第一話「事件」
――ペンは剣より強いんだぞ。
父の口癖であり、信念だ。
そんな父が、強盗に遭った。
そして、怪我をしたという。
僕と母はあわてて言われた病院へ向かった。
街灯が照らす国道を僕らを乗せたタクシーが走っている。
僕は何も言わずに窓の外を見ていた。母も何も言ってこなかった。
沈黙が痛い。
何も言葉を発しなければ、頭の中で嫌な想像ばかりしてしまう。しかし、何を話せばいいのかもわからなかった。
父のことを考えていた。
父はジャーナリストだ。海外に行っては、現地の情報などを文章にしたためている。
昔、父がこんなことを言っていた。
「なあ、博樹。知ってるか?」
「何を?」
「ある国には、凄い毒物があるんだぞ」
父はよく唐突な話をしてくる。聴く側は毎回驚く。その時はお笑い番組をテレビで見ていたのに、いきなり毒物の話である。
「どう凄いの?」
唐突な話ではあるが、父の熱っぽい、そして興奮した口調を聴いていると、いつの間にか引き込まれてしまう。
「体内に少しでも入ると、三十日後に心不全を引き起こす毒物だ。しかも、遺体からはその毒物は検出されないんだ」
「......それ、凄い危険じゃない? ――ねえ、ある国ってどこ?」
僕の問いに答えようとした父に、母が強い口調で言った。
「ちょっと! それ、一樹に言っていいことなの?」
「あ、そうだった。これさ秘密にしなきゃいけないヤツだった。――一樹、このことは誰にも言うなよ」
幼かった僕は頷いた。父の仕事には第三者に教えてはならない情報があることを知るのはもう少し成長してからであった。
でもその話をされた瞬間は、なんだか、父に認められたような気がして嬉しかった。
父は幼い頃から、僕の憧れだった。
その父が危険な状況にある。
もしかしたら――
一瞬、頭によぎった嫌な想いを振り払うために、僕は首をゆらゆらと振った。
「......大丈夫よ」
母が僕に声をかける。その声は自分に言い聞かせているようでもあった。
病院が見えてきた。
心臓が一段と早く脈をうつ。
「......父さん」
知らず知らずにそう口に出していた。
※
「おお! よく来たな」
病室にいた父は拍子抜けするほど、元気だった。
「大丈夫なの?!」
そう僕が訊いても、
「お? おう! 大丈夫大丈夫。ちょっとした怪我だけだ」
「な、なら良いんだけど......」
お医者さんも様子見程度に二、三日入院すれば充分すぎるぐらいだという。
今までのは杞憂に過ぎなかったようだ。
母とホッとしていた。
気になることがあるとすれば、父がいつ、どんな格好の時も必ず持っている愛用のペンを今は持っていないことぐらいだった。
しかし、しばらくするとスーツ姿と男性二人が父を訪ねてきた。
刑事のようで、今回の強盗の捜査をするらしい。
本物の刑事を見るのは初めてだったので、なんとなくまた、心配になった。
「事件について、話していただけますか?」
恰幅の良い刑事が父に訊いた。
「はい。もちろん。犯人には機密情報を盗まれていますからね」
「機密情報?」
父の返答に、やせ形でメタルフレームの眼鏡をかけた刑事――恐らくこちらが部下だろう――が反応する。
「はい。私、ジャーナリストをやっていまして。今回の記事で、ある国のことを書くんですが、その国が秘密にしておきたいこともその資料には書かれているんですよ。金銭ではなく、それを盗まれてしまったわけで......」
金銭ではなく、資料を盗んでいった――
僕はそれが不自然だと感じた。
「なるほど...... ならば、解決の方も急がなくては最悪、国際的な問題になる可能性もあるということすね」
恰幅の良い刑事が言う。
父は重々しく頷いてから、事件について話し始めた。
「夜の七時ぐらいだったと思います。仕事場として借りている部屋に――」