第四十四話
大規模な魔術が使われても良いように、魔術会の開催場所はとても開けた屋内施設だった。
魔術を通しにくい素材の石で建設されたこの施設は、普段は魔術に関連した試験や実験の類に利用されている。
普段の味気ない内装とは異なり、今日は国という後ろ盾の存在を十分に感じさせる立派なものに飾り付けられていた。
多くの人が行き交う中を私も人に混じり歩いていく。
敵対する人間がいる場所であるので出来れば人混みに紛れ込みたいが、リカルドをつれていればそれは無理かもしれない。
せめて存在感を出来るだけ薄くしようと、流れに乗って適当に会場を彷徨いてみる。
どのみち主たる催しが行われている何れかの場所に行かなければならないので、悪あがきにもならないのだが。
「グラーク様!」
呼ばれた私の名前に、あからさまでは無いにしろ周囲の人の注意がこちらに向けられたのを感じた。
隣に立つリカルドは無表情で半歩前に出て、私に近づく男を威圧する。
何が起こるか分からないと、リカルドは今日非常に緊張感をもって護衛してくれているのだった。
人混みの中を小さい体ですり抜けるように通ってきた彼に、私も名前を呼ぶことで応えた。
「ライダール様、あなたも来られていたのですか」
「はい。此処にくればグラーク様にお会いできるかと思ったので」
どうやら純粋に私を慕ってくれているようだ。嬉しそうに人懐っこい笑みを浮かべている。
リカルドも敵意を感じなかったようで、私の後ろに静かに下がる。
ライダールはリカルドへ一度視線を向けてから拒絶されなかった事に安心したのか、改めて私に対し一礼した。
「あの、僕は、姿を変える術を究めていこうと思います」
一瞬何のことか分からなかったが、そう言えば以前進むべき道は何であるのかと聞いた事があった。
それを今答えようとしてくれているのだろう。
愛らしいほどの真っ直ぐさに、私は敵陣の中であるのにその事を一瞬忘れてしまう程に心を和まされた。
「どうしてそうお思いになられたのですか」
「必要としている人に、必要な力を。
そう思った時、酷い怪我を負い人前に出ることが出来なくなった人の話を聞いたのです。
彼らの力になれれば、と」
「そうでしたか」
顎の骨や耳、鼻を削がれた者は悲惨である。外貌の醜さの為に人前を避けるようになってしまうのだ。
多くは自分の容姿を変える事ばかりに使われる術を応用し、他人の姿を変えられるようにまで発展する事が出来れば彼らの助けになるだろう。
しかし自分以外の体を変えるのはなかなか難易度の高い事である。
「良き道を選択されましたね。
わざわざ教えに来て下さり、ありがとうございます」
「はい、頑張ります!」
私の言葉を聞き、ライダール様は自信を持ったようだった。
屋敷に侵入して来たときよりずっと成長して見えた。彼は自分で自分をここまで育てたのだった。
真っ直ぐさがこのまま良い方向へと向かっていけば、素晴らしい人になれるだろう。
「聞いて下さって、ありがとうございました」
ライダール様は元気よく一礼すると、そのまま人混みの中へ消えてしまた。
若い彼の情熱に触れ、自分が年を随分取ってしまったかのような感覚に襲われた。
「随分見違えました。よく悩んで考え、決めたのでしょうね。
彼のような若人が沢山出てくれば、この国も安心なのですが」
「・・・そうですね。しかし、私であれば、その芽を伸ばす事が出来なかったでしょう。
ハルカ様の言葉があればこそです」
「買いかぶり過ぎですよ」
こんなやり取りをしていると、再び私たちに話しかけてくる人が現れた。
「もし、ブラムディ卿でお間違いないでしょうか」
私ではなくリカルドに話しかけた男は騎士の制服を来ており、その制服から近衛騎士であると分かった。
誰であるのだろうとリカルドを見たが、リカルドにも覚えが無さそうな様子だった。
「貴方は?」
「ブラムディ卿をお呼びするように申しつけられている者です。どうぞこちらへ」
素性も明かされないが任務中だと思われる近衛騎士の命令を断れる筈もなく、私たちは後へ続く。
色々な事が起こり気が休まる暇もないが、仕方ない。色々な思惑を持った人間が集結しているのだ。
近衛騎士を使いに出来そうな人物など早々いない。
次第に無表情に近くなっていくリカルドの様子と合わせて考えると、当たっているのだろう。
先を歩く近衛騎士は薄布で簡易的に区切られた一角の前で立ち止まった。
「ブラムディ卿、グラーク様、お二方をお連れしました」
「ご苦労様。入っていただいて」
聞き覚えのある声に、ああやっぱりと思う。
薄布の向こうに案内されれば、思い描いていた人物が私たちに向かって微笑まれた。
現実味の無い妖精のような美しさ。間違いなくローレンシア姫だった。
「此方に来ていると知って、つい会いたくなってしまいました。
無理に呼びつけてしまいましたが、構いませんでしたか?」
「ええ、勿論です」
リカルドが答える。その後でローレンシア姫は私に顔を向けられる。
「グラークさんも」
「構いません」
視線は一応此方にも向けられるが、どうも二の次にされているような雰囲気を感じる。
招待されたのはあくまでリカルド一人であり、私はローレンシア姫の眼中にないのかも知れない。
僅かな程度なので、私が嫉妬深くそう考えてしまうだけだろうか。
ローレンシア姫は幾つか見応えのありそうな魔術会の発表について、楽しげに私たちに話された。
誰がどんな魔術を披露し綺麗であるとか、毎年出席する人の発表内容の変遷であるとか。
決して浅く見ているだけでは言えないような、かなり踏み込んだ事をおっしゃられる。
私はその裏にある姫のずば抜けた記憶力や頭の良さに舌を巻く思いだった。
しかし内容は別段私が身構えていたようなものではなく、ただ同意を求めるぐらいのものだったので少し安心する。
リカルドという知人の話し相手が欲しかっただけなのか。私は知らず入っていた力を抜き、ただただ相槌を返す。
そして当たり障りの無い内容を一頻り話し終えた後、その油断を鋭い刃物で切り裂くようにリカルドへ言った。
「リカルド、近衛騎士に戻るつもりはありませんか」
私は日常の話題でも言うかのような気軽さでローレンシア姫の口から出た話題に、絶句した。
リカルドは変わらない無表情さでありながら、返答をすぐにする事が出来ないようだった。
これが本題だったのだ。
姫の口からリカルドへ近衛騎士の話題が出るという事は。
一度既にその任を離れたリカルドにとって、剣を捧げよというのに等しいのではないだろうか。
「貴方は十分、戦地で活躍してくださいました。これからはその力を私の傍で発揮して欲しいのです」
目を細め、知的に笑うその姿が私には恐ろしく映る。
何も姫は強欲な事を言っているのではない。自分の恋愛の相手になるように強制している訳ではなく。
寧ろ客観的にみるなら彼の実力を高く評価し、王族として有能な者に栄誉を与えようとしているとみるべきだろう。
けれど、彼の主らしく務めてきた私にとって、あっけなく全てを覆されかねない一言だった。
「…そのような提案を頂けるなど、身に余る光栄にございます」
息を小さく止める。リカルドの言葉に、私の意識が集中する。次の言葉が最悪のものでない事を只管に祈った。
リカルドは恭しくローレンシア姫に頭を下げ、言葉を続けた。
「しかし、私には今の任でやらねばならない事が御座います。恐縮ですが、どうか無礼をお許し下さい」
「…そう、残念ね」
ローレンシア姫はつまらなそうに言った。
リカルドは私が戸惑うほど、簡単にローレンシア姫の提案を断ったのだった。
その事に嬉しさがじわじわと広がる。彼は、騎士としての栄誉より優先するものがあるのだ。
そしてそれが錯覚でなければ、主人としての私であると。
「御前、失礼します」
失礼ではないかと思われるほど素早く一礼して、リカルドは薄幕の外の世界へと出て行ってしまう。
私も慌ててローレンシア姫に一礼し、リカルドの後を追って出たのだった。
「大丈夫ですか?あんなに簡単に断ってしまって」
人ごみの中へと向かいながらリカルドに聞くと、彼ははっきり明言した。
「良いのです。私は自らの望みを既に得ておりますから」
「そうですか」
私は下を向き、見られないようにしてから抑えきれない笑みを浮かべた。
この喜びの為なら如何なる試練でさえも乗り越えられると、誤った認識をしたのだった。