第四十二話
屋敷で会えたリカルドの顔を見て、首都に帰ってきたと実感した。
「お帰りなさいませ。ご無事でなによりです」
「ただいま」
荷物の整理も終わって、居間の椅子に座って一息ついていた所だった。
初めは慣れることなどないと思っていた屋敷だが、もう長いこと暮らしてしまって違和感など無くなってしまった。
「向こうはどうでしたか?何か不便などは御座いませんでしたか?」
「ええ。アルフレドがよく動いてくれましたし、特に問題はありませんでした」
アルフレドとは先ほど別れたので、今は自分の部屋に戻っているところだろう。
「それは良かった。偽物の処理もどうやら問題なく終わったようですね」
「思った以上に簡単に済みました。これで暫く何もなければ安心なのですが」
リカルドは緊張から解放されてくつろいでいた私に、少し躊躇しながら言った。
「お疲れの所申し訳御座いませんが・・・今、グラハムが来ています。
連れてきても宜しいでしょうか」
彼がわざわざ私を訪ねてくるなんて珍しい。一体どんな用事かと思いながらも許可を出した。
「どうぞ」
「では呼んで参ります」
リカルドが部屋を出ていってから暫くして、彼と共に相変わらず不機嫌そうなグラハムが顔を出した。
近衛騎士の制服を来ていることから、仕事の後に私のために寄ってくれたのだろう。
「ハルベルでの話を聞いた。随分活躍したそうじゃないか、グラーク殿」
「それほどでも。それより、私のことはハルカと呼んで下さって構いませんよ」
「断る。エイガーベルの名を悪用しなかったようで、何よりだ」
少しでも親しくなろうと言ったが、虚しく流された。
複雑な私たちの心中を知らないリカルドだけが首を傾げている。
「で、何の用事でいらっしゃったのですか。用もなく来られるとは思えませんが」
グラハムはベルを鳴らし使用人に紅茶を運ばせ、主よりも主人らしく椅子に腰掛けた。
「まあそうだ。以前、エフレン・ドノスティーアと話す機会があったらしいが、何を話したか覚えているか」
私は確かにローレンシア姫も出席していたオルバドルス侯爵の会にて、最近話をしていた事を思い出した。
「覚えています。取り立てて言うほどの事でもありませんが」
「宮廷魔術師の話題は出なかったか」
「そういえば聞かれましたね、なるつもりはないのかと」
「どう答えた」
「ありませんと、答えましたが」
その受け答えは平凡なもので、特に何の問題もないと思ったが二人の表情は違っていた。
「彼は確か、宮廷魔術師ウナイ・サモラ殿と親密な関係にありましたね」
グラハムは長く息を吐いて両手を組み、リカルドの情報を肯定した。
「そうだ。宮廷魔術師は今微妙な立場だ。
多くの特権を甘受しながら、今回の戦いにおいて戦功をあげられなかったからな。
ドノスティーアは恐らく今後グラーク殿がどうするつもりなのか、探ったのだろう」
「では私が宮廷魔術師にならないと言ったことは、彼らにどう影響するのでしょうか」
「これで名声を得たグラーク殿も宮廷魔術師にならないとすれば、ますます必要性を問う声もあがるだろう。
どうにかしてグラーク殿の考えを改めさせるか・・・排除するか」
外ばかりに目を向けていたが、国の中に思わぬ敵がいたものだ。
「ならば宮廷魔術師になると宣言すればいいでしょうか」
宮廷魔術師の戦場における無能さは私も良く知っている。
後方の安全な場所で指示を出すばかりで、倒れるのはいつも前線の無名の魔術師だった。
逃げ出すほどの器用さもなく、のし上がるほどの力もない彼らが如何に逞しく他の部隊を支えていた事か。
だから宮廷魔術師などなるものかと思っていたが、それが別の問題を運ぶなら呑み込まなければならないだろう。
「最早遅い。ハルベルで接触したあの偽物だが、現れる少し前にサモラ殿がハルベルで目撃されている。
この時期の重なりようは無関係とは言い難い」
私は頭を抱えたくなった。こんな事ならば、己の好悪など気にせずどんな権力も欲するべきであった。
ただ名乗りを上げるだけで、どうにかなると思っていた甘い自分が憎らしい。
「グラーク殿。爵位でも何でもとにかく、自分の地位を固める事だ。
出来うることなら紅玉章を狙え」
グラハムが何の躊躇いもなく言った単語に思わず息をのんだ。
紅玉章とは高踏な人物に授与される勲章である。
かつて魔術師マークレイドが手にしたその勲章は、強大な力を持ちつつも何にも囚われなかった彼のために作られ、以降手にした者は存在しない。
確かにこれ以上なく英雄の証としてふさわしい。
私は汗ばむ両手を握りしめ、彼に選定されるかのように緊張しながら聞いた。
「私に・・・とれるでしょうか」
しかし彼はあっさりと否定した。
「無理だろう」
「おい。どういう事だ」
人を煽っておきながら同じ口で簡単に否定するグラハムに、リカルドがたまらず彼の意図を問う。
グラハムは紅茶を優雅に飲みながら、力の入る私たちを前に説明した。
「たった一度の栄誉で狙えるほど甘くない、という事だ。
マークレイドも救国の英雄だが、彼は何度も戦場に赴いている。
故にグラーク殿は紅玉章には届かんだろう。
宮廷魔術師にならなくても、爵位はもらえるだろうから適当な所で妥協しておけ」
だったら口に出さなくても良いだろうに。一瞬期待を抱いてしまったではないか。
国の中枢にいるエイガーベル家の口から出れば、どんな法螺話や冗談も真実味を帯びて聞こえるのだからたちが悪い。
恐らく私はいいように弄ばれている。そう分かった途端、脱力した。
リカルドも疲れた顔をしていたが気を取り直し、顎に手をやりグラハムに聞いた。
「これだけ我々も動いているのですから、そろそろ叙爵の動きがあっても良いと思うのですが・・・。
グラハム、何か知らないか」
「確かに。俺自身は一介の騎士でしかないから、その辺りの事は良く分からないが。
平穏ならざるこの世の中だ。空いた席など余っている筈だ」
「それもサモラ殿が何か根回ししているのでしょうか」
「さて、な」
水面下で得体の知れないものに取り囲まれてしまってないか、私は不吉な予感に身を震わせた。
グラハムは紅茶を飲み干してしまうと、おもむろに立ち上がった。
「ともかく、伝えることは伝えた。余り宮廷魔術師を刺激しない方がよいだろう。
言えることはそれだけだ。俺は帰る」
「・・・ご忠告、ありがとう御座います」
「俺に出来ることなど、そう多くはないからな。後は自分でどうにかしろ」
そう言うと、さっさと立ち去ってしまった。
余り頼りすぎるな、という事だろうか。力不足が申し訳ない。
自分の無力を思い知る。と同時に山積する問題が頭を悩ませた。
私は子供のように机に伏し、両腕を枕にして顔を隠した。
最近行っていなかった不作法なさまに、きっとリカルドは戸惑うだろう。
けれども私は今、こうしなければやっていけない気分だった。
「田舎者の魔術師ごときにとって、街の人は怖すぎる」
会っている時には普通の態度をしていても、その裏で一体どんな敵意を見せるのか常に考えなくてはならない。
それの繰り返しばかりなんて、体温を持たない蛇のように冷たく不気味な日常だ。
だから我が師は隠れるように密やかに暮らしていたに違いない。
見えない頭上でリカルドが笑う気配がする。
「では私も姿を隠さなくては。ハルカ様の恐れるものを傍におくわけには参りません」
冗談でそんな事を言うものだから、私も反射的にその誘いにのってしまう。
「駄目です」
「なぜ?」
「怖いものが傍にあることほど、心強いものはありませんから」
言ってから顔が隠れていて良かったと思った。こんな女々しく恥じらう顔など見せられない。
だって、貴方が一番恐ろしくけれどお陰で強くなれるなんて、ありふれた恋歌の歌詞のようではないか。
友人同士で言い交わすように聞こえれば良いと願う。
どんな顔をしていたか分からないが、リカルドは畏まって私に答えた。
「承りました」
それは浮ついた私の心を鎮めてくれる丁寧な一言だった。
それから顔を上げてリカルドを見たが、表情は上手に隠せた自信がある。
「では、引き続き活動を続けましょうか。
もう少し励めば、得られるものも出てくるでしょう」
「・・・そうですね」
不安を振り切るように力強く宣言した私に、リカルドは静かに同意した。
我が師アロルド・グラークの理性を許し愛せたように、この騎士に親愛を捧げたい。
だというのに、世の中は私たちを安寧に留まらせてはくれないようだ。