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第七話

規則的な振動に揺さぶられ、私は窓の外を見た。

ゆっくりと風景が後ろに流れると、反対側から新たな代わり映えのしない森が横切っていく。

馬車の内装は華美すぎない雅にあふれ、乗り心地からも庶民が稀に用いるものとは一線を画していた。

一生乗る機会など無いと思っていたが、何があるか分からないものである。

そして座る私の斜め前には、リカルドが優雅に座っていた。

「お疲れになりましたか?」

「いえ、大丈夫です」

「屋敷も近くなりました。後少しの辛抱です」

もう長いこと乗っているので、そろそろ辛くなってきた。

あと少し、との言葉に希望を持つ。

宣言通り迎えに来たリカルドに連れられ、馬車に乗ったのは数日前の事。

彼が首都に帰ってから迎えに来るまで、暫くの時間が過ぎている。

その間に私は体を起き上がらせるまでに回復していた。

もっとも、歩くことはまだ出来ないが。

本当に自分が貴族の家に上がり込んでいいのだろうか。

未知の領域に足を踏み込む事への不安を抱え、それでも馬車は進み続ける。

「ああ、見えてきました」

指さしたその先を見る。

西洋絵画のように、大きな敷地が突如として現れた。

計算され整えられた緑の彩りに、威厳のある門が正面で訪問者を選別している。

門の前に馬車は止まり、家人らしき男性が門を開けた。

「お帰りなさいませ、リカルド様」

「ご苦労」

素っ気ない言い方だった。

いつも慇懃な態度の彼しか見ていなかった為、少し驚く。

「リカルド、お帰りなさいと言われたら、返す言葉は違うでしょう?」

リカルドは言われ慣れていないことを言われた、という様子だった。

しかし直ぐに顔を緩め、家人に向かって言い直す。

「そうでしたね、申し訳ございません。

ただいま、グスター」

「いえ、・・・」

家人の人は恐縮したように身を縮めたが、顔には喜びの表情が浮かんでいた。

そんなに普段無愛想なのだろうか。想像出来ない。

馬車は敷地内を進み、屋敷の前で止まる。

窓から大きなその建物を見上げていた私に、リカルドがそっと肩に手を置いた。

「さあ、参りましょう」

足と腰の下に手を回し、だき抱えられた。

不安定な上半身を支えるために、腕を彼の首に回して力を込める。

少女の憧れであるはずのそれは、少年の姿であれば只の運搬法に過ぎなかった。

馬車から下りると、使用人の服装をした人達が揃ってリカルドを出迎えていた。

「お帰りなさいませ、リカルド様。

ようこそいらっしゃいましたハルカ様」

年輩の執事だろうか、男性に合わせ他の家人も一斉に頭を下げる。

初めてされた歓迎の仕方に動転する私を余所に、リカルドは慣れたように彼らに返した。

「ただいま。

留守をよく守ってくれた」

全く別世界である。矢張り、来たのは過ちだったのではなかろうか。

しかし今更逃げ出せる筈もなく、私を抱える人は悠々と屋敷の中へ足を進める。

「ハルカ様も長旅でお疲れでしょう。部屋へ案内いたします」

「・・・お願いします」

大きな肖像画を過ぎ、高そうな調度品が並ぶ廊下を抜ける。

光を反射する床は毎日家人が磨きあげているのだろうか。

天井には複雑な紋様が描かれ、重量のある燭台が壁に飾られている。

私はそれ以上家の内装について考えることを止め、此処は高級ホテルだと自分を誤魔化した。

個人の資産であるなど、私の理解出来る範囲を越えている。

器用に私を抱えたままリカルドが木製の扉の一つを開く。

その向こうに現れたのは、初めて自分の目で見る天蓋付きの大きなベッドだった。

「凄い・・・」

中心にあるベッドだけではない。周りの家具もアンティーク調の品の良いものばかりである。

素直な感嘆が唇から漏れ、リカルドは満足そうに笑みを深めた。

「此処がハルカ様のお部屋でございます。

私の部屋と近く、何かあれば直ぐに駆けつけられるかと」

つまり、わざわざこの一室を私の為に空けたのではないだろうか。

ベッドに降ろされると、雲のように柔らかな感触か背中に触れた。

「喉が乾きませんか?飲み物でも持って参りましょう」

布団を私の上にかけると、リカルドは私に背を向け出て行った。

一人残された部屋で落ち着かない気分のまま、視線をさ迷わせる。

本当に何もかも信じられない。

今自分が貴族の屋敷に客人として迎えられているなど。

この世界に来てからもう随分たつ。

手は皹、頬は痩け、夢見る時分はとうに過ぎた。

寧ろ、その生活の中に喜びと安寧を見いだしたというのに。

唇を引き締める。

忘れないようにしよう。何時いかなる時も。

私の望みは、体を回復し師と暮らした家に帰ること。

これさえ叶えば良い。それ以上は望んではならない。此処の暮らしを当然と思ってはならない。

夢のような待遇だからこそ、自らを引き締めた。

一瞬で平穏が崩される現実を、嫌と言うほど体験したから。

「失礼します」

手に小さな盆を持ち、リカルドが再び入室して来た。

「お持ちいたしました。どうぞ」

何かの赤い果汁とおぼしき飲み物を差し出され、受け取る。

「ありがとうございます」

口付けてみたら、甘く美味しかった。

「庭でこの季節に成る果実です。後々庭にもご案内いたしましょう」

「是非。どんな実なのか気になります」

「畏まりました」

穏やかな雰囲気に和み二人が黙ると、耳に入るのは風に揺れる木々の音だけになった。

家人の声も遠くに聞こえるばかり。

「ところで、ご家族の方はご一緒にお暮らしではないのですか?」

「・・・中心地に本邸がありまして、両親と兄はそちらで暮らしています」

表情は変わらなかったが、リカルドは返答までに僅かな沈黙を挟んで答えた。

彼だけがこの広い屋敷で生活を送っているには、訳があるのだろうか。

疑問に思っていたのが顔に出ていたらしい。

リカルドは苦笑し、渋らずにさらりとその理由を教えてくれた。

「昔は此処が本邸として使われた事もあるそうですが・・・今は首都の重心が東寄りに偏っております。

それ故、より利便性のある場所へ本邸を移したのです。

とは言え人が全く住まなくては、家は荒れるばかりですから。

私が管理を怠らない条件付きで権利を父より譲渡されました」

「そうだったんですか」

こんな広ければ家を維持するのも大変そうだ。

「私は静かな場所の方が落ち着くので、この家なら気に入りそうです」

屋敷の周りはまだ自然に近く接している。

人の多い通りに囲まれた場所よりも、森暮らしの私には合っている気がした。

一時の安らぎを得るには、これ以上の場所はない。

長く馬車に揺られた疲れもあり、やってきた微睡みに身を委ねた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 漫画の方が先に目にとまり、原作を読んでみたくなりました。 漫画の方でキャラクターを見て、原作で想像しながら読むのが好きです! 小説の方が情景と心情が細かく、メインの二人はどんどんよくデコルテ…
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