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第六十二話

内臓に強すぎる衝撃が伝わって木に激しく打ちつけられる。そのまま嘔吐した。

震える体のままにカナウカレドの方向を見ると、赤く燃え上がる目が私を凝視していた。

そんな体でまだ動くのか。

私の信じられない気持ちを嘲るように、カナウカレドは再び体を起こして体勢を立て直そうとしていた。

カナウカレドの恐ろしさを、私は今まで殺されてきた犠牲者と同じように味わった。

それは並の攻撃が通らぬ堅い鱗でも、全てを吹き飛ばす吐息でもない。

決して諦めない、全身全霊で相手を追いつめるその執着心こそ最も恐るべきものであった。

無理だ。

今の状況では、倒せない。

私はそう判断すると体を魔力で無理矢理動かし、比翼機までたどり着く。

そして比翼機で空へと飛び立った。逃げたのである。

どんな罠も残っていなかった。魔力も殆ど無い。生きて帰ると誓ったからには逃げなければ。

しかしその私の後ろで不気味な金属音が響きわたった。

背後を見て思わず呟く。

「嘘・・・」

鉤爪が食い込むのを気にもとめず、カナウカレドが鉄線を力づくで引きちぎったのである。

自由になった怪物が私をめがけて再び空へと舞い上がる。彼を引きはなせるほどの力は私に無い。

どうする。

考えたのは短いほんの一瞬だった。

私は、進路を全く別の方向へと転換した。山を駆けあがる上昇気流に乗って上を目指したのである。

それを追って、カナウカレドも山肌を駆け上がる。雲に向かって逃げることなく直進した。

視界は一気に不明瞭な白い靄に包まれる。それでもカナウカレドは私を見ることが出来る限界の距離を保って追い続けていた。

逃げて逃げて追って追って。空を上へと二人は駆け上がる。

雲の中次第に距離は縮まっていった。執念の怪物が私を追いつめる。

顔だけしか雲の中では見えなかったはずが、首や前足もくっきりと分かるぐらいに近づいていた。

そしてカナウカレドは私を噛み砕くあと一歩のところで、唐突に私の事を見失った。

霧のようにかき消えたのである。

急いで嗅覚を使って探し出したカナウカレドを、私は『地上』から想像した。

そう。カナウカレドが雲の中追っていたのは私の影である。本体は姿を消す術を使い、地上に降りて影を操っていた。

かつて私を前に偽物の英雄がつかったような、単なる目眩ましの術。

カナウカレドがその影を追っているからこそ、地上からでも彼の位置を把握する事が出来た。

私は上空のカナウカレドをめがけ、残りの魔力全てを振り絞った花火を打ち上げた。

削り出された命の魔力に体が悲鳴を上げる。またベッドの上の生活が続くかも知れない。

最悪を考えれば、魔術自体を使えなくなるかも知れない。

しかし、これが最後。

直撃してこの高さから落下すれば、如何に頑丈なカナウカレドであれど墜落死する。

「どうか、当たって・・・!」

最後の望みを託した火花が空へ突き刺さる。

そして、雲から小さい爆発音が私に届いた。

心の中で数を数え、巨体が雲から落ちてくるのを待った。

十を数え、二十を数え。

そして失敗を悟るような時間になって、上空を見上げた。

私は、最悪の状況に置かれたこと知った。

雲の切れ間から、大地をめがけて滑空するカナウカレドの姿を目撃したのである。

その怒りの目は、私を確かに捕らえていた。

君は。まだ、追ってくるのか。

よく見つけられたものだ。カナウカレドにとって、豆粒ほどの私の姿を。

この距離では逃げられない。比翼機を操る力もなく、体を強化する力もない。

立っているだけで精一杯の状態で、逃げられる力など残されていなかった。

助からない。

私は愛しい人の姿を思い浮かべ、無力さに唇を噛みしめた。しかし。


雷鳴が轟く。

天の閃光がカナウカレドを包み込んだ。


「え・・・」

私は立ち尽くしたまま目撃した光景に言葉を失う。

雷が、カナウカレドに直撃したのである。

一心不乱な怪物を、天が哀れんだかのようだった。

その頭蓋を雷で焦がし。意識を失ったカナウカレドは、脱力した状態で落下していく。

ああ。

「神様・・・」

なんという皮肉ですか。

カナウカレドは真下の一歩も動けない私へ向かって、ゆっくりと近づいていた。

巨体は緩慢な落下のようでいて、今の私には逃げ切れない大きさだった。

運命は一人で彼を死なせる事など許さないとでもいうのか。

同胞と言っておきながら、彼を殺す私に共に逝けと。

「嫌だ」

この世界で生きる意味をようやく見つけたのだ。これから全て始めるのだ。

だというのに手足はつなぎ止められたかのように全く力が入らない。

死にたくない。残して逝きたくない!

カナウカレドの姿が、視界いっぱいに広がる。

翼も。鱗も。その一つ一つが認識できるほど視界を埋め尽くしていく。

助けて。


「リカルド!」


押しつぶされる寸前。

私を誰かの腕が抱えあげて連れ去った。

馬上の振動を感じると同時に、背後でカナウカレドが落下する音が聞こえた。

木々を引き裂く轟音が、自身の身に降りかかりかけた衝撃の凄まじさを語る。後僅かの所で、私は助かったのだった。

私を鞍に引き上げた人の顔を見上げ、私は泣かずにはいられなかった。

リカルドだった。リカルドが動けない私を馬であの場所から連れ去ってくれたのだった。

最速で走っていた馬にリカルドは勢いよく手綱を引く。馬は一度竿立ちして止まった。

リカルドに聞きたいことを飲み込み、とにかくカナウカレドの状況を確かめることを優先させる。

「カナウカレドの確認を」

「かしこまりました」

馬首の方向を変えて今度こそ動きを止めたカナウカレドに近づく。

カナウカレドはまだ呼吸を止めてはいなかった。

けれどその首筋から流れ出る血の量が、もう幾ばくも無い命の短さを悟らせる。

不思議な事に怒りに燃えていた赤い眼が、夕日のように穏やかに見えた。

彼はその首を自分が落ちてきた天空へと見上げ、厚い雲に覆われたその向こうの蒼天を見通すように目を細めた。

「…ああ」

私はその一言で知った。押し寄せる情動に耐えきれず、胸を引っ掻くような強い力で押さえつける。

これが獣の声であろうか!いいや、彼は、獣ではありえない。こんな深く切ない声が獣に出せるはずがない!

姿形さえ違っていれば、或いは時間さえかければ、私は彼の言葉さえ理解出来ただろう。

カナウカレドは別世界の高度の知能を持った、人に近しい生き物に違いない。

偶々人の形をしてこの世界に来た私と、竜の形をしてこの世界に来た彼。

今更知ってもどうしようもない、本当の無力を思い知らされる。

やがてカナウカレドは力尽き。

天を見上げていた首を地面に横たえた。

私たちは動かなくなった胸の動きで、彼が長い苦悩を終わらせた事を知った。

馬から降りて力の入らない手足をリカルドに介助されつつ、カナウカレドに手を伸ばす。

初めて触れた彼の鱗は堅いが、温かかった。慰めるように額を撫でる。

沢山傷つけ、苦しませてしまった。私の同胞。

師による召喚の罪を示すものはこれで私だけになってしまった。

それに一抹の寂しさを感じながら、私は彼の魂の安寧を祈り手を合わせた。

魂があるのなら、迷わず帰ることが出来るように。

雨粒がカナウカレドの隻眼から、涙のように滴って落ちていく。泣いているように見えた。

死してようやく怒りから彼は解放されたのだ。

私の戦いは、こうして幕を閉じた。

首都に残して来たはずの騎士は当然のようにその様子を見守り、私を支えてくれていた。

戦いが終わった事を確認すると、戦いの緊張感から解放されていく。木々のざわめきが戻った。

私はリカルドへ体の向きを変えた。この地に来て、それもこの空中戦を地上から追っているなど誰が想像出来るだろう。

木をかき分けて、空の戦いを追えるはずもないと言ったのに。

「どうして此処に?」

「貴女を一人で戦わせたくなかった。

せめてこの目で見届けようと、叶う限り近くに控えていました」

彼の性格上考えれば予想もつきそうな事だった。私がカナウカレド討伐で頭が回らなかっただけで。

自分がリカルドの立場でもそうするだろう。随分と独りよがりな願いを言ったものだった。

リカルドは私をカナウカレドの戦いに集中させるために、同意しただけだったのだ。

しかし実際私の姿を見つけて駆けつけるなど、並の技術ではない。

私がリカルドの事を過小評価し過ぎていたとしても、実現出来るだろうか。

「よく…追いつきましたね」

リカルドは今更寒さに震える私を守るように、抱き上げた。

彼自身も震えているように思うのは、私の気のせいだろうか。よくぞ間に合ったと、お互いに思ったに違いない。

「偶然にも、私の方に戦いの場が移って来たのです。

そうでなくば、追いつけませんでした」

深く深く安堵の溜息をついて、リカルドは私を再び馬上へと抱え上げてくれる。

偶然というが、運命とやらをねじ曲げてリカルドが私の命を繋いでくれた気がした。

彼が居なければ、カナウカレドと共に死んでいた。

雨が強まる。弱った体から体温を奪っていくが、支えてくれる腕の温かさに心は凪いでいた。

嘘の様静かで穏やかだった。

「全部、終わりました」

「はい。・・・帰りましょう、ハルカ」

私は心地よい疲労感に瞳を閉じ、そのまま意識を失った。

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