第二十話
命が狙われているとなれば私は戦わなくてはならない。
自分が祭り上げられるだけであるなら、勝手な期待を抱く人間達から遠ざかれば良いだけの話。
しかし私を疎んじる者はそう簡単にはいかないだろう。
「私が何も気付かないままだとしたら、リカルドはどう対策をするつもりでしたか?」
リカルドは完璧な笑みを浮かべて、その質問がされることを予想していたように淀むことなく答えた。
「ハルカ様の身を狙う不届き者を見つけだし排除した後に、最もらしい背格好の人物にでも国外へ出ていただく予定です」
「それは、今の私の姿と同じ子供という事ですか」
「はい。国境を越えさせれば良いだけですから、さして危険は無いでしょう」
提示された案は直ぐに同意してしまいたくなる程とても魅力的だった。
それが実行されれば、私はかねてより望んでいた村へ帰るという願いを実現出きる。
喉が渇いた時に差し出された水のように、即座に手を延ばしてしまいたくなった。
けれど頭の何処かで小さく囁く違和感が自分を押しとどめる。
よく考えて判断しなければ、後で後悔すると予感が告げた。
目を瞑ってしまえばこのまま過ぎてしまえるのに、そう出来ない自分に呆れながら諦めた。
「性分です」
「・・・ハルカ様?」
つい出てしまった言葉に、唐突過ぎて理解出来ないリカルドが首を傾げた。
この青年は絶対的な私の味方ではあるものの、私の一部ではない。
現に全てから遠ざけ、守ろうとしたように私の意図しない所で動く事もある。
曖昧模糊な疑問を探しだして口に出して整理する。
「ヘリオットが私を狙う理由は?」
「ハルカ様を脅威と感じているからでしょう。
あの戦いによる戦功は大きく、また英雄が死したとなれば我が国の志気も下がります」
「私が誰か知るものが限られているというのに、志気が下がるはずもないのでは。
いくら多大な被害をだしたからといって、所詮はただの無名の魔術師です。
何故あの国はこうまでして私を邪魔だと思うのですか」
「貴方の成し遂げた事は、貴方が思った以上に大きく人の心に写っているのです」
「であるとしても、王族や軍幹部の方を私なら狙いますが」
「勿論、ご指摘した方々も隙あらば命を狙われるでしょう。
けれどもヘリオットは特に我が国の魔術師を毛嫌いする伝統がある。
200年前の恐怖を未だ拭えないのです」
私が狙われる理由に思い当たり、深い溜息を吐いた。
昔、今と同じようにヘリオット国が攻め込んできた事があった。
当時のヘリオットは今より領土も有する兵士の数も多く、誰もがローライツの敗北を予感したという。
それをたった一人で覆したのがマークレイドという魔術師だ。
幼少時から神童として名高かった彼は、戦時において敵兵の悉くを尽滅したらしい。
余りの被害に領土を維持する力すら失い、ヘリオットは縮小したという。
亡くなったのはもう半世紀も前だというのに、まだ覚えているとは。
「・・・なるほど。私をマークレイドに重ねているのですね。
納得のいく理由です。新たな疑問が浮かぶ程に」
私は目の前のリカルドを睨みつけた。
「過剰な恐れを抱くヘリオットが、国境に出国する似た人物を見かけるだけで諦める訳がない」
そして貴方はヘリオットの捜索を許さないでしょう。やるなら徹底的だ。
この麗しい見た目からでは想像もつかない苛烈さを、私は知っている。
「影武者を・・・殺させようとしましたね」
リカルドはしばし沈黙し俯いていたが、やがて吹っ切れたように顔を上げた。
「どうか、目を瞑っていただけませんか。
この場所で今までと同じように暮らされるだけでハルカ様は・・・いえ、私は、求めるものを手に入れられるのです。
子を殺す罪も罰も、私一人が勝手に行ったこと。全て私が負いましょう」
リカルドは私が、子供を殺す事を罪と思い罰するべきだと思っていると考えているらしい。
確かに昔ならば、そのような非道を思いつくことすら拒絶していたに違いない。
けれども散々人を殺してきた私が、今更リカルドが人を利用し殺そうとしていることを咎められるのか。
子供だから大人よりも命の価値が重いとでも非難するべきなのだろうか。
私は、自分の譲れぬ物のために命を奪う行為について、何ら語る術を持たなかった。
しかし一つ言えることがあるとするならば。
「貴方は、その身の主として私を選んだ。
ならば貴方の行動における責任の全ては、私の所有物です」
否定の言葉を予想していたのだろう、リカルドは驚き目を見開いた。
手を伸ばせば直ぐ傍に佇んでいたリカルドの腕に私の指が触れる。
少し念じただけで皮膚の下に渦巻く、まじないの文字が黒々と浮かび上がった。
これが彼の中を無尽に駆け巡っている限り、私と彼の縁は絶えない。
白い肌に数珠状に黒く這うそれらは指が離れた途端、大人しく潜り込み見えなくなった。
「では・・・?」
その先を口に出さずにリカルドに問われる。
頷いてしまいたい欲望も胸には存在したものの、私が出した答えは結局首を横に振ることだった。
「いえ、その選択肢は必要ありません」
「何故」
「貴方にそれを選ばせたくない。
その上・・・私が亡くなったと知れば、ヘリオットは再び攻めてくる可能性があります。
この国の安寧の為に戦地へと赴いたのに、私が隠れる事で乱されるならば意味が無い」
逃げようと思えば幾らでも逃げられた。顔を変える魔術師を捉えられる者など、同じ魔術師ぐらいなのだから。
では逃げようか。・・・何処へ?この地の果てまで歩んだとしても、故国には辿り着かない。
師と暮らしたこの地以上に愛着のある場所は無い。
失うのは一度で十分だ。だから私は守ろうとした。ならば。
私はリカルドに向かって不敵に笑った。
「立ちましょう。国を守る英雄として」
あれだけ恐れていた英雄という単語を用い、敢えて好まない大口を叩く。そうでもしなければ震えてしまいそうだった。
正直な所、自分にそれだけの実力があるかなんて分からない。
しかし例えまやかしだとしても、信じ込ませてしまえばいいのだ。
この国には一千幾万の兵を阻む巨人がいると。
「・・・ハルカ様」
眉を下げ、悲しげな男の顔が目に映る。リカルドは私が本心から称号など嫌っている事を知っている。
今までして下さった、貴方のご厚意を無にしてしまいました。
神に懺悔する信徒のように深く俯けば、聞き慣れた声が胸の奥から響く。
その声は悔恨に満ち、嗄れた老人の声で「すまない」と一言呟いた。