第二十一話
扉を叩く音に「どうぞ」と返せば、見慣れた男が入って来た。
焦げ茶色の髪はこの国では珍しくない容貌である。
しかし平凡そうな見た目とは裏腹に、戦地においては多くの命を刈り取ったという傭兵だとは誰も気付くまい。
「アルフ・・・いえ、アルフレドとお呼びした方が良いのでしょうか」
アルフレドは思い当たる事があったようで納得した顔をした。
「昨夜お話されていた事はそれでしたか。どちらでも構いませんよ」
ライダールが侵入した時に同じ場に居た為、ある程度の察しがついていたようだ。
「アルフレドに一つお聞きしたい事がありまして」
私がこの部屋にアルフを呼んだのは、好奇心も多分に含んだ質問をしてみたかっただけである。
「何なりと」
そう言って野生的に口角を上げて笑った。傭兵と知れた事で、粗野な元来の性質を表に出したらしい。
粗暴でさえなければ許容範囲どころか、その荒々しさは私にとって身に馴染むものであった。
「ただの興味本位な事ですので、無理に答えなくても良いのですが。
護衛の任はともかく使用人として振る舞うとは、傭兵としては余り受け入れがたい申し入れではなかったのでしょうか。
私はリカルドとアルフレドの契約については全く耳にしてないので、何か理由があればお聞きしてみたいな、と」
「成る程。リカルド様にはお聞きにならなかったんで?」
「ええ、私が聞きたいのは金額云々よりもアルフレドの気持ちなので」
「それはなかなか、答え難い事をお聞きになる」
「ですから無理しなくともいいですよ」
少々頑固ともとれる私の発言を聞いてアルフレドは苦笑する。
答える気になったらしく、顎に手を当て懐かしむように目を細めた。
「確かに、金額には心惹かれましたね。傭兵稼業は稼げるうちが華ですし。
けれども、他に思うところがあったのも嘘ではない」
「と言うと?」
「私の故郷は昔から傭兵者を多く出している村でして、そこでは純粋に力のある者に対して敬うような気質がありました。
そして例に洩れず、私も見ず知らずの英雄とやらに尊敬の念を抱いていたんです。
話を持ちかけられた時、正直な感想を言わせて頂くならば『惜しい』と思いました」
「惜しい・・・ですか」
「ええ。あれだけの活躍を見せた者が伏している間に消えるのは、惜しいと思ったんです。
現場で戦っていた分一般人より早く噂を聞いてはいましたが、ある程度の誇張が入っているにしても十分評価されるべきものでしたから。
最初の動機はそれでしたね」
ではアルフレドの故郷の気質に感謝しなければならない。
彼の話に聞き入っていると、アルフレドが少々意地の悪い表情をした。
「けれども今は若干の変化がありまして。
余りにも無防備すぎるハルカ様が、見てはいられないんです」
「・・・どういう意味ですか」
幼児の面倒でもしているかのような単語を使うものだから、私は怒るどころか呆れた顔をしてしまった。
「これほどまでに無自覚で無防備な人に、初めてお会いしました」
そう言って笑いを堪えるように口元に手を当てる。
世間慣れしていない分、ある程度の事は認めるけれどもそこまで笑われるほどのものなのか?
首を捻る私にアルフレドが細目でちらりと視線を向けた。
「少し前に目の前で姿を隠す術を見せて下さったでしょう。
魔術の感知が殆ど出来ない。あの技術でしたら王すら容易く暗殺出来るに違いないでしょう。
にもかかわらず、本人はそれに全く気づいていないんです」
そこでようやく笑いを治めたアルフレドは、今度は親愛の微笑で私の顔をのぞき込んだ。
「貴方は不思議な方だ。
守らなければならない事は幾度もありましたが、守りたいと思わせられたのはハルカ様が初めてです。
契約とハルカ様のお人柄が変わらない限り、私はハルカ様をお守りしましょう」
アルフレドの言葉を聞いて私の中に、温かな重みをもった安心感が生まれた。私はその一言を言って欲しかったのだ。
「ありがとうございます」
「いいえ、それが私の務めです」
そうして互いに相好を崩した後、アルフレドはいつも通りの様子に戻り言ってきた。
「そうそう、リカルド様より昼頃連絡がありました。
ハーシー・ブリジスティン男爵令嬢が早ければ来週よりお越しになって下さるそうですよ」
「そうですか」
流石、仕事の早い男である。私に礼儀作法の基本常識を教えて下さる先生を手配するようにお願いしたのだ。
時間が無い為ある程度の粗があるのは覚悟の上でも、せめて基本的な事だけでも覚えておこうと思ったからだ。
「ブリジスティン様について、何か知っていますか?」
「・・・才女だと耳にしたことがあります。けれど、それ以上は分かりません」
それでは実際にお会いした時を楽しみにしていよう。
「アルフレド、それでは本を持ってきて・・・いえ、別の方に頼みましょう。
ファレリーさんはお手透きでしょうか」
護衛に専念する方がいいだろうと思いファレリーさんを呼ぶと、アルフレドは緩く首を振って答えた。
「どうぞ前と同じように私に言って下さい。『それ』も含めた契約内容です。
本の種類は前と同じで宜しいですか?」
傭兵らしく契約を強調しているけれど、アルフレドの好意もあるように感じられた。
心の内に思っていた事を教えてくれたお陰で、彼との距離が大分縮まったように思う。今のアルフレドならば、安心して背を預けられる。
契約や金額だけを教えられたとしても同じように力を当てにはしただろうけれども、このような安心感は生まれなかっただろう。
いつもと同じように魔術書を求めているのかと聞いてきたアルフレドに、「違います」と返事をする。
「この国と周辺国の歴史が書かれた物を」
準備することは山ほどあり、逸る気持ちが胸を締め付けた。