第一九話*
正面からハルカ様の視線を受け止め、私はその力強さに状況も弁えず圧倒された。
出会った時と同じ眼の強さであり、今尚私を魅了してやまない彼の強さ。
あの時他に失う物など無かったが故に、魂を揺さぶった邂逅に全てを懸けた。
例え自分が彼にとって都合の良い道具と成り下がったとしても、元々捨てるはずの自分であったと、失うものは何も無いと思っていたのに。
私が願うのはただ一つ。この方が心安く過ごされること。
そのために隠していたあらゆる事を、ハルカ様がどうお感じになられるかが不安だった。
けれども望まれるならば、私に拒否する選択肢は存在しない。
「お話致します」
私は会ってからの行動を全て、主に晒す事にした。
過去の出来事をなるべく忠実にお伝えする。
「ハルカ様が意識を失われていた間、既に私はこのような事態になると朧気ながら想定しておりました。
目の当たりにしたハルカ様の奇跡にあの時誰もが心震えた。その最たる人物が私でしょう。
だからたやすく想像できました。良かれ悪しかれ、貴方の元に人が集うと」
ハルカ様が何を望まれるか、私はその時何も知らなかった。
けれどもその時ハルカ様は余りにか弱くあらせられたので、獣のような輩の目を逃れる事をまず最優先とした。
「ハルカ様の御身を病院に預け、ハルカ様が目覚められた後は面会に訪れる人物に渡りをつけました。
彼らに情報の攪乱をお頼みしたのです。皆、非常に協力的で今日までハルカ様の事が特定されなかったのも、彼らの働きが大きいでしょう。
特にバスカ・マルグ殿は並々ならぬ働きをして下さった事をお伝えしておきます」
「彼が・・・」
最もはじめに面会に来た青年のことを、ハルカ様も覚えていらしたご様子だった。
市民に正しい情報を知るものが少ないのは、彼のおかげである。
彼は吟遊詩人を自ら雇って誤った話を蔓延させたのだった。
市民の生活に根付いた巧妙な手段を用いて虚偽を広めた手腕は見事と言うほか無い。
「首都に先に戻った時、アルフレドを雇い貴方を守る護衛と致しました。
そして貴方を屋敷へと迎えてから、私はひたすら自身の力を蓄える事に終始しておりました」
言葉にしてしまえば、たったそれだけの事である。
しかし、行ってきたのは言い尽くせない程多くの事だった。
昔の誼を頼り、あらゆる場所で顔を売り歩く。貴族の力とは、人脈に寄るところが非常に大きいからだ。
例えばハルカ様が名声を求められたとして、後ろ盾となりそうな人物は誰か。
例えばハルカ様が過去を消したいと願ったとして、それを管理しているのは誰か。
財力も、元ある分だけでは心許ないものだった。
目端の利きそうな人を集め、事業を展開し、更に利益を。
渇くように私は力を求めた。けれども足りない。覆い隠すにはまだ足りない。
貴族の間にさりげなく虚実を蔓延させ、金を握らせ裏の世界の話を聞いた。
「徴兵簿よりハルカ様の名を消す事は叶いましたが、人の口に戸は立てられません」
あの場に居た者に直接問いただして行けば、いつかは真実へとたどり着かれてしまう。
しかしそれにどれだけの労力が必要な事だろう。
ライダール殿はその部分において、確かな熱意を持っていた事が伺える。
私が主に望んだ人が願った事は元の生活に戻りたいというささやかなもの。
それを叶えられないほどに我が国は英雄を求めていた。
「激しさを増す戦い。砦は既に二つヘリオットの手に落ちた。
これ以上落ちれば本当に喉元に剣先を突きつけられるようなものでした。
それを守りきり、大きく戦力を削いで撤退させた実績こそ、人の目に希望と映った事でしょう」
そして轟く名声はヘリオットの国まで届いてしまった。
被害を生み出したのが、たった一人だと向こうも気づいたのだろう。
戦略による被害ならば対策は知略で勝るしかない。
しかし、一人ならばそれを消せば良いだけだ。
「ヘリオットがハルカ様の命を狙っています」
ハルカ様は表情を変えずに私を見ていた。
絶望や諦めなどは伺えず、ただ現実を受け入れて考えを巡らせているようだ。
私は自分の主を見くびっていたらしい。思うよりもずっと強い方だ。
密入国者の足取りから英雄の居場所を探している事が分かった。
戦場では叶わずとも暗殺ならば、という狙いだろう。
残念ながら探しだし摘発するまでには至っていない。
その事もお伝えすれば、ハルカ様は疲れた表情をして私を見上げた。
「貴方は・・・全く。有能過ぎる」
「ありがとうございます」
「褒めていません。そうして私が知らない間、寝る間もなく動き回っていたのですか?
私の背負うべき重荷を背負い込んで」
言いたいことが理解出来なくて困惑する私に、ハルカ様は苦笑した。
「私の事で貴方が手を尽くしてくださって、本当に嬉しい。
けれど貴方を損なうならば、意味がありません。
気づかない内に、私は貴方を修羅場へと送り込んでいたようですね」
言葉の裏にあったのは私を案じてくださる心。
私が、使える貴方の剣でなくとも構わないと暗に伝えられた。
ああ、そうか。
この方にとって私は唯一人。間違いなく個として見てくださる。
私はハルカ様にとって、道具とは成り得ないのだ。
私に誠実に接して下さるが故に私の心は益々見えぬ鎖で囚われる。
心を添わす事を願う、この私の思いは何なのだろう。
椅子に座る様子は泰然として自らの呼び名を知ったときとはまるで違う。
ハルカ様にとって、命を狙われる事は自らが『英雄』と崇められるより小さい事のようだ。
理解出来ない思考回路だがそれが全くこの方らしい。
「私の事は私自身が・・・と言いたい所ですが、私一人では重すぎる荷のようです。
貴方がいてくだされば、これほど心強い事はない。手伝って頂けますか?」
「勿論です」
私に気遣ってそう言ったようだったが、きっと何もなければこの人は一人で解決しようとするのだろう。
衝動に任せた契約だったが、この方の人となりに触れて自分の直感は間違えなかったのだと確信した。
私と共に捨てられた屋敷を、ハルカ様は気に入ってくださった。
それがどんなに私の心を慰めたか。まるで私も許されたような気持ちになった。
人に純粋な好意を抱くという経験に戸惑い迷いもしたが、それを受け入れた世界は何とも愛おしい。
思う人から誠実さを返される幸福を教えて下さった。
その事がどれだけ自分を舞い上がらせ、ハルカ様への忠心を深めているかお気づきではないのだ。