第五十九話
馬車を降りたと同時に胸の中に勢いよく飛び込んできた人影を、反射的に抱き止める。
離れまいと私の背に手を回し顔を押しつけるその人の、香りで私はその人影の正体が誰であるか知った。
「セラフィさん」
「お待ちしておりましたわ!」
抱きつかれているため見下ろしたセラフィさんの頭しか見えなかったが、次第にその体が小刻みに震えた事から彼女が泣いていると知った。
じわりと罪悪感が沸き上がる。彼女に何も伝えずに姿を消して、どれほど不安にさせてしまっただろうか。
「もう、会えなくなってしまうかと・・・」
「すみません。貴女を泣かせてしまいました。
もう二度と、黙って姿を消したりなどしません」
「・・・こうして戻ってこられただけで、十分ですわ。
でも、ハルカさんには私がおりますこと、思い出してくださいな。
貴女は一人ではありませんのよ」
そう言うと顔を上げ、涙で潤む瞳を向けられた。彼女にこうして見つめられ、心に響かない者がいるだろうか。
「セラフィさん・・・!」
私は友人の心から案じてくれる様子をありがたく思いながら見つめ返した。
そしてはたと気づく。自分の姿は今、元の女の姿になっている事を。
「私だと、何故分かったのですか」
「間違えるはずもございませんわ!親友の事ですのよ。
綺麗な黒髪ですこと・・・。それがハルカさんの、本当の姿ですのね」
「そうです・・・これが、私です」
感極まって再び熱く抱きしめ合う二人の後ろで、決まりの悪い顔をしたリカルドと複雑な表情のグラハムが互いに視線を交わしていた。
グラハムは私たちのすぐ傍まで歩み寄ると、王を前にしたときのように私に対してひざまづいた。
「グラーク殿・・・今までの貴女への非礼を謝罪する。
私は貴女を思いこみで判断し、勝手な都合で敵視していた。
それらは全て大いなる過ちだった」
思いがけないグラハムの態度に驚く。彼にこんな事をされるとは思ってもいなかった。
リカルドはグラハムの行動に、今までの事を察したようでグラハムに厳しい目を向けた。
思わずセラフィさんに視線を向けてしまったが、セラフィさんはそれに気づかず何処か怒った表情でグラハムをじっと見ていた。
「いえ・・・どうか頭を上げてください。困ってしまいます。
寧ろ、グラハムに怒られる覚悟でした。私は今まで貴方を騙していたんですよ」
するとグラハムは真面目な態度を一転させ、平然とした表情で立ち上がり言った。
「それもそうだな。ではそうさせてもらう。
・・・ではハルカ、リカルド。とりあえず、屋敷の中に入るぞ」
リカルドの屋敷の中へとまるで自分が主であるかのように堂々と入っていく。
後を追って行く私に、リカルドが声をかけた。
「グラハムが・・・、このような物言いで申し訳ないです。
けれど、謝罪の気持ちが無くなったのでは無いのです。
今後、態度にてそれを示すでしょう。誠実な男です」
なるほど確かに私の性格上、謝罪されても謝罪を返してしまうので切りが無い。
だから早々にああしたのだろう。さりげなく私の名前を呼んでいるところからして、私を友人の一人に加えてくれたようだ。
「彼が不誠実では無いと分かってますよ」
するとリカルドはほっとした表情になった。
彼にとって大切な友人であるグラハムと、私との関係が拗れずにすんで安心したようだった。
部屋に入ると家人達が出迎えてくれた。
彼らにも私の姿について伝えると、驚きながらも戻った事を喜んでくれる。
私がいない間のリカルドの不調を口々に話し、いかに私が必要かと説いてくれる。
そんな事態になっていたかと、申し訳なさを抱きながらもそこまで私を気にかけてくれていた事に不謹慎な喜びを感じた。
多分な迷惑をかけた彼らに頭を下げつつ言葉を交わしていると、アルフレドが進み出て彼らと同じような言葉を口にした。
「お戻りになられて、安心致しました。
やはりハルカ様がいらっしゃらなくては、この屋敷から火が消えたようです」
「・・・アルフレドにも、迷惑をおかけしました」
他の人たちと変わらないその物言いに、私はアルフレドもただの家人として接してくれようとしている事に気づいた。
それで良いと思う。私は既に決断しているのだから。
私は分かたれた二人の道の距離を感じつつも、とても落ち着いた気持ちでいられた。
リカルドだけは少し沈黙をして私たちを見比べていたが、結局何も口には出さなかった。
何か察していたのかもしれなかったが、口に出さないという事はリカルドも私の選択を理解したのだろう。
そしてグラハムが家人達を仕事に戻らせ、ようやく落ち着いて椅子に座る。
4人で向かい合うように大机の周りに座ると、グラハムが口を開いた。
「それで。今後どうするつもりだ」
「首都では、私の話はどうなっているのでしょう。やはり、突然退出しましたから、良くはないのでしょう?」
「ああ・・・まあ、確かにアーノルドの弟子だと知れ渡り評判は良くないな。
ただし、あっちも相当に評判を落としたようだ」
「というと?」
「直接的過ぎたからな。軍人のハルカの熱烈な支持者らが、ならば貴様等が前線に出ろと騒ぎ立てている。
今、魔術師たちと軍人の対立がかなり深刻化しているのだ。
その原因となったサモラに貴族側も甘い顔をもはやできんというわけだ」
「そうでしたか。では、早急に事態を収束させなければならないのですね」
戦後のただでさえ混乱している時期に、つけ込まれる隙を作っているようなものだ。
「軍人達を押さえるのか?ハルカが出れば、表向きには収まるかもしれないが溝は埋まらない」
「いえ。もっと別の方法を取ります」
グラハムとセラフィさんの視線が集まる。
彼らの反応は良くないだろうと分かっていながら、私は口にした。
「カナウカレドを討伐します」
グラハムは絶句し、セラフィさんは立ち上がり私に詰め寄った。
「何をおっしゃってるか、お分かりですの!?
いけませんわ!そんな事、絶対に!」
「死に行くようなものだぞ」
私は予想通りの反応を受け、案じてくれる彼らの心を嬉しく思った。
「ええ、どれほど危険であるかは知っています。それでも」
涙を頬に伝わせて、私の腕をセラフィさんが掴んで見つめてくる。
本当に自分の事を思ってくれる彼女を裏切るような酷い事を言っている自覚はあった。
「許しませんわ。ハルカさんがそこまでしなければいけないとは、誰も思ってませんのよ」
「その通りだ。馬鹿な考えは捨てろ。リカルドも何か言ったらどうだ」
グラハムは焦ってリカルドに言ったが、リカルドは困った顔で首を横に振った。
「もう既に、決められている」
私を引き留めていた二人は諦めた表情のリカルドと、私を見比べて絶望した。
まるで死ぬと決まった人を見るかのように、痛ましい顔で私を見た。
それほど危険で死に満ちている選択だと、今更ながら二人の反応から感じた。
「『彼』に会いに行く理由は、全く別の事からです。
結果的に状況を打破するかもしれないというだけで、私は元々『彼』を捨ておいてはいけない」
私は慰めるようにセラフィさんの涙を指先で拭いながら、告白した。
「カナウカレドと私は同じくしてこの世界に現れた。
たった二人だけの、異世界者なのです」
しばしの間、沈黙が流れた。理解すると同時に二人の目が大きく開く。
その一言で、優秀なる高貴な方々は全てを知った。
グラハムは理解し目を手で覆うと、私の決意の重さを知り深く俯いた。
セラフィさんは何も語らず涙を流し、確かめるように私の頬に手を伸ばす。
その手を取り顔をすり寄せながら、私は今この人たちに会えた奇跡を思う。
私が彼らの精神を削っているのもしっていて、それでも行かなければならない。
私がこうして人に恵まれて幸福を感じる度、もう一人の異世界の生き物の事を思わずにはいられない。
カナウカレドには私しかいない。
言葉を話せない怪物の心情を、決めつけてしまえるのは私の権利だ。
「戻ります。必ず」
「必ず。必ずです。ああ、どうか・・・」
言葉も続けられず崩れ落ちそうになる彼女の体を、私は覚悟と共に抱き止めた。