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番外編3

 せっかくなので少し話をしようと誘われ、私は彼の屋敷に上がらせていただいていた。グスターはリカルドへ伝令として先に帰らせている。

 首都の中心地に近いセレドニオ様の屋敷は敷地こそ郊外のリカルドの屋敷に及ばないものの、調度品は金額が見当もつかないほど物がいい。

 子爵家へ婿入りしているが他のご家族は奥様の実家へ遊びに行っているらしく不在だった。

 私はリカルドの身内にどう接したらいいのか分からず、縮こまるようにして応接室の椅子に座るしかない。

「くつろいでくれていいよ」

「はい……」

 無理な話だった。身分も違ううえに、恋人の家族である。

 私の心境を察したセレドニオ様は、緊張するばかりの私に苦笑した。目つきは厳しくなく穏やかである。

 どうやら優しい方のようだ。私は失礼のないように、どうにか背筋を正して頭を下げた。

「改めまして自己紹介を。リカルド様とおつきあいさせていただいています、イチトセと申します。ご挨拶が遅れまして申し訳ございませんでした」

「私はセレドニオ・マー・アルビオル。リカルドの兄だ。堅苦しいのはやめて、気を楽にしてくれ」

「はい」

 それでも気を緩めない私に、微笑んで言った。

「貴族としてはイチトセさんが一体何者なのか、はっきりさせるべきなのだろうけどもね。

かといって、リカルドが選んだ相手に文句を言える人間は私を含め家族内にはいないから、無駄なことはしないでおくよ。君は、リカルドの掌中の珠だし」

 知らない話に首を傾げる。リカルドは家族と仲がよろしくないと言っていたが、文句を言えないとはどういうことなのだろうか。彼はあまり家族の話をしないので、何も聞いてはいなかった。

「遠戚の侯爵家で他家との確執という長年頭を悩ましていた問題があってね、綺麗にリカルドが解決してしまったものだから彼を蔑ろにしたら侯爵家に睨まれて我々の立場が悪くなるのさ」

「そうだったんですか」

「だから気負わずに。ただ、私の話し相手になってくれればいいよ」

 セレドニオ様は私にお菓子を寄せて食べるように促すと、紅茶に口をつけて一口啜った。空気を緩ませようとしているのを感じた。

「ありがとうございます」

 口元を緩ませた私に、セレドニオ様も眉を下げて柔和な笑みを浮かべた。

「昔は結構、兄弟仲がよかったんだ。リカルドの飼っていた犬が亡くなった時も、一緒に埋めてやったぐらいだ」

 兄の顔をして過去を語る姿は、とてもリカルドを嫌っているようには見えない。どうしてこの兄弟の間には距離があるのだろう。

 私がリカルドのいない場で、聞いてもいいことなのだろうか。

 どう行動するのがリカルドにとって最善なのか、判断を迷っているうちにもセレドニオ様は私の逃げ道を塞ぐように言った。

「イチトセさんは、リカルドを怖いと思ったことはないのかい?」

 試すように目を見られる。私はその意味を考え、過去を思い返した。出会った時は強引で極端な行動に怯えもしたが、今は何よりも信頼している人である。彼に対する恐怖心などすっかり忘れてしまった。

「その顔だと、ピンとこない感じかな。いいことだ。

……私はね、リカルドが怖かったんだよ。正確に言うなら、彼の母親が怖かった」

 意外な言葉だった。私にとってリカルドの母のイメージは病弱な人という以外にない。気が強かったのだろうか。

 セレドニオ様は話に聞き入る私の様子を見ると、じっくりと聞かせようという気になったようで手を組んで向き合う。

「リカルドの母親は、子供だった私から見てもとても美しい人だった。今に至るまで、あれほど美しい人を他で見たことがない。思わないか、美しさはある意味で最も強い力であると。彼女はそれしか持たなかったが、父親の心全てを奪っていった。

金と権力はあったが、私の母親は見向きもされなくなった。どれほど懇願しても、父親は愛人の元に通うばかりだった。……哀れなものだったよ、我が母ながら」

 怖いというのはそういう意味か。父親が愛人にのめり込んだ理由が本当に美しさだけの理由かは分からない。けれどそう思われても仕方ないほどの美しさがあったのだ。

 当人同士では純愛と思っているかもしれないが、いくら思い合っても家同士の関係で結婚する貴族は気軽に離婚は出来ない。それを傍で見させられた正妻の心は、誰が守ってくれたのだろう。

 私は朧気ながら兄弟の不仲の理由が見えてきた。

「しかし弟は弟だったからね、子供の時は何も思わず可愛がっていたよ。転機は彼が成長し、彼の母より受け継いだ美貌が発露し始めた頃のことだ。女性は次第にリカルドを気にするようになっていった。同世代のほぼ全員だったのではと思う。それを目の当たりにして、私は……」

 彼は懺悔するように俯いて、組んだ手に力を込めた。

「思ってしまった。リカルドも、リカルドの母と同じになり、私は私の母と同じになるのではないかと。淡い恋をリカルドが意図せず打ち砕いた時に、そうとしか思えなくなった。馬鹿な発想だ」

 セレドニオ様は顔を歪ませて昔の自分をあざ笑う。今は後悔しているように見えた。

 私はリカルドを思わずにはいられなかった。彼は何もしていない。父にも兄弟にも疎まれる少年期は、どれだけ辛いものだったろう。その時に遡れたなら、私が連れ出してしまいたい。

 ああ、だから……彼はあの時、戦場にいたのだ。どれほど追いつめられていたことだろう。

 私は滲む涙を止められなかった。溢れる思いはぽたぽたと膝を湿らせていく。今傍にリカルドがいたならば、抱きしめたいほど恋しいのに。

 セレドニオ様は私を静かに見つめていたが、目が少し赤くなっていた。堪えているようだった。

「最近偶然、友人と君について話しているリカルドの姿を見た。優しく笑う、一人の男でしかなかった。私と仲がよかった頃の弟がそこにいた。私はそれを見るまで、自分が弟を……弟としてのリカルドを、殺したことにも気づかないほど馬鹿だった」

 セレドニオ様も元は悪い人ではないのだ。ただ、巡り合わせが悪かったのだ。少しの歪みが大きな亀裂となって、この兄弟の間に深い溝を作ってしまった。

 少し何かが違っていれば、こうはならなかっただろう。今からでは関係を修復するには遅すぎるだろうか。リカルドはもう、兄という存在を完全に見放してしまっているだろうか。

 どこかに希望を探す私に、セレドニオ様は全てを諦めた顔で言った。

「突然こんな話をしてすまない。けれど、イチトセさんには伝えておくべきかと思ってね。

リカルドは君のものだ。他の誰かが何を言おうとも。傍にいてやってくれ。

……私にはその資格がないから」

「そんなことは、ありません」

「いや、そうなんだ」

 深く落ち込んだ空気を、扉を叩く音が打ち破った。

「リカルド様がいらっしゃいました。お通ししてもよろしいですか」

「かまわない」

 扉を入ってきたリカルドは真っ先に私の姿を確認して安堵の息をついたが、続いてセレドニオ様に対しては温かさのない刺々しいだけの視線を向けたのだった。

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