは出来ないよ」
「どうして……」
「約束の内容を昴に話してしまったら、昴のことも、私自身のことも、裏切ってしまうことになる。
それだけじゃない、約束自体にも、意味が無くなってしまうから……。
だから、私は昴に、これ以上教えてあげることは、出来ない……」
その言葉で、彼女からは答えを得る事は出来なくなってしまった。
きっと、俺自身で約束の内容を思い出す、もしくは答えに辿り着く事が必要なのだろう。
けれどそれは、彼女と共に過ごした記憶を失ってしまった俺が、辿り着くことの出来るような内容なのだろうか。
それが難しいようなら、もう約束を果たす事は出来ないのかもしれない。
もう、俺達を飲み込もうとしている霧は、目の前までやってきているのだから――。
「大丈夫、だよ」
「どうして、そんなに優しい顔が出来るんだ……」
彼女が俺に向ける表情は、とても優しく、全てを納得して、満足してしまっているようにも見えた。
俺はまだ何も、出来ていないというのに。
「私は、昴がそんなに真剣に、私の事を考えてくれているだけで、十分、なんだよ。
貴方にもう一度会えただけで、私は満足しているんだから……」
「でも、それじゃあ、約束は果たせないじゃないか。
俺は、佐藤さんの名前さえ、まだ知らないんだ」
そうだ、俺はまだ、彼女の名前さえ知らない。
そして、名前を教えてもらう条件は、記憶と共に忘れてしまった、約束を果たすことだった。
恐らくもう、それは難しいようだ。
――ほら、もう全てを飲み込む白い霧がやってきた。
――包まれれば終わりを迎えて、俺達は消えていく。
――この終わりゆく世界で、ただ一人、消えていくのは、悲しいから。
「大丈夫、だよ。
昴も、私も、一人じゃないから。
一人で、なんて寂しいもんね。
結局、最後まで約束が果たしてもらうことは出来なかったけど。
特別に私の名前、教えてあげる――。
きっとそれが、私と昴の、繋がりになって、また、会えるから」
彼女はそう言って、俺の頬にキスをした。
俺は、何も出来なかった。
出会ってまだほとんど経っていないのに、長い時間を一緒に過ごした相手のようにも感じられた。
何故だか涙が止まらなかった。
きっと、俺は彼女が好きになっていたのだろうと思う。
この感情が、失った記憶から来ているのかもしれないと、そう思いもするけれど。
この瞬間感じた想いは、偽りではなく、俺自身の想いなんだと、そう信じたかった。
世界を包む白い霧は、俺達を包み込む。
とても冷たく、けれどとても優しく。
せめて、少しでも優しくあろうと。
「お別れ、だね」
「そうだな」
「なんだか、不思議と二人なら、不安は感じないんだ」
「俺も、そうだ。佐藤さんと、一緒だから、かもしれない」
「そ、そっか。ちょっと照れるね。」
「きっと、それくらいで丁度いいんじゃないか?最後くらい、笑顔で終わろう」
「そうだね。そのほうが、幸せ感じられそう」
そう言って、二人で笑顔を作った。
頬には、涙が流れていた。
彼女も、涙を流していた。
けれど俺達は、笑顔だったはずだ。
ありがとう、そして、また会えるように。
その時はきっと、約束を果たすよ。
さようならと、彼女と、この世界に、別れを告げた――。