第二十九話*
壁際に寄りかかり顔の赤みを誤魔化そうと俯いたが、意識は全て少年姿の魔術師と、駆け寄った青年達へと向かってしまう。
見れば青年の一人は右腕が義手らしく、ぎこちない動きをしていた。
軍服を着た青年の一人は堪えきれず目頭を押さえていた。
話している内容までは聞こえないが、その喜びは見ている自分にも伝わる程だった。
そうか、彼らは助けられた者なのだ。
青年たちに囲まれて彼らを見上げる少年は、穏やかに彼らの無事を共に喜んでいる。
そこには熱狂も、一点の曇りのない光のような特別な力強さも存在しない。
ただ救った者と救われた者がいて、その関係を誰しもが踏みにじることなく称えている。
間違いなく彼らにとっての、英雄。
僕はその言葉の意味する重みさえ、知らなかった自分に気がつかされた。
どうして何も知らない僕が傍に居られると、自惚れる事が出来たのだろう。
あの人の傍には今青年達しか近寄らず、他の人は遠巻きにけれどその様子を目を離すことなく観察している。
僕はその他の人の中の、ただの一人に過ぎなかった。しばらくその中に父と二人埋没していたが、言わなければいけない言葉と思いが自分の中に生まれていた。
顔を上げる。まだ赤みは消えていないが、この無様な姿こそ今の僕の正しい姿である。
「父様行こう」
「そう、だな」
困惑する父を先導するように僕は彼らに近寄った。
青年達は僕と父の身分からか、速やかに彼らが共に居たその方の隣を明け渡して人の中に消えた。
邪魔するつもりなどなく話が終わるのを待つつもりであったのにと、申し訳なく思う。
・・・誰かを慮る事などしたことがなかった自分を知っていたから、その感情に我ながら驚いた。
セラフィーナ嬢の鋭い目が進み出た僕を探るように見つめてきたが、今の僕には何も隠す事が無い。
「こんばんは」
夜の挨拶を言った後、ブラムディ卿と名前も知らないその方に僕は自然と頭を下げていた。
「先日はご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。
己の浅慮に思い返しては呆れる思いです。
もう二度とあのような真似は致しません」
僕が素直に謝罪しているのを見て、父は今がブラムディ卿の怒りを解く好機と考えたようだった。
「ブラムディ卿、この通り息子も反省しているようです。
どうかお許しいただけないでしょうか」
父が許しを乞ったばかりに、誠心誠意に言った謝意がなんだか嘘らしく感じられてしまった。
ブラムディ卿が僕らをどうするか隣に尋ねる。問いを受けて頭を下げ続けている僕に、その方は言った。
「頭を上げてください。実は私もライダール様に謝らなくてはならないことがありまして」
「え・・・?」
顔を上げると、無邪気な笑みと三本立てられた指が目に映った。
「一つ。ライダール様に名乗り返さなかった事。
二つ。誤解を知っていて正さなかった事。
三つ。師事したい意志を知っていながら、答えを返さなかった事。
お許しいただけますでしょうか」
「それは・・・勿論です」
元々自分が屋敷に侵入したのが発端であるのだし、当然の反応だと思った。
「ありがとうございます。では、私もライダール様の事を許さぬ訳には参りませんね。
これで互いに水に流しましょう」
あっけらかんとした様子にこちらの方が拍子抜けしてしまう。いや違う、飲まれたのだ。
「私の名前は遥・グラークと申します。
さて・・・ライダール様、三つ目の答えは今返すべきですか?」
笑みを崩さぬままグラーク様は僕に尋ねた。答えは聞くまでもなく自分で分かっていた。
「いえ」
「分かりました。このまま答えずにいましょう。
目指す先が早く見つかることをお祈り致します」
先程まで思い悩んでいた自分が確かに居たはずなのに、グラーク様と言葉を交わした後は不思議と胸が軽くなっていた。
僕はこの方を本当に好きになりかけているのに、傍に居ることを許される可能性を自分で著しく下げたことを残念に思う。
「流石、英雄と名高い方でいらっしゃる。心が広い!」
父が大げさに驚いて感激して見せる。
道化のようにあえて振る舞うことで相手との距離を短くしようとする時よくやる父の仕草だったが、今回は失敗だった。
今まで穏やかに成り行きを見守っていたセラフィーナ嬢が、父の反応を見て冷たい光を目に宿した。父の底の浅さを知られたに違いない。
「アグネスタ閣下。ご歓談中申し訳ございませんが、ハルカさんをお借りしても?
友人に是非ハルカさんをご紹介したいのですわ」
「そうですか、またお時間があればお話したいものです」
「では機会があれば、また。さあセラフィさん、行きましょう」
グラーク様はセラフィーナ嬢とブラムディ卿と共に、人々の好奇の視線を集める中堂々と歩いて行った。
「やはりブラムディ卿は油断ならない。
早々に逃げ出した役立たずの宮廷魔術師よりも、彼一人軍に入れておけばどれほど志気が上がることか。
今後彼に接触したい人物は自然とブラムディ卿にも近づく事になる」
父の悔しげな声が聞こえたが、そんな勘定をして早急に距離を縮めようとするから賢いセラフィーナ嬢に避けられたのだと僕は思う。
彼が、あの人が、あの少年が、あの魔術師が、あの人こそが。
ざわめく周囲の思惑などまるで意に介さず、炎と華を背負い彼はただ穏やかに笑っていた。