第三十五話
もう何度こうして豪奢に飾られた会場に足を運んだだろうか。
始めに出席したような大きな夜会もあれば、身内だけ呼ぶような小さな食事会まで様々だ。
その全てに多忙なリカルドが同行してくれた訳ではない。
けれどもその時々に私を支えてくれる誰かが常に傍にいるようリカルドは取りはからってくれた。
それはセラフィさんであったり、嫌そうな顔をしながらのグラハムであったり、私を慕うリカルドの目にかなった軍人の方であったりした。
今宵は久々にセラフィさんとリカルドが共に出席してくれるので、心が弾む。
今私が居るのは侯爵家の爵位の長さを讃える夜会であった。
少し間隔があいてから参加した大きな規模の会であったので人に酔い、飲み物を片手に少し外れの方に居ると誰かが声をかけてきた。
「グラーク殿ではありませんか」
声の方向へ振り向くと、何度かお会いしたことのある腹の出た年輩の男性が私に近づいて来る。
記憶を掘り起こすと文官であったように思うが、それ以上がなかなか思い出せない。
丁度リカルドも挨拶しなければならない人がいるらしく傍から離れ、セラフィさんも直ぐ戻ると言ってどこかに姿を消してしまった。
ここは一人で凌ぐしかないと憂鬱な気持ちになりながら、ようやく思い出せた名前を呼んで親しげな笑みを作った。
「ドノスティーアさんではありませんか。
来ていらっしゃったのですね」
「ええ、ええ、勿論!
オルバドルス侯爵との付き合いは、二十年近くにもなりますから!」
年月こそ長く聞こえるが、仕事上数度会っただけの事をさも親密であるかのように言っている可能性もあるので話半分に聞き、顔だけは感心してみせた。
「グラーク殿は今お忙しいようではありませんか。
あちらこちらで話を聞きますよ。いや、羨ましい!」
「いいえ、それほどでも」
「何を仰いますか。今度東方で行われる軍事演習に是非顔を見せて欲しいとラバル小将から要望があったと聞いております。
いやあ、人気者も辛いですなぁ。体が一つでは保たないのでは?」
それとなく聞かれただけの話をこの男が知っているのも疑問だが、それをこのような人が多いところで言われるのもかなり不快である。
何処で何の情報が不利に働くかも分からないのに。
「ええ。体は一つしかない。行ける場には限りがございます。
心苦しくも先の話は断らせていただこうかと、考えているところです」
「それはそれは」
全て分かっていますともとでも言いたげな仕草に呆れといら立ちばかりが募る。
笑顔を作り続けるのも苦痛であるが、表だって皮肉を言われないだけましだと自分を宥めた。
「そうそう、グラーク殿は宮廷魔術師になるおつもりで?
今や名を聞かぬ日がないグラーク殿です。そろそろそう言った話が出てくるでしょう?」
これが聞きたかったのか。本当に、勝手に来るような輩に碌な者がいない。
私は納得すると共に、目の前の人物の非常に分かりやすい欲望に安堵もした。
宮廷魔術師とは在野の魔術師や軍に所属する魔術師とは一線を画する存在である。
在野の魔術師は薬師、占い師に近い存在として普通の人と共に暮らすか、あるいは森や山の人里離れたところで術の研鑽を積みながら暮らしているものが多い。
軍の魔術師は在野の魔術師を召集する場合が殆どである。
しかし国という概念の希薄な魔術師にとって国の指示を受ける立場というのは気に入らないと感じる者が多いらしく、ある程度の実力のある術者は皆どうにかして召集から逃れるのだそうだ。
必然的に軍に来るのは逃れる実力もない者か、国に帰属意識のある魔術師が少数居るだけである。
一方宮廷魔術師は多くの魔術師の羨望の的だ。
国内最高の技術を有していると公に認められ、王家から請われてなるものである。
手にするのは気まぐれで偏屈な魔術師の目をも眩ませる報酬と栄誉。
そんな宮廷魔術師の信頼を得られたなら、さぞ色々な事が捗るだろうよ。
「若輩者の私です。とてもそのように立派な立場にはなれません」
ドノスティーアさんは残念そうに首を横に振った。
「そうですか、何とももったいない話です」
話をしていると可愛らしい声が割って入ってきた。
「あら、こちらの方は誰ですの?」
いつの間にかセラフィさんは新しいグラスを片手に、私たちの背後に立っていた。
「私はエフレン・ドノスティーアと申します!可愛らしいお嬢さん。
グラーク殿には以前お会いしておりまして、ご挨拶をさせていただいた所です」
「そうでしたか。私、セラフィーナ・ドレアグム・ソールズパラと申します。
ハルカさんとは仲の良い友人ですわ」
ドノスティーアさんは目を大きく見開き、機嫌良く笑った。
「ああ、あのソールズパラ家のお嬢様でしたか、お噂はかねがね伺っております!」
「どんな噂でしょう気になりますわ」
「それは勿論、讃えるものばかりです!
その美しさと知性では男性が放っておきますまい。グラーク殿は本当に幸せな方だ。
しかし、あまり彼の邪魔をしては嫌われてしまいますね」
どうぞ後は二人でと、言い残して去っていったドノスティーアさんの背後をセラフィさんは鋭い目で追った。
「何を言われたのかしら?」
「私の予定について聞きたかったようです。
特に隠すべき事もありませんから、答えてしまいましたが」
「そうでしたか。ハルカさんがそう判断されたなら大丈夫でしょうけれど。
時に思いもよらない所で恨まれる事もありますから、用心に越したことはありませんわ」
「そうですね。気をつけます」
乾いた口を潤す為に軽く飲んでいると、リカルドが随分と長い間傍に居ない事が気にかかってきた。
「彼を捜します」
セラフィさんは私の腕をとり人の集まっている方向を指さした。
「リカルドさんでしたら、確か主会場の方へ行くのを見かけましたわ。
私たちもご挨拶に行かなければなりません。
そろそろ人も少なくなって来たでしょうし、向かいましょうか」
セラフィさんに促され、飲み物を置いてから人の多くなる方へと向かって歩くと、主会場へとたどり着いた。
気取った人々の会話が響く中、大きな部屋の一番奥に円を描くように人が距離を置いている場所がある。
遠巻きに周囲から見られているその中心に居たのは、色素の薄い美しい女性。
一際薄い髪色は銀の色にも見え、肌は血が通っているのか不安になるほど白い。
身に纏う服装からこの中でも飛び抜けて高貴な身であると一目で知れた。そう、・・・例えば王族のような。
そしてその女性の前に恭しく跪いているのは、よく見知った顔だった。
「リカルド」
目に映る光景が理由も分からないが、非常に私の心を動揺させる。
私は無意識に掌を強く握りしめた。