番外編1
アルフレドと分かれてすぐ後の頃の事である。
私は『さえずり亭』という名前の酒場の店内の壁に掲げられた文字を見て、思わず間抜けな顔をした。
『英雄が来店しました!』
商魂たくましさを感じさせるその文字を前に、私はあっけにとられるしかなかった。魔術師ハルカ・グラークが有名になったのを知っているとはいえ、実際にその影響を見ると結構な衝撃である。
護衛と荷物持ちを兼ねて一緒にきてくれていた使用人のグスターが、私の様子を心配そうにちらちらと見てきた。
「・・・・・・大丈夫です、驚いているだけです」
「さようですか」
気分を悪くしていないかと気になったのだろうが、その心配は無用だった。元々英雄である事にこだわりなどなく、妙なプライドもないのだった。
男装姿で来ていたら大変な事になっていたであろうと、女性姿の自分の胸をなで下ろした。
「あ、お客さんそれが気になりますか!?」
明るい笑顔で声をかけてきたのはマリさんだった。かつて町中で絡まれているところを助けた彼女である。
マリさんは今の姿の私が、英雄ハルカ・グラークであると全く気づくこともなくその文字の由来を説明した。
「以前私、英雄様に助けていただいたんですよ!そしたらそのままこのお店にも来て下さって!
その時は英雄様だって気づいてなかったんですけど・・・・・・祝賀会見てたら本人じゃないですか!
もう嬉しくって、飾っちゃいました!」
「はあ、なるほど」
よほど嬉しいらしく勢いよく話すマリさんにのまれつつ、返事する。
「売り上げも伸びて、本当に英雄様様ですよう!」
私は福の神か何かか。
若干呆れつつも、喜んでいるならまあいいかと受け流し、空いているカウンター席に座った。
店内はにぎやかで前回よりも人が多く、私達が座ったことで満席になってしまった。
渡されたメニューを見てパスタ料理を2人分頼み、椅子に深く座り直して腰を落ち着けた。
このように町中に出るのは久々である。町中は少しずつ活気が戻り、治安もいくらか戻ってきたようだった。その様子の変化を見ることが楽しく、私の心に安らぎをもたらした。
普段私はリカルドの隣に立つ女性姿の自分が魔術師ハルカ・グラークであると世間にばれないように、部屋の中に籠もりきりで過ごすことが多い。とはいえ、流石にそろそろ気分転換してみたいという気持ちが芽生えたので、記憶を頼りに今日はこの店の様子を再び見に来たのだった。
「アンタ、わりあい・・・・・・可愛いな」
隣にいた20代前半ぐらいの男性が無遠慮な視線を向けて私に話しかけてきた。
反対側にグスターが旦那役として座っているのに話かけてくるとは、なかなかの強者である。しかも、わりあいってどういう意味だ。一言多くないか。
無視するのも逆上させて問題になるかと思い、あからさまな気のない返事をした。
「・・・・・・どうも」
「この辺りでは見ない顔だな、旅行か?」
「いえ」
「仕事は」
「特に何も」
しつこく色々と聞き出そうとしてくる。要するにこの男は暇なのだろう。
「僕の妻なんです。今日は久々に二人で外食でして」
「お前に聞いてねぇよ」
グスターは相手に一蹴され、完全に怖じ気付いてしまった。私は使用人の気の弱さに、将来彼の恋人になる女性に同情した。
しかし護衛役とはいえ、一般人のグスターにこれ以上の事を要求するのは酷だろう。どうするべきか。
昼間なら問題に巻き込まれる事もないだろうと思い、気になっていた『さえずり亭』に寄ったのだが、考えが甘かったようだ。
私達の様子に気がついたマリさんが、料理を私の前に置いてさりげなく会話の間に入ってくれた。
「ご注文の品ですー、美味しいので冷めない内に食べて下さいね!
フリオさん、いつも私が可愛いって言ってたのは嘘だったんですか?嫉妬しちゃいますよ!」
「そういう訳じゃあないけどよぉ」
以前絡まれていたのは、このように自分を犠牲にして客同士のトラブルを回避していたからに違いない。自分もこうして助けていただいたからこそ、とても大変な仕事だと思った。
他の女性を口説いていたと判明しては、それ以上続けづらかったようでフリオと呼ばれた男は私に絡むのを止めて酒を呑むことにしたらしい。
私は出された料理を完食する事に集中し、問題に巻き込まれる前にできるだけ早く店を出る事にした。
しかし目の前でマリさんが「英雄定食、英雄デザートとかどうでしょう」などと発言したのには、流石に黙っていられず「やめておきましょう。あまり主張しすぎると本家から何か言われちゃいますよ」と釘を刺しておいたのだった。
『払暁』書籍化しました。詳細は2017年10月30日の活動報告よりご覧ください。