第四十八話
「信じられませんわ!」
馬車に少女特有の高い声が響く。御者には聞こえてしまっただろうが、そんな事気にしていられない。
私はリカルドさんに仕える家人が、狼狽しきって私を頼ってきた理由が未だに信じられなかった。
「ハルカさんが急に居なくなってしまわれたなんて」
あの強い人が何も言わず出ていくなんて、相当の事がなければありえない。
魔術会で強く誹謗中傷をあびた話は知っていた。
けれど、いくら師弟関係であっても罪は弟子に継承されないのは一般的な認識だ。
つまりサモラ様が晒した過去は、確かに誇れはしないものの彼女自身を貶めるものではない。
勿論そう割り切っている人の方が少ない現実もあるけれど、ハルカさんが逃げ出すほどの理由には思えなかった。
何よりも…この友人に。いえ、親友に何も言わずに行ってしまうなんて!
消える前に頼って下さればよかったのに。
その事が結構な衝撃だったけれども、今までの苦労を思えばハルカさんを非難する気は起きない。
一番苦しい時に傍にいてあげられない事が、悔しかった。
「そして、何よりリカルドさんも!」
急いで彼の家に向かって見れば、リカルドさんは私に顔すら見せに来なかったのだ。
『大丈夫』『とりあえず、後で』『問題ない』
という単語を人づてに伝えるばかりで追い返された。
申し訳なさそうな家人の話によると、家の主はすっかり部屋から出てこなくなったという。
今こそ主人を助けるべく騎士が動くときでしょうに、何を考えているのか。
情報が人づてしかなく状況が判断出来ないのでどうすれば良いのか困り果てた。
考えた末、普段リカルドさんと仲が良いエイガーベル卿を頼ることにしたのだった。
思いついた人に力を貸してもらうべく馬車を走らせている。
暫くすると、馬車が止まった。目的地に到着したらしい。
急いで馬車を降りると、目を丸くしている使用人に話しかけた。
「突然失礼します。グラハム様はご在宅でしょうか?」
「は、はい」
「急用ですわ。セラフィーナ・ドレアグム・ソールズパラです。
グラハム様に取り次いで下さい」
「少々お待ち下さい」
早足で屋敷へと確認しに戻った使用人が許可を得て戻ってくると、私は案内人を追い越す勢いで応接室へと向かった。
そこでは普段よりくつろいだ格好のエイガーベル卿が居り、私を騎士らしく丁寧に出迎えて下さった。
「こんにちはセラフィーナ嬢。ようこそ」
「突然の訪問にも関わらず、お会いして下さって嬉しいですわ。
申し訳ございません。どうしても急いでお会いしたかった」
「そんな事をおっしゃられると、純朴な私などは勘違いしてしまいますよ」
「ご冗談を。今日はリカルドさんとハルカさんについて、ご助力いただこうと思って参りました」
約束もなく現れた私に不機嫌な顔を見せず対応してくれていたエイガーベル卿は、二人の名前を出したと同時に表情を硬くさせた。
気づいていながらも私はそれに怖気ずに、彼らの現状を話した。
「ハルカさんが姿を隠してしまわれたのです」
「そうですか。それで?」
余りに冷たい物言いに私は愕然とした。リカルドさんの友人であるにも関わらず、ハルカさんとの非常に遠い距離を感じた。
「それで、ですって?」
「私にどうしろと仰るのです。逃げ出したものを無理に追っても仕方ないでしょう」
「どうして理由も知らずに逃げ出したと決めつけるのですか!
リカルドさんもすっかり気落ちしてしまって、大変な状態なんです。
友人として、どうか何があったか聞き出して励ましてあげて下さいませんか」
エイガーベル卿は私の話を聞いて、深々と溜息をついた。
「リカルドが…。そうですか」
「ええ。ですから…」
「しかし、私は何もしません」
「どうしてですの!?」
まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように、私に向かってエイガーベル卿は言った。
「いいですか、グラーク殿が姿を消したのは残念な事ですが、この程度乗り越えてもらわねばこの先何があっても立ち向かえません」
「それでも何か私たちに出来る事はある筈ですわ!リカルドさんのご友人ではありませんの?」
「友人だからこそです」
「リカルドさんも苦しんでおいでですのに」
「その点については、私も辛く思うところですが。それで思いが断ち切れるならば、苦しみも仕方ない事でしょう」
「戻ってこないと思っていらっしゃるような口ぶりですわ」
「そう望んでいるのです」
酷い、と思わず口に出して非難してしまった。
助けを求めた人物の、私の友人への冷たさに打ちのめされる。
エイガーベル卿はそんな私に対して疲れた顔をして言った。
「グラーク殿は我が友たるリカルドの主であるからこそ、強くあらねばならない。誰よりも何よりも。
そうでなくては、今後彼の苦しみが増すだけです」
「姿を消した今以上にリカルドさんが苦しむと、何故お分かりになるんですの」
「知っているからです、彼の奥深くの望みを!」
それは絞り出すように出された叫びの声だった。
「望み?」
「私からは言えないが。ともかく、失踪についてはグラーク殿が戻ってくるのを待つべきです」
エイガーベル卿はそれ以上リカルドさんの望みについて、言おうとはしなかった。
一体何を知っているのか分からなかったが、エイガーベル卿も単純な理由で協力してくれない訳ではなさそうだった。
「待つ?それは結局、何もしないのと同じですわ」
私は助けを拒んだエイガーベル卿よりも、何も出来ない自分の無力さに失望した。
今苦しんでいるハルカさんを支えたいのに。
人探しを何処かに依頼したり、会って下さらないリカルドさんの所へもう一度戻ってみるべきか。
ハルカさんは一体何を一番苦しんでいるのだろう。
「きっと、頑張り過ぎたのですわ」
あの方は積極的に前に出られる性格ではなかったし、この都に知り合いも居ないようだった。
そんな中、性別すら偽って暮らしていくのはどんなに心細い事だろう。
「女性の方ですのに」
それは思わず漏れてしまった心の声だった。信頼できるエイガーベル卿の前だからだったかもしれない。
その呟きを拾ったエイガーベル卿は、突然私へ距離を詰めた。
「今、何と仰いましたか」
自分の発言の危うさに気づき、慌てて私は誤魔化した。
「な、何でもありませんわ」
「グラーク殿は女性なのですか!」
しっかり聞かれてしまっていたらしい。
ハルカさんが必死に頑張ってきた事を私が駄目にしてしまうかもと思い、慌てて否定した。
「いいえ、いいえ!」
「…セラフィーナ嬢。貴女はもっと嘘のつき方が上手になるべきですね」
エイガーベル卿はそう言うと、急ぎ足で部屋の扉へと向かった。
「何処に行かれるのです?」
「リカルドの元です!」
態度を変えて急に動き出したエイガーベル卿は、あっという間に部屋の外へ飛び出すと走り去ってしまった。
その速さたるや私が混乱している間に窓の外から馬の足音が聞こえてくる程だった。
「お…お待ちになって!」
取り残された。
その事実にようやく気付き、私は急いで馬車へと駆け戻ったのだった。