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第六十話

白石の廊下に、完璧に赤い絨毯が敷かれている。

真新しさしか感じないそれを慣れた表情で踏みしめ、時を重ねてきた美しい調度品に目もくれない彼の後を追う。

たどり着いた扉の前の衛兵達は、個性を全く消した表情で私達の顔を認識した。

職務通りに待機を命じると、扉を決められた回数叩き中に待つお方に声をかける。

「ブラムディ卿をお連れになって、エイガーベル様がお戻りになられました」

「どうぞ、お入りになって」

中から聞こえたのは、人が思わず耳を傾けたくなる優しい女性の声。

促されるまま扉をグラハムが開き、待つその人の前でひざまづいた。

私もそれに続き、嘗てと同じように膝をつく。

「此度はご面会をお許しいただき、感謝致します。ローレンシア様」

この方とこの場所でお会いするのはいつ以来だろうか。

まるで時間が巻き戻ったかのような錯覚を覚えた。

「お立ちになってください。貴方が来てくださって、とても嬉しいです」

白金の髪を揺らし、白い頬に少しの紅を乗せて、可憐にローレンシア様は微笑んだ。

王族に対する畏れの念は、貴族の血を引くものであれば本能で持っている。

王族を敬い、尊ぶ。それこそが貴族を貴族たらしめると言っても過言ではない。

自らの歴史と伝統を正当だと理由づけられる最も根元的な存在。軽んじる者など貴族ではない。

しかしこれから行う事は、その本能に逆らう事かもしれない。

グラハムに頼み面会を叶えてもらったが、彼とても私がここで無礼を働けばその剣にて私を斬るだろう。

それが例えどんなに彼個人としての悲しみを負うものであったとしても、その予想を裏切ることは決して無い。

かつてその覚悟を私自身がしなければならなかったからよく分かる。

私は汗がにじみ出る事を感じながら、それを押し隠して姫の前に立った。

「貴方が好きな、洋菓子を用意しておきました。喜んでくださるかしら?」

「いただきます」

用意された席に座り、私は出された洋菓子に口をつける。

有名な料理人が作ったものだったが、その味など気にするどころではなかった。

「今のお仕事はどうですか?忙しい場所だと聞いてます」

「やりがいのある場所です。自分に向いているかと」

心なしか不満そうな顔をされる。昔、仕えていたから分かる程度だが。

「近頃は沢山の会に出席されてるそうですね」

「はい。人と会う事の大切さを、この年になって今更痛感しております」

「では秋の懇親会も出席するのかしら?私もあの会には顔を出します」

「・・・そうですね。ただ、先の事ですので直ぐにお答えできません」

私は分かるように深く息を吐いて、その場の空気を変えた。

思えば、サモラがハルカを追いつめたのはローレンシア様に出会って申し出を断った直後の事だった。

サモラが何故、ハルカの師がアーノルドである事を知っていたのか。

いくらアーノルドが魔術師だとしても、犯罪人の居場所を管理するのは別の機関である。

名を変え、辺鄙な場所に住み、別人として生きていた男の過去を記録した資料は恐らく機密文書として保管されている。

それを知り得たのは誰か。想像した時、答えは難しくなかった。

「・・・どうか、もう手を引いて下さいませんか」

私の推測を予め聞いていたグラハムは、緊張した面もちでローレンシア様を見つめる。

二人の視線を集めるローレンシア様は一度瞼を静かに閉じると、私に微笑みすら浮かべて口を開いた。

「どういう意味かしら」

私はその言葉に答えることが出来なかった。何故なら証拠が無い。

ローレンシア様だという私の確信しか無い。

魔術会に何度も赴いていたローレンシア様ならばサモラと面識があっても不思議ではない。

そしてサモラとしても、表だって自分自身がハルカを罵倒しても安心出来るだけの後ろ盾があったからなのではないか。

不自然なまでに評価されないハルカの功績についても、この方ならば難なく防ぐことが出来る。

「人払いを」

私がローレンシア様に願うと、姫は手振り一つで他の者を退出させた。

残ったのは私とグラハムとローレンシア様の三人のみ。

私は此処に負け戦をしに来たも同然なのである。姫が何も認めないのであれば、私は簡単に全てを失う。

それでも来たのは命を懸けて戦うあの人と、少しでも同じ土俵に立ちたいから。そして、かつての主への信頼がまだ残っていた。

だから私は行ったことを糺すのではなく、ただ核心を突いた。

「私は姫のものにはなれません」

静かな部屋に私の明瞭な声が落ちた。

ローレンシア姫はしかるべき時にしかるべき者へと嫁がれるだろう。その事を分かっていらっしゃる。

けれどその運命から逃れられないのなら、下々の者を己の意志で人生を決定させる権利があるとも恐らく同時に思っておられるのだ。

かつて、私はその思想の一端を垣間見た。あの時、この同じ場所で。

ローレンシア姫は笑みを消し、感情の読めない顔で言った。

「あの者が、それほど優れた者だとは私には思えません」

私から逃げて、何故あの人の下に行くのかと。意味するところは民草の嫉妬と変わらない。

しかしローレンシア様がこのように自分の意思を主張するのは、恐れ多い事に私に関する事だけだった。

他の何もかもを完璧に王族としてこなし、求められるがままに自分の全てを与えるこの方が欲するたった一つ。

それが私自身である事が悲しく、だからこそ私はただ只管に真っ直ぐ自分の言葉で伝えに来た。

ローレンシア姫の献身的で犠牲的な生き方に敬意を表して。

「どうあっても。もはやローレンシア様のものとなれない理由があるのです。

この身、この血肉魂すら全てあの方に捧げているが故に」

空気が変わる。日の光の差し込む明るい昼の部屋に、突如として夜の最も淀んだ気配が場違いに出現した。

濃密な呪いの気配。感情によって成される奇跡。それは正常な人の道では決して交わらない底の力。

私は戻れない場所から彼らを見ているのだ。

皮膚の下に眠る呪術を分かりやすく顕現させると、黒々とした文字が頬を駆ける。

湧くように文字が現れ体中を巡りだすと、ローレンシア様が声にならない悲鳴を上げて私から数歩遠のいた。

生き物のように這う文字達はさぞ悍ましい見た目なのであろう。けれど、貴女がこれから目を逸らしてはならない。

「恭順の呪か…!」

グラハムが驚愕した様子で声を上げる。それもそうだ。

こんなどうしようもない呪いを使う者など、まずお目にかかれない。知る人すら限られている。

「リカルド、何処でそれを…!」

そこまでグラハムが言いかけて、弾かれた様にローレンシア様を見た。

ローレンシア様は視覚的な暴力に耐えかねて、涙を流して顔を覆っていた。

その様子を見てもう十分だろうと呪いを皮膚の下に隠す。嘘のように淀んだ気配も去って行った。

グラハムが憤りを隠さず姫に問いただした。

「まさか、ローレンシア様なのですか!」

「何が…悪いのですか」

衝撃から抜け切れないまま涙を流しながら、姫がグラハムと私を見る。

「全てが決まっているのです。何もかも私の意見を伺う振りをして、全て予め決まっているのです」

「だから私を意のままに操って良いと?」

姫は私に縋る様に言う。その涙の意味はもう変わっていた。

「言葉など、どれだけ言っても裏の心は分からないではありませんか!

私は証が欲しかったのです。他の意味など無く。貴方に離れて欲しくなかった。たった、それだけ」

あの日ローレンシア様は私に禁呪を教えた。慈愛の顔に女の表情を滲ませながら。

直接的に言葉にこそしなかったものの、その意味は明らかだった。

誓えと。言外にローレンシア様は私に伝えた。

「どうしてあの者なのです!

あなたは命散る戦場に赴くことを希望してまで、私から逃れ、その呪術から逃れたのではなかったのですか!

なのにどうしてあの只の、凡庸な、魔術が使えるだけの子男に、その術を使ったのです!」

もはや決して手に入らぬと知って、取り繕いようもなく嘆く姫に普段の穏やかさはまるで見えない。

元より権力のある王族として生まれた姫である。命じれば呪術なくとも言葉通りに私は従わなくてはならない。

ローレンシア様の証が欲しかったという言葉は真実であるかもしれないと思わせた。

しかし、それに透けて見える私自身への軽視に何より失望したのだ。

「貴女は間違っている。ローレンシア様」

言ったのはグラハムであった。彼女の狂騒を見守っていたグラハムは、静かに彼女の過ちを指摘した。

「恭順の呪は、主たるものがその呪を以て命じる事が出来ない不完全な術なのです」

「え…?」

唐突に言われた事実に、姫は言葉を失って無防備な顔をした。

私もグラハムが言い出した事に耳を傾ける。呪術の特性上良くない裏があるのは常の事。

この術を知った時から、ある程度察して既に調べていた。騎士であるからこそこの術の意味に気づいた。

私よりも王族に近く、そして職業柄よくその術について知る環境にあった男は私よりも詳しく事情を語った。

「この術をかければ従者は主人に決して逆らえない。その意志など関係なく。強すぎるのです。

何度も従者の意志に反して命じれば、己の意志に関わらない強制力に従者の心は死ぬ。

それはつまり、廃人となるということです。

命令を出さねば動かぬ廃人など、それこそ使い物にならないでしょう。

一方で従者の意志に沿う命令であれば、呪術を使う意味などない。

だから、この術は使えないのです」

「な…ならばなぜ…このような術が…?」

呆然とローレンシア様が呟く。自分が手にしていた呪術が毒薬であると知り、受け止めきれない様子だった。

「これは従者が望み、進んで行う術。主人が求めるものではありません、姫。

かつてとある騎士が始まりの王にその忠心を異民族であるが為に疑われた。

ならばと自らに施したのがこの呪術です。術を行使させない人物であると術者が信頼してこそ、初めて成り立つ忠心の証。

騎士は廃人になる事実を王に語らなかった。けれど騎士が壊れる事は生涯無かったと聞きます。

廃人となる者が出たのは後の世代になってから。騎士の誓いを軽んじた主のせいで、多くの者が犠牲になりました」

「そんな」

ローレンシア様は崩れるように床に座り込んだ。姫は願った瞬間に望んだものを失ったのだ。

もしローレンシア様が私に術を教えなければ、私はまだ王族に仕える誇りのままに近衛騎士であったかもしれない。

あるいは願われた通りに呪術を使って姫に誓っていたならば、今頃はどうなったであろう。

その答えは、このように事実を知り普段の仮面を被る気力もないローレンシア様の様子を見れば分かった。

「あの者は…どうだったのですか?貴方の誓いを受けたハルカ・グラークは」

「私が正気であることで、お分かりになりますでしょう」

本能的に掴み取った運命の奇跡を、私は噛みしめた。

私は私の運命の人の為に、深く深く頭を下げ、全てを投げ捨てて縋るように姫に願った。

「どうか、我が主をお認めになって下さい」

ローレンシア様は、受け止めるように静かに瞼を閉じた。

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