第四十一話
アルフレドが静かに移動して私の前に立ち、その人物との壁になった。
少し離れた場所でラバル少将が腕を組んで様子を見ていた。
彼が連れてきたのか、もしくは来ていることを知って後から来たのかは分からないが・・・試されているのだろう。
この魔術師の鳶色の髪も目も、私によく似せている。
これでは確かに知らぬ者からしてみれば、誤ってしまいそうだった。
「名の知れた魔術師が来ていると聞き、出向いてみれば・・・随分僕によく似ているね。
もしかして、僕の事を好きで真似してるのかな?
名前でもそのローブに書いてあげようか」
魔術師は馬鹿にした笑みを浮かべ、挑発的な言葉を吐いてきた。
思わずつられて私も悪党のように人相悪く笑い返してしまった。
「はは、申し訳ないが貴方のことを全く存じ上げません。
名前は結構ですよ。ローブを洗う手間が面倒ですので」
静けさに気づいて見回してみれば、周囲の人間は口を閉ざし私たちを注目していた。
相手の魔術師は自分こそが主役であると言わんばかりに、声を張り上げ視線を集める。
「それは失礼。では僕から名乗ろう。僕はハルカ・グラーク。
人からは英雄と言われることもある。君も気軽にそう呼んでくれ」
「奇遇ですね。私も同じ。ハルカ・グラークというのですよ。
英雄ですか。では『ハルベルの英雄』とでも呼ばれているのですか?
怪物でも倒してみれば、そうも呼ばれましょう。
首都にはそのような話はありませんでしたが・・・」
「違う。僕こそが『ヘダリオンの英雄』だ!」
魔術師は興奮し顔を赤く染め上げ、手を胸に置いて言った。
それは私の目には随分滑稽に映る。よくもそう堂々と本人の前で言えるものだ。
まあ、こうして出向いてきたのだから、何か勝算があるのだろう。
「・・・ならば何故このような場所に?
聞けば貴方はこの辺りでかなりの接待を受けているらしいではないですか。
わざわざこの地に留まらずとも、貴方をもてなしたいという者が沢山首都にはいるでしょう。
ヘダリオンで共に戦った戦友たちが」
暗に顔を知っている人の前には立てないだろうと言えば、ますます興奮して反論してきた。
「僕が宮廷魔術師になるからだ。向こうが無理矢理引き留めたのさ!
もうそろそろ首都へ向かおうと思っていたところだった」
私は相手にも分かるように魔術師の手と首を一瞥した。
「浮きだった血管に、骨張った手・・・まるで、成人男性の手をそのまま小さくしたようです。
喉仏ももう少し低い方がよろしいのでは?それでは少年の仮装のようだ。
失礼。どうでもいいことでしたね」
明らかに慣れていない下手な変装を貶した後、鼻で笑って言ってやった。
「さて。・・・貴方が?宮廷魔術師に?」
罵る事で、相手が我を忘れてくれるならばいくらかやりやすくなるはずだ。
魔術師は、殺意の籠もった低い声で言った。
「・・・後悔するぞ。
僕にとって空を焼く程度の事、たやすく出来るのだから」
「へぇ・・・ならば見せてみて下さい。その実力を」
「言ったな!」
魔術師は大股で演習場の中央へ行くと、いつの間にか集まっていた観衆を蹴散らした。
「お前等、邪魔だ!死にたくなければ退け!」
一体何をするつもりなのかと思って見守っていると、彼は両手を天に上げ魔力を練り上げていく。
魔術を使うつもりなのだと察した人々が慌てて森の木々の間に逃げ出した。
「・・・爆ぜろ!」
魔術師が叫んだ瞬間、思わず目を覆ってしまう強い光が襲ってきた。
彼により上空で解放された魔術が、赤々と爆発したのである。
轟音が響くと鼓膜を揺さぶり肌を振るわせ、全身にその力強さを想像させた。
空に踊る巨大な炎は黄や赤が混じり、恐ろしい威力であることは明白だった。
周囲は腰を抜かして魔術師を見ている。圧倒的な力というものを印象づけるにふさわしい威力であった。
その様子に勝利を確信したのか、高笑いしながら魔術師は宣言する。
「どうだ!この剪滅の光を!僕こそが英雄だ!」
誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。それほど周囲から音が消えていた。
もしかしたらこれで私の方を疑う人間もいたかも知れない。
しかし私はそれを聞いて・・・人目もはばからず、爆笑した。
「ははははははは!一体何を見せるかと思えば!そんなものですか」
「そんなもの・・・だと!?」
予想と違う反応だったのか、魔術師は戸惑った様子だった。
私は警戒していた以上の小物だと知り、呆れと安堵で笑いが止まらない。
「ええ。良く出来ては居ました。けれど満点にはほど遠いですよ。
こんな子供騙しでよく私の前に出てきたものです。
ラバル少将、演習場を使わせていただいても構いませんか?」
少し離れた場所でラバル少将が首を上下に降るのが見えた。
許可されたので、ある程度加減しながら魔力を練り上げていく。
アルフレドが周りを誘導して私から人を遠ざけてくれた。
大きさは彼が作ったのと同じ程度で良いだろう。
「爆ぜろ」
そっくりそのまま彼の言葉を真似て、人気の無い場所に発動させた。
二度目の閃光と轟音が私たちを包み込む。
そして何より、体を揺さぶる爆風が肺を圧迫し私たちから呼吸を一瞬奪ったのだった。
比べてみれば一目瞭然である。もはや彼の嘘は暴かれた。
爆心近くの木々の枝は無惨に折れ、草は円を描いて横倒している。
「光と音を操って幻を作ったのですね。だから、風がない」
空に向けて魔術を放ったのも、地面に痕が残らないのを誤魔化す為だろう。
反論は無いのか、魔術師は顔を真っ白にして棒立ちになっていた。
確かに彼の作った幻覚は繊細で精巧に作られていて、魔術師であっても騙される者もいただろう。
本物を体感すれば分かってしまうこの一点の間違いさえ無ければ。
「例え本当に出来たとしても。それが一体何だというのか。
同じ事が出来れば英雄と呼ばれる栄誉も同じく与えられるべきだと?
・・・馬鹿馬鹿しい。活用されるべき時に振るわれない力など、何の意味もない」
遠巻きに見ていた兵士達が、決着が着いたらしいことを悟り魔術師を確保した。
大勢の屈強な男達に抵抗も許されないまま縛られ、魔術師が連れて行かれる。
これで終わったと、周囲の緊張感が緩んだその時だった。
全く予測していなかった、不穏な地鳴りが周囲に轟いた。
「いかん、隠れろ!」
いち早く察したラバル少将の指示に従い、皆が一目散に木々の間に身を隠す。
近づく音のあまりの大きさに生物的本能で背筋が凍りついた。
空から、何かが近づいてきている。人生で初めて体験する巨大な質量の、何かが。
周りの兵達の蒼白な顔で尋常ではないと悟る。
感じるのは天災などではない、感情を持った生き物の気配。
・・・この場所で考えられるのは、たった一つである。
赤眼のカナウカレド。
多くの人を屠った忌むべき怪物が、今まさに近づいてきているのだった。
私たち人間は鼓動すら潜めるように物音ひとつたてず、その場で草木のように蹲る。
巨体だけあって、随分遠くからゆっくりと向かっているようだ。
そして暫く後、風を叩きつける羽ばたきの音が遂に私たちの上空を通過した。
突風が嵐のように吹き付ける。幸いな事に、あの地獄の底から聞こえるかのような鳴き声は聞こえない。
刹那、木々の葉の間から燃えるような色の赤い眼が見えた気がした。
吹き飛びそうになるのを堪え、空を睨み付ける。
そうしていると次第に風は治まり、来たときと同じ速度で音が遠ざかった。
演習場には嘘のように先ほどの静けさが戻ってきていた。
怪物がこちらに気づかなくて良かった。あれは人の形をしたものに異常に反応する。
いくらこの地を訪れた人間が怪物の対応を徹底して覚えさせられるとはいえ、今回は間違えれば大量の死人が出ていたかもしれない。
突然の出来事にしばし呆然としていると、私の傍にいつの間にかラバル少将が立っていて話しかけてきた。
「あれが噂の洞穴を崩落させた魔術ですか!
この場所からあの怪物を引っ張りだすなんぞ、並の威力ではありませんぞ」
「原理的には同じものです。威力を控えたつもりだったのですが・・・。
やりすぎましたね。こんな事になるとは思いませんでした」
「ははあ、成る程。しかし兵士達には十分過ぎる良い刺激になったようです」
言われてから初めて、兵士達が私に憧憬だけでない視線を向けてきている事に気づいた。
どうやら畏れられてしまったようだ。間違いなくやりすぎた。
「これで訓練にも身が入りましょうぞ」
「・・・そうですか」
兵士達はこれから暫くは大変になりそうだ。
今まで楽をしていた分取り戻してもらわねばとも思うが、自分の引き起こした事が事なだけに心中は複雑である。
問題もあったが、これでこの地での私の役目は果たしただろう。
私は首都で待つ人の顔を思い浮かべ、急ぎ足でその場を立ち去った。