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第三十八話

静かな自室の中で、机の上で筆記具を睨みつける。最近の私の仕事の一つでもあるのだが、正直に言うと苦手だ。

真っ白な紙にペンを走らせては二重線をひき、下まで書ききる頃には黒ずんで読みにくい有様になっていた。

それでも内容はそれなりのものが出来上がったと思うのだが、どうだろうか。

「アルフレド、少し読んでみて下さい」

部屋の中で控えていたアルフレドへ添削をしてもらおうと手紙を渡した。

「では、お借りします」

暫く目を走らせていたが、特に何度も書き直されて分かりづらい宛先の部分の判読をした時に、その目の動きが止まった。

「これは、ラバル小将への断りの手紙ですか」

「そうです」

「以前、一度断られたかと記憶しておりますが」

「ええ。けれどよほど気に入られてしまったらしく、再度手紙をいただいてしまいましたので」

「・・・場所は東方のハルベルでしたか。確かにあの場所は特殊です。

一度行かれてみては?バリアス街道がハルベルまで続いているので、移動は距離で想像するよりも楽に感じると思いますよ」

「詳しいですね。アルフレドは行ったことがあるのですか?」

「私自身は行ったことが無いんです。

この手紙の送り先であるラバル小将は、私の知人です。

以前お会いした時に、勤務地のハルベルについて色々教えてくれました」

「そうでしたか」

アルフレドほど腕の立つ武人であれば、軍人相手に顔も広いのか。

思わぬ所で繋がりがあったと驚いていると、アルフレドが少し困った顔で私を見る。

「受ける意志は無いんですか」

「はい。今のところ。受けて欲しいのですか?」

「・・・叶うなら。彼にはよく世話になりましたので」

私は腕を組んで、床を見ながら考え込んだ。この国の東。私が一度も見たことの無い地である。

未知の場所というだけであれば興味はあるが、それでも決断に踏み切れない理由があった。

それは私の師が、東の地方に何か特別な強い思いを抱いていたようであったからだ。

昔、師が存命だった時だ。東方より旅人が魔術師を必要として家を訪れた事がある。

普段なら旅人にも村人にも分け隔て無く接していた師は、しかしその時不機嫌に旅人を追い払ってしまったのだ。

感情的にも見えるその行動と共に、私は師の所有するいくつかの道具や資料から、嘗て東方に師が足を運んだことがあるだろうと推測していた。

だから余程腹立たしい思い出や嫌な思いでもしたのだろうと考え、そうであるならわざわざ自分は行くまいとも思っていたのだが。

自分の中で行くべきか行かざるべきか天秤にかけて悩んでいたところに、扉を叩く音が部屋に響いた。

「どうぞ」

入室の許可を出すと、リカルドが眉間に皺を寄せた厳しい面もちで静かに入ってきた。

「どうしたのですか、その様な怖い顔をして」

「お伝えしなければならない情報を入手したのですが・・・」

何か良くない事が起きたのだろうか。私は先を促した。

「東の地、ハルベルにて『英雄』が現れたとの事です」

今度はハルベルの英雄か。確かに、あの地は英雄の生まれそうな場所である。

しかし、英雄とは早々現れるものではないだろうに。自分が思っているよりも、気軽に人に付けられる呼び名だったか。

「・・・最近流行っているのでしょうか。英雄とやらが」

「違います」

リカルドは口に出すのも嫌そうに顔を歪め、事情を説明した。

「己こそが『ヘダリオンの英雄』と、恥知らずにも名乗っているそうですよ」

それは、なんと、まあ。

私は自分が模倣される立場であるとの認識を持っていなかったので、怒りより先に呆気にとられてしまった。

名が売れるとこのような事になるのだと身をもって知った。

しかし、自分ならばそのような直ぐに分かる嘘など吐こうとも思わないが。

小さいものなら見過ごそうかと、リカルドに聞いてみた。

「程度は?」

「看過すべきではありません。現地では既に惑わされている者もおります。

将来的に宮廷魔術師なる事は約束されていると豪語し、あちらこちらで接待を受けていると」

それでは知らぬ間に悪評を買ってしまう。面倒だが、手を打たねばなるまい。

決して軽く考えている訳ではないが、然程の衝撃を感じなかった私に対し、本人よりも憤慨している男がいた。

リカルドは凍てついた氷のように、何の熱も含まず静かに言い立ててその人物を批判する。

「愚劣極まり無く、厚かましい行為です。

他者の栄華を盗みとろうとし、自ら毒の杯を呷る浅慮さ。

断罪されて然るべき咎人です」

もしその犯人が目の前に居たとして、青い瞳で見つめられればその冷たさに硬直しただろう。

万の罵詈雑言よりも心臓に突き刺さる鋭さで、心底失望したようにリカルドは言った。

「・・・救いようもありません」

その一言だけで相手へ何の躊躇も無くその剣を振り下ろす様を脳裏に鮮やかに描かせるには、十分な威力だった。

すっかり冷え切ってしまった部屋の温度に落ち着かない気分にさせられ、あからさまな咳払いをしながらアルフレドの手の中にある手紙を取り返す。

書いたときの苦悩を思いながら、無用になった空しさと共に丸めて屑籠に捨てた。

「丁度誘いもあった事ですし、ハルベルへ向かいましょう。

アルフレド、案内をお願いできますか」

「勿論です」

「また手紙を書き直さなくては。リカルドには留守を頼みます」

首都で仕事のあるリカルドは、簡単にはこの場所を離れることが出来ない。

無理を通せば共に来ることも可能かもしれないが、アルフレドの知人も居ることだしわざわざ同行してもらうまでもないだろう。

共に居てくれた方が見栄えするのは確かではあるが。

リカルドは自分の手で処理出来ない悔しさを滲ませながら頷いた。

「・・・畏まりました」

私はリカルドが感情を隠さず悔しがるので、苦笑しながら言った。

「大丈夫ですよ」

大丈夫。貴方の英雄は汚させない。そう思いを込めればリカルドは黙してただ一礼した。

別の人間の事であるのに、自分よりも心を動かしてくれる人の存在はなんて心強く嬉しいものだろうか。

私はそんなリカルドを大切にし、彼のあらゆる事に応えたいと思う。

そう。それでいいのだ。私はそこに何の曇りも持ってはいけない。

家族のように慈しむと・・・決めたのだ。

セラフィさんとの言葉を思い返し、揺れてしまう未熟な心を封じ込める。

深く呼吸して残ったのはいつも通りの凪いだ穏やかな心。大丈夫だと感じた。私は変わらず進んで行ける。

しかし私の心境が安定した一方で、時折見せる彼の極端な姿勢に対して、明確に言い表せない一抹の不安がよぎったのだった。

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