9
ゾーイさんのお父さんの工房に戻った私は、休む間もなく旅支度を始めた。
こちらの感覚だと防壁に囲まれた立派な町だが、その人口規模は住民のほとんどが何処かで見た事がある顔で、町で悪さをすれば誰がやったかすぐに知られる様な、私の感覚で言えば防壁に囲まれた片田舎の村だ。
そこで名家の当主とその息子の行方が不明になれば、町中の注目を集めるし、婚約者のゾーイさんを疑う連中も出てくるだろう。フランツの悪巧みに気づいていても知らない振りをしていた連中はいただろうし。
工房の中は、ゾーイさんの記憶を探ればどこに何があるか分かる。
必要な荷物を作業台の上に集めていく。
面倒な事にはなるけど、残ろうと思えば残れる。でもここに残っても工房がゾーイさんのものになることは無い。
この町の、この世界の法は女性の相続権を認めていない。特例は、相続権を持つ未成年の男子がいる場合だけだ。
だからもしゾーイさんが工房に残りたければ、ゾーイさんのお父さんの喪が明ける一年以内に相続権のある男性と結婚しなければならない。
産めよ増やせよ。
この世界は、健康な年頃の女性が未婚でいる事を許さないのだ。
倉庫の壁に掛けられている革の丸盾と短槍、短剣と幅広の肩と腰に巻く革のベルトを運び出す。
町の住民としての権利を持つ男性には兵役の義務があり、当番制の門番に無償で従事しなければならない。
だから権利を持つ住民の家には必ず盾と槍が置かれている。
「弓が欲しかったけど、職人で持っている人はよほどの物好きだもんね」
弓も矢も安くない上に消耗品だ。お金に余裕がある人か、狩りで生計を立てている猟師でもなければ普通の人は弓を持とうとは思わない。
「ダーク・スワロー」
あれば便利だけど普段は使わない物を闇魔法を使って自分の陰の中に仕舞う。
残ったのは従軍で遠征する時に使う皮製の大きなバッグと旅で使う生活道具、食料、自衛用の武器。
「ごめんね」
最後に亜麻色の長い髪を肩辺りの長さで切り落としてゾーイのお父さんが持っていた男性用のつば広の麦わら帽子を被る。
ぶかぶかだ。
頭にタ―パンの様に布を巻いて、ちょうどいい被り心地になる様にサイズを調整。
姿見がないから確認は出来ないけど、ぱっと見は細身で小柄な男性に見えるはず。
この町を出るには必ず門を通らなければならないが、女性が一人で通り抜けようとすると必ずと言っていいくらい確実に呼び止められる。
女性が一人で旅をする事はこの世界では非常に珍しい事だから。
じゃあ、この町の住んでいる女性が一人で外に出ようとしていたら?どんな理由があっても止められる。女性が一人で町の外に出るなんて絶対にありえないことだから。
夜明けまではまだもう少し、食事を作って腹を満たすくらいの時間がある。
竈に火を着けて水と麦を入れた鍋をかける。乾燥キノコ、干し肉、残っていた根菜も切って入れる。
後は煮込むだけになったから近くにあったスツールに腰かけると、視線が自然と部屋の中を見渡した。
いつもそうしていたように。名残惜しむように。
ゾーイさんの記憶だろう。ここで暮らしていたゾーイさんのお父さんがダイニングテーブルに座って料理が出来上がるのを待っている姿が脳裏に思い浮かんだ。
「ごめんね。もうここには戻って来れないんだ」
記憶の中のゾーイさんのお父さんが私を見て微笑んで、頷いた。
日が昇ると、町の人々は各々の仕事場に向かいだす。その中を男装した旅姿の私が歩くと、誰だあいつはと人々が振り返り、私が通り過ぎるのを眺める。
(俺は流れ者の彫金職人スミス)
職人組合に所属していないモグリの職人で、立ち寄った村や町で自作の装飾品を売って生計を立てている、流れ者の中ではまともな部類に入る人間だが、それでも流れ者には違いない。
私を見る町の人々の目は冷ややかだ。でもそれが今日からは当たり前になる。
「神様の言う通り」
何の問題も無く町を出られたのはいいが、ゾーイさんが持っている地理情報は町の中とその周辺の村についてだけで、それ以外の地理情報は何ももっていない。
だからどの道を行けばいいのか推測する事も出来ない。
「まいったなぁ」
月の女神様だから昼間はサービス外なのか、いくら呪文を唱えても何の反応も返って来ない。
道は二つ。西に向かう道と東に向かう道。他にも道はあるが、それは近隣の村につながっているだけの道で、遠くの町と繋がっている街道は東西に走る一本のみ。
つまり、右に進むか左に進むか、前に進むか後ろに進むかになる。
「かみさまのいうとおり!」
くるくると回る様に投げた短槍が地面に着地して西に倒れた。
旅をする時の危険と言えば最初に思い浮かぶのは盗賊や人攫いだが、旅で一番危険なのは野犬だ。
なぜなら、やつらはオオカミや熊と違って人を知っている。
だから人里から離れた街道を一人で歩いている人間がいたら、良いカモがやって来やがったぜと走り寄って囲って四方八方から襲いかかる。
そんなものは俺の槍で蹴散らしてくれる!とカンフー映画なら言いそうだが、それが通じるのは狩りを知らない飼い犬の群れに襲われた場合だけだ。
百戦錬磨の犬に人間相手の技は通じない。
だから私が野犬に襲われて助かったのは、運よく近くによじ登れる木があったからに過ぎない。
「初日だからね。今日はこのくらいで終わるのが丁度いいのかもしれないね」
まだ村を二つ通り過ぎただけで、太陽は上がり切ったくらいだから時刻は12時ぐらいか。
木の下には、見張りの犬が3匹寝転んでいる。
もしかして、3匹くらいなら蹴散らせて逃げられると思った?残念。この3匹は私を逃がさないための足止め係で、私が襲い掛かれば逃げて、私が逃げればその前に回って前後から襲い掛かる振りをして仲間が集まるまで私が逃げるのを防ぐのが役目。
私はダナヘトラ様の常闇の神殿で嫌というほど犬の恐ろしさを味わっているのでよーく知っているのだ。
だったら対処法を用意しておけと思ったそこのあなたは正しい。
褒美に私の真空飛び膝蹴りを特別に味合わせてやろう。ほれ遠慮するな。近う寄れ。
などとふざけていられる状況ではない。
「吹き矢があればなあ」
木を真っ二つにして真っ直ぐの溝を掘ってくっつければ吹き矢の完成だから、一日あれば木の上から犬を仕留めるくらいの物は作れたと思う。
でもその一日がとれなかった。だって婚約者とその父親が行方不明になって注目を浴びないわけがないし、少なくない疑いを持たれるだろうし、面倒な事になっていたのは想像に難くない。
ゾーイさんのお父さんの工房を欲しがっていた人たちは、フランツの息子以外にもいただろうし、長居をしてもいいことは一つも無かったと思う。
しかしこうなると分かっていれば面倒な事になると分かっていても町に残って工房で吹き矢を作っていた。




