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真っ黒な影が私を見張る野犬どもに音もなく忍び寄ってその首をひねり折る。
「グッドキル」
召喚魔法で呼び出した〈影の乙女〉が私の魅力的な体を狙う飢えた野良犬どもを一匹一匹と仕留めていく。
時刻は夜。
「神様の言う通り」
クラスメイト達が居る所へ向かう最短の道を教えてくださいと月の女神ダナヘトラ様に願ったら、私がグッジョブと親指を立てて微笑んでる光景が頭に浮かんだから、私が選んだ道は間違っていなかったのだろう。
夜の街道を歩く。
婚約式からずっとまともに寝ていないから本当は今すぐ横になって眠りたいけど、野犬が出た近くで寝るのは嫌だ。
でも眠い。きつい。まともな物が食べたい。
野犬に寄こせと吠えられながら食べたのは、工房にあったパンの最後の一切れと水筒の水。
体が栄養を求めて、心がもう寝かせてくれと泣き言をいう。
つらい。これが旅か。初日で心が折れそうだ。
背負っている皮製のバッグは重いし、膝も足の裏も痛いし、ほっと一息つける場所も見当たらないし。
道の左右は木が生い茂っていて、前方には白い岩山が見える。
人里が見えたらそこで休もうと歩いて来たけど……あーもう駄目だ。限界だ。飯を食って寝よう。
野犬?そのような矮小な畜生は我が槍さばきで返り討ちにしてくれるわ!
街道の左側の緩やかな下り斜面を慎重に下って平らな地面に下りたら、よじ登れそうな木の下に荷物を下ろして、闇魔法〈ダーク・スワロー〉で自分の陰の中に収納していた薪と焚き付けを闇魔法〈ダーク・ヴォミット〉で出して火を着ける。
背負っていた皮のバッグの上に縛り付けていた鍋に水と芋と麦を入れて火にかける。 闇魔法〈ダーク・ヴォミット〉で出したハンモックを張って寝心地を確かめる。
このハンモックは工房の物置に置かれていたが、ゾーイさんの記憶にこのハンモックのことは無かった。忘れていたのか、ゾーイさんのお父さんがこっそり隠し持っていたのか、今は誰も出どころを知らない謎の一品だ。
寝心地?最高さ。
ハンモックに寝転がったまま火にかけた鍋の様子をうつらつらと眺めて、眠気に負ける前に食べて仕舞おうと鍋の様子を見たら、スプーンで芋が崩せたからもうええやろと塩で味をつけて「いただきます」と食べたら、うまーい。もちろん最高ではないし美味しくもない。でも、うまーい。温かいだけでうまーい。
食べ終わったら焚火に土をかけてハンモックに寝転ぶ。
息を吸ってふーと吐き出すと意識がすーっと落ちて、気づいたら朝日が瞼を照らしていた。
(だる)
起きなくても分かる。これは全然疲れが取れていない。
でも頭の疲れはとれていて、今日はどうしようかと考えている。
「腹が減った」
でもハンモックから下りて飯を作るのが面倒だからやりたくない。だけどやらないと腹が減ったままだ。後おしっこにも行きたい。
「あ~、誰か私の代わりにやってくれないかなぁ。料理とおしっこ」
純潔の乙女にあるまじき発言だ。でもいいのだ。ここには誰もいないのだから。
「……起きるか」
疲れを癒したいなら寝るだけではだめだ。出すものを出して腹を満たす必要がある。
私はハンモックから下りて軽く周囲を散策した。
昨日は暗くて気付かなかったけど、今私が居る場所は二つの緩やか斜面が接する谷間で、雨が降ったら流れ落ちた雨水が流れる川になりそうな場所だった。
「ふー」
スッキリして立ち上がった私は、昨日の焚火跡に戻って、土の中から発掘したまだ使えそうな中途半端に燃え残っている薪に火を着けて、軽く汚れを落とした鍋を火にかけて、昨晩と同じ美味くも無ければまずくもない塩味の芋麦粥を作る。
そしていい感じに出来たと火にかけていた鍋を焚火の側に下ろした時、私の耳に足音が聞こえた。一人や二人ではない複数人が私の居る方へ向かってくる足音が。
(地元の人間か?)
だとしたら堂々としていた方が心証はいいが、もしこの足音が街道を通る人を脅して金銭や物を奪う盗賊たちのものだとすると、絶対に隠れた方がいい。
私は木に立てかけていた短槍を手に取ると足音を殺して街道側の緩やかな斜面を登った。
置いていく荷物の中には、ゾーイさんとゾーイさんのお父さんが使っていた彫金の道具が入っているから置いて行きたくはないし、盗られたくはないが、相手が盗賊集団なら諦めるしかない。
一対多数の戦いはどんなに強い人でも無傷では済まないのだから、私のようなただの町娘に勝ち目はない。
身を低く、地を這う虫のように手足を動かして緩やかな斜面を慎重に音を立てずに登る。
「飯の匂いだ」「誰かいるぞ」「探せ」
まだ姿は見えないが、声の感じはかなり剣呑だ。
「足跡だ」
なるべく足跡がつかないように気を付けて逃げていたけど、気づかれる時は気付かれるものだ。
「女だぜ」
足跡で性別を判断できるとは。どうやら追跡のプロがいるようだ。
「しゃがんでションベンをする男はいねえからな」
見つかったのはそっちの足音かぁ……となると、乙女の秘密を知ってしまった奴らには、全員この世から消えて貰うしかありませんねえ。
向こうも私を逃がす気はないみたいだし。
私は短槍を斜面に置くと、腰と肩に巻いた装備ベルトを外して、近くに落ちていた小さな石を拾って斜面に置いた装備ベルトから短剣を抜いた。
(吹き矢があればなあ)
もしあれば近寄られる前に何人かは毒矢で倒せただろう。
「木の上もよく見ろよ」
指示を出す声の感じからして、隠れている人を探すことに慣れている気がした。
(そして善人が出す声にも聞こえなかった)
「出て来いよ。何もしねえから」
嘲笑うような軽薄な口調に私は確信を深めた。
こいつらは殺しても問題ない、と。
木々の僅かな枝葉の間から見えたのは、野盗という言葉がピッタリなギラついた目をした汚らしい恰好をした男達。その手には良く磨かれた片手剣が握られていて、私は一層気を引き締めた。
(ただの盗賊じゃない)
武器が綺麗ということは、誰かがチェックをしているということだ。武器の手入れをする専門の人間がいるのかもしれないが、盗賊たちの中に武器の状態にうるさい人間がいるのは間違いない。
元軍属か、現軍属か。どちらにせよ、その配下にいる人間が訓練をされていないとは思えない。
実戦も経験しているだろう。
(見つからないなら、あいつ等が諦めるのを待つのも手だけど)
あいつ等の雰囲気からして私を見逃すつもりはないらしい。
今はまだ無作為に探しているが、これが統率の取れた捜索になると、さすがに隠れきるのは難しい。それに、統率された敵を仕留めるとなると、今のまとまりのない状態の何倍も難しくなる。
(やるなら今しかない)
頭の中でいく通りもの戦術が試され、私はその内の一つを実行に移す。
サイレントキル。かくれんぼをした事が無いボッチが考えたおとぎ話だ。
気づかれずに一瞬で絶命をさせても音は必ずするし、人の目は些細な動きでも気づくように出来ているし、血の臭いというのは想像以上に遠くまで臭うものだ。
「何か動いたぞ!」「ハロルがいない!」「そこだ!そこで何か動いた!気をつけろ!」
気付かれずに仕留めた男の手から片手剣を奪って、男の腰のベルトに装着されていたナイフを近づいてくる男達の一人に投げて、斜面を駆けあがってくる男に短槍を投げつけて、私は近くの藪の下に開いている隙間に這うように入って、そのまま藪の中を這って進む。




