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第四十六話

扉を後ろ手で勢いよく閉じた音で、正気付いた。

はたと周囲を見回してみると、立っていた場所はリカルドから借りている私の部屋だった。

どうやら会場からの道のりは荒れ狂う意識のまま、体だけが勝手に動いていたようだ。

胸の内で咆哮するの感情はただ只管の怒りである。

理性だけでは収まらない圧倒的な怒りが、ぐらぐらと頭蓋を揺さぶって仕方ない。

…カナウカレドを召喚し…

あの馬鹿の声が再生される。動物的な破壊衝動が私を支配した。

むかつく。腹立たしい。苛々する。

宛がわれた部屋の机の上に置いてある、ペン立てとインク壺を苛立ちに任せて払い落とした。

硝子で出来たそれらが高い音を立てて割れ、罅から黒が零れて床に広がっていく。

周りを侵食する黒を見ても、一向に収まらない。

壁にかかっていた掌に収まる小さな絵の額縁を掴むと、反対の壁に向かって叩きつけた。

どれもこれも、全て。目障りだ!

部屋に備えていた短剣を持ち出し刺繍の施された枕を深々と突き刺したが、柔過ぎて手応えが無かったので、裂け目から白い羽根を掴んで出した。

廊下から使用人達の気配を感じたが、賢明な彼らは安易に入ろうとしなかった。

落ち着かずぐるぐると同じ場所を歩き回り、壁に向かって拳を振るう。

よくも、よくも!!愚かとしか言いようがない!

奥歯を強く噛みしめて、無理やり腰を羽根だらけのベッドに下してみた。

床を意味もなく足で何度も全力で踏みつける。

鬱陶しい。全部、消えて無くなればいい。跡形も無く。

この靴もこの床もこの部屋もこの屋敷もこの地もこの世界も。

気に食わなくて鬱陶しくて。何もなくなればいい。

ばらばらと崩れ落ちるように闇に呑まれてしまえばいい。

砂粒一つ残さず無に返ったのなら、この苛立ちも少しは静まるだろうに。

扉の向こう側から声や人の音が小さくなり、集っていた人々の気配が散っていくのを感じた。

誰かがそう指示したようである。誰も居なくなった扉の前で、意を決したように彼は入ってきた。

「失礼します」

逃げ帰った主人を追って急ぎ帰宅したリカルドは、私に劣らず動揺した表情だった。

彼はこの部屋の惨状を見て絶句していた。

彼の望む通りの人間であろうと努めてきたが、所詮皮を被っていたに過ぎない。

私の獣のような一面を見られてしまったかと諦めに似た気持ちになった。

何も言えないでいるリカルドに対し、何とか脆い仮面を被り話しかける。

「済みません、今は、一人にしていただけますか」

「しかし、」

「貴方に!この感情をぶつけてしまいそうなんです!

放っておいて下さい!」

八つ当たりのように怒鳴り散らし、私は手で顔を覆った。

外からのどんな情報も私の内に入れたくない。体の中で溢れるものだけで手におえないからだ。

出て行ってくれないか。早く。静けさだけを望んでいる。

扉が開閉する音が聞こえるのを待つがリカルドはその足を動かさない。

普段は過ぎるぐらいに忠実なくせして、何を迷うのか。

躊躇いながら、リカルドは私に言った。

「師弟の間に罪の共有はありません、サモラが何を言ったところで、ハルカ様の名に傷はつくことは…」

「黙れ!!」

反射的にそう叫んで立ち上がった。敵を見るように険しい目つきでリカルド睨み付ける。

リカルドの発言が、余りに見当違いだったからだ。許されない過ちだった。

私が顔も知らない男に貶されて悔しがっていると?違う!

知らぬ有象無象の輩に罵られるなど、そんな覚悟、とうの昔に出来ている!

「ハルカ様、私が全ての問題を解決します、だから…」

更に間違いを犯し言葉を続けようとするリカルドに我慢が出来なくなり、彼に近づき足を払って床に引き倒した。

彼が抵抗すれば私の体術など簡単に防げるだろうに、リカルドはされるがままに倒された。

「黙れと言ったのに、よく回る口だ」

胸倉を掴み、野蛮なほど荒々しく顔を近づけた。

のぞき込む瞳は困惑の色に染まり、彼を年齢より幼く見せる。

忘れる程に深く奥底に眠っていた真っ黒な破壊衝動が、何もかもを壊してしまえと耳元で囁く。

なんという甘美な誘惑か。

私は胸倉を掴んでいた手を離し、無防備に晒された白い喉元に右手を這わせた。

「腹立たしくて堪らない。何もかもが」

一面の怒りに目も眩む。呼吸の仕方も忘れてしまった。

首においた手から、リカルドの皮膚の下を走行する血管の脈の速さを感じた。

「お前をぐしゃぐしゃにしてしまえば、少しはこの腹の虫も収まるだろうか」

それは良い。きっと楽しい。虚しくて、楽しくて、紛れるだろう。

消えぬ傷をつけてこの美しい人を壊してしまえば。

暗く醜い笑みを浮かべながら、私は私を捨ててその欲望に流される。

「ハル…ッ」

私の名前をなおも言おうとしたリカルドの喉を右手で締め上げる。

爪を立てた左手が、彼の胸から血を滲ませた。

このまま続けていけば、呼吸が出来ず苦しくなってくれば私を押しのけようとしてくるに違いない。

その時はどうしようか。その時こそ、この部屋から追い出して固く扉を閉じてしまおう。

手の力を次第に強くしていくにつれ、彼の表情は苦悶に満ちたものになる。

私の勝手な妄想と、現実のリカルドは違っていた。

手を私に上げることもなく脱力させ、いつまで経ってもされるがままである。

私を見上げるその瞳が、私の暴力全てを受け入れて、静かに閉じた。


「違う!」


堪らず叫んだのは私だった。両手を放し頭を抱える。

本当は、こんな事を望んでない。

リカルドは私を自らの身を投げ出すことで、私に悟らせた。

今の私の醜さと、彼の無垢な私を慕う気持ちを。

思い描く自らの姿とあまりにかけ離れた自分の姿を、鏡のように示したのだった。

圧迫から解放されて咳き込むリカルドに、麻痺していた罪悪感がこみ上げる。

私は一人でまだ戦える。内に潜む凶悪な怒りも、押しとどめて見せよう。

自分に言い聞かせ、私はリカルドに向かって今度は弱弱しい手つきで背をさすった。

「ごめんなさい。酷いことをしました」

「いえ。構いません。それで気が収まるのでしたら、私に」

そんな事さえ言うものだから、私は益々自分を取り戻さなくてはならない。

しかし感情が収まったわけでは全くなく、理性と感情の二つに、自分が分かれてしまうのではないかとすら思えた。

「そんな事を言わせたのは…私ですね。不甲斐ない。

リカルド。私は大丈夫です。それに貴方を傷つけたくない」

私は出来る限り安心できるように、まともな微笑みを浮かべてリカルドを立ち上がらせた。

リカルドは普段通りの表情の私の様子に安堵したようだった。

やはり、リカルドを傷つけるなんて出来ない。

「…部屋の片づけは自分でします。リカルドはどうぞ、自室へ戻って下さい」

リカルドは探る様に私を見てきたが、私は心を全く悟らせないように普段の仮面を被ってリカルドを部屋の外へと促した。

「さあ、」

「…何かあれば、直ぐにお呼びください」

「そうします」

少し不安がりながらも、彼はそれ以上は追及せず私の部屋から出て行った。

リカルドが去るのと同時に大音量で手におえない感情が叫びだす。

心が悲鳴を上げている。壊れるか壊れないか、危ういところだ。

向き合わなくては。

誰も居なくなった部屋で、一人静かに瞼を閉じた。

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