第六十三話
巨大な怪物の首が都に持ち込まれたとき、人々はその大きさに仰天した。
広場に許可を得て堂々と飾られたのは、もう二度と瞼を開くことのない巨大な首である。
あまりの大きさに体を持ち帰ることが出来なかったと知り、それがさらに想像をかき立てる。
見物客が広場に押し寄せ、ハルベルの嘗ての悲劇を口々に言い合っては、倒したその力量を認めない者はいなかった。
国を立て直すべく皆が前を向いていたこともあって、この吉報に浮かれてると表していいぐらいの有様だった。
連日の人の多さに出店まで開かれ、もはや祭りも同然である。
長年この怪物に悩まされ続けてきたヘリオット国の反応は早かった。
和平の裏で聞こえていた様々な暗躍の噂が、ぴたりと劇的に無くなったのだ。
魔術師の実力に疑いの余地なし。マークレイドの時の失敗を繰り返すまいと判断したに違いない。
それほどにヘリオット国も、この件に関しては十分に『痛い目』に今まであっていたのだった。
あの怪物すら倒す魔術師の怒りをかって、怪物以上の被害を出すまいとするのは理解しやすい思考だろう。
そしてこれを機に態度を変えたのは、敵国だけではなかった。
その魔術師を擁するローライツ国も、不自然なほど沈黙を保っていた姿勢を一転せざるを得なかった。
カーティス国王はその吉報を聞き、大々的に祝賀会を開くことにした。
その会にて、何らかの勲章と爵位が与えられるだろうというのが大方の国民の予測である。
その裏で、医学と魔術に関して造詣の深い姫の一人が出来すぎた話だと今まで強硬な姿勢で疑念を呈していたのを、態度を軟化させた事が国王の姿勢の変化の一端にあったのは限られた人しか知らない話である。
ローライツを覆う曇天は今や消え、晴れ渡る空が人々の上に輝いている。
首都よりその話が多くの町村に行き届いた頃。
怪物の首が数日前まで飾られていた広場の周囲に、埋め尽くさんばかりの人が集まっていた。
警備兵が民衆を押し退けて作った広場の中心では、やんごとなき身分の方々が敷かれた赤絨毯の上に集まっていた。
左右に道を開くようにして並べられた椅子の上で背筋を伸ばし、人々の注目をあびながら始まりを待っている。
そう。今日こそが英雄が祝福されるその日である。
派手好きな誰かが進言した為に国民に広く公開される事になった授与式が、始まろうとしていた。
金属楽器の音が開始を告げ貴族が国王に向かい一斉に頭を垂れる。
静かに彼らが姿勢を正したのを確認し、進行役の兵が声を張り上げた。
「ハルカ・グラーク、前へ!」
進み出てきた今日の主役の姿を見て、多くの民衆が驚きの声を上げた。
想像していたよりも、随分と小柄で華奢な姿を自分の目で知ったからだ。
子供のような姿の彼は、歴戦の勇者の鋭さを不釣り合いに宿していた。
何にも臆することない表情で、堂々たる様で王の御前にてひざをつく。
王冠を頂くカーティス国王は、その力強い眼差しで己の目の前の英雄を見た。
人々がいよいよ始まるという期待に不思議と口を噤み、静けさの中国王の言葉がよく響いて聞こえた。
バルコニーに身を乗り出す人の髪を、通りを抜ける風が揺らす。
「汝の先の戦における活躍と、多くの民衆を犠牲にした怪物の討伐の功績を認める」
一つ間を置いて、国王は言った。
「よって。黄玉章と、侯爵位を汝に授けよう」
黄玉章。それは軍にて活躍した人物によく授与される勲章である。
もう一方の思いがけない爵位に、人々の間からどよめきが生まれた。
新たな大貴族の誕生である。異例とも言っていい。
式場の端に控えるリカルドや、ハルカの叙爵に向けて働きかけを行っていたグラハムですら、目を見開いた程だった。
どよめきが理解の数秒を経て熱狂的な歓声に変わり、祝福の声が小さな姿に降り注いだ。
「なんたる」「すばらしい」「それでこそ、英雄だ!」
口々に悲鳴のように言い合う人々を、兵が声を枯らして鎮静化させた。
「静粛に!静粛に!静粛に!!」
高い爵位の裏側には、それだけ国王がハルカに国外の牽制を担ってもらうことへの期待と、今まで不当に評価を遅らせてきた事に対する後ろめたさのようなものも含まれていたかも知れない。
全てを悟らせない厳かな顔をして、カーティス国王がハルカ・グラークに向かって尋ねた。
「何か申したいことがあれば、聞こう」
「では、一つだけ」
国王が聞く姿勢であることに発言を許されたのが分かった。
ハルカは人知れず小さく息を深呼吸すると、笑顔を浮かべて奏上した。
「私に爵位は要りません」
英雄の発したあまりにも大きい衝撃に、再び人々に氷のような沈黙が訪れる。
あまりにも不敬すぎる発言に、度肝を抜かれたのだった。
下手をすれば、英雄から一転囚人である。
この場で顔色を変えなかったのは、ハルカとリカルドと国王だけであった。
「何故」
ハルカは笑みをますます濃くして、何も恐れる事なく言葉を紡いだ。
「・・・多くのものを与えられた魔術師のうち、一体幾人があの戦で共に血を流してくれたでしょうか。
なればこそ、私は爵位を受け取る訳にはいきません」
そうでなくては、私はあの宮廷魔術師達の一員と変わらなくなってしまう。
そういう強い意図で発せられた言葉に、その場にいた宮廷魔術師は身を竦めた。
与えられる利益をただ享受する立場が、今壊されようとしていた。
かつての英雄の魔術師の時より、この国は魔術師を特別視し過ぎてきたのだ。
その結果が今の堕落した現状である。皮肉にも同じ魔術師によって、それが打ち砕かれたのだった。
「ならば汝の勲に予は何をもって応えればよい」
ハルカは合わせていた目線を下げ、深く深く頭を下げて希う。
「穏やかな治世を。愛するこの国の姿を。どうか私に与えてください。
お聞き下さるのならば」
そこで頭を上げて国王を視線で射抜くと、高らかに言った。
「私はこの国を脅かす何者からも、幾度も幾度でも立ち向かって見せましょう!」
その輝かんばかりの顔を見て、誰がハルカを糾弾出来るだろう。
彼こそ、本当にこの国を愛している者であるのだ。
国王は厳しかったその顔を、一変させて爆笑した。
「は、ははははは!はは!よくぞ言った!!!!
この強欲め!欲深いその願い、確かに聞き入れた!!!」
豪快に笑い、その耳を飾る紅玉の装飾を外した。
「これを持って、紅玉章とする。
受け取れ英雄!汝にこそふさわしい!」
一対の耳飾りをハルカに差し出す。ハルカは、今度こそしかとそれを受け取った。
式場は民衆の爆発したような歓声に包まれた。
この景色は、後世で何度も演劇で絵画で小説で語り継がれる事となる。
二人のやりとりにのまれていた進行役が、ようやく役目を思い出し、声を張り上げた。
「これにて閉幕とする!」
その言葉など聞いていないかのように、人々は浮かれ、騒ぎ、語り明かした。
その騒ぎは女も男も子供も大人も関係なく、夜まで続いたのだった。
しばらく後、英雄は忽然と姿を消した。
けれども国が窮地に陥る度、その宣言通りに幾度も姿を現した。
しかし余りに長期間空けた後に現れた事もあり、その後の人物は偽物ではないかとの推測は後の歴史学者達の議論の一つとなっている。
けれどもその魔術師が登場する度に士気があがるので、偽物であれ本物であれ、確かに国を守ったといえよう。
あるいは、それを予見してあえて姿を消したのだという後の学者もいる。
本当の事は、誰も知らない。